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この世界の片隅に感想文

 
「この世界の片隅に」を見てきました。

ので 色々思ったことを書きます。 この映画を受けて 自分が思ったことを テキトーに羅列してるだけです。


まず言っておくと、本当っっっっに掛け値なく、神映画でした。 
(安易な表現でスマンが)
(今年の日本の映画どうした?)
(生涯に残るクラスの神作がボンボコ産まれて、大丈夫か?)

自分が今まで見てきたアニメ映画の中で、生涯ベスト3には確実に入ると思う。
(まぁこれを実際具体的に考えると、ヱヴァ破とかEoEとか
(本当に自分の中で最大瞬間風速抜けるのか?という問題があって、難しいのだが)


とにかく
「うぎゃあああああ!??こうの史代先生の絵がうごいとるううううう!!!!」
「100億万点。」

そんな感じの映画でした。 本当に。


ん?絵が凄いの?動きが凄いの?
いやそれだけじゃない。
喜怒哀楽。
これほど感情を揺さぶられまくる映画もないと思った。



あと空爆が凄い。 音響が凄い。 これだけはもう映画館で観るしかない。 それだけで価値がある。
本当に怖い!
シン・ゴジラのバンカーバスターよりも恐ろしいぞ! どういうことなの



さて、もうこれで終わりでいい。  解散。
日本人なら全人類が見ろと言いたいが、まぁ見たい人だけ見ればいい。
(あ、もし今から見るなら、原作読んでない人は原作読まなくていいです、)
(ネタバレに気をつけて、映画館へゴーです)



あとは全部蛇足。


何が蛇足か。


この映画は「戦争映画」である。

「戦争映画」といってもまぁ色々ある。

好戦的か反戦的か、愛国心をどう入れてるか。 そういうスタンスだけで全く風味が異なる。

終戦映画、敗戦映画とでも言おうか。

まぁそういうモノについて自分が語りだすと碌なことにならない。
こんな素晴らしい映画、自分なんかが語ると汚すだけになるので、何も語るべきではないとすら思う。



本当にロースおじさんの言うとおりだと思う。
この映画について、あれこれ語ってしまうこと自体が、なにか冒涜的なように感じる。


この映画は、本当にただただ、あのリアルに再構築された世界に「浸れば」いいだけのようにも思う。


・・・
でもやっぱ色々書きたくなるから書いてる、そんだけのことなのだ。
 


 

このネットの片隅に この感想文を見つけてくれて ありがたう


まず
この映画、近所でやってなかった。 じゃあ諦めるかというと諦められるはずがない。


あまりに好評なので、公開館はどんどん増えているらしいが、もう待てなかった。

だいたい自分の県で唯一やってる遠くの劇場の情報を見に行ったら、
「県内独占上映!絶賛公開中!」とか謳っていた。

「県内独占」をそんなに得意げに強調してるということは、もうウチの県では駄目なんじゃないか?と思った。
このまま公開館が増えることを期待していても仕方がない。

よって、自分は数年ぶりに、わざわざ電車にのって映画を見に行くことを決意したのである。


◆なぜそこまでして見に行ったのか?

そもそも自分にとってこの映画とは、 「なんか口コミで好評そうだから見に行く」とか、そういうことではない。

自分はもともと、こうの史代先生のマンガが大好きだったのだ。
あの線が好きなんだよ!畜生


夕凪の街 桜の国。
長い道。
こっこさん。
・・・
・・・


と く に、
「夕凪の街」である。
これはもう、読んでしまったら、一日中どよーんと落ち込むような、凄まじいボディブローのようなマンガである。


そんな漫画家さんの、もう一つの傑作といえるような作品が、ついにアニメ化映画化されたのである。
見ない手はない。


自分はクラウドファンディングやってるのを知らなかったが、
(本当に、なぜ気づかなかったのかと自分のアンテナの低さを呪ったのだが)

この映画が今年公開されるということ自体は前から知っていて、ずーっと待っていたのだ。


そんな映画だからこそ、
この引きこもりの自分が、
「数年ぶりに電車に乗る」というミッションを実行するハードルを超えさせる程のモチベーションになったのである。


◆数年ぶりに電車に乗って思ったこと。


まぁ たまに こういうのに乗るとワクワクする要素はあるよね。
(それが日課になると途端に苦行になるのだが)


あと電車から見る日本の景色はゴミであるなぁとつくづく思った。 
本当に見ててつまんない景色なんだよね。
どこいっても同じような、ゴミのような統一性のない景色。

こんな感じにトタンで出来た工場があって、
こんな感じに個人住居が並んでて、
こんな感じに畑があって、
こんな感じにコンビニとガソリンスタンドがあって、
・・・
本当情けない景色である。


あと中国人の観光客増えたなぁ、とぞ思った。 電車の行きでも、帰りでも、見かけた。
電車内で彼らのグループだけが大声で喋っている。
こんな日本の何を見にきに来てるんだろうか?と疑問に思う。

電車の中。
日本人は一言も声を発さず
聞こえてくるのは中国人のおしゃべりばかり。
一体ここは何の国なのだろうか。


(まぁ本当にどうでもいいことなのだが、自分にとっては数年ぶりの電車なので)
(これも1つの感想である)


◆そして実際の劇場の様子。

この映画、お年寄りのお客さんが妙に多い!気がしたぞ。
まぁお年寄りには必見の題材なのだろう。


そのせいか、自分の後ろに座った人が、ずーっと
「うーん」、というか、苦しそうな呼吸というか、いびきというか、寝言というか、ボケてるのか、
そういう異音?をずーっと立てていたのだ。


この映画、音量がかなりあるので、音のあるシーンでは全然気にならなかったのだが、
静寂のシーンではそういうのが結構気になった。


・・・
だがまぁ、自分がこの人を「許容」するのが自分に課せられた使命のように思えた。

(なんかの病気の人が、きっと無理を押してまで、この映画を見に来ているのだろうと)
(確かに、死ぬ直前であっても観なければならないレベルの映画であったろう)

ので我慢した。

最終的にはそういううるさい人が後ろにいることを忘れるほど映画に没頭していた。


◆でまぁ映画自体だが。


何から語ればいいかね。 やっぱ「絵」かね。


本当に絵が素晴らしかったです。 (元々こうの史代さんの絵、「線」が素晴らしいワケだが)
それが本当に理想通りに動いてるという感じなのだ。

あの絵が動き出したらこうだろうなぁ、という完っ璧な動きをしてくれるのだ。


それはなんというか、あの、首の角度のようなこと?

            _
             ´  _,>-─- 、
           / /_: :_: : : : : . 、
           .:ハ/|_/| ` ト ; : : : .ヽ
            l ´ ′  l _l: : : : :`l
             l ⌒   _ ヽ : : : :l
           イ' ' r    ヽ ',: :.:/
           :.  、┐ ' '  ⌒)
          ,-冫、 ¨  ・ _,.へイ
      /人ー'/´ __`¨|  |⌒ヽ\ノヽ
      ` ー‐′ /┼|\/「┼\`ー‐ ′
          /┼┼l//| ┼┼ヽ、

それは、この、↑こういう角度?

↓こういう角度で、「たっはー」「あちゃ~」みたいな表情をする。 その傾く動き、スピード、そういうことが完璧すぎる。

             , -── 、 __
             , .´: : : : : : : : . `ヽ
          __丿. : : : : : : : : : : : :.ハ  __
        / /.:/ ̄`ヽ、 _ト: : : : :.V⌒ヽ
        //.:/     ー' ,.. ヽ:/⌒lヽ
        l 川:ー     =ニ J   ノ.::.l        バ
          ヽ〉 彡    , , ,  .イ.::::ノ       レ
           l, , └     ノ个ー′      て
           ヽ、  <ノ  /〉 |\        ま
              ノ`>ー-イ / /l   ヽ      し
           /    lヽ ∨ /│   ' ,       た
          ノ /   |_∨ / |      ヽ    か
         /  l    ,ヘヘ ̄ ̄ ノ      ':.
            /⌒lノ 人 ` ー-、   , ─ 、 l
         l  /  / 〈 ノ    └─ヘ   ヽ l
         │/  l   l/ ,    __    |    |
            /l |│| l ,/ >、.ノ   l
          丶_/ └しし'ノ   └ヘ、__ ノ



動きの所作も本当に素晴らしい。 リアルさ 丁寧さ 可愛らしさ。

この映画を観た人は
もう、しょっぱなから、「ノリを入れた箱」でやられるだろう!

                       __
                 ⌒>'. : : - 、
                   /. : : : : : : : :.\
               /. : : : :イ.:/ハ:.ヽヘ
                |.:l⌒V ⌒ l |:.ノl:.
               〉:ヽ  -n    ` ノ′
       ┌───ノ.:ノ`丶' '  , '^/
        │    〈.::イ__,>へ.,.-ヘ
         │    乂, --、ヘ/ ニ|ニ ノ
         │     /  l |-┘ 丿l ヽ、
        l     /   | ',--イ/人ノハ
        ヽー─‐/   l ∨ノl |  /  l
            l     l 八 ヽ∠、  〉
             └‐┬ーイ┼|┼|┼ヘ ̄
              |┼|┼|┼|┼|┼l
              |┼|┼|┼|┼|┼l
              `T´ ̄厂¨¨¨¨丁
                 l   l    │
                〉   |     l
                  /  │    l
              ⌒ ーr---r-イ
                 ノ.::::ヽ厂` ーヘ 、
                ┌|_.:,==/〉==|」::.〉
                └r‐ニ二二 イ ̄
                  ̄ └┘

ノリを入れた箱を 一旦壁に押し当てて、そのまま背中に固定して、首の部分で結んで、うんしょと運んで行く、
その一連の動きだけで、心を掴まれるであろう。 
この映画の動きに対するこだわりはマジモンだと。



なんでこんなに素晴らしいのかよ。

自分は全然しらなかったが、監督の片渕須直さんという人はジブリで、宮崎駿の元で色々やってた人らしい。

本当にしらんかったよ。
・マイマイ新子と千年の魔法
・アリーテ姫


要チェックや。


これは知ってる。
・ブラックラグーン
・うしろの正面だあれ
・MEMORIES「大砲の街」


再チェックや。
(あの大砲の描写が、こんなところで繋がるんやね)


ところでこの映画について絶賛しようとする場合、

普通に絶賛したのでは、それが原作のこうの史代さんの功績なのか、監督の功績なのか、わかりにくくなる気がする。


いや例えば 「すっごい泣けた」「ストーリーが凄い」「キャラクター造形が凄い」・・・だとか
そういうのは、大体原作者さんあってのことではないかという気がするのだ。


そういうのは他にも、
「カレンダーの演出が凄い!」
「そしてそれが8月6日に近づくにつれて、日付が加速度的に進んで行くだけで鳥肌がヤバイ!」
とか、

そういう感想であっても、
その部分は原作の手腕なのだよなぁということである。

・・・
そういうことに関しては原作漫画を絶賛してればいいのではないか?という気がしてくる。

(いや別にどうでもいいのだが、 映画のレビューではないよな、とかそういうこと)
(結局自分も多分そういうことをこれから書きまくるのだろうが)
(意識はしておこうと思う)


じゃあ映画独特の褒めポイントとなると、

それは

・映画独特の演出だとか
・原作からの改変箇所とか
・音響とか作画だとか
・実際に聞く広島弁だとか
・声優さんの演技だとか


そういうところになるんじゃなかろうか。


いやほんと、 ストーリーがスンバラシイ映画なのは確かなのだが、 
それだけを褒めるのなら原作でいいじゃろと思ってしまうのだ。


じゃあ演出とか作画について。


本当に凄いと思ったのは、 「波がうさぎのように跳ねる海を絵に描く」
あのシーンを本当に「絵」にしてしまってるとこですよね。
あんなのを、よくぞアニメに出来たよなぁ。


他にも 晴美さんのあのシーンの、花火のような、 光る線だけの演出とか。


他にも 右腕を失ったあと、背景がまるで左手で描いたかのように歪になっていく演出。

(いやそれは原作もそうなのだが、アニメになることで一掃生々しくなってた気がするんだよ)
(これら演出は、実写化、ドラマ化では絶対にできない。 アニメ、マンガだからこその表現であるのも素晴らしいとこ)


原作との改変箇所

これらについては 結局後に語ることになると思う。

いや やっぱここにも書こう。

後半に書いてることがあまりにゴミすぎるんで もうここで終わらしておきたい。




1つはリンさんの話が大幅カットされているということ。

でまぁこれは別にいいんじゃないかと思う。
(原作にあのエピソードが不要だったとは思わないのだが)




あとは、「玉音放送」の後のあるセリフがなくなっていたこと。

これに関する話をちょいとしたい。


(ひょっとしたら)
この映画で一番びっくりするところ、この漫画で一番びっくりするところ
一番「えぇっ」て意外に思う所が、実は「あそこ」なんじゃなかろうかと思ったりする。


あの、
普段のんびりしてる、
抜けてるすずさんが、
玉音放送に対して、突然、あそこまでの「怒り」と「悔しさ」を露わにしたということである。



すずさん、いろんな喜怒哀楽があったが、「怒」の感情が、一番現れたのが、なんとあのタイミングという。


「はぁやれやれ」とでも言うと思ったら、
日本の敗北に対して、本気で悔しがって、泣いているのである。



・・・
でもまぁ当然といえば当然なのだよね。


腕を失っても、
晴美さんを失っても、
父も、
母も、
鬼いちゃんも、
すみちゃんも、

あれだけ奪われても、ずっと我慢してきたのである。

それは当時は「そういう時代」「そういう価値観」だったし、全てお国のため、勝利のために耐えてきたのであろう。

それはあのすずさんのようなのんびりしてるように見える人であっても、あの時代はそう思って耐えてこなければならなかったのだろう。


そうやって抑圧してきたモノ、そういう前提が全て、あの玉音放送で 外されてしまった
ある意味 「洗脳」が解けてしまった。


だからこそ、あのタイミング、あそこで一番感情が出てしまったんだろう。


(そうやって考えると、玉音放送で「怒る」というリアクションというのは、人間としてとても「リアル」だと思う)
(だが、これまであまりそういうモノに触れてこなかったように思う)
(玉音放送に対する庶民のリアクションというのは、何言ってるか分からんという「呆け」とか、「脱力」、あとは「泣く」くらいで)
(そこで「怒り」にまで行く人というのはあまり見なかったよなぁと)
(あたまのおかしい軍部の人間がブチ切れるというのは「日本のいちばん長い日」でひたすら見せられたが)

(実際、当時の一般人のリアクションというのはどんなだったのだろうなぁ)
(「はだしのゲン」の玉音放送時のリアクションも、まぁ泣くのと呆けるの2パターンだけよな)



で、原作にはここで (天皇に対する?)恨み言があったのだが、 確かこのセリフ、カットされてましたね。

「飛び去ってゆく。この国から正義が飛び去ってゆく」
「・・・ああ、暴力で従えとったということか。じゃけえ暴力に屈するいうことかね。」
「それがこの国の正体かね。うちも知らんまま死にたかったなぁ・・・」



まぁこういうところね。


(すずさんも、大日本帝国の「正義」を信じてたのだよね)
(そして、信じたまま死にたかったということ) (こわいことだよコレは)


この改変も、まぁ必然なのではないかと思ったりする。

このことについては 「恨み言」を削除する必要性について なんか多分後半に書くと思う。


こっからマジゴミだからこの文章。 


なんつーか「本題」のところに入っていこうと思う。 


この映画はなんなのか。 どう素晴らしいのか。


一言でいうと、
自分的に「ポスト火垂るの墓」って感じの映画だ。 本当に。良い意味で。


この映画は、戦時中の被害と日常と生活を、あくまで一般人視点でただただ描いている。
そういう意味では火垂るの墓と同じ手法ともいえる。


ただ被害を描いているが、そこに、加害者(アメリカ)への恨み節のような要素は一切ない。
これもものすごく重要なポイントであり、ここも火垂るの墓と共通しているとこである。 (これについても延々と書く)


じゃあ「火垂るの墓」と舞台が違うだけの焼きまわしのような作品なのか? 
というと全然そうではないテイストに感じる。


火垂るの墓には一切の「救い」がなかった。

一方
「この世界の片隅に」も、かなり悲惨なことが起きている、が、作品の姿勢はとにかく「前向き」である。


そこんとこが全然違いますねっと。 そういうことです。


で、このことは素晴らしいわけだが、 

じゃあそういうことを言うと、一切の救い無しで終わった「火垂るの墓」の手法が
この映画よりも劣ってるかというと、全くそういうことを言いたい訳ではないのだ。


(これから先、この映画と火垂るの墓を比較して火垂るの墓sageをする人が必ず現れるだろうから、
 自分はこれだけは言っておきたいのだ)
(火垂るの墓のことを、「左翼反戦反日映画」だとか言って、sageるような人たちが)


◆そもそも「火垂るの墓」の話。


火垂るの墓がなぜあのような終わり方をしたのか。 
兄妹が死ぬ。 戦後の日本自体が、あの子らに救いの手を差し伸べなかった。

(いくら敗戦後の混乱期だからって、子供を見捨てて野垂れ死にさせるほど冷血なことあるか!)
(この映画は反日映画だ!みたいに怒る人もいるが・・・)

だがそれは簡単に言ってしまえば、あれが野坂昭如の「贖罪」の小説だからだろう。

リアル清太さん自体は、生き残っているのである。 (いや こないだ野坂昭如は死んじゃったけど)

野坂昭如は、妹を死なせて自分だけ生き残ってしまった、そのことがずーっと引っかかっていて、
それを悔やんで、あのような小説を書いたのだろう。

自分を殺したかったのだろう。

だから清太さんは死ぬしかなかった。 そしてそれが高畑勲のリアリズムともマッチした。
(高畑勲も、「戦後の焼け野原で誰にも助けてもらえなかった」という体験がマジにあって、)
(それであんな性格になっちゃったのだと、宮崎駿が言っていたなぁ)
「夢と狂気の王国」より)


そんだけのことなので、火垂るの墓という物語に「救い」が無いことを理由に叩くのはやめれと思うのだった。
そして高畑勲も、あの映画のことを反戦映画にしようと思って作った訳では無いはずだ。

(そもそもじゃあ反戦イデオロギー映画ってそんなに悪いのか?みたいな話もあって・・・)
(この話はまだ多分続く) (はだしのゲンの話とかなー)


で、戻ってくるが
この
「この世界の片隅に」という映画・作品は
まぁどんな辛いことがあっても 案外人間は生きていけますね、っと。
「生きねば」と、そういうこってすかね。


その前向きのメッセージ性がどれくらい強烈かというと。


この作品の中で 地味に一番ひどい目に遭っている人といえば、 実は刈谷さんではないだろうか。
(いや、結局浦野家もほぼ全滅してるのだが・・・)


父親、そして息子一人、 更に、残った長男までもが原爆で死ぬ。
(プライベートライアンなら救出作戦が組まれるレベル)
(セイブ・ザ・刈谷さん)


しかもその死に方がもうね。
「自分の息子の死体に気づかないで片付けちゃう」という、あまりにゾットする展開。 

(悲劇にすら気づけない悲劇というか)
(そういうのちょいちょいあるよねこの映画)
(死んだことにすら気づかないまま、喪失の悲しみすら奪われたまま、人が死んでいるという)


とまぁ
普通ならどんだけ落ち込むか分からんようなことが刈谷さんには起きているわけですが、


その刈谷さんがこう言うのだ。

「泣いてばかりじゃ勿体無いわい」
「塩分がね」


はい かないません。

普段自殺を全肯定している自分なのですが、こんな刈谷さんには勝てません。 そういうことでした。


◆あとまぁ 戦争映画として。


この映画は、
日本人が作る、最後の「まっとうな」戦争映画になっちまうのではないかと思う。


もう、この水準の、このレベルの意識の映画が作られるのを期待できるのは、これが最後じゃなかろうか。


なんで「最後」かというと、この映画、この原作漫画を作るにあたって、
片淵監督やこうの史代さんが「戦争体験者」にたいして、本当に、膨大な、緻密な取材をしてきたという事がある。


それは戦争体験の記憶だけではなくて、
当時の意識とか当時の生活の様子、当時の景色、当時の建物の様子、色、高さ・・・
そういうこと全部ひっくるめて、膨大な「生きた情報」を集めてきたのである。

(そしてそれが一番重要であり、この映画を傑作にしている最大の要因であるように思える)


そして、そのように取材をした人が、どんどん亡くなってしまっていっているからである。
(映画の完成を待たずに・・・、という人も大勢いたらしい)



これから先、こうの史代さん以上に 広島、戦争に対して熱意と誠意を持って取材をする、
そんな意識を持った漫画家さんがそうそう現れるとも思えないし、

そして、仮にそんな天才漫画家が、奇跡のような確率で再び現れたとしても、
こんどはもう、取材をするべき戦争体験者さんが流石に皆死んでいるわけである。

もう、「生きた声」を、「真に迫る情報」を取材することは不可能になっているということである。



だから、この映画が、日本人が作れる「マジ」な戦争映画の最終作である。
自分はそう思うのでした。


なんか今年はさ、邦画凄かったじゃん。 傑作が次から次へと出てきて、

ついに「収穫加速の法則」が、映画においても成立する世界が到来してきてるのか?とか思うじゃん?


本当に、「収穫」が「加速」してるの?
じゃあこれからは、こんなレベルのアニメ映画の傑作が、どんどんボンボコK加速度的に産まれてくるということ?

・・・
自分はよくそういうことも考えるし、妄想するけど、
「逆」のことも考えるのだ。


これが「産まれうる最後の傑作」ということも、あるはずなのだ。


これから先は、戦争を知らない世代が、戦争を知らない世代達の手「だけ」で作ったような戦争映画しか出てこれないんじゃなかろうか。


それはどういうのになるかというと
要は、

軍国主義的な?
軍隊礼賛的な?
軍人カッコイー的な?
ファッションミリオタが作ったような? (軍事オタク、兵器オタク)
「当時は良かった」的な勘違いノスタルジーのような?

「永遠の0」みたいな? (宮崎駿も「神話の捏造」だと激怒している、要はそういうマンセー的映画)
予告でもやってた「海賊とよばれた男」みたいな?

もしくは、戦時中の人間に、後付で「現代人の倫理観」を持たせて、勝手に反戦ムードのお説教をしまくるドラマ
「さとうきび畑の唄」みたいな作品?
(火垂るの墓のドラマ版は本当にひどかった!)
・・・


つまり
好戦映画にせよ、
反戦映画にせよ、
ああいうタイプの、薄っすい勘違い映画ばっかになっちまうのではなかろうか。


(はい 何割かの人を怒らせた 話題を変える)


◆ちょっとクラウドファンディングの話から。


なーんでこのことを自分は知らなかったのかねぇ。 

映画のエンディングで、投資した人の名前がずらーっと並んでて 
自分はマジで悔しいなぁ羨ましいなぁとか思ってしまったよ。
(じゃあ仮に知ってたら、ドケチの自分が本当に金払ったかどうかは謎だけど)


ていうか、今もクラウドファンディングやってるのでは無いかな?
この映画を、海外でも公開するために、また資金を募っているのではなかったか。

じゃあやれよ。 やってるじゃないか。 今、やってるんだよ。


でも、ここで自分は止まってしまう。


次のような思考があるから。


この映画は本当に、素晴らしい。


だがこれに関して
「この映画を鬼畜米英にも見せて、奴らを反省させてやろうぜ」みたいに思っている人も少なからずいるのではなかろうか。
(実際自分はそういうネットの書き込みを見てしまった)

この映画が「火垂るの墓」を抜いて、アメリカ人に見せてやりたい映画一位になった!とか言ってる人がいた)
(どうなのよ その感想は)
(いや自分が今まさに ここに書いてる感想文も ひでーもんだけけどさ)


そういうのはどうなのかと、そういうことについて考えていきたい。


さっきもちょっと書いたが、
この映画には
敵国を糾弾する要素が、一切、微塵も含まれてない。 そこが本当に素晴らしいことなのだ。


◆しばらくロジャー・イーバートの話をする。


そしてこれは「火垂るの墓」にも共通するスタンスであるし、
ロジャー・イーバートが火垂るの墓を評価しているポイントの1つだったりする。

(本当によく見てくれていると思う)



↑自分はこの、ロジャー・イーバートの火垂るの墓レビューの動画が大好きで、
昔から、何度も何度も定期的に見返してきた。

本当によく見てくれていると思う。

「アニメ絵でこれをやる意味」とかも、完璧に理解してくれている。
(こういうの、普通だと「アニメ絵で凄惨なことを表現するギャップ・サディズム?」的な風にしか理解しない人間が
 殆どなのではないかと思う)

「アニメ絵でこれをやる意味」
このことに関しても、「この世界の片隅に」についても同様。
「この世界の片隅に」はドラマにもされているけど、やはりアニメ化こそが最善だったと思う。

てか実写だと、何よりも背景がヘボいことになるのだよね。 (電線ぐらい消せよ!あのドラマ)
スペクタクルもなくなるし。


ロジャー・イーバートに、「この世界の片隅に」を見せたらどうレビューしてくれるのだろう。
自分はそういう、どうしようもないことが気になって仕方がないのだ。
既に死んでるのに。

(だがどうしようもないことは無いはずだ)
デジタルクローンという技術がいつか完成したとき、こういう人たちが真っ先に蘇るだろう)

(アドビがつくっている「VoCo」というソフトも、全ての人間を初音ミク化させることになるだろう)
(これもデジタルクローンへの足がかりになるであろう)


(だいたい今自分が、このような「思考の直・垂れ流し」としか言いようの無い駄文を書いているのも)
(いつかデジタルクローンに食わせたいから、やっているのである)
(だからなるべく思考そのままをお出ししている) (開き直り)


話がズレまくった。


何の話だったのだ。


まぁとにかくこれらの作品には
モブキャラの誰一人ですら、「鬼畜米英」、「敵さん」そんな言葉1つとて出てこない。


自分は!その姿勢が!誇らしくて!仕方がないのだ!!



だってさぁ、よそさんの国が作る 被害者根性丸出しの 映画、反日ドラマ? 抗日ドラマ? とか、
そういうのって、 実際見てどう素晴らしいか素晴らしくないかはともかくとして

(実際見てみると、そういうのの中にも案外面白いものがあったりするのかもしれないが)
(まさに自分なんかは「黒い太陽731」みたいな作品も面白がって見てたりするが)

結局そのような映画は、この「被害者根性」「恨み節」のような部分が邪魔になって、芸術性が消え失せているのである。



・・・
まぁとにかく
「火垂るの墓」と「この世界の片隅に」は 敵国さんを一切見ていない。

そして「火垂るの墓」は「前」を向けなかったが、

「この世界の片隅に」は「前」を向いている。

そういうところではないか。



そういうところが素晴らしいのではないか。



じゃあさぁ、つまり 「せっかくそのような姿勢になってくれている映画」を、敵国さんに見せて
「反省させてやろう」みたいにするのはどうなんだ? みたいなことを自分は勝手に考えてしまうのだよ。



いやそれは
「そのような意図はこの映画には全くないのだから」
「単に素晴らしい芸術として見てもらえることを期待するだけだろ」
と思うかもしれない。

それはそうだ。 そうならいい。


だが、まさに
ロジャー・イーバートが「完璧な火垂るの墓の見方」をしてくれているようなことを
全ての人間に期待するわけにはいかんとも思う。


実際、火垂るの墓は米軍の間では「罰ゲーム」のようにしてみせられておるのであろ?


つまり、どうあったって、
戦争の被害をリアルに描いている以上、

そこに、実際に「歴史上対立していた事実」がある以上、 

どうしたって敵さんは「そのような意図」を付随させて見てしまうんじゃないのかなぁ???


・・・
するとどうなるか、ということまで自分は考えてしまう。


この
「この世界の片隅に」は 、愛らしいキャラクターがたくさん出て来る。
そしてそれらのキャラクターが、多くのものを奪われていく。 そこで心が動く。 そういう映画である。

敵国に対する恨み節は一切ない。

だから日本人が見る分には素晴らしく美しい作品だろう。 監督の意図通りに。



じゃあ実際この映画をアメリカ人が見たらどう思うか。
我々が見る以上に、複雑に 「つらすぎる」だろう。
(だって、知らず知らずのうちに「責められているようなニュアンス」を感じ取ってしまうだろうから)
(民間人のすずさんが、普通に銃撃されているシーンとかもある)


この思いをどうしたらいいのか。


ただでさえやりきれない映画なのに、「加害者である」という意味までもが付随されてしまうのだ。


でだ、こっからが重要。


人間はあまりに「つらいもの」を突きつけられてしまったとき、心に「防御壁」「抜け道」をつくってしまうわけだよ。

するとどうなるか。

「確かにワタシらはヒロシマに原爆を落としましたーよ」

「でも他にどうしろっていうんデスか?」
「それしかなかったじゃないデスか」

「それとも本当に、本土上陸して、日本人全員を、殺さなきゃいけなかったのデスか?」

「日本人は全員死ぬまで戦うつもりデシタ」
「この映画では、主人公のすずサンまでもが、そんなことを言ってるじゃないデスか!!!」

(最後の一人まで戦うんじゃなかったんかね!?)

「マジで日本人恐ろしいデース!」 「クレイジーでーす!」
「やはり原爆投下は正しかったとしか言いようが無いデース!」


「原爆によって、すずサンの命も助かったということデース!」

・・・
ってなるんじゃないか?


いや本当に。 
原爆投下に対してアメリカ人がそのように考えることを、自分はある種仕方がないとも思っているのだ。



皆は アメリカ人の半数以上が 原爆投下を肯定していることに激怒するだろうけど、
 (松本人志とかも、泣くレベルで怒ってるが)
自分はここまで考えた上で、「そら、そう考えるようになってしまうのも仕方がないんじゃないか」とも思うのだ。
(汚した手について考えるのがあまりに辛すぎるから)


(ていうかマジで実際問題、アメリカはどうすべきだったの?)
(どうすべきだったと思ってるの?)
(原爆投下なしに、日本がポツダム宣言をすぐ受けてたら、そら良かったのだろうが)
(そう考えたなら、ポツダム宣言をさっさと受けずにひたすら混乱してた日本が悪い、みたいな考え方も出来るぞ?)
(原爆に半数以上賛成しているアメリカ人に怒っている人は、実際どうして欲しかったの?)




自分がひたすら言いたいのは、この、特に「心の防御壁」の部分であって。


つまり「なぜネット上には火垂るの墓をdisる風潮が芽生えてしまったのか」というのも、これで説明がつくのだ。



人間は、あまりに不当に辛いものを突きつけられると、「認知的不協和」を起こすってことです。
この辺にも通じる考え方


「この人はなんでこんな酷い目に遭っているのだろう・・・?」
「あまりに酷すぎないか・・・?」
「ひどい つらい くるしすぎる」

「みたくない かんがえたくない」

「いや、この人はきっと こういう酷い目に遭うのも当然な行いをしてきたに違いない!」 (ピコーン)




それは例えば 「悲劇の主人公の行動を『後付け』で あげつらう・叩きまくる」とかもそう。



火垂るの墓を見て、初見のときから、清太さんの行動を叩きまくれた人間って、いるだろうか?
いないはず。 皆、最初は心打たれた筈。


でも、ネットとかで金ローで定期的に実況とかするうちに、
清太さんの行動をあげつらってからかう文化が形成されていったのだと思う。


ああいうのは、周回して結末を知ってる人間が、「その物語の辛さから目をそらすために」
「こんな悲劇は清太さんの自業自得だ!自己責任だ!」と考えてしまう、やっすいやっすい防御策なのですよ。


そして、当然ですが、そんな認識は間違っとるわけです。


14才の少年が、あのような状況下におかれて、あのような行動を取った。 ただそれだけのこと。

そこに何の不自然さもない、仕方ない。 ただただ、仕方ない。
高畑勲だってそのつもりであの映画をつくったのです。


それなのに、あまりにつらすぎるから、安易な思考能力の人は「清太さん叩き」に便乗するのです。
(感情移入して一緒に苦しむより叩いたほうが楽だから)
(ネット上ではそういう馬鹿な見方が増強されるようにもなってしまった)
「火垂るの墓は左翼反戦映画だから気にしなくていい!」とかいう風にも考え、目を背けるようになるのです。


モノを真っ直ぐに捉えてないんですよ。

いがんどる。




・・・まぁそういうのがあるから、
別に自分はこの映画を外国人にも見せてやろうとかはあんま思わんのですよねー。
(長かったなぁ なんという長い道のり)


加害者国も、被害者国も、絶対、まっとうな見方をするのは難しいから。 

いがんどる。



でもまぁ、イギリスのロンドン映画祭とかで
イギリス人が「「君の名は」が史上最高のアニメ映画だ!」とか抜かしてるのを見たら、
「いやいや、せめてこっちも見てから史上最高とか言えよ?」とは言いたくなりますね。


・・・
まぁこの辺の意見は、 単に「今の自分」がこう考えているってだけのことであって、
そんなのは容易にこれから変わるかもしれんけどね。



例えばだ、 まさに「敵国への恨み節」「被害者根性丸出し」の作品といえば、
「はだしのゲン」があるわけですが、


(ちなみに自分は「はだしのゲン」も傑作マンガだと思ってますよ) (何度読み返しても、良い)
(あれを「左翼反戦マンガ」だとか言って叩きたいなんて思ってません)

(いや、この場合は流石に、まさに作者さんは明らかに「左翼」であり、明らかに「反戦マンガ」なのだが)
(その事実のレッテルですら、このマンガを貶す要因にはなりえないと考えているのです)


でもだ
はだしのゲンを読んで、心うたれる外国人もちゃんといるのですよね。

レイナ・テルゲマイヤー レイナ・テルゲマイヤー レイナ・テルゲマイヤー


自分はこの3ページのマンガをみるだけで、アメリカ人だって分かってくれるじゃんと思ってしまうのです。


(何が素晴らしいって、両親の反応が素晴らしい
ただのマンガなどない
(それなのに、日本人がそんな「はだしのゲン」を貶すようになっちまったらどうすんだよとぞ思う)


◆戦争責任とか歴史認識の話。

こういう話も延々とできるけどなぁ。




アメリカ人に、原爆投下のことを突きつける。


すると大抵彼らは「リメンバーパールハーバー!」と言うだろう。 (次の大統領ですら、そうだろう)(まじでどういうことなの)


じゃあ更に日本人はどう返すか?

ハル・ノートみたいなの突きつけて来たお前らが悪い」
「パールハーバーは軍事基地だ」「だがお前らは民間人を虐殺したんだ」

とか、返すだろうか。


でもそれだって、堂々巡りなのだよ。


そういうことやってると、「大東亜共栄圏の正当性」ってとこまで行き着く。



(この辺で自分の歴史認識とか戦争認識の話とかしてしまおうか)


自分はさぁ、 今まで 「戦争のことを全肯定する文章」も書いてきた訳だけど、(二回も書いてきた)
それが「通常の右側の人がいうような戦争肯定」とは全く違う趣旨のことだということは、読めば分かってもらえるかと思う。


つまり自分のは「大東亜共栄圏を肯定」とかそういう方向性とは全く違っていて、
ただただ、「戦時中の人たちの人生は光り輝いていますね」という理屈で肯定している訳ですよ。 (一番邪悪だが)




じゃあ自分の歴史認識、「太平洋戦争をどうみてるのか」というと、
やっぱ行き着くはては
「バスに乗り遅れるな」という当時のスローガンが全てだったんじゃないかと思う。


つまり 当時は世界全体がそういう風潮だったということ。


世界全体に「植民地支配」「帝国主義」という価値観が当たり前にあって、
「強い国は弱い国を統べて良い」というルールになっていただけのこと。 
(これも今は、「武力」「経済」に取って代わっただけで、結局同じなのだが)


じゃあそのときに、日本は「支配される側」「支配する側」になるのどっちを選ぶかで、
「支配する側」になることを選んじゃったと、そういうことなのだと認識しとるわけです。



だから自分の戦争認識というのは、

「大東亜共栄圏で日本はアジアを西欧の支配から開放しようとしてたのに!畜生!」みたいなのとも違うし、 (これ右翼?)

「日本はアジアの国に酷いことをした!ひどい!ひどい国だった!畜生!」
みたいなのとも違うのです。 (これ左翼?)


単に、あの頃はそういう時流だったんじゃろうね。 という認識なのだ。




例えるなら、

クラス中で「いじめ」がはやっていた。

いじめっ子は、いじめられっ子を支配して、宿題とかさせるのが当たり前だった。

このまま何もしなければ、自分もいじめられっ子になってしまうかもしれない。

さてどうするか。 やるか やられるか。

そこで、大して体も強くないくせに いじめっ子側になろうとした子がいた。

その子が「日本」だったんじゃないかと。 自分はそう思っとる訳です。



(勿論、「実際にいじめられた国側」からしたらこんな理屈は通らないだろうが)
(だが少なくとも、この世にいじめのルールをばらまいた奴にだけは責められたくないよなぁ?)
(誰かというと、イギリス、お前だよ)


あーあこんなことを書いてしまった。


こういう認識はどうなの? 左翼からも右翼からも嫌われるの?
それとも、こういう認識も、結局はどっちかにカテゴライズされるの?


でも、最終的にこういう認識にしか行き着かないと思うんだけどなぁ。


・・・で、これで思うことは、他国を責める気にはならんということですよ。

だから自分は、原爆投下に関して今のアメリカ人に何の感情も持ってなかったりします。

子々孫々反省しろとか全く思ってない。 エノラ・ゲイの乗組員は全員死にました。



だからこの映画が、反省の材料になることすら、期待してないのです。



だってそうじゃないのか?



本当に、どういうのが「真に次の戦争の引き金」になるかというと

・歴史認識の押し付け
・戦争責任の過剰な追及 (まさにWW1後のドイツとかそうだが)
(あと、国益最優先の価値観)

だと自分は思っとるのですよ。


他人にたいして、舐めた要求を吹っかけること。


(戦争を全肯定してる人間が何を言ってるのかという話だが)
(いや、もし戦争を全否定したいのなら、自分以上にこういうことは考えろよ、ということ)


ろくでもないこと語りすぎたー。 間ぜんぶ削除するべきだろこんなの!

で、 最後に 
◆これからの話し。


さて こんな風にして 最高にすんばらしい映画化アニメ化をされた「この世界の片隅に」なわけですが、
さてさて これからどうなるか。

こうの史代先生のブームが来るのか?

そらまぁ来てほしいけどさ。


で、どうなるのか? 作品がどんどんアニメ化されたりするのか?


それは、例えば、この流れだと、やっぱり、「夕凪の街 桜の国」とか・・・?


(こっからさき、 今度は「夕凪の街」のネタバレになるので、 あの作品を読んでない人は読まないように!!!)



でもあれはね・・・ちょっとね・・・ いやあれも傑作だと思うけどさ、
あれはこの映画よりも「重い」から。


アレを読んでしまったら、もう、こっちの世界のすみちゃんのこととか「希望」をもって見れなくなるから。
(治らんとおかしいよ)



そして、あの作品には、
「敵国への恨み言」要素、あるんだよね。


「嬉しい?」
「十年経ったけど、原爆を落とした人は私を見て『やった!また一人殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」


・・・
これはちょっとキツすぎるよ。 

これはアメリカさんに対して、あまりに直接的に、キツすぎるメッセージになっているので、
まさに先に書いてきたことに触れてしまう。 


だからまぁ、なぁ、アニメ化どうなんだろうなぁとか思うのでしたとさ。
なんじゃそりゃ。



「夕凪の街」「桜の国」はどちらも共通して「原爆症」を扱っております。

原爆症によって、原爆投下後も人はここまで苦しみつづける、
後遺症のない人ですら、差別される、引き裂かれる、そういうことを描いている作品です。

そういう意味では「この世界の片隅に」の続編のような位置づけの作品かもしれない。 (漫画が描かれたのは先だが) 


んで、
「夕凪の街」には「救い」がないけど
「桜の国」には、「救い」で溢れておりますね。


だからまぁ、もしもこっちも映画化するなら、やはりこの順番でやるしかないかな?

(トトロと火垂るの墓はローテーションで上映されていたようだが)
トトロ→火垂るの墓で見た人はキッツいだろうなぁ)
(やっぱ、火垂るの墓→トトロで見たいよね)



(こっこさんとか、楽しい作品が普通にアニメ化されればいいじゃないかとか思ったりするのでした)


こっからも まじでおまけ。 

◆恋愛観について。

この
「この世界の片隅に」という映画を観た後に、自分は無性に「ゲゲゲの女房」というドラマを見返したくなったのだが、
そんなことを思ったのは自分だけだろうか?



結構 似てる気がしてきたのだ。

戦時中
戦後のお見合い結婚。 なんかあの、ドタバタ感。 お互い色々抜けてるが、それでも収まっていく、あの夫婦感。

(あと主人公が利き腕をなくしますん)


(ゲゲゲの女房は、「結婚する前」ら辺が一番面白かったと思うのだよ)
(で、結婚して、漫画家として成功をつかむまで苦労してるころも、まぁ面白かったと思う)
(でもそのあと、「悪魔くん」が当たり、「ゲゲゲの鬼太郎」が当たり、と、水木センセが漫画家として成功するにつれ、)
(ドラマ自体はつまんなくなっていったと思うのだが、どうだろうか?)



何の話がしたいのかというとマジで蛇足である。 単にこれらの作品を思い出して思ったことを書いているだけである。


自分は 個人的には、お見合い結婚なんてクソだろうと思っている側の人間なのですよ。
(それは自分の両親の離婚の「根源」が、そういうところにあるからだろうと思っているからで・・・)


愛情もしがらみもなんもなかったくせに、なりゆきで結婚して、そら、そんな夫婦、うまく行かなくなったら簡単に離婚するわなと。

・・・
そういう風に思っているくせに、

なぜ、
「ゲゲゲの女房」だとか、「この世界の片隅に」だとか、 
ああいう世界の中での「お見合い結婚」と、そこから派生する恋愛の話を、
自分は結構「良いもの」として面白がって鑑賞してるんだろうなぁとか
、疑問に思ったりするのだ。


求めて得られる恋もよいものだが、求めずして得られる恋のほうが、なおのことよいのである)(シェイクスピアより)
(お見合い結婚ってそういうこと? 全然違う?)

思う恋も思われぬ恋も知らぬわたしはそれでも この人ならばと思ったのでした)(「古い女」より)

(やっぱこうの史代さんの中にも「そういう価値観」があるんじゃないのか?)
ただの安易なボーイミーツガールではない、「お見合いから始まる恋愛」、という価値観が)

(今気づいたけど「長い道」もまた、そういう恋愛観の物語のように思える)
(お互いに「本命の人ではなかったのに・・・」という点で共通している)
代理品から始まる恋愛?)
偽物本物になる恋愛?)
新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないのか。


さてそんな風に
「お見合いを認めるのか認めねーのか」という難問が自分の中にあるわけだが、


で、1つの答えとして、人間全体が「逆境」の中にある内は、お見合い結婚とかもうまくいくのではないかということ。


戦時中だとか、
戦後の混乱の中だとか、 そうやって「社会全体、みんなが困っている」とき、
そういうときなら、誰もが夫婦として協力しあっていかねばならんから、自然と上手くいくのではないか?



だが、そこんところで、 世界が安定してきているというのに、

未だに古いお見合い結婚なんかをしているとだ、

バブル期の、

未成熟な、

馬鹿な人間同士が、 「人の親になるに足らないような思考力しか持ってない人間が!」

我欲と我欲で 結婚するわけで、

そら、そういう馬鹿親同士は、自分たちのことがちょっとでも上手く行かなくなると、

子供のことなんか考えずに簡単に離婚するようになるわけだ!!




つまり
ここでいう「上手く行かない」というのの、「かかり方」が微妙に違うのだな。

戦時中、戦後の「世界全体が上手くいかない」 そういうものに包まれている間は、
夫婦は逆に上手くいくのだろう。

だが
団塊ジュニアのアホどものようなのには「自分達が自分達のせいで上手くいかない」ような出来事しかないわけで、
そうなると、夫婦の仲は簡単に破局するのだろう。





という結論なので、
やはり 「戦争こそが人間全体を輝かせていた」という自分の持論は変わらないのであった。 (むしろ補強された)
(恋愛観の話かと思いきや、結局ここに落ち着くという)


人間はやはり「闇」に包まれていなければならない。

子はかすがいではない。

「闇」こそがかすがいだったのだ!!


ナウシカ 闇の中の光


あれまだ全然書ききれてない気がする。


習作さんとか
りんさんとか
怪子さんのこととか、そういう個別の案件について、まだまだいくらでも書ける気がするのだが、もうやめとこう。



ていうか、シンゴジラの二回目の感想文のメモとかあるんだが
まだまとまってないよ! なにもかも間に合わんよ! 

世界に傑作が多すぎて、消費と消化すら満足にできないよ!

来週はトリコが来るよ! 7年も待ったゲームとか超怖いよ!

関連記事
[ 2016/12/02 18:49 ] 痛感想文系 | TB(0) | CM(8)
シンゴジラの二回目の感想文とかもいつか見てみたいですね。
なにかまた時間がたって違う感想が出てきたのかなぁと。

ニートさんの文は自分が知らない知識が随所に出てくるので
それを拾って調べていつも勉強させてもらっています。
長文系の記事は特にそれが顕著でうきうきしながらんでます。


映画はいつもレンタルでいいかなと考えてしまうのですが、
この世界の片隅には映画館で見ようと思います。
ありがとうございます。
[ 2016/12/02 20:58 ] [ 編集 ]
「火垂るの墓とかはだしのゲンとか
苦手なんだよなあ…」

「どちらも物凄く良く出来てるとは思うんだけど
苦手な物はどうしようもないよなあ」

「悲惨な戦争体験なんてわざわざアニメで
やることないじゃん。」

「まあ、DVD出たら観るコースかな」

「しかし、まあ、ニートさんがそこまで言うなら
騙されたと思って映画館まで足を運んでみようかな」

と言うわけで観てきました。

いや、個人的に今年の映画ナンバーワンは
「シン・ゴジラ」確定だったんだけど
あっさり覆されてしまいましたね。
なんですか?この神映画は?

これはもう作り込みの極致と言うべきでしょう。
とにかく主人公の存在感が圧倒的過ぎて
陶然とするしか為す術がありませんよ。
それなりに映画は観てる方だけど、
こんな体験は私の個人史では類例が思いつかない。

帰ってからニートさんの感想やネットの反響なんかを
一日漁って自分なりに分析したんだけど、
この感動はちょっと言語化できませんね。

さすがにニートさんの考察は鋭いとは思いましたが、
いくら分析、考察してもとにかく鑑賞しないと
この映画の凄まじさは説明できないと思います。

というわけで

「貧乏くさい悲惨な戦争体験なんかみたくない」

とか言ってる私のような視野狭窄な方にこそ
是非、お勧めしたい神映画でした。

う~ん、私はひきこもりで
友人と映画の話なんかしないので
ニートさんのこの記事見てなかったら
間違いなく映画館には行ってないですね。
(DVDでは観たと思うけど)

素晴らしい体験を有難うございました。
[ 2016/12/05 07:54 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無し さん


> 映画はいつもレンタルでいいかなと考えてしまうのですが、
> この世界の片隅には映画館で見ようと思います。
> ありがとうございます。


一人でもこの映画を見てくれる人が増えてくれたなら、嬉しいことです。
本当に、監督でも原作者でもないくせに、勝手に、とても嬉しいことです。

ありがとうございます。
[ 2016/12/05 12:39 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 藻屑 さん


> いや、個人的に今年の映画ナンバーワンは
> 「シン・ゴジラ」確定だったんだけど
> あっさり覆されてしまいましたね。
> なんですか?この神映画は?


本当に、ころっと覆ってしまって、恐っろしいことですねw
(いや勿論、シンゴジラも、自分の中で生涯級の映画なのですが)


> これはもう作り込みの極致と言うべきでしょう。

そうですね。
考えれば考えるほど、
鬼のような作りこみ、取材の綿密さが、この映画の凄みにつながっているのだと感じます。




> 「貧乏くさい悲惨な戦争体験なんかみたくない」
> とか言ってる私のような視野狭窄な方にこそ
> 是非、お勧めしたい神映画でした。


こういう風に思ってる人って、やっぱり多いみたいですねー。

ツイッターとかでも、「この世界の片隅に」が戦争映画だということで、
一歩引いてしまっている人 見るのをためらってしまっている人 をよく見る気がします。

そこんところでなんとか、
「実はそうじゃないんだ」ということでオススメしていきたいもんですね。



> 素晴らしい体験を有難うございました。


こちらこそ、見てくれてありがとうございました。

自分の糞文章がきっかけで
素晴らしい映画を観た人が一人でも増えたなら、こんなありがたいことはないもんです。

[ 2016/12/05 13:44 ] [ 編集 ]
観てきました。
仰る通り劇場内の平均年齢はかなり高めでしたね。
いつだったかニートさんが隣の席の子供の反応を興味深く聞いていた(なにか語弊がありますが)ということを記事にしていましたが今回自分の横には中高生くらいの孫?を連れたお爺さんが観に来ていました。そのお爺さんが場面場面で小さく笑っているのをホホウと聞いていました。とは言え笑っていたのは序盤くらいで、野草を摘み出した辺りからどれだけほのぼのしていようともお爺さんが食事シーンで笑っていたのは砂糖のシーンくらいでした。それだけで自分は勝手にこの戦争の何がまずかったかをくみ取って怯えてるわけです。
後は月並みな事しか言えそうにありません。良い映画、感想文でした。ただ、一瞬で葬られていたGAコラは笑いました。あれほど映画にそぐわないものもないでしょう。
それと監督君はいつもの監督君でした。元気そうで安心しました。これはシンエヴァも楽しみですね。
[ 2016/12/13 10:01 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 妖怪 さん


なんか知りませんが凄い時間でバッティングしてしまったので、多分最速レベルでのコメ返信です。

上のやりとりは糞ってるのでみないでほしい。 ていうか喧嘩せずに両方削除するべきなのですよね。 毎回毎回。



> いつだったかニートさんが隣の席の子供の反応を興味深く聞いていた(なにか語弊がありますが)ということを記事にしていましたが

多分細田監督作品のなんかですかね。
この辺の価値観は痴豚様の影響です。
映画館は子供の反応みるのも含めて映画だと。


>今回自分の横には中高生くらいの孫?を連れたお爺さんが観に来ていました。そのお爺さんが場面場面で小さく笑っているのをホホウと聞いていました。


自然に笑いがこぼれてしまう映画はよいですよね。


> 後は月並みな事しか言えそうにありません。良い映画、感想文でした。ただ、一瞬で葬られていたGAコラは笑いました。あれほど映画にそぐわないものもないでしょう。


やはりあれは残すべきではなかったですね。 そして貼ってたことを覚えられてしまうのですね。
(あんまし変な画像貼るべきではないですね。 最近このブログそういうのが増えてきましたが)


> それと監督君はいつもの監督君でした。元気そうで安心しました。これはシンエヴァも楽しみですね。


あの発言は、なんというかあの2人の監督が結構仲がいいのが分かってよかったですね。

そういうのが行き過ぎるとプロレスとか始めて
勘違いとかされだしたりするのでしょうがw
[ 2016/12/13 10:58 ] [ 編集 ]
一週間ほど前にこの世界の片隅にを観て、それからずっとネット上の感想とかを漁りまくってたらこのブログに辿り着きました。

この記事にも書かれている刈谷さんのシーンは私の中で一番印象に残りました。
意外とこのシーンの感想書いてないので、他人のコメントが見れて嬉しかったです。

気持ちが入り込みすぎて
「これ以上北条家が不幸にならんでよ…頼むから…」
とずーっと思っておりました。
まるで自分がすずさんの身内にでもなったかの様に。
登場人物と同じように、嬉しく思えたり悲しく思えたり、思いっきり世界観に没入出来る素晴らしい映画でした。本当。
シン・ゴジラでもそんな感じで見てました。

この世界の片隅に、シン・ゴジラの感想第2弾も是非にお願いしたいです。

全然関係ないのですが、私が中学生の頃ここの関節人形flashを使用しておりました。
当時は使い方が全く理解できずブックマークしたまま今まで忘れていたのですが、私にとってニート氏とは実に6.7年振りの再会と言えますでしょうか?

何にせよ、素晴らしい感動を与えてくれ、このブログに再び引き合わせてくれたこの世界の片隅に、に乾杯。
[ 2016/12/18 22:55 ] [ 編集 ]
コメント返信
>名無しさん


どうもです。


>気持ちが入り込みすぎて
>「これ以上北条家が不幸にならんでよ…頼むから…」
>とずーっと思っておりました。
>まるで自分がすずさんの身内にでもなったかの様に。


本当に身内になったかのように感情移入してしまいますよね。

感情移入が凄いからこそ
「広島に帰っておいでや」という優しい気遣いのセリフに、ゾットするのなんの。 

凄い効果です。



> この世界の片隅に、シン・ゴジラの感想第2弾も是非にお願いしたいです。

そうですねー。色々書かねばならないことが山積みなのですよねー。



> 全然関係ないのですが、私が中学生の頃ここの関節人形flashを使用しておりました。
> 当時は使い方が全く理解できずブックマークしたまま今まで忘れていたのですが、私にとってニート氏とは実に6.7年振りの再会と言えますでしょうか?

> 何にせよ、素晴らしい感動を与えてくれ、このブログに再び引き合わせてくれたこの世界の片隅に、に乾杯。



うわーなんか凄いですね。
そしてちと恥ずかしいですね。

中学生の方が6,7年経つと、大学生でしょうか。

このブログの馬鹿さがよく見えてくるかと思いますw


[ 2016/12/21 18:02 ] [ 編集 ]
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