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宗教全否定~ニートが宗教について思うこと~ その2

 
というわけで、宗教がどんなに愚かで間違っていて邪悪か、
多少語ってきたワケですが、
今度は誰の中にも潜んでいる「宗教を信じようとしてしまう気持ち」それに近い精神の分析・傾向のような話をします。


いろんな「姿勢・モード」の話をします。


これをしなけりゃーいかんと思っている。


なんというか 「自分は断固宗教なんて信じてない」「自分は科学サイドの人間だ」と思っていながら、
実は宗教サイドの人間とおなじような脳の持ち主、物の信じ方をしている人達は大勢いると思うのです。



世の中には占いを信じてしまう人がいる。

星座占い・・・
血液型占い・・・
誕生日占い・・・

全て碌でもない。

宗教を信じないまでも、そういうのは漠然と信じている人たちも、まだまだいるだろう。


そういう人たちが危険なのは当然だが、 今回するのはそれにも当てはまらない人の中に潜む、
宗教を信じるのと同じくらいの「心の危うさ」の話なんです。


「自分は宗教なんて信じない」
「自分は占いも信じない」
「自分は幽霊とか信じない」
「自分はUFO信じない」
「自分は水素水信じない」
「自分は疑似科学には騙されない」
・・・
「大丈夫、自分だけは大丈夫自分だけは科学サイドの人間だから・・・」

そう思っている人たちの中にも、まだ実は危険性が残っている。 そういう話になります。


そこの部分の指摘と是正をしなけりゃ、真の解決とは言えない。


そして、それを以て、「科学的思考」と「宗教的思考」の分類としようと思っているのです。



 

宗教全否定 その2


で、もう結論ですが、

「科学的なスタンス」というのは、
自分の不利なことでも、事実らしければ信じようとするという姿勢。
そして基本は疑い、検証する所から入る姿勢のことである。



「宗教的なスタンス」というのは、
自分に有利なことであれば、事実かどうかはどうでも良くて信じちゃう姿勢。
そして基本は信じ、すがる所から入る姿勢のことである。


てな感じですね。 そう決めた。 今決めた。



この「科学的な姿勢」が出来てない人は、宗教側の人と同じとみなします。

これは気をつけないといけないのです。


それはどういうことかというと、これもまぁ一言で言うと
「認知的不協和を起こすことが当たり前になってる脳の状態の人は、脳が宗教モードの人と同じくら危うい」
ということですね。


具体的にどういうモードかというと

例えば、
コーヒーを飲むのが好きな人
がいたとする。


ある日、
ネットニュースで、こんなニュースが流れてきたとする。

「コーヒーを毎日習慣的に飲むと健康になるという統計が!大学の研究~」 みたいなニュースが。

いかにも科学的なので、そういうニュースを鵜呑みにするとします。
やっぱコーヒーを飲むのは健康にいいんだな!と。


で、
後日、
ネットニュースで、こんなニュースが流れてきたとする。

「コーヒーを飲みすぎると健康リスクがあるという統計が!大学の研究~」 みたいなニュース。


その時に今度は急に、
「いやいやコーヒーに健康リスクなんてあるわけないじゃんw」

「こっちは毎日飲んでるし健康だっつーの」

「どうせコーヒー以外の飲料メーカーが大学に金を渡して不正なデーターで統計出してるんだろ?」

「大体こないだのニュースと真逆じゃんw」

「イチイチこんなニュース真に受けてたらやってらんねーよ」

「じゃあワシはワシの健康だけを信じる コーヒー飲んで気分がいいから、健康にいいに決まっておる!」
・・・
ってな感じで今度は全く取り合わず、ニュースソースを読むことすらしなかったとしたら、どうでしょうか?


(コーヒーより「酒」の方が良かったかな?) 
 (「タバコ」で例えるのも多いが、タバコなんて逆に廃れて久しいだろう)

(酒ならまだマジになる人いるからね)

「酒は百薬の長だ!」 ←アル中はこのセリフマジで好きだからね)
(彼らはアルコールの健康リスクのことをいくら言われても、聞く耳もたんでしょう)



これが、科学サイドにいると本人は思い込んでるけど、自分に言わせれば
「宗教サイドと全く同じ脳の状態にある人」だということです。


宗教モードの脳は、
自分に都合のいいことだけを信じる。 自分の信じたいことだけを信じる。
根拠が弱くても自分に「得」そうな情報なら、即、信じる。

その一方で、
自分に都合の悪いことは信じない。 信じたくないことは信じない。 調べない。考えない。聞く耳持たない。
根拠がしっかりしていても、自分に不利な情報だったら、
頭にいっくらでもバイアスをかけて、もう、信じない。




この、「バイアス」のこと。 このバイアスが、ヤバさの正体です。 そして宗教を信じる心の正体でもあります。
このモードでいるのが危ない。 新興宗教にはまってるのと同じように、危ない。


「自分は科学サイドの人間」だと思いこんでいるくせに、脳がこのモードでいるのが当たり前の人
政治的信条とかと結びつくと、どうなるかわかったもんじゃないです。
だから、危険なのです。
(このことは義務教育で最優先で教えるべきことじゃないのか? 学生政治団体とか見てるとそう思う・・・)



科学とオカルトひっくるめて、これらの根っこの部分とはなんなのか・・・?

で、こういう姿勢の本質というのが、「認知的不協和」「確証バイアス」だということですね。

人間は「これ」と戦わなくてはいけないということです。



で、これが難しい。 人生とは「これ」との戦いだと言える。



例えばまさに
「人間は死んだ後どうなるか」という疑問について考えるとして、


何も科学的に証明されてない以上、
「死んだら無になる」 ←とりあえずはこれを信じておくのが、どんなに不利であっても科学的姿勢なのですが、

ここんとこで、脳が宗教モードの人、認知的不協和を起こすのが当たり前になってるモードの人は、

「キリストの復活」だとか、
「輪廻転生の証拠」だとか、
「赤ん坊の前世の記憶の声」だとか、そういう怪しげな出版物の内容を根拠もなく「信じたがってしまう」のです。



「世の中にはひょっとしたらそういう不思議なことがあるのかもしれない」

「もしかしたら、人間は死んでも終わりじゃないのかもしれない」

「どうせならそっちを信じておいた方が得じゃん 気が楽じゃん」
・・・

ということで、どんどん自分に都合の良い方を信じる、信じたい方を信じる、というのが習慣になっていってしまうのです。


するともう、あとは宗教、オカルト商法、怪しげな疑似科学商品、そういうのにズブズブ騙されていくということです。

ウチの親も見事に水素水に騙されてましたよ!!!


というわけで、人生というのは認知的不協和との戦いなのです。

「死の恐怖」に屈して、死後の世界とかを信じるモードになってしまってる人は、もうそこで敗北してしまっているということ。



で、何度も言うけどこれは本当に難しい問題で、
そら自分だって認知的不協和から完全に脱却できてるかどうかなんてそう簡単に断言できないワケですよ。

無意識に「すっぱいぶどう」「甘いレモン」をやっちゃってることもあるかもしれない。

でも、常にこのことを「意識」して生きてイカンとイカンわけですよ。


(「無知の知」のようなもんで、常に意識して、自戒自省できるかどうかのようなもん)


難しい。ホントに難しい。

大体さっきの「コーヒーの問題」だって、「じゃあ実際どうすればよかったんだよ!」ってことになる。



・・・
じゃあどっちを信じれば「科学的姿勢」ってことになるの?


自分に都合の良い情報を信じるのが科学的じゃないというのなら、
自分に都合の悪い情報を信じれば科学的なの?


大学のデータだからって 信じるの? 疑うの? どっちが科学なの?
偉い学者が言ったら信じるの? テレビで言ってたら信じるの? 新聞に書いてあったら信じるの?
権威主義者になれってこと?


だって本当に、「大学の出した統計」っていったって、
「彼らがスポンサー企業に色良い研究成果を出す」のなんて割りとありえることだし、
そうだとしたら、結局、何を信じていいかなんて、一生分からないじゃないか!

・・・
じゃあ、この世に「確かなこと」なんて、なに1つとしてないじゃないか!


・・・
一番確実な科学的姿勢って、「全てを疑って何も信じない」ってことなんじゃないの???



わかった!全て見破った!
何をどう食ったら良いかなんて、本当は人類にも、未だに全くわからないんだから、
私は自分の好きな物を好きなだけ食うわ!
 



・・・みたいな色んな感情が渦巻いてくることかと思います。
 (最後、認知バイアスおこしてますが)


すると、ともすると人間というのは「不可知論者」になってしまうのですね。
 (懐疑論者の悪性進化パターン)


「不可知論者」というのは、何も信じない。 この世で確かなことなど何もないとする。

神も信じないし、

信じないっていうか、

「神がいないってことも確定させないし」、

「神がいるってことも確定させない」、


そして科学も信じない。



・・・そういう姿勢です。 

それが、「不可知論者サイドの姿勢」というものです。
これは、サウスパークのs15e14でも見れば分かりやすいかと思います。

サウスパークのs15e14 The Poor Kid


科学的姿勢、宗教的姿勢のどちらでもなく、ドロップアウトした人達のようですね。


宗教的姿勢がおかしいことにはなんとか気づけたけど、
かといって、科学的姿勢、つまり、自分の中から沸き起ころうとする「バイアス」と戦いつづけるということには疲れてしまったので

そのどちらにもつかずに、「全てを疑うモード」でいるのが一番確かだろうという結論になってしまった人達ですね。


この世の全てが不確かで、人智ではいかなる真理にたどり着くことはできない、
そう思っておけば、「間違いが無い」だろうと。


・・・
で、結論ですが、これも駄目です。


話になりません。


当たり前ですが不可知論は、何にも結論が下せなくなるだけです。


そして、神を否定することもできなくなります。

あんな、いないのが「ほぼ」分かりきってる存在すら、否定できないのです。


てか
「悪魔の証明」って言葉くらい、みんな知ってるでしょう。

だからもう言ってしまうけど、存在を証明できてない存在はいないものと扱っていいんですよ。 (結論)


「いないことを証明できてないから、いるかもしれないじゃん・・・」

なんて理屈は、通らないのです。 
(これだけはマジで小学生の道徳の授業を削ってでも義務教育で教えなきゃ駄目だと思います)


「いないことを証明できてないから、いるかもしれない」

こんな考え方が通用するのなら、「空飛ぶスパゲッティーモンスター」でも信じてろって話なのですよ、本当に。

だから、本当に、神というのはスパゲッティーモンスターなんです。


(冗談のスパモン教だけど、本気で信じてる人いるらしいね)
(皮肉が通じないというか、それが皮肉に対する皮肉になっているとでも思っているのか)


で、何かを信じたり疑ったりするときにおいて
「宗教的姿勢」と「不可知論的姿勢」が、あり得ないことがわかりました。


だから人間は「科学的姿勢」を貫かなければならない訳ですが、
それでもやっぱり大変でしょう。



何度も戻ってくるけど、実際問題
この情報化社会の中で「何を信じ何を信じないで生きていくか」自分の中でのフィルターづくりというのはとても大変です。



「コーヒーを飲むと健康になる」というニュース、


「コーヒーを飲むと不健康になる」というニュース、



どっちを信じるのか。

何を根拠に信じるのか。


情報ソースをどこまで調べた上で、「これは信じても良さそうな情報だ」と結論を下すのか。

今現在の自分の心理が、どれだけバイアスに踊らされているか、常に自分自身で見張っていないといけない、


とてもしんどいけど、それを諦めてはいけないのが、現代人の生き方だと思います。 思いたい。 思うんじゃないかな。
そしてこれは個人の努力に委ねるしかない。 (かといって個人次第だからって、全く努力しなくていいわけがないぞ)

そう思って、自分はこの話をしているんです。 そうして、脳みそが安易な宗教モードに行こうとするのを正してください。


そうすれば、人類は宗教を倒せるはずです!


疑い出すと、キリがないのも確かです。

でも、それを言い出すと、これまた宗教サイドに堕ちることになってしまうのです。


↓例えばこんな感じ。

「お前はなんでもかんでも科学で説明が出来ると思ってるらしいな?」

「お前はエライ学者さんが言ったことならぜーんぶ信じるのか? あーん?



「お前は教科書に載ってたことなら信じるのか?」

「教科書に載ってたことが間違ってたことだってあるだろ?」

「教科書だって確かなことはないわけだろ? あぁーん?



「お前は原子を自分の目で見たことがあるのか?」

「電子顕微鏡で全ての原子を見たことがあるのか? ないだろ?」


「大体、電子顕微鏡の仕組みだって本当のところでわかってるのか?」

「お前は自分の目で確かめてもいないことを、そうやって信じてるじゃないか?」



「じゃあそれは、ウチの〇〇教のエライ教祖様のお言葉を信じるのと、何が違うんだ? おーん?

「〇〇様がどれだけエライ行いをしてきたか知ってるか?」

「ほれ見ろ! 宗教も科学も一緒じゃないか!

「お前は科学教を信じてるだけなんだ!!」

「だから宗教様を馬鹿にするのをやめやがれ!!!」


・・・
・・・みたいな感じです。 

気がついたら宗教サイドに引き込まれますよ!



つまりこの辺曖昧だと、次は、自分の目で確かめたことだけを信じるモード
自分の目で確かめられないことはよくわからないのだから、信じたいのだけ信じればいい、
みたいなモードになってしまう恐れがあるということです。

ビッグバン天地創造も、どっちも自分は見たことが無いんだから、好きな方を信じればいいや、みたいな感じ)


よって次の話。

「体験主義者」も愚かであるという話。


このように、
「自分の目で見たことだけを信じる」
「自分が経験してきたことだけを信じる」 
そういうモードの人もいます。


一見、そう悪くなさ気に見えるかもしれません。


こういう実質的生き方こそが、「科学モード」よりも、「宗教モード」よりも、 (話にならないけど「不可知論モード」よりも)
一番確かな姿勢だと思っている人もいるでしょう。



でも、これも駄目なんです。
これも割りと危ういし、結構「宗教モード」に近いです。



「自分の経験しか信じない」というのはすなわち

自分の経験が偏っている時、
自分の経験が間違っている時に取り返しがつかんことになるからです。

「自分の認識が間違ってても、それを信じてしまう」



本当によく、「金縛り」に一回遭った程度のことだけで、
コロッと、心霊現象はあるものと思ってしまう人が結構いたりします。


「私は占いも信じない!神も信じない!幽霊も信じない!」

そういうスタンスだったはずの人が、
「こないだ、あの旅館止まったら金縛りにあったわ~変なの見えたわ~ こういうのって実際あるのね~」
とかいってたりします。


そういう人、ツイッターとかでも見たことがある。
しっかりした人だと思ってたのに、人間ってこんなもんなんだーと、がっくりきました。


「自分は自分の目で見たものしか信じない」と豪語している人は、

それすなわち、 自分の脳がバグって不思議なことを一度感じると、

コロッと神秘主義者に鞍替えしてしまいうるということです。 そういう危うさを持っています。


「えっじゃあ自分の脳みそとか目玉すら疑えってこと?」

まぁ、そういうことにはなりますね。 (でも不可知論者まではいくなよ?)


分かってる人は当たり前に分かってることだと思うけど、金縛りというのは「単なる生理現象」です。

金縛り中に変なものを見たとしても、そんなのは金縛りという現象が寝ぼけてる時にしか起きないようなモノなのだから、
夢、そして半覚醒状態のときのむき出しの恐怖心、
そして「金縛りのときはこういうものを見るんじゃないかな?」という予備知識等が影響して、

変なモノを見てしまうのでしょう。 だから、夢うつつのそんなもんを信じちゃいかんのです。


まぁありきたりの言葉ですが、

「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」
ということです。


まぁこういう古くさい言葉じゃなんか印象薄いでしょうから、もっと怖いものを見せてみましょう。

「統合失調症を起こした人が見る景色」というのが、こういう物らしいです。

バーチャルハルシネーションについて
~統合失調症の幻覚疑似体験~


(↑これの下の動画ねー SIRENみたいにこわいよ)

あと、「ためしてガッテン」レビー小体型認知症の回も怖いってよ。



認知症、統合失調症、
・・・
脳が不調を起こしてりゃ、人間、こういう物が見えたり聞こえたりしうるってことです。


自分は大丈夫、自分の脳は正常って思ってても、いつバグってるかなんて分からんでしょう。

パソコンさんだって、突然フリーズおこしたりするでしょう。 

自分だってたまに目玉がブルブル震えますよ。

閃輝暗点だってたまに見えますよ。 どう考えてもバグですよ。 歯車。


そして、人間は誰しもが個人のスピードで、皆「ボケ老人」に近づいていく存在なのだから、
人によって脳がどれくらいバグっていくかなんて、分かったもんじゃない。
感知できないレベルで、脳に障害があったのかもしれない。


・・・
つまるところ、
幽霊というモノの正体とはこういうもの、「脳の中にいる」ということが分かるじゃないですか。


幽霊が見えたとか思ってる人は、まずは、自分の目と脳を心配しましょう。



大体、昔、「インスタントカメラ」が流行った時、心霊写真というモノが爆発的に増えましたよね。

で、今、ケータイやスマホのカメラの精度がどんどん良くなるに連れて、
「自撮り文化」みたいなのはどんどん強まっているのに、心霊写真みたいなのは、かつてのようには全く見られなくなりました。


これ即ち、粗悪なカメラが幽霊を作り出していたという証拠ですね。



だから今時、「私幽霊が見えるの~」なんて霊感アピールする人というのは、
「私の目と脳はインスタントカメラ並にポンコツです」と宣伝してるのと同じということなのですね。


霊感アピールをやめろ! 恥じれ!


他にも、
宗教家の言うところの「悟り」、「解脱」、「幽体離脱」、そういうのが、「薬物使用時のトリップ感」と同じような物であることも、
バレています。


彼らは、自分達が座禅や瞑想で不思議な境地にたどり着けたと思ってるようですが、所詮それも脳の作用。

実は薬チューと同じだということです。 脳内麻薬中毒者ということですよ。


そうでなくても、苦行僧なんて、マゾヒストと同じですよ


賢者ぶるな! 恥じれ!



あともうちょっとだけ、

「自分の見たものしか信じない」
「自分の経験したことしか信じない」
というスタンスの危うさを語って行きます。


よく言うように
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ということですね。


なんでも自分で経験して学ばないといけないという姿勢は、
ちと無駄が多すぎる。


自分の狭い経験の中で失敗したことの中でしか、学べないということですから。


先の例で言えば、
自分で全ての原子を電子顕微鏡で実際に見たり、
そういうことを自分の確かめられる範囲で全部やろうなんかしてたら、
人生がいくらあっても足りないわけです。




勿論、仮に人生が無限だというのなら、全てを疑ってかかり、全てを自分の調べられる範囲で
検証し、調べなおしていくという人生も、ありかもしれませんが、

現状、人間がそのような生き方をするのは無駄過ぎるわけです。


自分で先人がやってきた発見を繰り返したり、先人がやってきた失敗を全部やりなおしてから反省して学んだり、
そういうことをするのは無駄すぎますね、ということです。

・・・
よって、ある程度は 過去の先人たちの「科学を信じ」、やっていくしかない。

我々は、「巨人の肩の上の小人」なのです。 (この名台詞死ぬほど好き)



過去の先人たちも、きっと同じように「科学的姿勢」を貫いて、
「最低限ここまでは確かだろう」という基盤を固めながら、検証、反証を積み重ねてきたのが、
現代の科学なのだから、ということです。


で、
「じゃあ、なんでそこで過去の先人たちが積み重ねてきた宗教を信じるモード」でやっていっちゃいけねーのかというと、

それはやはり宗教というのがもうデタラメで、何も証明できてないことが分かるからですね。


神の存在は未だ証明できていません。

幽霊も、前世も、何一つ、証明されておりません。

彼らの積み重ねてきた教義というのは、
科学が反証検証にもとづいて積み重ねてきたモノと真逆の性質で積み重ねられて来ています。



曰く、釈迦は産まれてすぐに立ち上がって「天上天下唯我独尊」と言ったと。
・・・
曰く、キリストは死んでから三日後に復活したと。
・・・


こういった宗教の教義は、あとから尾ひれがついて勝手に増えたものでしょう。
(そのことは、信者ですら薄々分かってるでしょう) (だが本気にしてるやつもいるワケで)


でもかれらは、それらを「自浄作用」で教義から排除することが出来ません。

この点で、宗教のやってきた積み重ねの歴史と、科学がやってきた積み重ねの歴史とは、意味が全く違うのです。



証明、検証がされていない内は、無いものと決めてよいのです。 (でなけりゃスパモンを信じてください)



それなのに宗教は、「まず神がいると信じるところから始めている」。 まず「信じるところ」から始めている。

これが、お話になりません。


そして、各宗教毎に、神の設定から何から何までデタラメです。

そんなの、
100個宗教があったら、もしも仮に正しい宗教が1つあるとしても、99個の宗教はデタラメ言ってるということです。



ところで、
「パルカルの賭け」を潰せるとしたら、この辺ですね。


「パスカルの賭け」をすっげー簡単に書くと、
神がいる確率が0.00000・・・1% と、どんなにわずかだとしても

神を信じることで死後「無限の幸福」を得られるとするなら、

∞かける0.000000・・・1%は になる。

だから、そっちに賭けるのが絶対に、期待値的にお得ですよ
、みたいな話です。


(ちなみに、神がいる確率は「0」だとは断言は出来ません。 それに「無限」をかけてるのがミソ)



でもここで、パスカルはキリスト教のことしか考えてないでしょう。


他の宗教を信じることで「マイナス∞」の苦痛を受ける可能性があるなら、こんな期待値は全て崩れ去るわけです。
つまり、「無限の幸福」だけ信じて、「無限の地獄」を想定しないのが都合良すぎなのですね。


(で、そこんとこの他宗教を信じてた場合の未定義値うんぬん~で、色々やってるのがパスカルの賭けです)

(その他、「パスカルの賭けの改良版」とかも、どんどん都合良くしてってるだけです)

(そんなもんあるかっつー話ですよ)


(そんなに都合のいいことをいくらでも設定して良いのなら、じゃあ「信じなくてもいい神を信じろ」って話ですよ)
(実はこれがパスカルの賭けへの一番の反論になると思う 「信じなくてもいい神を用意しやがれ」

信じても+∞信じなくても+∞、「そのような天国を与えてくれる神」を、信じれてばいい、いや、「信じなくても良い」
(そうすれば、ケチなキリスト教の神なんて信じなくていい

信じなくていい教

(これ「自作宗教」ですね)
自分は宗教を憎むあまり、自分でも結構ジョーク宗教を作ったりします これもいつか「リスト系記事」にまとめたいかも)

(ちなみに、この世をフィクションであると賭けておくのを「ニートの賭け」だと言って何度かその話をした気がする)
(あれはパスカルのパロディーです)


話がちと逸れたけど、
科学的姿勢で何も積み重ねてきていないのだから、宗教に学ぼうとするモードに入る必要がないのです。


宗教から学べうるのは、せいぜい「道徳規範」程度のこと。 

で、次の最後の記事ではその部分も叩き潰して、宗教に対するトドメとしたいです。


ちょっとだけ余談。 (余談といいつつ半分ちかくあるな・・・)


科学 VS オカルト
のような話。


現状もっとも
「科学 VS オカルト」、または「科学 VS 宗教」みたいな話題はなんだろうか?


それはまぁ、進化論 VS ID論 かもしれん。

(インテリジェント・デザインね)
これについてそんなに詳しく語るつもりもないが、
こういうのも基本的には「脳のありかた」だけで説明つくんじゃないかと思う。



ID論とかを信じている人は、

人間が猿が進化して人間になったということを信じたくない。
サルが人間に? そんな「直感に反すること」、信じたくない。 嫌だ。 都合が悪い。

だから、信じたくないから信じないという姿勢ですね。

人間はなんらかの知性によってデザインされた完成された存在。
神が創造した存在。 
人間の手より美しい手がありますか? (武者小路実篤)
そのように考えたほうが気持ちが良い。
都合がよい。


つまり「宗教モード」と変わらんということですね。


「インテリジェント・デザイン」なんていってカッコつけて、
いかにも自分は「科学サイド」にいますよー。
「これは1つの学説ですよー」
という態度を取ってるけど、

このような態度は、科学ではなく宗教だということです。


(インテリジェント・デザインという見えない存在しないモンは反証可能性もクソもないのだが・・・)

自分的にはたった一つの反論で致命傷だと思いますね。

もしも人間という存在が凄い知性によってデザインされたとしたら、

なんで「親知らず」なんてーもんがあるんだよ。 畜生。


明らかに進化の過程の中で無理が出てきた部位だというのが分かるだろーが!と。


つまり、「進化」と言うものにはそれ自体に明確な意志や目的があるわけではない。実は

行き当たりばったりの突然変異淘汰による、「場当たり的な変化の積み重ね」であるということが分かるのだ。

だから生物の肉体というのは、実はそこまで「無駄がない」とか「究極の機能美」とかで極まってるわけでもない。

多くの無駄な器官、とりあえず破棄された器官、名残、そういうのが案外山積みなのが、今を生きる生物なのだ。

盲腸、尾てい骨、爪のなくなりつつある小指、・・・


で、
そういうのを「痕跡器官」というのだ。



まぁID論側からは、
進化論のようにして人間が出来るのは「偶然時計が組み上がるようなもんだ!アリえない」とか言ってるワケだが、
マジ話にならんですよね。 完。


ちなみに
「ダーウィンの進化論」というのも、もういい加減古くて色々問題が出てきてるのも分かります。

でもその一方で、ダーウィン自身はそのことをちゃんと自分で「種の起源」内で指摘しているし
「ここは自分でも分かっていない、ここは検証されなければならない・・・」と、そういう風に自分で把握できていたんです。

これこそ、科学的姿勢です。



・・・
というわけであんまし自分の中でも「ID論」というのは真剣に取り合う気にもならんのですが、

でもまぁ、「フィクションの1設定」としては、かなりアリだと思いますよ。


だって、漫画の登場人物は、神(漫画家さん)が「デザインして喋らせている存在」ですからね。



虚構の存在が、自分が虚構の存在であることを自分で意識しちゃってて、
単なる醒めたメタフィクションにならず、その上で何か凄い物語を展開できるとしたら、
結構面白い試みになるんじゃなかろうか。


(この辺は、「スピーチ・バルーン論」みたいなのを昔、延々と書きましたね)
(つまりこの辺の考えというのは、遊びというか頭の中の思考実験というか、そういう領域でこねくりまわす問題であって)
(マジで人間はデザインされたとか、本気で信じるものではない)


で、次。

自分的にID論以上に、科学VSオカルト的なもので気になっているのが、

「記憶転移」だったりします。



これは、本当にギリギリの瀬戸際の話題だと思います。



一昔前なら、「臓器移植をしたら存在しない記憶が宿った」だとか、「人格が変わった」「性格が変わった」
・・・そんな話を信じるのは、オカルト話扱いだったでしょう。


でも、今は、科学サイドの人でもこのような現象を十分信じる人が増えてきたかと思います。



それは、「オカルト的なモノを信じたい」とか「この世には不思議なことがあるんじゃのう」とかいう姿勢からではなく、
「脳」や「記憶」のメカニズムというのが、「従来のように思われてたあり方」とは違うんじゃないか?という考えからでしょう。



つまり本当に、
人間は大脳だけに全ての記憶を保存している訳でもなさそうだ。
脳で全てを感じている訳でもなさそうだ、と。

臓器によって記憶を分担していたり、腸によって満腹感や幸福感を感じたり、
そういうことをどうやらマジでしているらしい?
動物に第二の脳があるように。

・・・
てな感じです。


(つまり、内臓というのを「外付けHDD」のように見立てることが出来るかもしれない?)
脳はCPU、内臓は外部記憶装置
(脳だけが全ての記憶領域ではないのだと)

「体が覚えてる」だとか)
(そもそも本能や、遺伝子記憶というのは、そういうことじゃないかと)


・・・
まぁこの辺に関してもあんま詳しくは書きません。


それにしても色んな立場がありますね。 
見事に色んなスタンスが並んでて面白かったんで、↓このヤフー知恵遅れを貼ってみます。


「心臓移植すると記憶、人格が乗り移るのは本当ですか?」


これ、ベストアンサーになっちゃってる人が、宗教モードの人です。 
臓器に「霊魂」とか言ってます。 こりゃー駄目です。


で、二つ目の回答の人は、「ドグラ・マグラ」を読んだ人でしょうねw 自分も最近読みました。


んで、3つめの回答の人、やっと大体このようなスタンスが、科学サイドの姿勢ですね。


(つまり同じ現象を信じていても、その信じ方によって「宗教側」だったり「科学側」だったりすることもあるのです)



・・・
で、まだまだこの記憶転移の話題というのは検証不足です。 結論はおいそれとは出せません。


なんで出せないかというと、やはりこれはさっきの科学サイド人のの3つめの回答にあるように、
臓器移植に関する決まりとして、ドナーとレシピエントの人が接触禁止だからですね。 

故に、この問題は肯定も否定も、証明も検証もされずらく、曖昧にされてきて、故に「オカルトの領域」だったのですが、

でもようやくそろそろ、本気で決着が付く未来が来そうです。


それは、「脳移植手術」なるものが、マジで行われうる時代が、もうすぐのところまで来てるからですね。

2017年!、中国にて)

脳移植手術

脳移植手術!


本気でSFみたいな話ですが、この最初の例が今年、もし成功したなら、
世界中の金持ちの老人達が黙ってないでしょう。


ワシもワシも、いくらでも金は積むから脳を移植してくれと、

そしてそのような手術が実行されまくるようになった頃には、
もういい加減に脳移植による性格・人格・記憶の変化のあり方というのが
相当明らかにされていくでしょう。

(心臓取り替えて性格がちょっと変わるどころの騒ぎじゃなくなりそうだからねぇ)


そして、「記憶転移」というものへの理解がマジに進むのです。


◆オカルトが科学に勝つことはありえるのか?


で、こういう時にですよ。


仮に、仮にです、 記憶転移というのが本当だったとします。


コレに関して、
じゃあ昔っから、オカルトだなんだと馬鹿にされながらも、臓器移植によって記憶が宿る現象を信じていた人たちは、

科学に勝利したことになるのか? 

オカルトが科学を「出し抜いた」ことになるのか?


・・・
と、そういう問題について語ります。


で、これも結論。

オカルトが科学に勝利することなど、ありえないのです。

仮に、証明できていないことを先に「当てずっぽうで」当てていたとしても、
その姿勢が、オカルト的・迷信的・宗教的姿勢である限り、そこに勝利はありません。


それは、偶然たまたま当ってたのと同じです。


宗教的姿勢でモノを信じる、モノを当てる、モノを予測するという行動は
不合理、妄想、妄信、迷信と同じことなのです。


オカルトの方が科学より「先に」事実を当てていたとしても、
それはオカルトが科学を越えたとか、そういうことにはならんのです。


・・・
「記憶転移は本当だった!」

「ホレ見ろ! ワシャ何年も前から、こういう本読んで、信じてたもんねー (たま出版)」

「てことはきっとこれから先も、霊魂が科学で証明されたり、が科学で証明されたり、死後の世界が科学で証明されたりすることも、あるかもしれんぞ?」

「ノロマな科学じゃーまだ解明もされてないことを、オカルト様は先に信じることが出来るからのう~」

「科学は万能ではないからのう オカルトバンザイ! スピリチュアルバンザイ!」


・・・ってなわけにはいきません。


宗教モードの人は、
こんな感じで調子にのってはイカンですよ。


そんな風に、妄信迷信で何かに「賭けておく」というのは、
物凄い間違いを産むからです。


宗教的な物の信じ方というのが、今までどれだけの間違いを起こしてきたか、
これに関しては、歴史を考えれば一目瞭然でしょう。

まぁ一番分かりやすくて有名な例は、教会によるガリレオの弾圧ですかね。
地動説なんて言ってんじゃねボケェーと。


というわけで、科学とオカルト、科学と宗教が戦っても、
必ず「科学しか勝ちようがない」ということです。



「科学的姿勢」というのは、検証・反証にもとづいている。 アップデートが出来る。

間違いを認められる。



「宗教的姿勢」というのは、妄信・迷信にもとづいている。 アップデートが出来ない。(しづらい)

間違いを認められない。



実際問題、宗教を信じるモードの人の「頭の固さ」というのは文字通り「話になりません」
バイアスで凝り固まるのを当たり前に続けてきた人生ですからね。 いくら言っても聞く耳持ちません。 

この記事を全部読ませたとして、宗教をやってる人をどれだけやめさせられるか、
それ自体は怪しいもんです。 (でもやります)



「科学的姿勢」というのは、真理に向かって、一歩づつ一歩づつ、確実に歩み続けるような姿勢です。

そのような姿勢でなければならないのです。

ジョジョ5部 アバッキオの同僚

科学とは、↑ この、「ジョジョ5部のアバッキオの同僚」のような姿勢なのです。


コレに対して、
「宗教的姿勢」というのは、「過程も根拠もぶっ飛ばして、信じたいことだけいきなり信じる」、そういう「近道」のようなやり方です。

「近道」が、科学を追い抜くときもたまたまあるかもしれません。 
「近道」なんだから。 

でもそれじゃあ駄目なんです。


つまりまぁ、「ジョジョ界」でいえばラスボスのような姿勢なんですね。 宗教とは。
カーズです。DIOです。ディアボロです。

勝てばよかろうなのだァァァァッ!!
過程や方法などどうでもよいのだァー!
『過程』をすっ飛ばした





何度でも言いますが、この点で、宗教は科学に絶対に勝てないのです。


これから先、何が起ころうが。


たとえ、仮に、「神が科学的に証明されようが」、です。

将来的に、
神が科学的に証明されたなら、科学サイドの人はその時には神をちゃんと信じるというだけのことです。

それが「科学的アップデート」です。

仮にそんなことが起きたとしても、
それは科学の敗北ではないし、宗教の勝利でもないのです。

(だから、「パスカルの賭け」の本当の賭け方がわかりましたね)
(仮に神がいるとしても、現状は「神がいない方に賭けておく」 これが正しい姿勢なのです)
 ((そしてこの「真の姿勢のありかた」すら理解できない神だとするなら、そんな神はゴミです。))
 ((だから、神は、何重にも信じないのが正しい))




・・・
宗教とは、最初から負けているのです。


宗教モードの人とは、己の中の認知的不協和に負けている人だということがもう分かったでしょうし、


最初から、「死の恐怖」に負けている人が、宗教サイドの人だからです。



というわけで、宗教 対 科学の話、やっと終わりですね。

どこまで行っても、本当に、完膚なきまでに科学の完全勝利で終わるしかないんです。

「科学万能主義」のように聞こえるかもしれませんが、こりゃーどうしようもありません。

妄信や非合理が勝てる道理などありません。 つーか勝っちゃいけません。



んで、
ここまで勝てないと、最後に宗教サイドの人間は、

科学のことを「科学教」とか言って、でんぐり返ってみたり、

宗教に「科学」の文字を無理やりくっつけてみたり、 (まさに「幸福の科学」だの、「サイエントロジー」だの)、

なんとかして「科学に肩を並べようとして」、無茶苦茶やりますが、

当然、そんなのも無駄なのです。

気色悪いので寄ってくるな、という話です。


あと最後に、「オカルトの定義」とかをちゃんとしとこうかねぇ。
(最初にしとけや!)


定義とはちょっと違うか。 


今回の記事で、自分は 「宗教」「妄信」「迷信」神秘主義」・・・そういうのを全部「オカルト」と同一視していますが、
そういうのが「雑な分類だ!」と怒る人もいるかもしれない。


たとえば、オカルトといっても、UMAを信じてる人なんかは
「ロマン」で信じているワケで、根拠なく「慰めの」神を信じてる奴らと一緒にするな!みたいに思うかもしれない。


まさにパンダなんかは19世紀までは見つかってなかった珍獣なワケで、
それまでは確実にUMAだったわけです。 オカピなんかもUMA


じゃあそういうのを信じるのはなんなんだと。


大体過去の記事で、自分は地球外知的生命体はほぼ確実にいるだろう」という姿勢なのを書いたと思います。確かどっかで。

じゃあそのことと、宇宙人を信じる気持ちとか、UFOを信じる気持ちはどう違うのかということですね。



でもさ、ここまで読んだらわかったんじゃないかな。

科学的姿勢の話。

科学的アップデートの話。

宗教モードの「近道」の話。
・・・


ロマンはロマン。 ある程度は分かります。

でも、その信じる気持ちが逸脱しはじめたら、もう害なんじゃないかと。

近道をやりはじめたら、認知バイアスをやりはじめたら、もう宗教と同じなんじゃないかなと。

(地球外知的生命体と、UFO写真の差・・・)
(パンダと、ネッシーの差・・・)
(うーん・・・)


いや、↓こういう画像があって、結構気になるんだよ。 オカルトの定義。
オカルトとは

 (この漫画がなんていう漫画なのかすら自分は知らないけど)
 (何度か見かけて気になった画像だったから、いつか使おうと思って保存してたのだ やっと役に立った


こういう風な考え方で、「オカルト趣味」を守ろうという人もいるのだなぁということです。


でもこれも、へんな話だと思いますよ。

だいたい物分りが良すぎでしょうコイツ。


そして、この「ラジオの喩え」

ここでいう"ラジオ"の仕組みを知らないことを利用してるのが霊能力者であることも、わかってくるじゃないですか。


これまで何度も書いてきました。 人間の「無明」に巣食うのが宗教だと。 それと同じです。

なんでそれを質してはいかんのかが、わからない。

霊能力者のビジネスってだけじゃないか。 飯の種だから必死に隠してるだけじゃないか。



この辺の喩え話で、一番好きなのが痴豚様の↓この話ですね。




霊能力者とは、「存在しない蜂の箱を除去する業者の人」なのだと。


・・・
もっとフラットに考えてください。


ありもしない蜂の箱をメシの種にしているやつらがいる。 それだけの構図じゃないですか?



なんでそんな行為でメシを食ってる奴がいるんですか?

なんでそんな行為で金を集めてる奴がいるんですか?

なんでそんな行為でエネルギーを消費してていいんですか?


他人を騙す詐欺師と同じですよね?

他人から金を奪う強盗と同じですよね?




もうわかりましたね。 霊能力者は、宗教家は、オカルトは、全力で質していいのです。

麻原彰晃 種も仕掛けもありません


最後の最後に
こういう「オカルトVS科学」みたいな話題は「フィクションとしては」自分も大好きですよ。

TRICKもそうだし、うみねこもそうだし、流行り神もそうでしょう。

でも結構、オカルトが最後に何かやってビターエンド、みたいなのが多いんだよなぁ。




次は、道徳面と文化面からの宗教の否定です。 ドーキンスもやらなかったようなこと。

関連記事
[ 2017/01/25 14:07 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(6)
宗教はたしかに科学と完全に切り離された存在だけど、対極の存在というわけでもないと思うんだよね

多分byNEET氏の語る宗教は誰かの意図が乗ってる宗教なんだと思うよ
政治と絡んでたり、とか
確かに確証バイアスや対応バイアス(根本的な帰属の誤り)に陥りがちな人はそういうのにコロッと騙されるけども

宗教が芯、だとすればその芯に依りかかるかその芯を自分の中に立てるかで違うと思う
自分で考えるか考えないか、その違いだと思う
[ 2017/01/25 14:42 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無しさん


> 宗教はたしかに科学と完全に切り離された存在だけど、対極の存在というわけでもないと思うんだよね

今現在、宗教やオカルトの中で信じられている現象の中で
今後科学で永遠に解明されるものがない、とまでは言いません。
その辺は、臓器移植のあたりで触れましたね。

その意味では、同じ部分を見ていることもあるはずですね。

あとはまぁ、終末医療の現場での宗教利用の話も、次の回で書きました。
そのくらいの「手段」のことだと思っています。


> 多分byNEET氏の語る宗教は誰かの意図が乗ってる宗教なんだと思うよ

逆に、世界にはびこっている宗教で人の意図が乗ってない宗教もないかと思います。


「人の意図の乗ってない宗教」とは・・・
多分そのへんは、漠然と不思議なこととか世界に神秘はあると信じながら生きるとか、
なんか、そういうイギリス人?みたいな生き方のことなんじゃないかとも思うんですが。

(イギリス人は妖精とかそういうのを凄いナチュラルに信じてる人が多いようですが)


まぁ個人でそういう不思議価値観を広げるだけで、誰にも迷惑をかけないようなら別にいいのですが、

でも
やはり宗教法人みたいなのは全部叩き潰したいですね。



[ 2017/01/27 17:28 ] [ 編集 ]
まぁ例えばだけど…
人徳とは、礼儀とは何か、みたいな問題がある
それを解決するために宗教があったりする
コーランでは、「3人でいるとき2人にしか通じない話をするな」だとか
「誰かにごちそうした時は先ず自分から礼を述べろ」だとか
現代日本の社交辞令だって、ほとんど儒教から来てたりする

ただ、この性質をガスライティングに用いる人間が出てきたのがNEET氏の語る問題じゃないかしら
宗教そのものを何かの手段として用いるのが先ずいけない
人の心の最も弱い部分を執拗に突くのに最も有効な手段だから
かと言って、全く必要ないかと言えばそうとも言い切れない
礼儀や人徳を完全に失った人間が蔓延すれば社会も崩れる
[ 2017/02/02 03:05 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無しさん


> 人徳とは、礼儀とは何か、みたいな問題がある

> 現代日本の社交辞令だって、ほとんど儒教から来てたりする



そうですね。自分も真っ先に儒教が思い浮かんだわけですが、

儒教というか
「儒教思想」って、そもそも宗教なのかなぁとも思います。


あそこには宗教的な「尾ひれ」があまりついてなくて、
あくまで道徳集のような感じになってるかと思います。 
(「正当な江戸しぐさ」みたいなもんですよね) (つまりもうそれでいいじゃんという)



そして、日本人が子供を教育するさいに教えようとする
「礼儀正しく」だとか
「目上の人は敬意をもって」だとかいう作法は、

べつにもはや「儒教の教科書なんかを片手にやってるわけではなくて」、
完全に親から子に受け継がれてきた風習としてやってきてこれてると思います。


つまりもはや儒教が宗教か宗教じゃないかすらどうでもよく、

儒教から宗教臭を脱臭したもの、「完全に無害な道徳集」として、日本の中に馴染んでしまっているのだから、

こんなに理想的な状況はないのではないか?とも思うのですね。



儒教思想のおかげで、逆に宗教は必要ない、という感じです。



> 礼儀や人徳を完全に失った人間が蔓延すれば社会も崩れる


だから日本でモラルハザードはそう簡単には起こらんのでは無いかとも思うのです。
無宗教になればなるほど、治安は良くなるのではないかと思うほど。

https://togetter.com/li/1024792



[ 2017/02/05 11:00 ] [ 編集 ]
途中で出てくるオカルト談義の漫画は、京極夏彦氏の『魍魎の匣』のコミカライズですね。
むしろ科学とオカルトは不可分だとするような立場のお話しです。面白いですよ。

ちなみに私は宗教肯定派です。
思うに、人間が社会で生活していく中では、正当性を疑わず、物事を盲目的に信じたほうが都合が良い局面というものがある。
私たちは与えられた情報の正当性をすべて理性的に判断することはできないし、しようとすればむしろ社会生活に支障をきたしてしまう。そういった局面で判断を神や習慣、先入見に頼るっていうのは、自己防衛のための至極真っ当な行動なのかなと思うわけです。

だから原初の宗教というものは、比較的人の意思の絡まない、自然発生的なものなんですよね。それをお金儲けに使おうとするやつが居るからいけないってのは同意しますけど。
[ 2017/02/25 17:09 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無し さん

> 途中で出てくるオカルト談義の漫画は、京極夏彦氏の『魍魎の匣』のコミカライズですね。
> むしろ科学とオカルトは不可分だとするような立場のお話しです。面白いですよ。


詳細どうもです。

不可分なのですかー
それはどうも納得しかねるのでちと読んでみて調べたいところですね。




> 思うに、人間が社会で生活していく中では、正当性を疑わず、物事を盲目的に信じたほうが都合が良い局面というものがある。
> 私たちは与えられた情報の正当性をすべて理性的に判断することはできないし、しようとすればむしろ社会生活に支障をきたしてしまう。そういった局面で判断を神や習慣、先入見に頼るっていうのは、自己防衛のための至極真っ当な行動なのかなと思うわけです。


理性でも答えの出ない、
万人が納得・同意できる回答が得られない難問があるというのは分かります。


功利主義が行き過ぎた果てに
臓器くじシステムが本当に実現するくらいなら、
臓器移植はダメ!と決めつけてしまう宗教があったほうが生きやすい場合もある、とかいう感じでしょうか。

・・・なんかこの例えだとやっぱ宗教駄目だと思いたいです。



> それをお金儲けに使おうとするやつが居るからいけないってのは同意しますけど。

まぁそういうことになります。

でも宗教が存在する限り、そうなっちまうのは宿命な気がするのです。

例え無害そうで正しい教えであっても必ずそういう問題を起こす奴が出てきます。 ダイバダッタからして。


もういい加減に理性で妄信を断ち切っていい時代だと言い続けたいのです。

[ 2017/03/02 12:33 ] [ 編集 ]
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