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生命を冒涜する側の人間宣言

 
なーんでこう、次から次へとめんどくさい文章を書いてしまうんだろうなぁ。
(大体この文章
(書いてから保存して寝て、一日経って、そしたらもう自分でも割りとどうでも良くなってるのだが)


まぁとにかく今回の話題はこれである。

NHKスペシャルの宮﨑駿特集 「終わらない人 宮崎駿」




そこでドワンゴの会長が、あるプレゼンを宮崎駿の前でやった。

AIを使って、ゾンビの這いずるモーションを生成する、みたいな技術だった。
それに宮﨑駿が激怒、という流れである。 (正確には激怒まではしてないと思うのだが)


この、一連の流れ。
60分の番組の中で、2分弱の流れである。


この2分の出来事について、自分は小1時間以上語れるかもしれない。 増えるワカメか。
それほどまでに色々なことを思ってしまった。


その思いを羅列するだけである。


もう、接続詞とかも無視して、思ったことをそのまま羅列するだけにしてやろうかという勢いである。



あと、この話題自体はもう、一日寝て起きた時点で
既にまとめブログ等の「きな臭い話題」になっており、「老害」やら「ポリコレ」やら「モラハラ」やら、
自分の好む方向には進みそうにない領域の話になっているらしい。


それに自分はこのブログにコメントが付くことを別に望んでないので、
(それは何度も書いてきたけど) (自分は本来、人と会話とか積極的にしたくないわけで)
(じゃあなんでコメント禁止ブログにしないのかという話も何億回もループしてるのだが)
(それは言いたいことを言いたい放題書いておいて反論不可にするのはイカンだろ、という意識があるからなのだが)

やはり今回の話題は相当ロクでもないということで、珍しく言いっ放しにします。



 
生命を侮辱するとは
 
何からかけばいいのやら。


まず、第一印象。

自分としては、この技術・映像自体は、「面白い」ものだと思ってしまったのだよ。

と、同時に、これを今の宮﨑駿に見せて、どう言ってもらえると思ってるんだ?
おいおいおい、褒めてもらえるとでも思ってるのか? そんな風にも思ったが。

で、出てきた言葉があれである。 自分としては、想定以上に怒っていたので、
やっぱ宮﨑駿は怖いな、とも思った。



さてこのゾンビ技術のどの辺を自分が面白いと思ったか。
いや、この技術は十分使えると思ったのだよ。


真っ先に連想したのは、アイアムアヒーローである。


アイアムアヒーロー

アイアムアヒーロー


アイアムアヒーローには、まさに、こういうアクロバティックな体制をして歩こうとするZQN(ゾンビ)が大量に出て来る。

4巻でこれくらい。 最終的にもっとぶっ飛んだ異形がどんどん出てきます。

これくらい変な動きをするゾンビ系のバケモンは、実はゲームでも案外少ないんじゃないかなと思う。
デドスペ、パライブ、とかですら。
SIRENには、ブリッジ移動する屍人もいたが)
(だがそれも、「モーションキャプチャーで取れる程度の動き」であったはずだ)


漫画でなら、まぁそういう奴らを描くのはなんとかなるだろうが、
これが実写化となると、ここまで異形化がすすんだZQNを動かすのはなかなか難しいだろう。
モーキャプできまい。


実際、アイアムアヒーローの「実写版」でも、そこまで異形のZQNは出てこなかったように思う。


でまぁ、そういうときに、この異常な動きをするゾンビのモーションをAIによって自動生成する技術というのは、
十分使えるし、面白いだろうと自分は思ったのだ。



ほんとうに、この映像を最初見た瞬間に、「アイアムアヒーローの映像展開でなら使えそう」というのが、自分の第一印象だったのだ。


だから、自分はこの映像を、面白いと思ってしまったのだ。


持ち上げたので、持ち下げておく。


でもこういう技術。 そんなに「最先端」のようには思えないよね。


昔からこういう話はどっかしらで見てきたはずだよ。


もっとシンプルな箱をつなげたような奴を歩かせて、どのように歩かせればもっとも早く歩けるかとか、
最も効率よく歩かせる形態を獲得出来るかとか、そういうのをシミュレーションさせる話。


(追記:↓これだこれ。20年以上前の技術じゃねーか!)


よく見られた技術なはずだ。 ランダムなパラメーターを与えた車を作ってどれだけ走れるかとかも。
こういうゲームにもなってるし。


こういうのは、「遺伝的アルゴリズム」というやつで、
航空機のデザインとかで普通に実用されている、そういうシミュレーションの技術だろう。


実際、とっくにゲームや映画でも使われて来てる技術なはずだ。


だから今更感があると言えば、ある。


なぜドワンゴは今更、こんなのをやろうとしてるんだろう。 
もっと進んでるとこに行ってるべきなのでは?


そしてこれの行き着く果が、「AIで人間が描くように絵を描く技術」とかにしていくつもりらしいのだが、
本当にそれが繋がっていくのかどうかというのも相当疑わしいとか思った。

遺伝子アルゴリズムと、ニューラルネットワークだからなぁ。


でだ、最大の問題点。


宮﨑駿がこの技術を見て激怒したということである。
激怒というよりは、まぁ、「一気に不機嫌モード」という感じだろうが。


自分は、正直、これをみたとき結構怖かった。

ここまで、このように、こういう方向で怒るとは思ってなかったかもしれない。
想定以上のとこで怒られたので、ある種、自分が怒られたかのように怖かった?

(宮﨑駿のドキュメンタリーというのはそういうとこがある)(だからこそ好きなんだが)
(ポニョのメイキングとか、マジで自分が怒られてるみたいで怖いよ ある種オススメ)


自分自身、このゾンビ技術の映像自体、面白いと思って見てしまっていたところで、
それを見た宮﨑駿が、一気に不機嫌になり、「生命を冒涜している」とまで言い放つのである。
割りと、ガーンと来るよね。



勿論、それと同時に、
なんかヘラヘラしてるドワンゴの会長が、完全にズレたプレゼンをして、
それを大御所に怒られる。 

会長なのに、怒れられて、萎縮している。

精一杯の言い訳をして、縮こまっている。

その流れ自体も滑稽であるし、一種スカッとする流れである、というのもあるのだろう。

まさにこの動画のタイトル。
「宮﨑駿監督にガチギレされるドワンゴ会長川上氏 」みたいなキャッチ、

皆がこの動画を見て、溜飲を下げてるのも「そういうポイント」であろう。



でも自分は、あまりそこんとこには突っ込まないで行こうと思った。


さて、この宮﨑駿の怒りについて考えていこう。


本当に難しい怒りだぞ。



宮﨑駿は、このゾンビの這いずるプレゼンを見て、

障害者の知人を引き合いにした。

痛みを感じずにそのようなモノを表現する姿勢にこそ、怒っているように見えた。



さて、これは、本当に、どういうことだろう。マジで。

いや、答えはまんま出ているような気もするが。



ゾンビを見て、障害者を連想したってこと?

障害者のような挙動をするゾンビを、クリエイターは生み出してはいけないってこと?

痛みを感じるとはどういうこと?



「ゾンビを見て、障害者を連想したってこと?」

「障害者のような挙動をするゾンビを、クリエイターは生み出してはいけないってこと?」


これは、この時点で飛躍だと思うかもしれない。 だが実際そのような読み取りをしている人はいる。


「痛み」を感じずにそういうモノを描く、ということが良くない。


そういうモノとは何か? 這いずるゾンビであろう。


となると
じゃあ障害者の知人の話って、本当に持ち出す必要ってあったか?



その話をわざわざ持ち出したということは、やはりゾンビの動きが障害者の動きを連想させたということだろう。



そこは否定できないはずだ。



そもそもどんなゾンビゲームだろうと、
ホラーゲームに出てくるクリーチャーの動きだろうと、皆、ある種、障害者を連想させるのだ。



ゾンビは、体が腐ってるとか、筋肉がマトモじゃないとかで、
よたよたと足をびっこして歩くのが、まぁデフォルトである。 (走るゾンビもいるが)


その時点で、その動きというのは障害者を連想させざるを得ない。

というか、足が不自由な人の動きを追求せざるを得ないだろう。


ゾンビにかぎらず、ホラーゲームに出て来るクリーチャーには
障害者や病気を連想させる動きをさせているモノが本当に多いと思う。


例えばサイレントヒルのクリーチャー。

静岡のクリーチャーは、頭をブルブルと震わせているモノが多い。
(これも元ネタが「ジェイコブズ・ラダー」だからだ、と言ってしまえばそれまでなのだが)
それが恐怖を呼び起こすのは、この動きがチック症候群的に映るからではないかと思うのだ。

病気をモチーフにしているクリーチャーもいるし (肺がんだとか)
ナースとか患者(patient)とか、まんまの名前のクリーチャーもいる。



突き詰めるとだ、

ゾンビにせよ、クリーチャーにせよ
彼らの「欠損した動き」がなぜ人間に恐怖を与えるのかというと、
それは、「人間はそのように欠損するぞ」ということを連想させるからこそだと思うのだ。




人間は、足を怪我しうる、 
足を怪我したら、こう動くしかないだろう。 

だから、足を引きずっている人を見ることが、痛み、共感、想起、恐怖に繋がる。


または、頭がおかしくなる、頭がおかしくなって、こんな風にヘドバンしながらうごめいている「末路」がありうるのだと、

そんなことを連想させる。 だから、頭をブルブル震わせている人間型のクリーチャーを見たときにゾッとするのかもしれない。


だいたい「ゾンビ」というモチーフが、極めて強烈に人間の心を捉えて離さないのも、つきつめるとそういうことだろう。


「ゾンビ」というのは、「元人間」である。 人間が、ああなると、言っているのである。


それはもう、人間が必ず死ぬとか、人間が必ずボケ老人になるということを、視覚的に突き詰めているようなもんだと思う。


人間は、いずれボケ老人になり、見た目は人型だが、中身は人間ではない、猛獣のような存在になる。 
いずれそうなるのだぞと。


ボケ老人とはゾンビなのだ。 ゾンビとは、現実にある人間の末路なのだ。


・・・
だからこそ、ゾンビ物というモノは、
逆説的に人間の尊厳とかをちゃんと描いているような気がするのだが、そこんとこどうなのでしょうか、宮﨑駿?



自分がゾンビとかクリーチャーについて考えると、こういうところに大体行き着く。


でもやっぱり
そこんところで、宮﨑駿のこの怒りである。



ホラーゲーム好きの自分としては、あまり都合の良い怒りではないかもしれない。



だってこう言ってるんだよ。


「知人に障害者のいる自分としては、このようなモノを面白がることは出来ません」
こうハッキリ言っている。


どうなのだ。

自分としては逃げ道はない。 変な解釈をして逃げる気もない。


ゾンビは、クリーチャーは「障害者志向」であるということを、今更誤魔化したりもしない。


(となると、知人に障害者のいるという宮﨑駿はゾンビモノも楽しめないのではないかと思うのだが、そこんとこはどうなのだろうか?)



「いや、そこんとこは、例の「痛み」を感じながら生み出しているかどうかが問題なんじゃないか?」と考えることも出来るだろうが。



でも今回、そのように解釈することは逃げだと考えるようにしよう。


そもそも、自分自身が、生命を冒涜する側の人間なのだ
ということを認めるところから出発しようと思った。





色々考えまくった結果、
つくづく思ったのだが、
自分は、この「ドワンゴの会長サイドの人間」になっちまうようだ。


なぜなら、今まで自分自身が作ってきたモノというのは大抵、彼がやったようなプレゼンに近いモノだからだ。



自分が作ったもの、例えば「アニマルメーカー」とかがいい例である。

ゾンビモーション

まさにこのアニマルメーカーでは、人間の素体をちょっといじるだけで、ゾンビのモーションとかも簡単に作れるようになっている。

(手を前に固定し、片足を弱体化させ、重さのパラメーターを上げれば、
 あっという間に人間のモーションがゾンビ用のモーションになる)


他にも、三本足の動物が実際にいたらどういう風に前進するかとかを、シミュレーションできるようにも使える。


そしてこのアニマルメーカーの足を切断したときの無駄にグロい挙動とか、完全に自分の趣味である。

蜘蛛の足ちぎり


更に、
自分はいつか、動物の手足をちぎったりくっつけたりすることで攻略していくゲームを作りたいし、
それが自分の思う理想のゲームなのだと、過去にも書いてある



つまり、自分は完全に
「痛み」を考えずに「気持ちの悪いもの」を「勝手に作ってる側」の人間だということです。




・・・さて、もしも自分がこのドワンゴの会長の立場だったらどうか?


ありえない話だが、もし自分が宮﨑駿の前で、自分のアニマルメーカーのプレゼンをしたらどうなるか。


「褒められない図」というのが完全に想像できる。


「こんなモン何のやくに立つんだ」と、

「このようなモノに頼って、トレースして、動物のアニメーションを描こうなどとは私達は思いません」と、
丁寧に否定される姿が、完全に想像出来る。 (ロトスコープ全否定だが)


Q「これで何をするつもりなの?」

A「ゲ、ゲームとかのモーションに使えないかなぁと思いまして・・・」

完全に同じではないか。



つまり、やはり自分は「宮﨑駿に怒られる側の人間」だったのだ。


あの番組を見てて、あの流れを見てて、いたたまれない気分になったこと、自分が怒られてるような気分になったことは
勘違いではなかったのだ。

(あれはタダの「共感性羞恥」ではなかったのだ)


まぁコレが自分にとっての最大の問題だということですよ。


自分は「宮﨑駿信者」である。 (それも、そんじょそこらの信者ではないつもり)

だが、自分は完全に宮﨑駿に怒られる・嫌われる・唾棄すべき側の人間なのだろうなぁ、ということ。



「そんじょそこらの信者」というのは、まぁただのジブリ好きとか。
金ローでジブリやってたら毎回実況してるような人たちとか。

自分はああいうのではない。


最近の自分は、「ジブリ汗まみれ」とかも全話聞こうとしている。
(例えばその中で宮崎駿が「動物農場」を褒めていたら、それも見て把握しておきたい、そういうのをどんどんやっていく)

作品よりも、宮﨑駿本人への理解を思いっきり深めまくりたいとおもっている。

(まぁつまり、作品を金ローで何度も見るタイプの信者ではなくて)
(本人自身への興味が突き抜けているタイプの信者だということだ)


逆に、そんじょそこらによくいる「宮﨑駿アンチ」なんかも、クソダサい存在だとおもっている。

そんじょそこらの宮﨑駿アンチというのは、爆笑問題とかが例だと思ってる。

ああいうのは、原作ナウシカも読ますに、映画のナウシカだけをテキトーにみて、
ナウシカのことをなぜか「エコロジー主義のおりこーちゃんのダセーアニメ」みたいに把握しているタイプの人間なのだろう。
(ナウシカはエコロジーどころの作品じゃなーよ)


あと
宮﨑駿という人は、メインカルチャー側に「どういう訳か」立ってしまってるので、
そこへの「単純な跳ねっ返り」だけで、宮崎アンチになってる人間って多いと思う。 (つまり反抗期)


そういう人間が、
「俺ジブリ嫌いなんだよねー 今最高なのは新海だよねー」みたいな感じに、軟着陸しているのだ。
(宮崎がメイン、新海がサブ、みたいな感じで)


実はそういうのは全然サブでもなんでもないのだ。 
あんなの思いっきり、「世間」の「好み」に「迎合」してるだけの作風ではないか。


明らかに宮崎駿のほうが、
カウンターカルチャー的な、ロックな、アナーキーな、反骨精神の作風を、ずっと貫いてると思うんだが。

(宮崎駿というのは、本当に、鈴木Pのおかげで何故か売れてしまった人みたいなもんだと自分は思っている)

(カリオストロ、ラピュタ、トトロは大コケしている事実)
(鈴木Pが奔走しなければどうなっていたか分かったもんじゃない)


何の話だ。

自分が超宮崎駿信者だけど、宮崎駿には怒られるだけの側の人間だということね。



大体、前回の記事だって、
「実際にネコ飼うくらいだったらバーシャルな偽ネコ飼ったほうがマシだ!」みたいなことを本気で言ってるワケですからね。

自分は明らかに、生命の尊厳を冒涜してる側の人間ですよ。

(いつかこの、究極の話もしてみたい)
(何度も言ってる話だけど、「実は人間は全ての植物と動物を絶滅させてもいい、という結論に到れる」という話)


でも
ここでね、 
最近はやりの「ポリコレ叩き」みたいにして、この宮﨑駿の怒り方に「逆ギレ」する、というのも、可能といえば可能なんだよ。


それはどういうやり方かというと、

「えっ、このAIが生み出したモーションを見て、知人の障害者を連想したんですか? それって逆に失礼じゃないですか?」とか、

「えっ、ゾンビのこのような動きって、生命を冒涜してるんですか?」とか、

「えっ、じゃあ、ナウシカの巨神兵はどうなんですか?」とか、

巨神兵作り中

生まれたての赤ん坊を連想させる、ドロドロに溶けた化物が、産まれてすぐに死んでいく様は、生命を侮辱してないんですか?

・・・みたいな「返し」だ。 (だが本当にそれでカウンターになると思っているのか?)


他にも
(あなたの好きな諸星大二郎にも知的障害者を連想させる救世主出て来るじゃないですか、とか)
(あなたの友人のラセターのピクサーだって、主人公にハンディ持たせるのをルーチンにしてるじゃないですか)
(そういう要素を「売れるレシピ」「売れるエッセンス」みたいにして使うほうがどうなんですか、とか)



こんな返しを、もしもあの場でドワンゴの会長がやってたら、あの場はどうなっただろうね。 (更に凍りついただろうけど)


でもそういうのってダサくないか?
ポリコレ叩きにしたって、サウスパークの去年のシーズンでやってたことだよ)
(日本には全てが一年遅れで入ってくるなぁ)

(あとモラハラ叩きとしては、「こんなプレゼンの場でこんな怒り方するなんて宮崎駿は人間が出来てない!」とかね)
(それはもう、今更すぎるでしょう) (こういう人だって知らなかったの?)



揚げ足取りっていうか。 いや普通に間違ってるでしょ。
(そこがやっぱり、例の「痛み」という奴であって・・・)


ナウシカの巨神兵は生命を冒涜しているかしていないか?
まぁ「賛美」はしてないだろうが。

だがあれは劇中でも「あんなものにすがって生きて何になろうか・・・」みたいなことを言われている存在なワケで。

あれはもう、そういう、作られた、哀れな、歪な存在として描かれているのだから、ああなのだ、としかいいようがない。 (ヒドラとかも)
みじめないきもの


他にも宮﨑アニメの中で出てきた、障害者、病人を連想させるモノといえば、
例えば「もののけ姫」に出てきたハンセン病患者とかがいるが、
あれもまさに「生きる痛み」そのものを訴えている、そのような存在として描かれているワケで。

・・・

そういう本気で痛みを伴って描いているモノ捕まえて、
「お前だって障害者描いてるじゃん」
「お前だって病人描いてるじゃん」
「お前だってグロいもの、気持ちの悪いモノ描いてるじゃん」 


・・・みたいな返しなんて出来るわけないよね。 そんなのが揚げ足取りになると思ってたら、そのこと自体が恥ずかしいよ。


だから駄目なのです。


(この辺で一気に、さらに手抜きになります)
(文章の繋がりとかもはやないです)


・・・となると結局


苦しみなしに、
いたずらに、
無自覚に、
いたわり無しに、
そういう「人間の欠損」を描くというのは、ろくでもねー、という結論にしか行き着かないのかな? という気がしてきた。


でも、どうあっても自分はそっち側の人間なんだよなぁ。


そして、そこんとこで
「こ、これは実験ですので・・・みたいな、その場限りの取り繕いをしたいとも思わないし。


自分はもう自分が「冒涜側の人間」なのだということを認めてやっていくしかないのではないかと思う。

お前は闇だ!

はい、闇の眷属として生きていきます・・・。


これでもうメインの話はオワリ。 最初からオワってる。

それにしても、「生命を冒涜する」って、何だろうね。


具体的に、どういうことをしたら、生命を冒涜することになるんだろうか?


グロいことをしたらそうなの? 障害者を笑ったらそうなの?


究極は何? 最小単位は何? 本質は何?


「究極の生命の冒涜」というと、 自分が思いつくのは、
やっぱ「赤ん坊を産まれた直後に殺す行為」かなぁと思う。


なんでそう思うのかというと、
これは「大脳分裂」という糞映画扱いになっているカルト映画で、まさにそう言ってたから。


「生命を冒涜する最大の方法とはなんだろうか?」
主人公はそう思い悩み、自分の妹の子供の出産を手伝うフリをして、産まれた直後に赤ん坊をぶっ殺してしまうのだ。
(どういう映画だよ)


他にも、これは宇治川板の漫画でもやってたね。 「ホイお誕生♡、ホイ死亡♡」


やっぱこれが、生命を冒涜する最大の方法かなとは思う。
(単純に考えて、「堕胎」を軽く超えてるからね)


じゃあ、生命を冒涜するという最小単位(?)とはなんだろうか?


疑問の意味が分からんだろうが でもやっぱ自分はこういうことを考えてしまう。


「ひよこミキサー」の思考実験みたいなもんである。


ひよこを、ミキサーで、すりつぶす。

ビフォア、アフター。

はて、何が奪われたのだろうか?と。



「そこで奪われたモノ」、

「ソレ」こそが生命の根源であり、

「ソレ」を奪うということが、生命を冒涜することの単位だと思うのだが、どうだろうか。


じゃあ「ソレ」ってなんだよ。


自分としては「不可逆的に失われてしまった複雑性のようなもの・・・?」みたいな回答しかできないが。
(「局所的に時間を戻すくらいの確率」でも起こらない限り、元に戻らないような情報?)
(そして、「そのような確率」はこの宇宙では起こらない。 故に、直らない)
(それこそが生命の「かけがえのなさ」の正体だと思うが)


でまぁ、それが生命の根源なのではないかと思っているのですよ。


・・・
となるとそれは、「精密機械を無下にぶっ壊す」とかでも同じことじゃないかとも自分は思うのですよ。


機械を大切に扱うことと生命礼賛は同じことだった?


意味不明。 この話はここで唐突に終わる。


で、一応他にも思ったことが本当に山積みなのである。 この件は。



別口で湧いてくる最大の疑問としては、
「何でこんなゾンビのプレゼンを宮﨑駿に見せたの?」 という奴だろう。 みんな、普通にこれが一番疑問だろう。



これはどうなんだろうね。 場違いといえば場違いなのだが、
考えようによっては、そんなに的外れでもない気がするのだ。



例えば、
「今、宮さんがCGに挑戦してるみたいなんですよ」 「へー」

「CGでつくる毛虫のモーションに苦労してるみたいなんですよ」 「へー」

「アンタ今、這いずる動きを生成するAIやってるんだって? じゃあそれ、ちょっと宮さんに見せてみたら?」 「アッハイ」


・・・みたいな会話がだ、鈴木Pとドワンゴの会長の間であったとしたらどうだろう?

途端に納得が行くではないか!


毛虫と、這いずるAIのモーション、何か化学反応が産まれることでも期待したんじゃなかろうか?


それがまぁ、今回は大失敗したわけだけど。


まぁ何れにせよ、
最大の失敗は「パッケージ」だと思う。


もっとファンシーな見た目で、
「こんな風に、既存の4つ足に囚われない足の動きで歩く小動物のモーションを、いっぱい多種多様用意できますよ!」
みたいな言い方と見せ方をしていたら、宮﨑駿の反応も180度違ってたのではないかと思うのだ。


(そんなだったら、毛虫のボロの冒頭に出てくる不思議な生き物の動きを担当してた世界線だって考えられただろうに!)
(元のカール・シムズのデモでは、魚のように泳ぐ動きも作ろうとしてるわけで)


カール・シムズ


だから
なんであんな、グロい質感のテクスチャで覆うようなことをしたのか、ってことになる。

ゾンビさん


なぜこのままお出しした!


まぁ、とにかく不幸なプレゼンでしたよねっと。


他には、「鈴木Pの真の意図」みたいな話がある。

(もしくはこの番組のプロデューサーの荒川格の意図?)
(でもあの人は多分、何も考えてないでしょう、やっぱり)

(生贄説とか言われてるが 生贄?よく分からん)


この、大失敗で気まずいプレゼンの一部始終を、なぜテレビで流す必要があったのか、ということ。


このパート必要だったか? お蔵入りじゃだめだったのか?


毛虫のボロの制作秘話の中で、なぜ、
場違いなゾンビの這いずりモーションのプレゼンに怒ってる宮崎駿のシーンが必要だったのだ?



これ、自分の解釈としては、「対比の構図」を生みたかったのではないかと思っている。



この番組を、インターネッツ側の人がどう見てるのかはともかくとして、
(怒ってる宮崎駿を老害あつかいしている場所とかもあるみたいだけど)



基本的なお茶の間、基本的なおばはん、基本的な宮崎駿ファン、
基本的に想定されるジブリアニメのファン層
・・・そういう人たちが見たときに率直にどう感じるか、という話だよ。 重要なのは。



(ていうか
(自分の親もこのNHKスペシャル見てたっぽい 階段の下で見てる感じがしてた)



↓彼らは、きっと、こう思ったに違いない。

「あーやっぱこういうゾンビとか作ってる会社のCGって駄目ね~ 宮崎駿に叱られてるわー」

「やっぱ同じCGでも、宮崎駿が作ろうとしてる可愛い毛虫のCGと、ゾンビのCGじゃぜんぜん違うわね~」

「AIにゾンビの動きを作らせようとするなんて、意味の分からない、気持ちの悪いことしてる人がいるのね~」

「その点、宮崎駿が頑張ってるCGって柔らかそうで、温かみがあって、期待できそうね~」


みたいな、こういう「対比の構図」である。


少なくとも、自分の親みたいな、馬鹿層の人間は、絶対にそういう風に見たはずである!!

絶対、ゾンビゲームを下に見てるのである!!

そして、そういうのと袂を分かつ、宮崎駿の挑戦しようとしているCGへの姿勢に、「安心」した筈なのである!!



宮崎駿がやろうとしているCGは、従来のCGとは違う!
ゲームとかゾンビとかのよく分からん気持ちの悪い技術のCGとは違う!

・・・
そういう「印象づけ」だと考えた場合、

この「ゾンビプレゼン大失敗」という茶番劇というのが、物凄い必然的に思えてくる。


それすらも含めて、宮崎駿がやろうとしているCG作品の印象づけ、方向づけ、なのである。


何もおかしくない流れな気がする。


このプレゼン、たとえ成功しても失敗しても、とにかく使えるモノは使ったということである。

これらを全て計算ずくでやったとするなら、(知り合いの、ドワンゴの会長をこんな「駒」にすら使ったというのなら)

やっぱ鈴木Pってオッソロシイ人だわーとしか、思えない。


最終的にそういう感想なのでした。 



クソ記事にも程が有るので
この記事にはコメントかけないようにしました スマンね。

あと変なコメントがついてしばらく嫌になった。 いや自分はずっとそうなのだが。

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[ 2016/11/15 19:57 ] 駄文 | TB(0) | CM(-)
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