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宗教全否定~ニートが宗教について思うこと~ その1

 
書く書くと言ってたキッカケの記事から、丁度一年放置してしまった話を、ようやくします。


自分の中の「宗教」というモノに対する最終結論。 宗教を全否定する話をする。


基本的には、ニート版、リチャード・ドーキンス著「神は妄想である」のような話です。


・・・
なんでこんなにまで書けなかったのか。 
(リクエスト貰ってるのに一年間書き始められないほど) (マジですまん もう読んでないだろうこのブログ)


これはもう、この話題というのが 
下手すりゃ自分の価値観の中でも一番でかいレベルのもの。 自分の宗教を憎む心というのが自分の人格そのもの、
この世から宗教をなくすというのが自分の人生の悲願、目標そのものだと言っていいレベル
のことだからでしょう。


自分が今までの人生で培ってきた、
「宗教という物に対する価値観」、そのほぼすべてを吐き出したいと思います。



だからこんな話をしおえてしまったら、下手すりゃこのブログは終了。
もう言いたいことは全部言い終えました
、となるレベルの話題です。



その割には大した内容を書けてないかもしれない。 ありきたり・古臭い話と言われるかもしれん。

分かりきってる人にとっては分かりきってる話を延々とすることになるかもしれない。

単に「自分が宗教を死ぬほど憎んでいる」というのが分かるだけの話かもしれぬ。


・・・
とかなんとかで、色んな意味で非常に厄介な話題なので、書くに書けなかったのである。


長い記事がさらに三部作になります。 これがその第一部



 

宗教全否定 その1


大体この話題、どうやって話を進めていけばいいのだ。 ルートが分からん。

(いつも知恵熱でるほどこういうこと考えてるから、いくらでもベラベラ演説し続けられるつもりなんだが)

ちょっと考える。


・宗教の構造的欠陥

・宗教的思考と科学的思考とは オカルトとは

・宗教とは認知的不協和である

・宗教のメリットデメリット

・宗教のメリット全否定

・宗教なき世界のありかたとは


・・・
大体こんな感じのルートかなぁ~。


こうやって章の構成を考えたところで
やっぱりどうやって話を進めたら良いのか難しい。 どこがとっかかりになるのだろう。



やはり、自分が自分の家族の宗教をやめされることが出来なかったという話になるのだろうか?
いやそれももういいか。


どこまで行っても宗教というのは「百害あって一利なし」 (百歩譲っても、「二利」くらいだろう)
のような存在なのだからどうしようもない。

信じるも信じないもクソもないのだから、やめろ滅びろとだけいいたいのだが。


本当にどこから話を始めたら良いのか未だわからない。 

自分の宗教を憎む想いは自分の価値観の殆どなので、
あまりに膨大すぎてどこから語って良いのか本当にわからない。



そもそもの始まりはというと
自分の親が、自分が子供の頃にその親が信じている新興宗教の集会に自分を連れて行って
信者にしようとしたのが始まりだろう。

だがその話をあんまりしたいとも思わん。 その宗教の教義の話を今更したいとも思わん。


自分自身は、いつごろから、だとか輪廻転生だとか因果応報だとか「バチ」だとか、
そういう「オカルト」なことを信じるのをやめられるようになったのだろう。


そういう「やめられるようになったキッカケ」のような話から始めようかと思う。


自分が最初に「因果応報」という法則が嘘っぱちだということに気づけたときの話をしたい。


それは子供の頃の話で、明確に覚えている。



子供の頃、

親の宗教を信じさせられていて、
この世の不思議な現象 (つまり因果応報だとか輪廻だとか魂の救済だとか)
そういう概念に多分「疑い」というモノすら持っていなかった時期の自分が、
ある日突然、自力でそういう物の中にある「嘘」に気づけた瞬間なのだ。


まぁそういう宗教を信じてる大人というのは、

そういう宗教を信じている側の人間だから、子供に向かって天国だの地獄だの、偉そうなことを言ってくるワケだ。

そして、「因果応報」だのを子供に言って聞かせようとしてくるワケだ。



例えばそこに凄くデブな大人がいたとする。

その人を、子供心に無邪気な悪口で「デーブ」とからかっていたとする。


するとその大人が、

「この世には"因果応報"というルールがあってだな、
 そんな風に太った大人の人を馬鹿にしていると、お前も、将来デブになるんだぞ!

だからそんな風に大人を馬鹿にするのはやめなさい


とか、そういう風なことを言ってくるわけだ。


そこで自分は疑問に思ってしまった。


「じゃあアンタも、子供のころに大人に向かってデブって馬鹿にしたんじゃないか?」と。

そうじゃなきゃ理屈に合わないではないかと。


で、そのことを聞き返したら、(正確にはどうなったか覚えてないが)

その大人は、痛いとこつかれたような反応をしたはずなのだ。 
その、子供の「クリティカルな質問」に対する明確な答えは、返ってこなかったと思う。


(むしろ相当驚いた表情をしていたかもしれない)
(本人自身も、因果応報についてこのようなことを考えたこともなかったから、子供に指摘されて驚いたのだろう)


これが、
自分がはじめて、「説教をしてくる大人」を逆に完全に言い負かしてやった瞬間だったのかもしれない。


本当におかしな話なのだよ。


現状、「デブで子供から馬鹿にされている大人」とは、

因果応報的に、「子供の頃に大人をデブと言って馬鹿にしてきた人間」なのか?


だとすると、その人間にはがあるのだから、因果応報的にも、これから子供にデブって馬鹿にされないといけない。


もしそうじゃないとすると、その人間は罪もないのにデブっていることになる。

そして罪もないのにデブっている人間がいて、罪もないのに子供からデブって馬鹿にされているとしたら、
それはそれで因果応報がおかしいということになる。



それでもこの因果応報というルールが人間を支配しているとして、
デブった人間がいて、そいつは子供にデブって馬鹿にされて、その馬鹿にした子供も将来デブになるとして・・・・

そんなのが延々と続いていくとして、
その連鎖はなんなのか。


因果応報が正しいとするなら、人間はその運命の鎖から逃れられないということだ。 運命の奴隷だ。 
(奴隷に罪はあるのだろうか?)


そしてもしもその鎖から逃れられるというのなら、

意味もなく突然変異的にデブってしまった人間や、
デブを馬鹿にしていたくせに自分だけは子供からデブと馬鹿にされない人間
が現れてくるということになる。


前者は、人間の自由意志なんてないということになる。 
それならば人間の行為に責任なんてものは無いということになるし、



後者は、因果応報的に不公平だ。


何も正しくないのだ。 理屈に合わないのだ。 
そんなルールがこの世を支配してる筈無いのだ。
支配してたらこの世がおかしい。


じゃあ実のところなんでそんなルールが「あるということになっているのか」

・・・
まさに自分は子供の頃大人をデブって馬鹿にしてデブになったくせに、
自分だけは子供からはデブって言われたくないような人間。

そのような人間が、「因果応報」というルールを捏造して、子供に説教をしているだけなのではないか。


・・・そのようなニュアンスに、自分は気づいてしまったというワケだ。


考えりゃ分かる話だ。 この世に因果応報なんて、そんなバカみたいな勧善懲悪な法則はないのだ。

単に子供から馬鹿にされて悔しかった大人、単に体重管理の出来ない駄目な大人が、
そのようなルールをちらつかせて、子供を制御したかった、というのが全てであろう。




現在にわたってもこんなルールが大人から子供に伝えられていくのは、
結局このような心理が残り続けるからにすぎないわけだ。

そして、そもそも「因果応報」というルールを最初に生み出し人間からして、
そのような心理でこれを思いついて広めたに違いないのだ。


ありもしない法則を生み出して他人を制御したい!制御できる! そんな「愉悦」が本質なんじゃないか?


そして、これがマジで因果応報へのトドメのような証拠だが、

こんな風に子供の頃に、「デブの大人を馬鹿にしてるとデブになるぞ」といわれても決して「やめなかった」自分が
人生において未だに、一度も体重が48kgを超えたことがありません。
BMIで言っても、BMI17を越えたことも一度も無いはずです。


というわけで、そんな法則はないのです。


最近流行りの疑似科学でいえば、「引き寄せの法則」なんてモノも、ありえません。


なんで無いか、これも証拠を見せましょう。

自分は今、「引き寄せの法則を信じてるやつは気色悪いから寄ってくるな!」と、念じています。

もしあなたが今「引き寄せの法則」を信じているタイプの人間なら、
まさに今この文章を読んでいるということは、「引き寄せの法則」が敗れたということになるのです。


というわけで、今ここには引き寄せの法則を信じてない御仁しか集まっていないということになります。


皆さん、あんな法則が正しくないことに、満場一致でご同意できますね。


Q.E.D.
証明終了。



えーと一応因果応報の話ね。

「宗教の教義」というのは、およそ全てこのようなモノだと言える。



勿論この場合、「因果応報」という教義、そのような有りもしないルールを漠然と信じるという行為は、
さほど「実害」があるというわけでもないかもしれない。

むしろ子供の躾にはなるかもしれない、そうやって宗教を信じる行為、ありもしない法則を子供に教えつける行為を
肯定したくなる人もいるかもしれない。 ?


だが今回の一連の記事は、そういうのすらひっくるめて、宗教の全面否定が目的だから、
そこんとこも潰さなければならないのだ。



でまぁ本当にこんだけ書いてて全体の何割だか予想もつかないボリュームになりそうだし、
色んな話題が前後すると思うので、そのような「宗教によるメリットデメリットの話」は後回しとして、


今、だんだん分かってきたことは、
宗教の教義というのがそのように人間によってデザインされたモノだということが見えてくる」ということでしょう。


宗教の教義というのは本当にそんな感じで、教祖によってデザインされたモノだというのが
そのような目線で見始めると本当によく分かるようになるのです。


ふーむ。

これ、このままだとなんか「穴」になってるから、新しい「設定」で埋めなきゃならないなー。

これ、ここのままだと曲解や悪用するやつがいるから、ここにこういう「小話」を用意して、詰めないとならない。

出来た出来た。 これで完璧じゃ。


・・・そういうのの後付寄せ集めが、宗教の教義になってるのだ。



思いつき、

人間の制御のため、

人間によってデザインされた思いつきの設定集、
・・・



人間は神が生み出したのかとか、
進化論かとか、
はたまたインテリジェント・デザインか、とか、

・・・
そんなことを言ってる場合じゃない。

宗教自体が、人間によってデザインされた物なんだよ!


例えばしょうもない宗教の設定集というので一番の典型例のような物が、
「ヨブ記」でしょう。 (他には「毒麦」の話とかなー)

「ヨブ記」サウスパークs05e06


ヨブ記は旧約聖書の中でも黒歴史レベルでしょうもない話だと思う。


要は言いたいことは、
「神を疑わず信じてやがれ!」

「神を信じてて良いことばっかあると、お前ら自分の手柄だと勘違いするだろ!ボケが!」

「神を信じてても、良いこともあれば悪いこともあるんだよ!」

「正直者が馬鹿をみて、ズルい奴がのうのうと生きてることもあるだろうけど、
 だからってユダヤ教がデタラメとかそんなことないから、黙って信じやがれ!」

「そしたらヨブみたいにコブだらけになることもねーし、
 最終的にいいことあるからな!」


・・・とか、そういうことが言いたいのだろう。



でもこんなのは、

その宗教の教義を疑い始める人間をどのように戒めると「疑う気持ちそのもの」を押さえ込むことが出来るか
・・・
「そういう目的ありきでこの小話を考えついた人間がいる」という背景が明らかに見て取れるだけのことじゃないか!




宗教の教義というのは、大体がこのようなモノなのです。

(小利口な人間が脳みその表面だけで考えたような小話のつなぎ合わせなのだ)
(もっとプリミティブでドロドロしてる、原始宗教のカオスな話のほうがよっぽど可愛げがあると思わんか?)

(この辺が「旧約聖書からして、もう宗教ってマジ新興宗教だな」と思うポイント)


で、こういうヨブ記の話をされて、

「へー、じゃあ自分も「神の無為」、「神の沈黙」を疑うことなく、 
 たとえ宗教信じてて何もいいことがなくっても、一心に神を信じ続けよーっと」
って思うか、

それとも
「神は悪魔相手に見栄を張るためにヨブを痛めつけて、ゴミだな?」
「てか、この話思いついた奴、ゴミだな?」
「要はこんな話を言い聞かせて、良いことも何も起こらないキリスト教信者を慰めようって魂胆だろ?」
って思うか。 
 (宗教の本質というのはマジで「慰め」です)


このどっちに行くかは、馬鹿か利口かの違いでしかないと思うのです。

(言ってしまうけど、宗教を信じるというのは馬鹿の特徴ですよ)

アインシュタイン
 「私にとって神という単語は、人間の弱さの表現と産物以外の何物でもない」

ドーキンス
 「教育を受ければ受ける程、あるいは知的になればなる程、無神論者に近付いていくものだ」




(でもマジで、「ヨブ記」見るだけで旧約聖書捨てて良いと思うレベルなのだが)
(あれが因果応報へのアンチテーゼでありキリスト教の一番優れたところだとか言ってる人もいる 謎)


因果応報:良い行いしてりゃ良いことがある → 宗教信じよう!)
ヨブ記:たとえ良い行いしてて良いことがない → それでも宗教信じよう!)

(↑こうやって挟まれているわけでして、マジで隙がねえな?ということかもしれん)

(でもそれがゴミじゃん。
 「二度あることは三度ある」って言うのと同時に「3度目の正直」って言うようなもんで)
(両面で都合の良いことを言いまくって、それで世界の法則をコンプリートしたような気になってるだけだ)


というわけで、

宗教、宗教の教義というのは、 

人間を制御したいために
人間が思いついた、
(それゆえになかなか巧妙な)

ありもしないこと 嘘っぱち デタラメだということが見えてきたと思うわけですが、


それでも、「信じてる人」には こういう話をいくらしても馬の耳に念仏なワケですよ。

そんなことはない

そんな風になんでも疑ってかかるのは良くない。

この世には不思議なことがあるんだ。

この世には科学で証明できないことがあるんだ。

死後の世界はあるんだ!

それでも神を信じないと!


・・・
そんな調子なので、マジで通用しない。


これは何なのかというと、その辺がやはり、
宗教の根っこの部分が「死からの救済」に根ざしてるからだと思うのです。


この部分はこの記事のキッカケになったこの部分にもちょろっと書いていることだし、
そこから大して進むこともないと思うので繰り返しになると思うが。


TED日本語 - スティーブン・ケイヴ: 死について私達が信じる4つの物語



↑このTED大好きなので何度でも貼るぞ。
と思ったら初めて貼るっぽい、なんてこった! 前の記事でこれ貼り忘れてたのかよ!!
うわーがっくりきた。 一年間無駄にしましたね。 




とにかく、
人間がもっとも恐れ、もっとも考えたくない、もっともなんとかしたい、そして、もっともどうしようもない、
「人生のまさに最大の問題」というのが「死」なわけですよ。



「死」


死ぬとオシマイ。 死ぬと「自分の人生の全て」と言っていい「人格」「肉体」「記憶」が吹き飛ぶ。 

死ぬと何もかも無と同然。 ブスもおしゃれも死ねば土。

死の恐怖は凄まじ過ぎる。 (そりゃまぁそういう風に本能に仕組まれてるワケだが)



宗教というのは、その「死の恐怖」を最大に利用している。  
 (だから宗教というのは自分に言わせればこの世で一番死神に近い存在なのだ)



それが結局、

・この宗教を信じてると死後に救われますよだ~とか (慰め)

・この宗教を信じずに悪い行いをしてると死後動物に生まれ落ちますよ~だとか (脅し)

・良い行いしてればいい人間に生まれ変われますよ~だとか (欺瞞)

・このような行動をすれば死後天国にいけますよだとか、 (欺瞞)


・・・
そういう教義に繋がってくるワケだ。



これはもう、 (まぁ普通の脳みそで考えれば、そんな教義がデタラメの飴と鞭なのは明らかなのだが)

信じたいモードの人からしてみれば、もはや「疑うことも許されない」というか、

これを疑うということは、「死後が何の救いもない"無"でしかないことを受け入れることと同義」なので、

疑う意味がもはやないというか、信じるモードを続けるしかないという状況になってるのですな。


で、結果どうやっても宗教を信じたいモードの人は信じ続けるしかなく、

・でたらめな教義を覚えることに夢中になり、無意味に人生を費やしたり、

・高いお布施を払い続けたり、

・ゴミみたいな集会に通ったり、

・バカみたいな教祖のCDを一日中聞いて、時間を無駄にすることだけが人生の目的になったり、

・結果、宗教に付随してくるありとあらゆるオカルト、怪しい商法、疑似科学商法に騙され続けたり、

 (宗教信じる人間が判断付かない馬鹿だというのはそういうの売りつける人間側が一番よく分かってるだろうから、
  そういうのが群がる群がる・・・宗教の集会なんてものはオカルト商法の狩場みたいなもんでしょう)

・・・
そうやって「搾取され続けるだけの人生」を送ることになるわけですよ。




そうやって宗教を信じることで崩壊した家族が一体いくらあることか。
こんなことがいつまで続くのか。



つまり
宗教を信じるという行為は「死の恐怖から紛れるために現世で奪われ続けている馬鹿」という構図なのが見えてくると思います。


「ありもしない死後について思い悩んで、現世で苦しみ続けている馬鹿」


本当に救われない構図だと思う。

現世救済から最も遠ざかったゴミ宗教どもが。

こんなのは無理矢理にでも引き剥がすべきだと思うのだが?

(ヒートアップしている)



今回の記事はちと最後に
新興宗教の教義というものにはどれほどデタラメな物があるか紹介していこうと思う。


結局のところ、世界にちょっとでも「不思議な現象」があると、
そいつを自分達の神秘性に取り込もうとするのが宗教なのだ、という法則が見えてくると思います。



◆ 人間は念じれば雲を消せる


これは例の記事にも書いたことだし、Trickというドラマでも明かされてた奴ですが、あらためて言います。

これ自体は、ある種の雲を観察していれば勝手に消えたり現れたりしているという現象を
「人間の念力のせい」ということにしてしまう、そういうやり口な訳ですが、

それを教祖自身がやってみせて、信者から「すげー」って思われるようなやり方もあるし、

信者に雲を念じて消させるやり方を教えて、

「人間には秘められた力がある」

「人間には誰しも念力がある」

「人間の念ずる力には物凄いパワーがある」

「人間は手かざしで病気くらいは直せる力がある」

「さぁお祈りして世界を良くしましょう」

みたいな教義につなげるやり方もあります。 本当に自分達に都合の良いこと考えるなぁということです。


◆ 鳩は死なない


現代社会で生きていると、ちと不思議に感じる現象があるかもしれません。

あれだけいる鳩の死体とかを、案外みないということとかもそうです。

そして逆に、小さい鳩、鳩の「小鳥」というのを全く見かけないということもありますね。

それと、「鳩の巣」と言うモノを、一度も見たことがない人もいるかもしれません。




こういう現象を指して、

「鳩は天国から来ている動物だから実は成長しない」

「鳩は事故以外じゃ死なない不老不死の生き物」

「鳩は平和のための凄い生き物」

「鳩は神が遣わせた生き物だから巣とかない」

「鳩は生とか死を超越した生き物」

「この不思議な生物はウチの宗教が遣わしたもの」

・・・
みたいな教義に持ち込んでいく宗教があるわけです。 これマジで。 マジで。



マジでそんなん信じてるの?って思うでしょうが、

人によっては、これを教えられると
「本当ね~あれだけいる鳩の死体を見かけないのって不思議よね~小さい鳩を見かけないのも本当に不思議」
「鳩って本当に平和のための神の生き物なのかもね~」「平和の象徴すごいわ~」


ってモードになって、マジでコロっと信じるみたいです。 


で、これ、答え合わせをすると、

鳩の死体を全くみかけねーのは清掃の人が頑張ってるからということと、
鳩の小鳥版を全くみかけねーのは、鳩の生態が特殊だからですね。

鳩は「ピジョンミルク」というモノをオスメス共に自分で作り出すことが出来て、
小鳩が大きく成長するまでその特殊なミルクをあたえて成長させるのです。

そして鳩の巣と言うのはマジで絶壁のような、本当に見つかりづらいところに設置されるし、
通常の「よくある鳥の巣」のような形状を全くとらないので、
鳩の巣というのは全然目立たないということですね。





・・・とにかく宗教を信じる人間というのは
こんな風に、「日常のちょっと不思議な現象」を宗教の教義として説明されてしまうと、
マジでコロッと「そういうことだったのかー」ってなって、ますます信心深く信じてしまうということですね。


このように、
鳩の生態だとか、雲の性質だとか、

「案外と人間がすぐには調べられない不思議」
を利用して、人間の「無明」を利用して、

心の隙間に入ってくるのが、オカルト趣味、神秘主義、宗教ということです。


「隙間の神」というやつです。


でも、現代はグーグル様のお力が凄いので、ある程度のことはググれば答えが出ちゃうようになってきました。
これはもう、グーグル様が人間の「無明」を照らしてくれているおかげとしかいいようがありません。

で、新興宗教の中には、ネットで物を調べることを禁止したりするのがありますね。

調べられて、本当のことがバレるとヤバイから。 2ch見るの禁止なんてしてるのもあります。


「隙間の神」

人間がすぐにはわからない領域を利用して、宗教は生きているわけです。


今も残る領域・・・

人間がどうして生まれてきたかとか、

宇宙はどうして出来たかとか、

人間は死んだ後どうなるかとか、


この辺は、未だに「隙間」かもしれません。


この辺も宗教の「砦」ですね。


そして科学だけがこの部分をちゃんと解明しようとしていて、

一方で宗教は、テキトーに「波動」だの「霊魂」だの「オーラ」だの言って誤魔化しつづけているのです。


もしくは、説明するのを放棄したりします。


仏教の「毒矢の喩え」なんかは、自分に言わせれば説明放棄、思考停止です。


「毒矢がささって苦しんでる人間が、毒矢を誰が射ったか調べてどうする?
 自分の人生もままならぬ人間が、宇宙の出来た成り立ちとか考えてどうする?」
とか、仏陀がぬかしたという話です。

逆ギレですよね。 「質問を質問で返すな」ですよね。

ようは釈迦にも宇宙の出来た成り立ちは分からん答えられんので、こうやって逃げているのです。


ところで、「自分のようなニート」が、こんな風に「宗教への攻撃」なんかをやっていると、
きっと、この「毒矢の喩え」を使ってくる人間が必ず現れるだろうから、先に言っておくのです。




つまり、
「お前はニートで、自分の人生もどうにも出来ないくせに、宗教をなんとかしようなんて論じてるんじゃねーよ」
という開き直りです。 


ですが
このような「毒矢の喩え」が、まさに何の解決にも回答にもなってないのは、なんとも皮肉でしょう。


だって、痛いとこ付かれて逃げてるだけなんだから。 
 (宗教の教義とは、およそこのような「逃げ」の方便集でもあります)


現代人も、確かに苦しんでいるでしょう。

確かに毒矢にうたれて、自分の人生もどうにもならない人たちが大勢いると言えるかもしれません。


だがそれでも、現代人にだって、
宇宙の成り立ちとか人類の進化の解明とかを、調べたり興味を持つ「余裕」くらいはあるのです。




こういう番組をみて、面白い面白いと思えるのです。


ニートにだって、このように宗教を攻撃する「余裕」くらい、案外、あるのですよ。



でもそこんところで、
「おい待て!お前は毒矢に撃たれてるんだ!黙れ!」
「宇宙についてなんて調べてる間に毒が回って死ぬぞ!調べるな!」
なんて言って必死こいて誤魔化そうとする仏陀は、
糞馬鹿なのですよ。


(言ってやりましたよ!)
(ニートが釈迦に説法してやりましたよ!)



宗教とは、そんな風に「人間の無知の領域」「死への恐怖」「慰め」「自己満足」に宿っています。

そうやって、人の心に入り込み、人間に根拠のないデタラメを教えていくのです。



・教祖様は神であるだとか、

・人間は神になれるだとか、

・この宗教を信じると信者も神になれるだとか、

・信じて祈ってれば人生はきっと良くなるだとか、

・お布施をすれば病気が治るだとか、

・この壺を買えば長生きできるだとか、

・あの地震はあの津波は教祖様が予言してただとか、

・あの地震はお布施が足りなかったから起きてしまったとか、

・祈れば悪い予言を回避できるだとか、

・今回はみなさんのお陰で地震を食い止められましたとか、


・・・
そういうデタラメをまことしやか染み込ませて行くんですね。



その心理の根っこの部分は

「脅し」とか、 (悪い予言を回避させなきゃ!ってのは脅しの心理)

「騙し」とか、

「誇りを持たせること」とか、 (あなたも神に近づけますとかそういう心理)

はたまた単調な祈りの言葉を反復させることで「洗脳」してるだとか、


・・・
そういう酷い、碌でもない心理でもって、信者を縛っていることが分かります。


このような、全部デタラメなのは分かりきってるような物に、縛り付けているのです。


そんでもって結局やってることは、
人を騙して金をふんだくってるというだけのことです。 


宗教も、疑似科学も、悪徳商法も、全部同じです。

この世で最大の邪悪です。



第一部はこの辺で区切りです。

うーむ、あまり面白い話には出来なかった気がする。

いや、宗教を叩くだけの文章が面白くなるわけないと思うだろう?

でも、次と次のやつはもうちょっと興味深くできると思うんだよ。
 これはジャブだからね。



次、これらを信じてしまう心理の分類についての話になります。

オカルトの定義、

オカルトVS科学とか、

実はあなたの脳もオカルト脳かも?
 とか、そういう話になります。



関連記事
[ 2017/01/24 11:46 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(2)
概ね同意します。

現代社会においては神道程度の規模で初詣くらいの行動様式くらいしか宗教の存在価値はないと思いますが(葬儀も宴会代だけで良いと思ってます)、メリットを記載するなら、戦争での士気の向上効果は外せないでしょう。
あくまで、上層部はクレバーであることを前提とした、大戦時の飛行機乗りに薬を持たせた例や現代の海外自衛隊にも持たせているあたり、負けている状況、逆境下での集団における人間の心の弱さは対策が必要だと思います(宗教もそれに対する一手段に過ぎないはず)。

つまり、逆説的に具体例を挙げた集団心理の脆弱さから宗教の存在価値を導いていった方が説得力が増すと思うのですが、どうでしょう。
[ 2017/01/24 16:32 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無しさん


> メリットを記載するなら、戦争での士気の向上効果は外せないでしょう。


自分も考えてなかったほどの怖い領域ですねw

いや、一応考えてたのかな? 
 (最後の記事に天皇教のような話も入るのか入らないのか考えてたり・・・)
 (でもあんま色々書きすぎると雑味になるっていうか 天皇についてなんか書いたら更に敵が増える・・・)



いやこの辺の話は
むしろメリットというより最初からデメリットのように思ってたかもしれません。


つまり宗教というのは戦争の引き金ばかりにしかなってないではないか、という話ですね。


負け戦の時に兵士の士気を上げる効果のある神輿。神とか天皇とか。

それをメリットと呼べるかもしれませんが、

そもそも戦争を引き起こしてる対立は何が原因なのかというと、未だに宗教が根本なのだから、

最初から宗教ありきで全部悪いんじゃないかなぁという感じなのですが。



どうでもいいかもですが、


「アニマトリックス」で、ロボットの軍勢に突撃かける人間の部隊が、十字架に祈りながらドラッグ打ってるシーンとか
死ぬほど好きですけどね。

あと、
プライベート・ライアンとかで祈りながら狙撃してるスナイパーとか。


(自分はああいうのを「燃えポイント」というより「皮肉」のようにしか感じないのですが、その上で好きなんです)

(それもあって、自分はそういうのをメリットと最初から思えないというか・・・)

(そういうの結局全部宗教のデメリットのように捉えてますね)


[ 2017/01/25 09:44 ] [ 編集 ]
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