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Blame BLAME!


最近まーた、書いた文章をボツにばっかしてる気がする。


大体これくらいの文章を書いておいて、
 (こんな雑な文章でも、精神的に書くのに半日くらいかかったりする)
でも自分で嫌になってボツにしたりする。


そんなんばっかじゃ何もできない気がしてきたのでやっぱし貼っておく。


ブレイム・カナダ
 
今更ながら、なぜだかBLAME!の映画について語りたくなっている。

原因は2つ。

多分、
アニゴジについての感想文がボツになってしまっているので、
そこで書いていた筈の、自分の中のポリゴン・ピクチュアズ(ポリピク)に対する考え方を
出しておきたかったというのがある。


もう一つは、「少女終末旅行」の影響で、自分の中でBLAME!熱がまた高まっているというのがある。


まぁ、もう一個あげるなら、
今年見た新作の映画は3つしかない。

・遠藤周作の沈黙、
・BLAME!
・アニゴジ

こんだけである。

年の瀬が迫っている中、
こんなかでも、やはりBLAME!についても語っておきたいというのはあるはずなんだ。



(読んだ人全員が腹を立ててもおかしくないレベルで自分勝手な文章なので、読むの注意)



 

で、自分が言いたいこと、考えたいことは、
「弐瓶勉ファンは、一体どれくらい、この、ポリピク製のBLAME!を評価するべきなんだろうか?」という点である。


自分的にこの映画、実は6 7点くらいの映画なんじゃないかと思うんだ。 (10点満点で)

この点、
弐瓶勉ファンは、
ポリピクファンは、どう思っているんだろうか。


これは本当に、BLAME!なのだろうか?

別モンなんじゃないのかと?

皆、別モンをありがたがってるんじゃないかと。



こういう事は、前々から感じていた。 シドニアのときにも、思っていたことだ。


ポリピクの仕事、ポリピクの映像化というモノを、

どれくらい、嬉しがり、
どれくらい、ありがたがり、
どれくらい、評価するべきなんだろうかと。


シドニアの時に思っていたことはこういう感じである。

原作にある「迫力」が、漫画よりもなくなっている。
(映像化されるにおいて、漫画からパワーアップするどころか、パワーが失せている)


例えばこれ、最初のガウナが地球に落っこちてくるシーン。
ガウナ

これ、漫画で読んだときは、度肝を抜くくらいの迫力だったように思うんだ。


でも、アニメで見たら、自分でも意外なくらい、何も感じなかった。

え、あのシーンがこれ? これくらいで終わっちゃうの?と


何故、アニメ化で、迫力が落ちているんだろうか?
本当にそれで良いんだろうか?



別に3Dに文句を付けてるわけじゃない。

この、でっかいガウナが、ゆっくり、ドドーっと、大迫力で落ちてくる映像を作ればいいじゃないか、全力で。
でも何故か、このシーンには全く迫力がなくて、自分はガッカリしてしまった。


映像以外の点でいえば、

シドニアでは、谷風がシドニアの住民からリンチに遭うシーンがある。

凄い悲痛なシーンである。

でも、そんな状況でも、谷風は住民も恨まず、そして海苔夫も恨まず、
「まだ乗れる!」の一心だけなのである。

そこでめちゃくちゃ感動するシーンなんである。

でも、アニメでは、確かリンチシーンはなかった気がする。


・・・そういう感じなのですよ。


で、BLAME!アニメの場合も、そんな感じだったように思う。


霧亥さんについて。


アニメの霧亥さんは、何か、単なる無口キャラ?になってたような?

なんつーか、出会った相手相手に毎回「ネット端末遺伝子を探している」と、天丼ギャグのように繰り返すだけのキャラに思えた。


あと、戦闘面では、無言で重力子放射線射出装置をぶっ放す、無骨なキャラになっていた。気がする。


それは一見正しいように思える。

・・・
いや、でもなんか違うんだよ。


原作の霧亥さんも、無言で重力子放射線射出装置をプッ放す人でもある。
でも、なーんか根っこの所で、こういうところが違う。


例えば2巻だ。

おやっさんに、乾人のいる所を抜けるために、なんか乗り物に乗せてもらう。
そこで乾人に襲撃され、応戦する。

やっとこさ乾人を倒して、目的地につく。

するとそこで分かったことは、その運び人達が、生電社に
「バラバラにした乾人たちの肉体」を売り払っていた事実である。


「乾人たちの目的は襲撃じゃなかったんだな?」

「何言ってんだおめぇ」



で、ここでこの人をぶっ殺すんです。



なんか、原作の霧亥には、こういう、「危うさ」? 
キレたナイフ?
なんかそういうところがあったように思う。



他にも、
なんか、無限に自分のクローンを産み続けている女がいる。
そこに向かって、無言でぶっ放す。

クローンがどうだ、その行為の是非がどうだ、とかなんも語らない

とにかく、無言でぶっ放す。



他にも他にも、

ドモチェフスキーと出会った時、
ドモチェフスキー側は、撃つべきかどうか考えているのに、
霧亥さん側は、本当に何も考えずに一方的に重力子放射線射出装置をぶっ放してくる。

・・・
霧亥さんはそういう奴なんですよ。


なんというか、

主人公だけど、ギリギリ読者すら、感情移入出来ないような?
正義がこの人側にあるのかないのかも、分からないような、そんな 危うさ?


上手く言えんがそういう感じ。


アニメの霧亥さんも
そら、無言でぶっ放すけど、

別にそんな危うい感じ、わけわからん感じはないでしょう。

「別にこの人は間違ってないんだろーなー」という、単純なハードボイルド感があるだけ。

「危うさ」がないんです。
単に、無言でぶっ放すだけのキャラに見えてしまいました。


(今思ったけどこれ、キャラクターの問題というより、
 「敵、わるモン =セーフガード」という単純な構図にしか見えないところから来る問題なのかもしれない)


他にも、なんというのかねぇ。

シボさんにしてもそうだよ。


原作のシボさんは、
最初、ほとんど霧亥を騙して、肉体を得るような人なんです。

「体がいっぱいあるよー」
「体がいっぱいあるよー」

とか言ってて、
何だコイツ、と思う。


でもその上で「あたしは二度も失敗したくない!」というセリフが出る。

そこで、なんか心をうたれるんです。


その点、アニメのシボさんは、割りと真逆。

自分の体を再生する前に、シャキサクを大量生産することを優先してくれます。

それを見て、まぁ、「ああこの人は完全にいい人じゃん」と、安心するかもしれない。

でも、果たしてそれで本当に良かったんだろうか?


BLAME!のキャラって、なんというか、

敵味方ともに、別に気を許せないようなところがあると思う。



例えばこういう、↑usbだけみたいになっちまったような奴、
最後の方でこういう奴が仲間?になるんだけど、

コイツだって 隙あらば霧亥さんの体を乗っ取ろうとしてきます。


皆、どこか打算的なところがあって、
でもその危うい所で、なんか一緒に行動してるんです。

その後、テープでぐるぐる巻きになってるところが、なんか笑えるんです。


つまり、なんというかそういう
「毒」の部分? 「闇」の部分?
人間の嫌らしい部分?
単純な信頼関係だけで連れ添ってない感じ?


セーフガード=悪いもん、
人間=良いもん、 みたいな単純さでは割り切れない感じ?
 (実際ドモくんとかセーフガードだし)


そういうのが見え隠れしまくるのも、BLAME!の魅力だったように思うんです。


アニメのBLAME!のキャラからは、そういうBLAME!の「毒」のような部分が一切抜け落ちてしまって、
なんだか物凄いスルリとした、「飲みやすい別物」になってしまっていたように思うんです。


で、やはり「絵」に関する部分。

もう、BLAME!の何が凄いか、

結局のところ何が魅力か、

何目的でBLAME!を読んでいるのか、っつったら、

そらもう、「背景」ですよ。




BLAME!は、背景を愛でるための漫画です

「背景ポルノ」、という言葉を、BLAME!のために発明してもいいくらいです。

そういう漫画なんです。







とにかく、背景が凄い。

見開きが凄い。

惚れ惚れする。

なんだこのセンス。 なんだこの構図。 

はぁ~ 素晴らし、美し、 となるのが、BLAME!なんです。


あと、背景以外で言えば、
キャラが並んでるだけでも、もう超絶カッコイイんです。




で、その上で、アニメのBLAME!、どうだったでしょうか?

別に、背景美術で、ため息出るようなところはなかったように思うんです。


その時点で、もう、BLAME!のアニメ化としてこれはどうなんですか、と思うんですよ。


キャラ描写に関しても、顔アップだろうがなんだろうが、
「キャラが並んでるだけでかっこいい、原作のああいう構図感」
というのは全く無かったように思う。


・・・まぁ、大体がそんな感じなんですよ、実際のところの自分の感想というのは。

このBLAME!アニメというのは、多分、原作の3巻あたりの展開を、物凄くわかりやすく、
物凄く大衆的に、物凄く一般向けに、物凄く受けやすく、売れやすく、再構成したようなもんだとは思います。



それに関しては、評価してもいいような気もするんですが、
と同時に、自分には、何かこう、

大切なものを
安易に「売り渡しているような感覚」
があるんです。


ポリピクの仕事振りを見ていて、自分がいつも感じているのは、この「売り渡している」という感覚なんです。


弐瓶勉は、天才である。 断言する。


BLAME!は、一種の傑作である。 マスターピースである。 アートである。

一級品である。



でもその「一流の原作」が、

なんかこう、「一流ではない人たち」の手に渡って、わかりやすい商業作品になって、ネトフリで売り叩かれている・・・

そのような状況のように思えるんです。


これは本当に、喜んで良い「アニメ化」「映像化」なんでしょうか?


ところで、
自分の思う理想の、BLAME!の映像化というのは、
本来、これくらいのセンスの人の手で成されなくてはならないと思っています。



これくらいの血と汗の結晶であるべきではないんでしょうか。




BLAME!の、あの背景を、1番ゾクゾクする感じで映像化するとしたら、
もう、こういう感じがベストだと思う。



あのくらいのCGの背景では、まだまだ、描き込みが、情報量が、足りない。




あれくらいのセンスの原作が、
これくらいのセンスの人の手に渡って、映像化されたとき、
その時初めて、
傑作漫画が傑作映画になるのではないのかと思うんです。


そうすれば、時代を越えた傑作として、永遠に記憶されると思うんです。



今回のBLAME!のアニメ、どれくらいの間語り草になるでしょうか。
せいぜい、数年単位だと思うんですよね。

(いやもう半年で誰の話題にも上がらんか)


時代を越えて語られる映像っていうのは、

AKIRAとか、

攻殻機動隊とか、

ブレードランナーとか、

そういうことだと思う。


こういうモノは時代を超えて語られる。

その時の頂点の映像であると、
今見ても色褪せないと、
どうなってんだと。


そしてさらにそれらのイメージが、ミームとして後の作品にも引き継がれていく。


ポリピクの仕事で、弐瓶勉の原作を映像化していっても、永遠にそういう地点にはたどり着かない気がするんです。
 (別に今回のこのBLAME!アニメから、後の世に引き継がれていくようなエポック要素ないよね)


とにかく、本当に原作を手渡すには、もっともっとハードルを上げたほうが良かったんじゃないかと思ってしまうんです。


ある意味で、

原作を「越えなきゃ」ならんのですよ。


こういうことに関して、例えば
攻殻機動隊で思うことは、 ここです。



これを、ここまでに 高めあげてしまう。



実は原作では、これくらいの絵で、これくらいのコミカルさで流されているのが、
このシーンなんです。

割りとカラッとしていた原作を、ここまでのドシリアスにしてしまう。



そういうのの積み重ねが、実は 真の映像化に必要なことなんじゃねーかとも思うんです。



それが、押井守の「作家性」を注入ってことかもしれん。 

それは、原作ファンを、なんか裏切っちゃう行為かもしれん。

原作者を怒らせるようなことも起きるかもしれん。

勝手な改変かもしれん。
(マイケル・ジャクソンをコドモトコにするとか)


・・・
でも、それくらいやったからこそ、攻殻機動隊のアニメは、
マジで超傑作ということになってるんだとも思うんです。




漫画を、アニメにするんだよ。

原作には失礼かもしれんが、漫画を「越え」なくて、どうするんだよ。 
それくらいの意気込みでやらなきゃ駄目なんじゃないのかよ、と。

 (原作より面白くなっちゃったら原作に失礼だろうが !(勝手に改造))
  (いやそんなこと考えなくていいから そんな手加減が失礼だよ)



そういうことを考えてから、このポリピクのBLAME!について考えてみてください。




とりあえず、当り障りのないように、原作の要素を拾ってきて、

とりあえず、づるを萌えキャラ化させて、

とりあえず、同じデザインのセーフガードを大量に並べて、

とりあえず、とりあえず・・・

そんな感じで出来た、

どうあっても原作を超えたところにはない凡作、そんな作品のように思えてきませんか?




自分は、そんな風に思ってしまうんです。

自分の物の見方はそんな感じなんです。


勿論、だからって自分はこのアニメをボロクソ言う訳でもないんですよ。
(5点満点で3点くらい、10点満点で7点くらいのアニメ映画だと思います)



それに、ポリピクがやらなきゃ、今時、誰が弐瓶勉を映像化するんだよ!という意見もあるかもしれない。


更に、本当に昔っから弐瓶勉を追いかけているファンなら、
過去の、これ以外のBLAME!のアニメのことだって知ってるはずだ。


今までにBLAME!が、何回映像化されてきたか。


本当に色々あって、そのどれも、あんましオススメ出来るような代物ではなかっただろう。





ポリピクがやるまで、弐瓶勉は、「映像化に恵まれない漫画家」だったと言っていい、筈。
あの天才が。


それがまぁ、これくらいの所で映像化され、
シドニアも有名になり、
BLAME!も有名になれば、それで全く問題はないではないか。


なんでそんなにガッカリする必要があるんだと、
そういう考え方も出来るかもしれない。




そうなれば、もうちょっと点を甘くして、4点、80点くらいの映画だったと評価してもいいんじゃないか
とか、
思ったりもするんです。


でもなぁ~

やっぱり繰り返すけど、自分がちらついてしまうのが、この人の登場なんですよ。



そして、実際この人は、弐瓶勉作品の実写化を目標にして、頑張っているわけですよ。
ハッキリそう断言してます。 してた筈。


逆に言えば、
この人が最初から存在しなければ、自分はここまでのことは考えなかったかもしれない。
素直に、このBLAME!のアニメ化、映画化を喜んでいたかもしれない。



つまり、
これほどの人が現れてしまったせいで、
「理想が勝手にちらついてしまっている状況」になっとるのだな。


だから、この人の登場以前、登場以後で、自分のポリピクに対する評価が全く変わってしまったような気がするんです。


こういう人、
なんとかして、こういう人の手にこそ、弐瓶勉作品を委ねさせてやれんモンだろうか?



「弐瓶勉の映像化はポリピクの十八番!」 みたいな状況、絶対違うと思う。
この二者の蜜月の状態は、絶対良くない! 別れてしまえ!


本物のセンスを、
本物のセンスの持ち主に、正しくバトンタッチさせてやれんものだろうか?


安易な商業作品化では、未来に傑作が残らんでしょうが! と、思ってしまうんです。


・・・
そういう感じなんです。

別に自分はポリピクアンチとか、ポリピクが憎いとかそんなのは全くないですよ。

シドニアの頃から、好きか嫌いかで言えば好きな部類の筈です。


でもやっぱり、心の奥底では、
自分はポリピクの仕事ぶりに満点を上げたくなるようなことは、ないんです。
 (あ、でもシドニア二期の4話だっけ? あの辺は凄かった気がする)


そういう仕事をする人たちに思えてしまうんです。


(大体、造形がいやだよ) (ほんと造形にセンスがない)
(なんでセーフガードを、こんなシドニアの艦長みたいな寝ぼけた顔にしてるんだよ)




アニゴジについても、そんな感じです。

自分のアニゴジの感想文も、大体がこういう文脈だったんです。
こんな「絵」じゃ駄目だろうが! という感じなんです。

(一面緑色のジャングルの中で戦ってるんですあの映画)


自分はわがままなこと言ってるかなぁ?

でもさぁ、本当の弐瓶勉ファンなら、この気持は分かって貰えると思うんだけどなぁ
(また 「本当」って言葉を酷い雑な使い方している)


こないだ、突然、ピューディーパイが、 (世界一有名なゲーム実況者ね)
本当に突然、BLAME!の宣伝をやってたんですよ。 自分が一番好きな漫画はこれだ!ってね。
(その動画はなんか消されてました)


世界一有名な実況者、ユーチューバーですから、どんだけ稼いでるか分からん人ですよ。

そんな人が突然漫画を紹介するのだからこそ、多分、本当に心から素で好きだったんだと思う。

で、そこで言ってるけど、アニメ版のBLAME!とかにはマジで別に興味ないみたいです。

(てか、タイミング的に、もしも金が絡んでるのなら、普通はアニメの宣伝するでしょ・)
(それをガン無視してるのだからこそ、やっぱし素で漫画版のファンだったんだと思う)


やっぱ、そうなってくると思うんです。


この絵はなんかちげー、
これはBLAME!の理想の映像化じゃないって 分かるんだと思う。


そういうこと。



この話はこの辺でテキトーに終わる。


あとは、「最近の弐瓶勉の絵ってぶっちゃけどうなのよ?」
みたいなこと書こうとしてたけど、
この問題はアニメの是非どころじゃないくらい面倒くさい話題なので、割愛。

でもちょっとだけ書く。


(最近、つーかもうずっとだけど、弐瓶先生の絵が白くなって久しい)
(弐瓶先生いったいどうしちゃったの?)

(黒弐瓶、白弐瓶問題)
 (黒ガウナ、白ガウナかよ)

(いや、メビウスとか、宮﨑駿志向の絵のスタイルになってきてるのは分かるよ?)

(「多い線よりも少ない線で表すスタイルのほうが絵が洗練されてる」、という考えもあるだろう)

(でも、実際それで、素の画力?が露わになり、下手くそに見えるようになったら、元も子もないと思うんだ)


(バイオメガの途中から変わったと思う 黒弐瓶から白弐瓶に)
 (でもまだバイオメガの頃は良かった筈)

(シドニアの途中から、「悪い白弐瓶」に変わってしまった気がする)
(そして今やずっとこんな感じだ)




どうなのこれ、という問題。


(この問題は、王様の耳はロバの耳とか、裸の王様みたいなところがあると思う)

「弐瓶勉の絵が下手」なんて、普通言えないからね なかなか誰も言わない)


(一方、「ジョジョは3部の頃が1番絵が上手かった」なんて言ってる奴がいると、そいつがセンスないのは分かるじゃん)
 (常に進化してる荒木先生についていけて無いだけじゃん、となりうる)
 (そういう問題と似ているように思えてしまう部分があるからこそ、こういうことは中々言いづらかったりする)


(下手なこと言うと、「お前はABARAの頃の先生の画力を知らないからだ」とか反論されたりするだろう)
(あんな絵を描くひとが下手なわけないだろう、と)


(実際それは分かる)

(自分の考えとして、人間が素の画力を落とすのは、老眼になるとか乱視になるとかでない限りありえないことで・・・)
(じゃあこれはどういうことなんだよ)


(・・・つまり、今のスタイルと、先生のあるべきスタイルが合ってないとしか、自分には思えないワケだが)

(誰か言ってあげたらどうなんだと思う)

(つまり周りの人間とか担当とかに、イエスマンしか居ないんじゃないだろうか)



あとは、弐瓶作品全般について、いっぺんくらいグダグダと語りたいような気もする。

弐瓶勉の漫画ってどうおもいますか?ぶっちゃけ。


自分は毎回毎回、「掴み」が凄いと思う。

バイオメガの1巻とかほんとワクワク感すごいと思う。 
物凄い世界観と設定と敵キャラで、こっからどうなるんだろうと真剣に引き込まれる。


そんで、これは良いことなんだかどうだか分からんけど、
作中で1番グッとくるシーンも、割りと前半にある気がする。


ぶっちゃけ、自分がバイオメガで1番好きなシーンは、

2巻で、
主人公の母親代わりの人間が、識臣 (人工人間を教育するための精神と時の部屋みたいな場所)
で最後にフユと会話をするシーンなんです。

物凄い巧みなシーンだと思う。

回想であり、解説であり・・・
そんで、現実世界に引き戻され、ドローンになって、ギュルルっとなって、死んじゃう。
うわーと思う。



シドニアもそうで、本当に
星白が◯んだときは、「マジかこの漫画!?どうすんの??」って、びっくらこいた。



で、「人形の国」も、そう。
ああこいつが主人公なのね、って漠然と思ってた子どもたちが、全員◯ぬ。
「えええええ??」ってなる。



・・・
でもまぁ、それでも、最後はどうなんでしょうね?


いや、別に、一応、風呂敷はたたんでる方だと思う。 弐瓶先生は。


でもまぁ、作者も飽きてるんじゃないか、感というか、
最初のあの雰囲気はどこへ行ったんだよ、感というか、
そういうのが毎回、終盤には漂ってるような気がする。



・・・まぁそんな感じ。

これも結局碌な話ではないですね。 


完。


だいたいこれくらいの駄文を書きなぐっては、
ボツにするかどうかで勝手に悩んでいるのが最近の自分なんです。


ブログに更新というのは必要なのか必要じゃないのか。


こういう駄文も、「何もない・没にする」のと比べたら、あったほうがマシだったりするのか、どうなのか。
そんなことも未だに分かってない。

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[ 2017/12/10 13:48 ] 痛感想文系 | TB(0) | CM(-)
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