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ホライズン感想文


で、やっっっとホライズンゼロドーンの話をする。
(まともに新作ゲームの感想文かくの、一年ぶりとかじゃないか?)
(昔はここ、ゲーム感想ブログみたいなところあったのになぁ)




手短に語るなら
本当に、まっとうに面白いゲームでした。


主人公の謎と、
世界の謎が、少しずつ明らかになっていく。

それが普通に面白い。

まぁ今時、ゲームのことを「映画的」「映画の中で動いているよう」みたいに褒めることが
そんなに良いことかどうか分からんけど、
まっとうに、映画的スケールで、スッゴイ作り込まれてて、面白い、
遊ぶことで、リッチな気分にさせてくれる、そんなゲームでした。


で、もうこれで良いやと思ってるんだけど、

まぁせっかくなんでダラダラ語る。


で、クリアして数ヶ月放置してるゲームについてダラダラ語るのに1番楽なスタイルを考えた。
それは、自分のスクショを順番に貼りながら、
色々思い出しながら語るという方法。


というわけで、スクショを貼りながらホライゾンの思い出について語っていきます。
(とかいいながら最初は結局スクショも貼らずに語ってるんだけど)


当然ネタバレだらけなのでクリアした人しか読むべからず。
クリアした人が読んだとしてもクソみたいな文章なので覚悟しておくべき。




いまさらホライズン感想文


といってもイキナリ最初のブサイク幼少期アーロイのスクショを全く撮ってなかったことに気づく。
一応アレについて言及しておこう。




アーロイがイキナリ成長したここについて。


アレで自分が思ったことは
「ディズニーっぽいなぁ」ということでした。


一時期のディズニーの映画は、全部このスタイルをやってたような気がする。

ライオンキングとか、
ヘラクレスとか、
ターザンもそうだったと思うし、
・一応ダイナソーという駄作でもそう、
 (他にも山ほどあるはず)


主人公の、生まれた時の描写、めっちゃ子供だった頃の描写から入って、
そっから、一気に時間を飛ばして、成長させる。

そんで、青年期に入ってから、物語スタート!って感じの導入を、
もう毎回やるのだ。


この辺。 最近のディズニーは知らんけど、
この辺のこういう作風の作品が、自分はなんか好きなのだ。
キングダムハーツでコラボとかしてるの、大体この辺の時代の作品だし、

こういうのが自分の中で、「ディズニー!」って感じなのだ。


こういう主人公急成長メソッドに、固有名詞があってもいいくらいだと思う。


なぜ、主人公があんなにブサイクなのか?

イーロイ


これについて、前回の記事で 何故か偶然語ることができた。 (そしてその記事はボツにした)


多分このゲーム、日本人がやるよりも、多民族国家であるアメリカ人とかがやるほうが、色々と染み入ることが多いと思う。

日本人がやっても、このゲームの世界観の一方での出来事、(機械・崩壊前の未来的パートではなく、部族パート)

色んな部族の集合、村八分になってる父親、 迫害される主人公・・・
そういうの、別に大して実感ないと思う。

単に、「意地悪な登場人物がおおいなこのゲーム!」って思うだけかもしれん。


でもアメリカ人がやれば、そうとう思うことがあるだろう。

つまりこのゲームも、ポリコレとか差別問題とかについて
「ゲームで挑もう」という、そういう意欲作なのだと思う。


その上で、主人公がブサイクであるということも、別に無関係ではないと思う。


で、そういうことについては前回書いたので、そこは同じ。

主人公が絶世の美人である必要はないじゃないかと、
ブサイクが活躍してもいいじゃないかと、
むしろそのほうがリアリティだろうがという意見。

そういう意見に人類は勝てませんね、という話。


でも、実は、もう一個あると思ってる。


なぜ洋ゲーが主人公をブサイクにするのか問題。


別にモデリング能力が低いとかではないと思うのだ。
(てか、愛らしいブサイクを作るのと、マネキンみたいな美人モデル作るの、どっちが簡単かつったら、
 後者に決まってるじゃん)



これ、自分が「ET」とか「グレムリン」とか「リロ・アンド・スティッチ」について思いを馳せたときに感じる事と、
同じことなのだ。


何故、彼らは、マスコットキャラですら、ブサイクにデザインするのか?

決して、まっとうに可愛いようにはしない。
必ず、気持ち悪い要素を追加する。



これ、自分としては、一種の「縛りプレイ」なのだと思う。


確かスピルバーグがそんなようなこと言ってたはず。


普通に、誰が見ても愛らしいような異星人、
そういう、何の取っ掛かりもなく可愛いだけのデザインの宇宙人のペットが現れて、
それが少年と友情を結んだとして、
そんなの当たり前すぎて
面白い訳が無い。




何が面白くないかって、「作る側としても」面白くない

そんなの簡単すぎるからだ。 分かりきってる。

可愛い動物と子供が出会う。 そんなん普通に仲良くなるわ。


そうじゃねぇだろ。


どう考えても地球人の美醜の感覚から外れた
訳の分からん気色の悪い造形のモンスター、

そういうのと、何故か、友情が芽生える。

その過程を描こうとする。

そら、困難である。

でも、困難であるからこそ、そこに挑戦するのが面白いし、
そのチャレンジング精神から比べれば、単に可愛い動物と少年の冒険譚なんて、何も魅力がないことが、分かるだろう。


つまり、一旦「そこ」に気づいてしまったクリエイターは、もう戻れないのだ。
なんの取っ掛かりもないスルリとした安易な描写というモノに。


ブサイクな宇宙人が、いつのまにか愛らしく感じてしまう映画を作ってこそ、真の感情移入だ!



で、
ブサイクなヒロインについても、ご同様。ご同様。
ということである。


美人でカッコいいヒロインが、カッコよく世界の謎を解明して
おらおらーっと世界を救う。

そんなん、当たり前すぎてありきたりすぎて、もう、つまらん。


一度
そういう意識を持ってしまったクリエイターは、もう、


ブサイクで挑戦したくてたまらないのだろう。


だから、実際の女優さんよりもブサイクにしたりするのだろう。
美化しない 醜化するのだ。


そして、実際、ホライゾンをクリアしたプレイヤーなら、みな分かってるだろう。


「アーロイは、いうてそんなブサイクじゃないよね」

「アーロイはイケメンやね」

「アーロイかっこいいね」

「アーロイ、博士の血筋って感じするわ、賢そう」



クリアする頃には、そういう評価になってくるのだ。

つまりこの挑戦は成功したのですよ。
そういうことです。



ポリコレとか、ブサイクが活躍できる社会とか、そういう面も一つあるだろう。


だがもう一個は、「クリエイターとしての縛りプレイ」として、美形キャラを縛ってる、そういう感覚があると思うし、

その縛りプレイを越えてきたクリエイターと、プレイヤーだからこそ、
アーロイさんは味わい深い主人公になれたのではないかと思うのでしたとさ。



そんな感じ。 自分がアーロイさんを見てて思うのはそういう感じ。


こういう概念を理解できるようになってから、こういう画像を見てみてください、

Ganbare Sumeshi Gigoku v01-05e_4_gsg_037

(施川ユウキのキャラクターが、「ETは単なる気持ち悪い生物にしか見えなかった」と喋ってるだけの画像)

こういう、ETってキモいですよね? 彼らのセンスおかしいですよね?
みたいな意見は、実は逆に足りないのだと思う。


なんだ結構語れてるじゃないか、と思うかもしれませんが、
もう大体これくらいですよ



あとは、ストーリーが面白かった。 グラフィックが(というか美術センスが)凄かったくらいしか言うことないんです。


戦闘と、オープンワールドとしての面白さ (採集など)とかについては、実は、 特に語ることがない気がするんです


だから、後はストーリーの核心部分をナウシカと絡めてどれくらいやるか、だけなのです 実は。


ホライゾンの戦闘
実はあんまし面白いと思わなかったのだけど、
それについてちょっと語る。



自分がこのゲームをやる最後の決定打になったのは、

こういうプレイ動画、そこでの戦闘だったんだけど、
(どの動画か分からなくなった。 今思えば、コラプターと戦ってたトレーラーっぽい動画だと思う)


いざ自分でやってみると、こういう動きには全然なりませんでしたね。


自分のホライゾンの戦闘スタイルというのは、
なんかジャンプ中に時間がゆっくりになるスキルを連打して、
爆発系の弓で敵を爆破しまくったりする、
そういうプレイでした。

客観的にみて、非常に馬鹿げた動きの繰り返しだったと思う。
他にはR3ボタンとかを押し込んで時間をゆっくりにするスキルもあったと思う。



思えば部位破壊をするゲームというのには、必ずと言っていいほど時間をゆっくりにするor止める要素があるわけだけど、

・ベイグラに始まり
・フォールアウトのV.A.T.S.
・デドスペのステイシス
・MGRのスロー演出
・・・


なんか、このホライズンの戦闘は、自分でやってて「かっけーおもしれー」とはあまりならなかった気がする。

何故だろう?

やっぱし、これが弓ゲーの限界か?


ラスアスのエリー編で、鹿を狩るパートがありました。
あそこはめちゃくちゃ面白かった。

だから、案外弓ゲーの狩ゲーも面白いんじゃないかと思ってはじめたのですが、
ホライズンの収集要素や狩り要素も、なぜかあまりおもしろくなかった気がする。


なんでだろ?


ウサギとか居ても、一発で狩れるし、狐も一発二発で死ぬ。
かと言ってこのゲームでイノシシを狩るのがそんな楽しいわけもなく・・・

ていうか随分適当に撃っても、なんか謎の当たり判定で案外命中したりするから、そういうのも良くなかったのではないか。


あと他には、敵ロボットのデザインがどいつもこいつも同じに見える! 悪いけど




(多分コレ、どっちかがソゥトゥースで、どっちかがラヴェジャーです)
全部同じゃないですかー!


まぁこれは仕方ないのかもしれない。


一応一つのゲーム内の設定・言い訳としては、
これはロボットをAIに自動的に作らせた際、結局地球の生命と同じような進化をして、こうなってるらしい。 
レイヨウ科の4足歩行生物に似てくる、とかなんとか。






だから、現実的な4足歩行の草食動物みたいなロボばっかりになっている、と。
で、怪獣みたいなロボ、奇抜なデザインのメカは全く出てこない、と。
これで一応言い訳はたつ。

(だがそれなら、自分なら、こうするよ。
 ガイアの「ヘファイストス担当」のプログラマの中に、それこそオタコンみたいなキャラを用意するね
そのオタクっぽいキャラのお遊びのせいで、多少ロマンあふれるデザインのロボが混じってることにすればいいじゃないか


でもまぁ実際のところは「骨格」問題でしょうな。


多くのゲームで、結局これがネックになってる気がする。


DDONでもよく言われますよ。
「この新種の大型モンスターは、前のあのモンスターと骨格が同じじゃねーか!」 
「このドラゴンは、モンハンのあの竜からモーション持ってきただけじゃねーか!」

と。


レリダイでもこんな感じ。
「ボスのジャクソンは、結局ジンダイの使い回しじゃねーか」
「ボスのクローリーは、結局ゴートクの使い回しじゃねーか」
「ボスの軍艦山は、結局ユーテンの使い回しじゃねーか」

・・・

ゲームにおいて、結局「人間以外、ヒューマノイドタイプ以外の特殊な形状」をしている生物の骨格やモーションを
多種多様に用意するというのは、まだまだ難しいのだろう。

ヒューマノイドタイプなら、もう既に各ゲーム会社が、
自社製の多種多様なモーションのライブラリを持ってるだろうから、それを使えばいいだろうし、
新規のモーションが必要になったって、モーキャプでまぁ収録すればいい。

だが、
人間以外のオリジナルの新しいモンスターを作るぞ!なると、一気にハードルがあがる。
結局モーションは、そのモンスターの形状に合わせて新規に用意しないといけない。
しかもモーキャプもできないから、手で作らないといけない。


これは大変だ。


だから、モンスター系のボスの骨格というのは、かなり使いまわしをされる傾向にある のだとと思う。



ホライズンでよくある4足、2足系じゃないのは、結局コラプターとかデスブリンガーとか、
そういうハデス系のメカだけだったように思う。


で、それ以外は大体、
グレイザーもスクラッパーも同じに思える

ブロードヘッド、ランスホーン・・・
トランプラー、ソウトゥース、ラヴェジャー、
この辺みんな結局同じに感じるってね。
ロングレッグもウォッチャーのデカイ版のような。


自分はホライズンというゲームは、「ゾイド版モンハン」みたいなもんかと、プレイ前は思ってたのです。
(実際みんなそう言ってた)

つまり、ありとあらゆる、色んなデザインの巨大なロボメカが跋扈する狩ゲー、オープンワールドをプレイできるのかと、
漠然と思ってました。

下手すりゃ、敵のデザインは自動的に進化してくくらいのことを妄想していましたよ。

そして、見た戦闘プレイ動画がこれでした。
こりゃ凄い。 すっげー面白そう。


「その期待」からくらべたら、実際に遊んで得られた触感というのは、まぁどうしても及びませんでしたね、と。



まぁ全ては、ゲームにおける「骨格」問題ですよ。


「アニマルメーカー」のようなシステムでゲームを作れば、
ランダムな骨格、ありとあらゆる形状のモンスターを、大量に用意したり、ランダムに生みだすこともできるのになぁああああ。と


・・・
というのがホライズンの戦闘やオープンワールド部分の感想でした。

え、全然褒めてないやん!と思うかもしれない。
まぁこっから褒めるんです。


「戦闘とオープンワールド部分が面白くないって、そら、ゼルダBOWに負けるわ!」と思うかもしれない。

いやむしろそれでいいのでは?


ホライズンが凄かったのは、自分的に「グラフィック」「ストーリー」です。
そしてむしろゼルダこそ、グラフィックとストーリーなんかは全然力入れてない部分でしょう?

つまり、この二者は、別にそんなにぶつかりあってない気がするのです。 何故か対立煽られてるけど。

どっちも独自路線じゃんかよと。

持ち味を活かせと。


というワケでようやくこっから、スクショ貼りながらダベるパートに入ります。




ホライゾンを始めた最初期の印象、本当の第一印象 は、
「水の表現がショボいなぁ」だった気がする。


幼少期のアーロイが、水浸しの洞窟をまず探検するんだけど、
そこで水が流れてる所を歩いても 水しぶきも立たなければ 波紋のエフェクトすら出なかった気がする。


グラがいいのにそこどうなってるのよ?と思いましたとさ。




あと最初のチュートリアルで、「ここから先には行けない」みたいな表示が普通にでた。


これ以降も、チュートリアルが終わったにも関わらず、「この先には行けない」
みたいな表示が出た気がする。


フォールアウトやったときもそうだが、なんでもっとうまいやり方で移動範囲を制限できんのかと思う。
それこそFOなら、あるエリア越えようとしたら被爆しまくって死ぬようにすればいいじゃんよと。




このシーンは凄い綺麗だった気がする。
今思えば何だったのだろう。


試練、 物凄いムカつく少年が成長した、やっぱりムカつくキャラとか、なんか色々気遣ってくれるキャラとかが出て来る。

自分の予想では、実はこのムカつく青年とかと案外くっつくのではなかろうかとか、思ってしまった。





そういう幼馴染キャラが全滅したので、ここは割りとショッキングだった。

ていうか父親も死ぬとは思っていなかった。









ホライズンで凄いと思ったこと。

割りとこれくらいの配置しているオブジェクトが、ガッツリ壊せる。


オブジェクトを壊せるといっても、「壺が割れる」「箱が壊せる」とかそのくらいのゲームは多いだろうけど、

なんか、ここまでちゃんと「組み上がっているモノ」「しっかりと固定されているモノ」「てか建物の一部だと思ってたモノ」
そういうのを壊せるのは凄いとオモタ。




トールネックに最初に登った時、

高いなぁとは思ったけど、ワンダやトリコやったあとに これは、別に怖いとも思わないし、
ジャンプの補助・ガイド・吸着が強力すぎて、むしろ自分で操作してる感が薄いよなぁと思った。


そんな感じで序盤をやっていくんだけど、
その時点では、自分はあまりテンションが上がっていたわけではないのです。


幼馴染とか父親とか全員死んで、左も右も分からん世界にひとりぼっちで放り出されて、
主人公としてもプレイヤーとしても、何の精神的寄る辺もない。 そんな気分でした。

そういう放り出される気分が上手く機能するゲームもあるだろうけど、
自分的にホライズンの序盤は、なんかノレない感じありました。


なんか、世界の住民全員、主人公に対してやさくないし。
いやそれは分かる。 
主人公は村八分されていた存在で、この世界は差別やしきたりが物凄く強烈な世界観なので、それはしょうが無い。


だが実際、クソみたいな意地悪なNPCばっかりなので、コイツをぶっ殺せないのかと思うようなサブクエストばっかりだった気がする。
そして、NPCを殺せるゲームではないのです。


・・・
そんな感じのローテンションな序盤だったのですが、
一気にそういう印象が吹き飛ぶのが、 最初の機械炉ダンジョンを発見したときでした。




この、機械側のデザイン、 機械側のダンジョン、
そっちに初めて触れた時、うひょーすげーとなったのです。


この最初の機械炉入ってから、スクショを撮りまくるようになりました。




ほんとこういうの、ギーガー感ある。
AKIRA感ある。
弐瓶勉感ある。






うひょー
センスが貯まるわ~

眼福だわ~

コンセプトアートだわ~

フォトモードでカッコイイ写真撮るだけでたまらんわ~


という感じで、なんか全く別ゲーの楽しみ方になってるけど、とにかく最高でした。



とかなんとかで色々スクショも撮りつつ進んでいきます。

ここらで突然気づいたこと。





このゲームもまた、主人公に追従するカメラ位置というのが、「自動的に左右から選択されるタイプ」なことに気づきました。


このゲームは、主人公が画面の中心にいて、その周りをカメラが回転するだけのゲームではないのです。
(殆どのアクション、TPSがこれ)



といって、バイオ4デドスペのように、主人公の位置が左右どちらかに固まってるTPSでもありません。




常に、画面は、主人公を「左右のどちらかに偏った視点」から、捉えています。


んでこれを、プレイヤーに一切気づかせないくらいの自然さで、状況に応じてその都度切り替えているのです。



こうすることで、画面のど真ん中に主人公がいる、よくある糞ださい絵面にもならず、
かといって常に左側とか、常に右側とかに固定されている単調な絵面にもならず、

常に、いい感じの映画的構図で主人公を追従するカメラになることができるのです。




多分、こういうことを最初に考え実行したゲームは、自分の記憶としては、「ワンダと巨像」だと思う。





ワンダと巨像も、 主人公が画面右に寄ったり、左に寄ったりというのが、フレキシブルに、
その時のカメラとか 弓構えとか、アグロや巨像の位置とかによって変化するゲームだったのです。


だからこそ、あんなに映画的なプレイ感覚であり、それが自然だったのです。


これが最強のカメラ手法だと思うし、まぁ、ホライズンもコレに倣っているのですねーということです。




やっぱし水がヘボいよなぁと




このセリフは興味ぶかかった。
「人の不幸話に重ねて不幸自慢すんな!」という皮肉なんだが、
自分でも無意識にそういう選択肢を選んでしまったところに、こういう返しが来るのだから、考えさせられる。
不幸のマウンティング。






こういうのはベタだけど面白い。

古代人(要は現代人)が使ってた単なるコップをアーティファクトとして集めててるワケだが、
収集家は勝手な想像を巡らせている。

やはり実際はコップなのである。

現在のオーパーツなんかも、これと同じことなのかもしれん。




オーリン、
なーんか知らんけど、自分はこういうやつは赦しちゃうんですよね。

てか案外 多分、一周目は誰もが許すもんだと思う。
(そのほうがサブクエストもあるだろうから)



だが思うのだが、その上で、
助けたオーリンの妻子を、その直後に目の前でぶっころしてやったら、
その時のリアルな反応を見ることができたなら、

それこそが本当のナラティブ
だとも思うのだ。


つまり、「お前がやったのはこういうことだ」
「許すふりをして、お前の目の前でお前の家族を殺してやりたかっただけなのだ」
「お前がやったことの罪深さに打ち震えるが良い!」

とか、そういうプレイもできたら最高だったはず。


だが、やっぱりこのゲームはNPCを任意で殺せないのだ。




友好的な機械と一緒に暮らせている村。


ここは興味深い。


この村で、訳知り顔で 我々は機械と仲良くする術を見つけたのだーみたいなこと言ってるやつの
知ったか感というかね。


だがそんなのは一時的な平和にすぎなかった
結局この村も、機械が暴走してぶっ壊されることになる。


その上で思うのだが、この村を崩壊させないルートというのも、用意しておいてほしかったもんである。


やっぱグラフィックすごいですよね。



何が凄いって、単なる地面に生えてる草むらのスクショ撮るだけで、これですからね。

まぁこのゲームは「草むらに隠れる」という動きが結構重要なゲームなので、だからこそそこは気合いれてるのだろうけど。



メインクエスト進めてて、
この位置にある変なくぼみなんだけど、



そこに入ったら、アーロイのグラフィックがヤバイことになった。









なんすかこれ。

これが主人公の顔ですか?


真相に到達。



まぁこの辺ですね。
ホライズンにナウシカ性を感じるのは。



ガイアがやってることは、ナウシカのシュワの「墓所」ですよ。




一度地球が滅びるのは防げない段階まで来てしまった。


長い時間をかけて、汚染or破壊された環境を再構築するシステムが必要となった。

ナウシカでは、腐海・王蟲などがそのシステムにあたる。



ホライズンでは、ガイアの中の各機能

エーテル 大気浄化
デメテル 植物再生
ポセイドン 海の浄化

など色々ある。



それまで、恐ろしい危険な生態系だと思われていた腐海が、実は世界を浄化するために用意された生命であることに気付かされる。
その価値転換。

ホライズンでも、恐ろしい存在だと思われていた機械が、実は
地球の生態系を再生するために用意されたモノであることが判明する。


まぁ、こういうのがナウシカ性ですよ。


 (ところで、ナウシカの墓所は、海の浄化は諦めてるとこあるよね)

墓所がやってる、新人類の作成とかも
アルテミスとかエレウシスに相当。




墓所の、「庭の主」が、人類の芸術とか文化の保存担当だとすれば
ガイアの場合はアポロにあたる。




それにしてもファロのヘイト稼ぎっぷりは凄い。

「アポロ、あいつは消した!」


ハデスの必要性というのは、自分にも何となく分かる。







例えばもし、今の地球の全ての生命が死に絶えたとしよう。


でも、なんとなく海にタンパク質、アミノ酸とかが残ってれば、
「雷とかでまーた勝手に生命が生まれるんじゃねーの」と、楽観視する人がいるかもしれない。


太古の地球で、生命のスープの中で、生命は”運”で生まれたんでしょ?
それと同じことを期待すればいいと。


だが多分、もうそういうことにはならない。

もはやその時とは環境が違うからだ。


例えば、大気というものができてしまった。 酸素というものができてしまった。
そして「オゾン層」というモノがある。 


このオゾン層が、今、強力な紫外線をガードしてしまう。

そんな中で、また激しいエネルギー照射の中での、タンパク質の奇跡の絡み合いというのが起きるだろうか?


同じような事は期待できない筈。


・・・みたいな考え方があったはず。


だから、もしも地球の生物を全部抹殺して、本当にリセットをしたいのなら、

ついでにオゾン層も全部ぶっ壊す、 酸素も全部捨てる
みたいに、今の価値観からすると大切だと思われている環境すらも (オゾン層は守るべきもの、という固定観念がある)
破壊し尽くさないといけない訳だ。



そういうのがあるから、自分的にこの ハデスの必要性というのはすんなり理解できた。

リセット機能は必要。





ただ、なんでハデスが暴走したのか自分はよく分かってない 
(クリアしたのに) (DLCやれということか?)




ガイアを黒人にしたのに物凄いポリコレを感じる・・・・
(もしくはミトコンドリア・イヴか)


凄いBLAME!を感じる。  ハードコピー。


自分の墓。



さてこの辺で、主人公、アーロイのクローン元、エリザベトのやろうとしたことが、
完全にナウシカの墓所にそっくりだというわけですが、

別に、アーロイはその行為に何に反発も覚えないのですね。




生命の時間を止めること。
ある時点での生態系、ある時点での遺伝子の多様性を保存しておいて、
あとで環境を再構築してから、ばらまけばそれでいいじゃん、という発想。





ナウシカが全否定したのは、実はそういうところでもあるはず。



生きることは変わることだ
王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう
腐界も共に生きるだろう
だがお前は変われない
組み込まれた予定があるだけだ
死を否定しているから…




人間は環境・生命を全て管理出来るはずだ、という思い上がり。


ナウシカは、王蟲という生命を敬愛する。
腐海を、肯定する。
粘菌も、肯定する。


作られた歪な生命、
終わる予定を定められている生命こそ、賛美する。


でも、その一方で、墓所のような存在は全力でぶっ壊すのですね。

生命・環境すべてを管理しようとするその傲慢を、全否定するのです。



このような哲学からすれば、

エリザベトの計画を知り、
「はいそういうことだったんですね」
「地球の環境を再構築しようとするその計画、グッドだね!」
「邪魔するハデスを倒そうぜ!」

となるアーロイというのは、
実は安易すぎるのではないかと、

ナウシカ信者の自分は考えてしまうのです。


エリザベトに向かって、ガイアに向かって
「浄化の神として作られたために生きるとは何か知ることもなく最も醜い者になってしまった」
くらいのこと、言ってやったらどうなんですか?



同じナウシカゲーとして、
ニーアにはこれがあったけど、ホライズンにはそれがない気がする。


機械をぶっ壊して回っているアーロイというのは、

王蟲をぶっ殺して回っててるナウシカ
みたいなもんじゃないかこれは。
 (宮﨑駿が激怒したナウシカのゲーム版)


機械と和解しろ。


むしろ、ハデスルートとかが欲しかった。




この場所、この場所で出てる煙のエフェクトだけ、すっげー雑だったのです。
エフェクトがとぎれとぎれで出てるから。 なんなのこれ。


で、そんなこんなでメインクエも大分すすめて来ました。




ところで、オーリンを許すことはできたんだけど、
こいつは許す選択肢ないんだろうか?


ハートマークの選択肢でさえ、「自業自得だ」になってる。
で、自分は多分ハートを選んだと思うけど、刺し殺して終わってしまった。


この「苦しむが良い」というのは、ある意味「生き残って罪を償いつづ付けて苦しめ」みたいな解釈できるかもしれんが、
「こぶしマーク」だしなぁ。


で、「終わらせる」は絶対殺すだろうし。



つまり、この 父の仇を赦す、という選択肢はなかったのか?

ホライズンはベストナラティブノミネートなワケですが、それでいいのか。 とかなんとか





メインクエストの最後の最後で、
初めて 「NPCが付いて来る」という現象が起きた気がする。

それまで、「NPCについていく」というイベントばっかりだったから。


で、じゃあこのゲームのNPCの追従能力がどの程度のものなのか調べようとしてみたけど、
まぁ、これくらいの段差でもうついてこれなくなっていた。



このゲームに 「コンパニオンキャラ」というものが一切出てこない理由がわかった気がする。


複雑な地形上でのキャラの追従ができないんだ。


で、メインクエクリアです。


最後の最後まで、ボス戦がデスブリンガーの連続だったなぁ。

ハデスと戦えねーのかよ、という印象はありました。



ここ、サガフロ2感ある。








で、これ。


「世界を良くしないのなら頭がよくても意味が無いのよ」


自分のなかで 最後の最後でこれが物凄い名ゼリフでした。

このセリフだけで、ホライズンは最後に思いっきり加点されました。

部族がどうとか、差別がどうとか、そんなのは全部吹き飛ぶ。

最後の最後で、この価値観をアーロイを通してプレイヤーに伝えてくれたから、ホライズンは神ゲーです。





これ、自分がずーっと感じていることと、完全に同じです。
自分の中にある感覚。
こういう価値観があるんです。


過去に自分が株を全否定する記事を書いたり、
VALUを全否定する記事を書いたりしたのも、結局はこれと同じです。


ゴジラ怪獣惑星の小説版、「ゴジラ怪獣黙示録」にも、
実は同じような価値観がありました。



あの頃、ウォール街を志したのは私達のような経済学徒だけではない


本当なら、ロケットや飛行機を設計したり、
宇宙の法則を解き明かしたり、難病を治すために使われるはずの頭脳を、数式をこねくり回して
当人たち以外にはまるで意味不明な金融商品を開発することに使った方が何倍も何十倍も儲かった。

金融派生商品、オプション。スワップ。
正直、半世紀前だって半分も意味が分からなかった。
今はもう考えることすらしたくない。 狂った時代だった。


今なら人類を救うための兵器を作り、
人類を食わせていくための計画を練り、
人類を生き残らせるための宇宙船を作るのに使われている優れた頭脳が、
株価や通貨がほんの1パーセント動くだけで人が破産したり億万長者になったりするような
「数式」の創造に費やされていたんだから


(ゴジラ怪獣惑星より引用)


だから、自分はその小説を読んだときも、「この小説の自分と同じ価値観の持ち主だ!」と思ったんです。



これから、こういう価値観がようやく台頭してくるのではないか?

株とか、やるやつがむしろ馬鹿。


こういう感覚。

今、世の中には、
「ビットコインが高騰していますぞ~!」
「今買っておくと大儲けできますぞ~!」

みたいなことを、宣伝してまわっている人たちがいる。



そういう宣伝をやったり、真に受けたりしている人たちに対する、冷笑感。


金が儲かるのなら、
金を手に入れられるなら、

自分の頭脳を、株の上下の予測などという「生産性ゼロの行為」に費やしていい、

自分の頭脳を、値段の上がり下がりなんてモノの「観察」に費やしていい、

自分の頭脳を、一日中投資に費やしていい、

あれが上がる、あれを買う、あれを売る。



「俺は賢いから、この予想ゲームで金を稼ぐことが出来るのだ」 そういう感覚。


そういうのもう止めませんか、という価値観だ。


橋本元知事も、昨日、ちょうど同じことを言っていた。
今ビットコインを買うやつは馬鹿だと、
そもそも、そうやって値段を見つめている時間が無駄だと。


そういう意見に対して
「先見の明がない」とか、
「仮想通貨の価値が分かってない」とかの安易な反発があるだろうけど、
そういうことですらないんだよ。

そもそも、本当に、大勢の人間が価値の上下を観察しているという状況を、無意義に感じ取らなければならないんだよ。


それは、人間の頭脳というリソースを、無駄遣いしている。
個人の金儲けのためだけにしかならない。
優秀な頭脳がギャンブル狂いになってるのと同じである。


全ての人間がそれを同時に放棄すれば、どれほど全員が生きやすくなることか。


どれほどの頭脳が、生産的なことに向けられるようになるか。



これも、
「世界を良くしないのなら頭がよくても意味が無いのよ」
なのです。


何故、世の中には

「ビットコインが高騰しますぞ~」
「今買うと大儲けできますぞ~」

な~んて宣伝するやつがいるか?
(じゃあお前が買って勝手に儲けてろよ、と思う)


そら、「ソイツ自身が儲けたいから」ですよ。


皆が買えば、またビットコインの価値が上がる。 また儲かる。
通貨としての信頼性も上がる。 また確実に儲かる。



結局、自分のため。

「国家によらない価値が~」とか、
「仮想通貨という新しい可能性が~」とかなんとか言ってますが、そういうのは全部本音じゃない筈です。

本音は、「自分が儲かりたいから価値を認めてほしい」です。



(この胡散臭さ、何かと同じだと感じてくるでしょう?)



じゃあなに? そういう仮想通貨を、皆が「自分が儲けたい儲けたい」と思って群がってる図
周りに宣伝しようとする図って、何?
本当に全体を見渡して、何?



「ねずみ講」とおなじじゃん。


最初に始めたやつ、
大きな組織、ファンド、取引所、
そういう奴らが得をするだけの、意味を成さない 仕組み。



そして、ビットコインを掘るために、パソコンのCPUを、そんな意味のない行為のために人類は浪費している訳です。

ねずみ講みたいなシステムのために、電気を無駄遣いしているのです。



もう「そういうの」全部放棄しませんか?と


全員がそういうの止めたら、皆楽になるんですよと。


そういうことです。


ホライズンを使って、全然別の話になってしまったが、
自分にとって、ホライズンとは、最後の最後でそういうゲームになってしまいました。


それくらい、このエリザベトの最後のセリフは良かったんです。


簡潔に、自分の思ってること言ってくれました。



「世界を良くしないのなら頭がよくても意味が無いのよ」


これ、今年のベスト名セリフ賞です。

以上。 なにこれ。

こんな文章が書きたくて、書けなくて、苦しんでいたのか?



残りには、それ以外のスクリーンショット、
主に、自分がフォトモードで頑張って撮影した画像を並べておきます。


















 
 
 
 


とくに意識したわけでもなく、気がついたらこれくらい写真とってますからね、このゲーム。
それくらい景色が美しいゲームでしたとさ。


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[ 2017/12/27 18:07 ] ゲームプレイ話 | TB(0) | CM(0)
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