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色奉行

 

「色」とか「リアルさ」とか、なんかそういうことについて、自分が漠然と思ってること。

そういう話をする。


この話は、昔やったVSシリーズ云々の話とかとも関連している。 延長かもしれん。
(あのときは、「白み」とか「光の漏れ方」とか「拡散光」とか、そういう話をしたけど)

本当にリアルに見える映像とはどうあるべきか?みたいな話。


素人が漠然と思っている価値観の話なので
別になにがどうとかいうことではないのだが、こういう嗜好、志向があるということ。



 
「本当のリアル」とはなんぞやという話 (語彙力不足)



いやなんというかキッカケは、
ロシアの大使がぶっ殺されたニュースとかでもいいんだが、

おそロシア

アレの映像に対して

「映像が映画の1シーンみたいにしか見えない」とか
「画が決まりすぎ」とか
「かっこよすぎ」とか
「現実感がない」「リアリティがない」「嘘くさい」とか

そういう意見がある。


その理由なんだが、

まぁそれは、ニュース撮影中の現場だったワケで、
当然、照明とかがしっかりしている。
そして、撮影してるカメラにしたって、ちゃんとした一流の機材で撮っているワケだ。


だから、

それ故に、「現実を切り抜いた感」が、一切抜けてしまっている。

そういう皮肉?なことになってるのだと思う。



つまり、現実にあんなに都合よく照明なんか用意されてないワケだ。普通。

ここがバックライト、ここがキー光源、ここがフィル・・・
三点照明がどうたらこうたら、
こういう風に照明を配置すれば輪郭が全て、形がすべてハッキリわかりやすくなる・・・
ヘミ光源、面光源、サン光源・・・

・・・
そんなこと、現実は考えてないワケだ。



で、逆に、そういうこと考えまくって作られた撮影現場の映像というのは、
妙に「映画っぽい画」になりすぎてしまっていて、

「事件の現場を抑えた感」
「現実を切り抜いた感」
「たまたま撮影しちゃった感」

・・・そういうのの無い、

「リアルじゃない絵面」「用意されていたかのような絵面」になってしまうというわけだ。



木で鼻をくくったような映像。



・・・なんか皮肉に感じる。


でも本当にこういうこと、よく考えるんだよ。 (映画見てたり、ドラマ見てたり・・・)


一応は、自分も3DCGのモデルの撮影とかやるから。
しかるべき位置に光源を増やしていったほうが、なんとなくリッチな絵面になってくとか、そういうのは分かるのだ。

巨神兵


なんで光源を増やしたがるのか?

それは結局、人間は←こういうデッサンよりは、こういうデッサン→のほうが「上手く見える」というのがあるんじゃなかろうか?
たま たま


でもそうやってドカドカ光源をふやして行くと、
なんか、逆に本当のリアルさからは遠ざかってるような。
どこまで言っても「作られたモノなのがバレバレ」というか。

じゃあどうすりゃいいんだということなんだが。


色々工夫するせいで却ってリアリティから離れていく現象。
こういうことは、「色」でも感じる。



映画見てたり、海外ドラマとか見てたりすると、
よくある「色の感じ」というのがある。


なんとなく、青くしてる感じ。 緑にしてる感じ。



そういうのをみて、みんな漠然と「洋画っぽさ」「リッチな映像感」というのを感じ取ってたりすると思う。

カラーコレクションだとか、
カラーグレーディングだとか、
トーンカーブだとか、
色調補正だとか、
色彩補正だとか、


まぁ色々言葉はあるわけだが。 (自分もテキトーいってるが)


・・・
でもこういうのを自分は、もはやあんまし「ありがたく感じなく」なってきてたりするのだ。



こういうのって、「映像の安っぽさを飛ばす為」「合成の不自然さを飛ばす為」のモノだと、
なんとなく、分かってきてしまったからだ。


これも、「自分自身そういうのを使うから」、なんか「やり口が分かってる感」になってしまってるところがある。


例えば、こういうダセー画があったとする。 これが、何も手を加えてない、素のレンダリングした素材だったりする。

エヴァンゲリオン トゥーンレンダリング

↑で、そういう素の素材に、色調補正のフィルタを一発かましたりすると、
かなりマシに見えだしたりするというワケだ。


warabi様は凄いソフトだが、それでレンダリングしたままの素材では、まだ使えなかったりする)
(自分なんかでも、そういうのを加工するための「色のプリセット」みたいなのは用意してたりする)


ダセー絵面、ダセー色、ダセー合成感・・・
そういうのが、色調補正 一発で誤魔化せたりするわけだ。


なんで色を弄るだけで「ダサみ」とか「合成の不自然さ」が改善するのかというと、
それはまぁ、一言でいうと、飛ばしているからだろう。

あとは色に統一性が出るのもある。 これは、まぁそりゃそうだ。 統一性が出るようなことしとるからだ。

彩度を下げつつ、ある方向の色味(青だとか緑だとか)を追加したりすると、その方向に統一される。




あと、元素材では単純な直線的なグラデーションだったモノが、
コントラストとかをいじることにより、複雑なカーブを勝手に描いてくれる、というのもあるだろう。

例えばこんな感じ↓

たま たま 

シンプルな元素材のグラでは、直線的な変化しかないノッペリとしたグラデーションだったが、

そいつに「コントラスト上げ」を施すだけで、なんか、「曲線」が勝手に見えてこないか? 

(自分には彩度が高くなっている、波打つラインが見えます) 
 ノ) ←こんなかんじ


・・・
まぁ色をいじるのにはそういう効果があって・・・


マトリックスなんかまさに分かりやすい。 緑色。 
マトリックス


でも、マトリックスはシミュレートされた仮想現実を描いた世界だから、別にあれでも良かったわけだ。
どこか、緑がかった映像に現実感がないのも含め、そういう世界観になってたワケだ。



でもなんか、そういうカラーコレクションを使うのが当たり前になってきてるよなぁ~とか思ったりもするわけですよ。
仮想空間ってわけでもないのに、こういう色の映画とかドラマとか多いよなぁ~と。


メタルギアなんかも結構そんな感じで。

MGS1は青っぽい感じ。

MGS2は緑っぽい感じ。
MGS2

MGS3は黄色っぽい感じ。
MGS3

MGS4もまた青っぽい感じ。
MGS4

・・・そういうトーンカーブをバリバリかけてきた印象がある。


(いやこうしてみると全部緑だな)
(いや3はシーンによってかなり色々あったと思うんだよ)


でもまぁこれは
ゲームのリアルタイム映像を、映画的にリッチにみせるための工夫のようなモンだったと思っている。


ダークソウルも、1が一番バリバリ色の変化かけまくってたと思う)
「病み村」に入るところとか凄い分かりやすいと思うけど、ああいうのは他のシリーズにはない)


一方自分が「全然ダメダメ」だと思ってる色いじりの例の1つとして、

「ゴジラファイナルウォーズの全体の絵面」というのがある。


あの映画、もう全編とおして、「どんだけ色をいじるんだよ」って感じで色がぶっ飛んでるのだ。


これはもう、元の映像の合成のヘボさ、映像のダサさを誤魔化すために、そういうフィルタをかけまくったのだろうなぁ・・・
というのが見て分かるわけだ。


特に色がぶっ飛んでるシーンは、あのCGバリバリの「ジラ」の登場シーンとか、
人間のアクションシーンとか・・・

ゴジラファイナルウォーズ ジラ登場

ゴジラファイナルウォーズ ジラ登場


そういうシーンに限って、輪をかけて酷いワケだ。


だから、自分はファイナルウォーズの映像が好きではなかったりする。 (映画全体のノリは別にそんなに嫌いではないが)


マトリックスみたいなアクションしてるからって、映像までマトリックスみたいに緑色でぶっとばさなくていいんだよと。


で、結局 「怪獣映画の絵面のリアルさ」とか、
そういう方向に持って行きたくてこの話をしてきたわけだが。


前に
自分が 2015ガメラのトレーラー映像をみて、そんなに喜ばなかったり、なんの反応も示さなかったりしたのは、そういうこと。
こういう価値観が根底にあるのが、原因だったりするのですよ。






あの新ガメラの映像、別にCG自体がヘボい訳ではないんだけど、
やっぱり、色をいじってる感が強くって、

「現実はこんな色じゃねーよ」
「これはリアルではねーよ」
「怪獣に実在感がまったくねーよ」
 と、思ってしまうのです。


実際、このような価値観を持った上で見直してもらえればわかると思うが、
もう、で飛ばしすぎ。 


せっかくのガメラを見上げるシーン。 

せっかくアングルとかは良いのに、見えてる映像が、「絵」みたいにしかみえない。

2015ガメラ 甲羅

怪獣が目の前にいて、こんな風な色に、見えることあるか?
(いやホンモノ見たことないけどさ) (こういう景色ではないだろ・・・)


・・・
自分なんかは、ああいう映像を見て、真っ先にそういうことを感じ取ってしまうんです。


だから自分は、新ガメラのトレーラーみても、全然手放しで喜べなかった。


新ガメラの映像がかけてるフィルタというのは、
多分自分が思うに、「グロー効果の逆版」な効果なんじゃないかな、とか思う。




「グロー効果」というのをまぁ一言でざっくり言うと、
「自分自身を複製したコピーをぼやかしたモノ、それをちょっと明度的に下げた素材、そいつで自分自身を加算する」
てな感じです。

(それをやると、ヘボい絵がなんかマシに見えるという奴でして、)
(ヘボい絵描きが良くやる奴でして、自分もよくやる奴でして、)
(見る人がみたら、バレバレな奴です・・・ハイ。)




じゃあその「逆」とはどういうことかというと、
「自分自身を複製したコピーをぼやかしたモノ、それをちょっと明度的に上げた素材、そいつで自分自身を減算する」
ということですね。


例えば、例とする素材として、98のエメゴジの1シーンを考えてみます。




エメゴジのCGも、今見てみると、結構、CGと実写の合成シーンが違和感バリバリですね。


↓例えばこのシーン。
エメゴジ 足の裏


踏み抜いた後はともかくとして、踏み抜く前の一瞬のシーン、今ならだれもがCGだと気づいて萎えてしまうでしょう。



この「萎え」の根源がどこにあるのかというと、

ゴジラの体表の「一番暗い部分」が、(つまり足の裏の部分が)、
他の背景の「一番暗い部分」とマッチしてないからですね。


(人間の脳はその明度の差、違和感に一瞬で気づき、「このCGはヘボい」「この合成はヘボい」と一瞬で判断を下せるのだから)
(そう考えると凄いもんです)



んで、このシーンをサンプルとして、自分の言った、「グロー効果の逆」のフィルタを実際にかけてみます。

自分自身を複製してー、ブラーぼかしをかけてー、明るさ上げてー、陰影レイヤーにしてかぶせてー・・・・


そしたらこうなります。

エメゴジ 足の裏

エメゴジ 足の裏


新ガメラのトレーラーっぽい画像になりましたね!


見事に黒でぶっ飛んでますね。


だけど、黒でぶっ飛んでる代わり、さっきの
「ゴジラの足の裏の部分が妙に明るいせいで合成だと一瞬で分かってしまう」という弱点は、一応は克服しているのです。

馴染んでる感じはでてるのです。

それは、背景の一番暗い部分と、
レンダリングされたCGのゴジラの体表で一番暗い部分が、「どちらも#000000で統一」されたからです。


(あと、グロー効果が「拡散光の擬似的な後付」だとするなら、)
(これは「アンビエントオクルージョンの擬似的な後付」のようなもんだと思う)
(黒いものの輪郭の周辺が自動的に暗くなるので、それは光を遮っているように背景と馴染む)


・・・
つまりそういうこと。


多分、新ガメラの映像も、

このように「グロー効果の逆」のフィルタを全面かけているであろうということ。

それはCGの合成のヘボさを誤魔化すために、この技術に頼り切ることになったのではないかということ。

そういうことが、色々やってると推理出来るようになるのですよ。 自分のようなドシロートにも。



「でもそれは、ヘボさを誤魔化すために頑張ってるってことじゃないか!努力じゃないか!工夫じゃないか!」

と思うかもしれません。 まぁそうかもしれぬ。


昔はそれでも良かったのかもしれない。



でも、シンゴジラのあの、完全に実写・実物にしか見えないCGを喜んだあとで、
あらためてこの新ガメラのトレーラーを見返してみて、
おなじように喜べますか?という話なのですよ。


ていうかそもそもやっぱり、
「怪獣映画の映像」だけは、こんな風にフィルタ感バリバリの映像つくっちゃだめだと思ってるのです。


作られた映像感、
偽物の映像感、
加工された映像感、


そういうのを、もっとも排除しなければならない映像のジャンルだと思う。 

もっとも自然志向なジャンル。

見たマンマ現実にしか見えない景色に、
怪獣がリアルに実在するように作らなければ・・・



それなのに新ガメラの映像はあんなだったから、
自分は「映像自体はそんなヘボくはないのに、ガッカリしたのです」


一方シンゴジラの予告を見たときは、

「ああ、この映像、自然な色だ。」
「このCGのゴジラ、実写にしかみえない。すげえ」

と、映像面では安心したわけです。


そういうこと。


もうそろそろ、みんな、
ああいうカラーコレクションバリバリの映像、フィルタバリバリの映像が
「別にありがたくない」ということに気づきだしてもいいんじゃないだろうか?



メタルギアも、MGSVになって、
そういう色調補正でぶっ飛ばすのをやめて
自然な色、
「フォトリアルな画」
、というのをめざすようにしたらしいのですよ。
 (どっかで読んだ話)


それは結局、フォックスエンジンという技術、クォリティそのものに「自信」があるからだろう。


後付けで色調イジってマシにするとか、誤魔化すとか・・・そういうことする必要なく、

自然な色合いで勝負できるほど、「素でリッチ」ということだろう。


いや、
この話は
「加工をすんな」とか「フィルタをかけんな」とか、そういう単純な話でもないとは思う。



シンゴジラのメイキング映像見りゃ分かるけど、フィルタを何重にもかけてるのは分かるからだ。

(最後に、画竜点睛のように、「レンズの歪み」みたいなのまで入れてる、それがすげーいい)

シンゴジラのメイキング映像

(↑こうやってスキャンラインみたいな演出を排除したgifにすると、一番みやすい)

(この、レンズ収差がいいですね。 色収差。 自分も色収差使いまくってます。 色収差フェチ
(Chromatic Aberration Correction!)


あともう、アホみたいに煙をかぶせてますね。
これも、VSシリーズの話をしたときに自分が言ったとおりです。 (バトラあたりの話)
名古屋城を壊すバトラ様

(当たり前だけどあの話は、シンゴジラの前に書いたし、庵野監督がゴジラ撮るって発表するのよりもずーっと前に書いた)
(そういうのが、こうやって価値観が繋がる感じがして、勝手に嬉しい)


つまり、フィルタをかけるにしたって、

「現実にしかみえないように」、

「実物がそこにいるようにしか思えないように」、

「現実がそうであるように」、


現実という目指すべき到達点に到達するために、にじり寄るように、しかるべき技術を使いまくる
・・・
そういうやり方をしていることが分かるわけであって、


とりあえずの、

「こういう緑がかったフィルタかけたら洋画っぽくてリッチになるんじゃね?」とか、

「こうやって黒でぶっとばせば、アラも消せるし、なんかかっこよく見えるし、いいんじゃね?」とかの
・・・
そういう安易な手段とは、
同じようでも 全然違うということですよ。



とにかく、リアル志向。 実物志向。

現実を切り取ってる感じ。

現実の有り様をとことん観察し、理解し、再構築しようとする。


色即是空、空即是色。



なにがリアルでなにがリアルじゃないか、
本当にリッチなのはどういう画面か、 


・・・そういう価値観・審美眼、進んできてもいいんじゃなかろうか。


そういう、目の肥え方。


それにしても、こういう話をする人を全然見かけないのが気になる。


新ガメラのトレーラーを見て、「色が変だから、なんだかなぁ~」と、ちゃんと言えた人が、一体どれほどいたのか。


みんな、なんとなくの感じで、とりあえず褒めてたでしょ。 (自分は色んな感情が渦巻き、黙ってた


それはやっぱり、今まで書いてきたようなこと、
今まで書いてきたような価値観を、全て頭のなかで言語化した上で、その上で、
「色が変だから、なんだかなぁ~」
と言わなきゃならないからだ。
疲れるんだ。


それが出来ないと、単に色が変って言ってるだけの難癖付けてる頭の悪そうな人に見えてしまうからだ。
(この記事自体がそう?)


だからみんな、あんまあの新ガメラのトレーラーを叩けなかったのじゃないかと思う。



言語化出来ない領域で、違和感を感じてはいたが、上手く言えないのでわからない、

言葉で掴めてない概念はわからない、伝えられない、

とりあえず映像の動き、怪獣の造形、そういうのは問題なかったから、オーケーを出した。


そういうことではないか?


(あと最後に一応いっとくけど、それでも自分は本当は、ゴジラよりガメラのが好きな人間なんだよ 畜生)


こういう話をキチンと出来る人はいるのか?

こんなニートの戯言じゃなくてさぁ。




いや、なんでも思うのだが、
映画とかの評論とかの動画を色々見てても思うのだが、

最近、素人とプロの差がなくなりすぎじゃないか?


映画評論家が、ある映画について語ってたとする。 
「ストーリーが云々、解釈が云々、登場人物が云々・・・」


でも、実は、そういう話は素人にも出来るんだよ。

むしろ今は素人のほうが鋭いこと書いてたりする。



「この世界の片隅に」のレビュー動画も色々見てまわってきたが、

結局 一番感心したのが、歌丸でも町山でもなくて、単なるゆっくり解説動画だったのだよ。 自分はそうでした。



だから、
そこんところで、映画評論家がやるべきことは、「素人には語り得ないような領域の話」じゃないのかと思うのですよ。

映画見ただけじゃ知り得ぬ部分。
撮影がどうだとか、照明がどうだとか、そういうことを取材したりさぁ。


(例えば観客レベルの話では「日本の映画は映像が暗い」「画面が暗い」「これはどうなってるの?」という疑問を持ってたりする)
(だが映画評論家は、そのようなことを一切解説もしないし、邦画の絵ヅラの暗さについて、褒めたりもけなしたりもしない
(この辺の認識のズレについて説明をしないというのは、おかしな話ではないか?)



映画評論家自信が、単なる人気取りのために、観客でも分かるような領域の話を延々として、
「共感」「同意」を得るためだけの仕事をしてるんじゃないかと、そんなことを思ったりする。


そんなのは、ある映画を好きになった感情を、「その映画を絶賛している評論家への好意」に変換させてしまうための手法だろう。



観客にはわからん話をしろよと。


なんの話だったのだ。


完。

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[ 2017/01/10 16:05 ] 駄文 | TB(0) | CM(0)
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