ニートが頑張るブログ

ニートが現実逃避するために創作活動など色々とカオスに頑張ってみる
ニートが頑張るブログ TOP  >  2017年02月05日
月別アーカイブ  [ 2017年02月 ] 

しっぽの話 ~Tale Of Tails~


最近やっとること

延々と、シン・ゴジラモデルのリメイク です。

今こんな感じ。
全然進んでない。

シン・ゴジラモデルのリメイク

で、これはまだまだなんだけど、これはあくまで細かいシワのディティールを付ける前の
「リトポ用のモデルの元」 にするための形状づくり
なので、それは仕方がないのだ。


尻尾だけはシワをもう付けちゃったけど)

しっぽのディティールアップ


シンゴジラはやればやるほど終わらない気がしてきますね。

最初は、巨神兵よりは絶対楽だろうとか思ってナメてたのに、
進めば進むほど停滞するのが分かります。


ところでシンゴジラのモデリング作業をしていると、
前の3DCG記事に速攻でついた「嫌味なコメント」のことを、いつもいつも思い出してしまう。


"ディティール"というのは間違いです 正しくは"ディテール"です~」みたいなコメントがついたのだ。


自分はそのとき思ったのは、

「えっそうなの?」 「間違いだったの?」

「いや、大した間違いじゃないでしょ?」
「てかディティールでググっても大量に引っかかるし、それが間違いだという指摘も見つからないし・・・」

「その点で、シミュレーションをシュミレーションっていっちゃう類の間違いとかですらないはずだ」

「ていうか明らかな間違いの場合、グーグルIMEさんは、矢印で訂正してくれるんだよ」
 (まさに"シュミレーション"とか無理に打ち込もうとすると、教えてくれる)
「だがディティールは、普通にグーグルIMEさんも通してくれるのだから、完全に間違いでもないはずだ」

「そもそも自分には「頭痛が痛い」という言葉づかいについての記事があるのだから、慣習的な間違いなんて実はどうでもいい」
「どうせならそんな瑣末なことじゃなくて、本当に致命的な間違いを指摘してくれ」


・・・みたいなことを感じ、
そのことを伝えた。
「あなたはニュースっていってる人に「正確な発音はニューズです」って指摘しつづけるのか?」と。


そしたらその人は、急に喋り方が豹変して、罵倒して去っていった。


(だいたいそのコメントは、自分の記事に書いて有ることをそのまま指摘してくるようなコメントだったので)
(何も読んでないのが伝わってくるだけのコメントだったのだが)
(「ディティールがまだまだショボいですね」と記事内で自分が書いてあるのに対して )
(「ディティールがまだまだショボいですね」とそのまま言ってくる感じ。 そんなことはわかってるんだよ)


・・・そのやり取りは本当に胸糞悪いんだけど、

それでもその時は
あんな人にいちゃもんを付けられるくらいなら、これからはディティールのことディテールって書こうかなぁ・・・?」とかも、
「一瞬は」思ってしまったのだ。


・・・
だが、引き続きシン・ゴジラを作ってて、
普通に資料を見てて気づいたのだが、
白組のメイキングの中でも、普っっっ通に、"ディティール"って書いてあるじゃないか。

白組のメイキング映像


これでもう完全に確信となった。 

間違いだとか、癖だとか、国民の50%以上が慣習的に誤りとか・・・そういうレベルじゃない。

白組の人がこっちを使ってるんだ。 
そして今、自分は、シン・ゴジラを作ってるんだ。
自分が "ディティール" って言って何が悪いんだよ!
 ということである。


間違いですら無かったことを間違いだと言われて、馬鹿にされてたワケだ。

それでもあの人は、シンゴジラのこの白組メイキング映像に対しても、
「"ディティール"は間違いです 正しくは"ディテール"です」ということを言い続けるのだろうか?


・・・みたいなことを思った。


つまり、クソリプ的なものを貰ったという「困惑」が、
間違ってもいないのに馬鹿にされたという「怒り」に、反転したワケだ。


本当にどうなんだろう。


"detail"である。 de - tail。 「テイル」にディがついてる感じ。 しっぽ である。
テールスープって言ってみたり、フェアリーテイルって言ってみたり、好き勝手に変化する、あれである。


外人の発音とか聞いてると、「ディー↑テイル」というのが一番近いかと思う。

それをカタカナで、ディティールと書こうが、ディテールと書こうが、まことにどっちでもいいことだと思うのだが、
なぜあの人は、「ディテールだけが正しい」と決めつけてきたのだろう。


あの、「確信をもって人の間違いを指摘してくる感じ」で言えば、
あの人の人生の中では今までずーっと、他人が「ディティール」という言葉を使った時に
「"ディティール"は間違いです 正しくは"ディテール"です」と指摘しつづけていたかのような威圧感を感じる。


なぜそこまで思い込めていたのだろう?
そして、一度も「いや別にディティールでも間違いじゃないでしょ?」というカウンターを食らってこなかったのだろうか。
そしてこれからも、他人に間違った指摘をしつづけるのだろうか?


ここで自分が思い出すのは、中学生のときの社会科の先生のことである。

その人は、
「アルファベットの「D」のことは、「デー」と発音しなければ間違いである!」
みたいなことを何故か確信していて、それを生徒にも押し付けてくるような教師だったのだ。
 (「キチガイみたいな教師の思い出」ってあるよね)


なぜそんなことを思い込んでいるのかというと、
「Dのことをディーと発音したら、Tのことをティーと発音するのと紛らわしいじゃないか!」みたいなことを力説していた。

なんでそんな訳のわからない理屈から、変なことを信じ込み、
そして他人に、生徒に、「Dをディーと発音するのは間違いだ!」みたいなことを押し付けられるのだろうか。


自分が間違ってる可能性とかを考えたり、恐れたり、訂正したり、撤回したり、反省したり、恥ずかしくなったり・・・
そういうことが、あの手の人達には無いのだろうか?


ああいう人達は、
他人に「間違った指摘」をしていたことに気づいた時に、
自省するんじゃなくて、相手をさらに馬鹿に決めつけて怒り出し、自分の心を守ろうとするよなぁ、とも思う。


そのような心理が結局、自分のコメ返信に対しても、
「ニートが紛らわしいこと書いてるのが悪い」
「ま、ニートが言葉遣い間違えてても、誰も困らないけどな~」
みたいな罵倒語と捨て台詞を吐いて、去っていったりする、
ああいう、「絶対に反省しない態度」につながってるんじゃないかなぁと思う。


つまり、「自分を攻撃する」んじゃなくて、あくまで、「最後の最後まで他人を攻撃する」という姿勢で一貫してるんだよなぁ。



(ネット上の、ああいうマウンティングをしてくる人というのは何なのだろうか? いなくならないのだろうか?)
 ((そして自分のこの文章も、「マウントの取り返し」に過ぎないのだろうか?))
  (((でもマウンティング野郎さんは、絶対こういうこと考えないんだろうな)))


(でも本当に、嫌味なコメントされて嫌な気分になったんだから仕方がないじゃないか)


・・・で、こういう愚痴みたいなのを延々と聞かされても困るだろうけど、
こういうことはずーっと考えてしまうのだ。


つまり、
「何故自分の脳は、一回嫌なコメントがついただけで、その嫌な記憶を延々とリフレインするような構造になってるのか?」
みたいな疑問だ。

(例えトンチンカンな指摘コメントだったとしても、自分はこれから先、一生、「ディティール」って言葉を使おうとする際に、
 あの変なコメントを貰ったという嫌な記憶を思い出し、
 そして思い出し続けることにより、更に強固にそのことを刻み込んでいくと思うのだが・・・
(その責任をどうとってくれるんだろうか)



こういう、
人間の「内面の選択的進化」とか「内面の多様性」・・・みたいな話はいつかしてみたい気がする。

「ネガティブな性格というのは何の役に立ってるんだ?」
「なんでこんな脳みその形質が、未だに人類の遺伝子プールの中で生き残り続けてこれたんだ?」
みたいな話だ。


・・・
やらなければならない話は山ほどある。


前回の宗教に関する一連の記事。 
あれに対してどういう反論がつくだろうかとか、そういうことばかり自分で考え続けて、自分で凹んできてしまうし、
そして、その「反論に対する反論」も、ずーっと考え続けている。


前回の記事に対して、理屈以外のところで攻撃するなら、

「これは宗教に対するヘイトスピーチだ!」

「こんなのは過去の宗教弾圧と変わらない!」

「このような宗教排斥、他者への不寛容、多様性を認めない価値観は、
 トランプがやってるような移民排斥の政策と、何が違うんだ?」

・・・
みたいな攻撃がありうるだろう。 

そういう理屈以外の「レッテル系」の攻撃を、自分は自分でいくつも想定してしまう。
そしてそれらへの反論もずーっと考え続けている。

その話もしなければならない気がする。
 (そうしてはじめて、あの3連記事は完成するような気がする)


そこで繋がるのが、自分の思う「多様性の意味とはなんぞや?」「多様性の保護とはなんぞや?」みたいな話だったりする。


「宗教の全否定」という、自分の価値観の中で一番重要なことを書き終えてしまったのだが、
やはりまだまだ、書かなければならない記事は山積みである。


今、特に優先度が高いはずなのが、

・ゲーム「トリコ」についての感想文。

・映画「沈黙」についての感想文。



それなのに延々とやってしまっているのが DDONで、
LV50のアルケミストでLV70のナイトメア狩りまくったり、
LV50のプリーストで、LV70のナイトメア狩りまくったり・・・
とかいう行為である。

これで、「快動LV6」とか「長露LV6」とかのジョブ修練をするのである。

ファーラナ平原中央から南に行くと、LV70超えのナイトメアがいるのだ。

ジョブ修練をするだけならLV60付近の、魔赤島にいるナイトメアでも狩ってれば楽なのだが、
やはり今週の高難度クランクエストもついでにこなすために、LV70のナイトメアを狩りたいのだ。

「クランのためのCP稼ぎするぞ」、という気持ち。
やはりクランクエストのおかげで相当「ジョブ修練」をするモチベになっていると思う。

そのせいでまた人生がDDONに吸い取られている。


ありがたいんだか、ありがたくないんだか。


あとなんで「長露LV6」なんて欲しいのかというと、
自分のチルチャックがエレアチャポーンとしてほぼ固まって来ているからである。
つまり根っことしては、やはり「ポーン育成」が最大のモチベだとは思う。

[ 2017/02/05 11:49 ] 3DCG | TB(0) | CM(10)
月別カレンダー
01 ≪│2017/02│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -