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7年間トリコに虜

  
さて
「この世界の片隅に」の感動にいつまで浸り続けておればいいのやら。

だがそうも言っていられない。

今度は、7年も待ちに待ったゲームがついに来るのである。

明日、「人喰いの大鷲トリコ」が来てしまう。



自分は、もうトリコの情報は一切入れないようにしています。
プレイムービーやらの動画も何も見ないようにしています。


その一方で、「トリコはどのようなゲームになるのだろう?」みたいなことを勝手に予想しまくったりもしています。

つまり、「何の情報も入れないくせに、予想だけはしたい」などという、矛盾したことを考えておるのです。


このブログの中で、過去に何億回も、折に触れて、
上田文人さんのゲームが如何に凄かったか、どう凄かったかということは
色んな視点から語ってきたように思うけど。 (例えば武器1つとってもこんなことを過去に書いてたりする)



あらためて、上田文人さんのゲームの凄さというのを簡単にまとめて見ようかと思う。



 
これまでの上田文人作品のおさらいと トリコへの期待


◆ICOが凄かった点。

簡単にいうと、女の子を文字通り「鍵」にした。

言葉の通じない女の子を、どこにどう連れて行くか、
そしてその「鍵」となる女の子自体に、AIを搭載した。

これだけでもう、通常の謎解きゲームとは全く異質の触感のゲームが産まれることになる。

なんという発想か。


◆ワンダが凄かった点。

これがもう山ほどありすぎて・・・

ボス戦だけのゲームというコンセプト! オープンワールド。

変形コリジョン。 よじ登りアクション。 ファー表現。

とにかく今でも凄いのは変形コリジョンだろう。


「この場所でジャンプすると、手でつかむことが出来る」
「この場所は走れる 登れる」
普通はそういうのは固定である。
動くにしたって、せいぜい上下左右にスライドする程度だ。
・・・そういう条件が、ステージ全体(=巨像)が動き、傾き、回転することで、リアルタイムに変化していくこと。

未だに、「巨大な敵と戦う」というゲーム表現において、ワンダと巨像を決定的に抜いたゲームは出てないように思う。

(11年前のゲームなのに!!)
(ただでさえ、技術進歩の激しいゲーム業界において!!)




つまり、こんだけ簡単にまとめても、
ICOもワンダも、「ゲームの中身」の部分において、決定的に革新的だったのですよ! 今でも革新的ですよ。



でもなぜか、ICOもワンダも単なる「雰囲気ゲー」だと思ってる人が結構いるんですよね。

(これ、マジで謎)
(同じゲームをやったのかと疑問に思うレベル)
(むしろ、動画勢だと信じてあげたいくらい)

(こう、「雰囲気だけのゲーム」というのは、LIMBOとか、rainとか、ああいうのだよ)
(ICOのフォロワーだけど何も新しいものがないという)
(多分INSIDEもだめでしょう)


勿論、「雰囲気構築」にしても、バリバリ極まっているのが上田文人さんのゲームの凄い所でもある。


だが、「ガワ」だけでなく、「中身」の部分も、いや「中身こそ」が本当に凄いのだと、自分は定期的に訴えていきたい。


だがまぁ、そんな風に「凄さ」を「分析」しているだけでは、「次の予想」にはならんのだよな。

トリコは、どのようなゲームになり、どのような凄さ、新しさを見せてくれるのか?



ではどこからどう予想するのか。
ここで自分にとって「鍵」となるのが、やはり「宮崎駿」なのである。
(最近のこのブログ、10回連続くらいで宮崎駿の名前だしてないか?)

上田文人さんは、精神的に宮崎駿のフォロワーなのだと、自分は勝手に思っています。



なんだかんだで、ICOは上田版ラピュタだと思っています。 
(いや、どっちかというと太陽の王子ホルスか)
(ヒルダ → 昼だ → 夜だ → ヨルダ)



んで、「ワンダと巨像」は、上田版もののけ姫だと思っているのです。
(いやワンダにも「ホルス要素」あると思ってるが)
太陽の王子ホルス 岩男モーグ ワンダと巨像 第一の巨像
第一の巨像の頭上に鳥が舞ってるところとかね)

太陽の王子ホルス ラスト ワンダと巨像 ラスト
(てかワンダのラストもたいがいホルスだよ)


こういうことを言うと、「お前は「第10の巨像」のやぶさめを見てそう言ってるだけだろ」と思われるかもしれない。

ワンダと巨像 第10の巨像 もののけ姫 祟り神


確かにそこもあるが、ワンダと巨像は、もうマジで「全体からしてもののけ姫」だと思うんです。


ワンダは村の禁忌を犯して、村を追われる存在である
アシタカは祟り神に手を出して呪われ、村を追われた存在である

・巨像撃破後、ワンダを貫くウネウネ
名護の神と戦闘中、アシタカに絡みつくウネウネ

・巨像と戦い、ウネウネに貫かれ、呪いが強まるごとに、ワンダの膂力は強くなっていく
・アシタカの力も呪いによって強化されている (弓で鎧を貫くほどに)
・そしてアシタカの呪いも、力を使うほど強まっていくのだ 「痣が濃くなっている・・・」

ドルミンはだいたいディダラボッチ

・なんだかんだで呪いを癒やしてくれるシシ神 (だが完全に癒えた訳ではない)
・なんだかんだで約束を守ってくれるドルミン

・あとはもうひたすら、ヤックル=アグロである
・くそかわいい
・ヤックルも負傷するし、アグロも負傷する


・・・とかとかとか


さらに重要なことがある。 
ワンダと巨像で、「真の救い」というモノにプレイヤー気づく瞬間。 

その、提示のされ方。 

これが凄いのだ。



ゲームをやっていくと、
「巨像の血=ドルミンの呪い=腕力ゲージ=角の呪い」という繋がりが見えてくると思う。


巨像のウネウネに貫かれる度に、握力ゲージが増えているのである。
(その蓄積した呪いの行き着くはてが、角の生えた赤ん坊であり、これがICOの世界にもある種つながっていくのだが)


じゃあ、呪われた血は癒やされないのか? 呪われた種族は呪われたママなのか?
あのあと、ワンだとモノは、(そしてその家族?は)どうなっていくのかというと、

ここで、「空中神殿」に行く方法があるのである。


ゲーム内で、頑張ると、エンディングで見た空中庭園に、「実際に」行くことができる。


そこには、ある果実がなっている。 (それを食って、モノ達は生きていくことになるのだろうが)


なんと、その果実を食べると、ワンダの握力ゲージが減るのである!!


これ、意味がわからない人は全く意味がわからないまま、見過ごしてしまうだろう。


(なんで苦労して空中庭園にまでたどり着いたのに、)
(そこで、せっかく今まで上げてきた握力ゲージを無にするような果物を食べさせられなきゃならないんだ?)
(製作者はドSなのか!?)
(失望しました ☆1です)


みたいなこと言ってる奴、実際にいたんだよ。 (トロフィーレビューサイトで見た)
(自分はこのレビューを書いた人を殺したい)



だがそういうことではない。


わかっただろう。

「握力ゲージ=ドルミンの呪い」なのだから、 
空中神殿になっている果物を食べると握力ゲージが減る、というのは他ならぬ「救いの提示」なのですよ!!


(いつかは報われるときが訪れるかも知れん・・・)


これが、この手法が、本当に凄いと思うのです。 
「ワンダが一番すごいところはここかもしれない」ってくらいの勢いで、凄いかもしれない。


「エンディング」とか、「CGムービー」とか、「フレーバーテキスト」とかで、設定や成り行きを語るのではなくて、

あくまで、プレイヤー自身が頑張って、
ある場所にたどり着く、 (しかも空中庭園への行き方とか全く説明されない)
あるアイテムを自分で落とす、自分で食べてみる、
自分で、その効果を確認する、 

そして、「自分で」その不思議な効果の意味について、考える。



すると、それが救いであるということに、自分で気づく!!!


これ、ものすごくないですか? 



もののけ姫 呪い
もののけ姫のラストで、アシタカの呪いは 完全ではないものの癒えていました。

これは、受動的に観客が受け止めるしかありません。
それはまぁ、映画が「受動的なメディア」だから、しかたない。



でも、ゲームの本質は「インタラクティブ」だった筈です。

ゲーム内のエンディングのムービーでこういう風に語られたからどうこう、
というストーリーテリングだけではないはずです。

プレイヤー自身が、プレイヤーの手によって「掴む真実」というのもあるはずです。

しかもそれが、「隠されたテキスト」だとか、「何か真実を語るNPC」だとか、そういうことですらない。



木から果実を落とし、拾い、食べる、その効果の意味に自分で気づく。


このような真実の提示方法があるとは、どういうことだ! 天才かよ



(だが この結論にたどり着けている人を 自分は全然見たことがないのだが、皆、大丈夫か?)
(「ワンダと巨像 エンディング 考察」 とか)
(「ワンダと巨像 握力ゲージ 減る 救い」 とか)
(幾つか調べてみたが、誰もこういう話をしていない 皆このゲームの本当の凄さ、分かってないんじゃないか? 畜生)


「せっかくたどり着いた空中庭園に何もなくてガッカリしたー」とか)
「もっと何か用意しろよとか」とか そんなことばっか書いてる もうねアホかと)


・・・みたいなことでした。


何だったのだ。 ワンだともののけ姫の関連性について語るはずが、結局ワンダの凄さの一端の話になってしまった。
(もうこんな感じで、ワンダの凄さの話って止まらんのですよ)

で、戻る。


つまりそんな風にして、
上田文人さんのゲームは、中身もすごい!ガワも凄い!伝え方も凄い! と、凄さの三拍子そろってる訳ですよ。



そして、根っこの部分には「宮崎駿」が常にあるように思えるのです。


じゃあトリコはなんだろうね。


自分は、普通に、「トトロ」じゃないかなぁと思っているのですが、どうだろうか。

(こんだけ遠回りしたくせに、しょうもない結論だなぁ)


まぁ、トトロも、モフモフの存在であり、 何考えてるのかよく分からん存在であり、
そのモフモフの存在に掴まったり、掴まったまま、空飛んだりしますからね。


ここで自分が気になるのが、タイトルですよ。

日本語だと、
「人喰いの大鷲トリコ」

英語だと
「The Last Guardian」です。


これ、随分と印象が違うとおもいませんか?


英語だけだと、なんか、「人間を守ってくれる心優しい生き物」である印象しか沸かないですね。

でも日本人には、トリコが人を食う(!)ことが、最初っから提示されているのですよ! いきなり!タイトルで!

(トリコこわ・・・ちかよらんとこ・・・)



これ、どういうつもりなのか、どういうつもりで、日本語タイトルと英語タイトルにここまでの隔たりを持たせているのか、
なんで日本人にだけ、こんなネタバレを半分くらわせちまってくれているのか、
気になりますよね。

(そんなの、7年前から気になっとけということなのだが)
(はい、7年間、このことについて考え続けていました)


(「ワンダと巨像」が英題「Shadow of the Colossus」とかは)
(まぁこれは外人のタイトルセンスの差としか言えないだろう)
(そしてこれは別に なにかタイトルで提示されてるわけでもないし)

・・・
この、トリコに最初から提示されている二面性というのは、どういうことなのか。



これがひょっとして、 「となりのトトロ=死神説」みたいなことと繋がってたりしないかと、
自分はそんなことまで考えてたりします。

(7年間考え続けても結論が出ないので、こんな訳の分からない事まで考え出したりする)



まぁとにかく、トリコは一筋縄ではいかないような物語にはなってくるでしょう。 それは確実です。


単に、可愛い動物を操作して、ステージクリア型の謎解きを解いていくゲームではないだろうし、
単に、可愛い動物が最後死んじゃってお涙頂戴、みたいなことでもないだろうと、
思っているのです。

(とか言ってたらまんまとその通りで、号泣したりして)


・・・
はいまあそんな感じでした。


大した話ではなかったけど、7年待ち続けたゲームがついに本当に出るんだから、
予め、なんらかのことは事前に書いておきたかったのです。
それが例えどんなショボい予想でも。



あとまぁ、上田文人さんの作品には、 
「言葉を介さないコミュニケーション」という要素が 共通してあるように思えます。


イコヨルダは言葉が通じないし、

アグロワンダも喋れるわけじゃない。

トリコも、そのような存在でしょう。 (そういやトリコの主人公の名前すら、自分は知らないのだ)



そしてその「ままならぬコミュニケーション」の架け橋となる部分に、
「AI」という要素があり、それが作品のキモになっていました。


ワンダから11年、AIの技術がどれほど進歩をとげ、
それがどれほど、ゲームのキャラクターに命を吹き込むことになるか!!!


トリコの動き、思考ルーチンというのは本当にどのようなものか、まことに楽しみです。


おしまい


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[ 2016/12/05 16:08 ] ゲームプレイ話 | TB(0) | CM(0)
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