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「規模」の話


(この文章、一回消えたんですよ ほんとやる気なくすわ)

今日書こうと思っていたことは、
1月とか、
2月とかに 先送りで書いてしまったような気がする。

まぁああいう話。
賤業COと、
依頼の話ね。


だからまぁ、今日は別に特に言うことは無いのだ。
一応、
正式には今日がクソブログ10周年なんだけど。
なんで毎度毎度、エイプリルフールに重大そうなカミングアウトをしたくなるのかってのはあるけど。
まぁどうでもいい。


じゃあ今日は何の話をするのかというと別に
先月やったことの報告とかでもいい。

 

 

 

先月はこんなんばっか作っていました とさ。 依頼で。
これくらいで一ヶ月飛ぶのですね、割と。


勿論見る人が見れば、
ヘボいと、
なんじゃこれはと、
こんなのモン、もっとすぐ作れと、
こんなので金を取るなと、
・・・

そういうことになるのだろう。


そこはまぁね、なんとかしていかんとね。


あと、こういう記念の日に、
「ブログ10年続けてきたけど、良いことなんか一つもなかったよ」みたいなこと書いてやろうかと思ってたんだけど、
まぁこうなってくると、中々そういうことは言えなくなる

自分なんかに、こうして、依頼を投げてくれる人はいたわけだから。
とても有り難い。

だが、果たしてそれで良いのだろうか?



十年やってて、得られた関係が、それくらい。
というのは、
どういうことなのか。

それが自分の「人望の無さ」なのか。


定期的に、ドン引きされるようなことを書いてしまうからか?
人に嫌われるようなことを書いてしまうからなのか?
(今も書いてるけど)


・・・
するとここで語りたくなることが、また別の話題。
「規模」の話だったりする。


というわけで「規模」の話をする。
本当はこういう一個一個の、
「自分の価値観の前提」となっている基礎の話を
もっときっちりやっていきたいんだけど


今回は概要レベルでサクサク書いていく。


(サクサク概要を書いていくつもりがやっぱし電波長文になってしまった)
(でやっぱりコメ禁止にしてしまう)

(結局 10周年に書くのが電波文章というのは、自分らしいと思う)
(酷い文章だけどもうどうでもいいやと思っている)


 


規模についての考え



人間は、ある程度生きていくと、
「この、有限で、世知辛い世界」のなかで、こんな感覚が出てくるはず。


「人間はこの地球に多すぎなんじゃないかと」

「人間が最も快適に生きていけるための人口というのは本当はもっともっと少ないのではないか」

「むしろもっと少数精鋭でいいのではないか」


「そもそも、アフリカやロシアなどの厳しい環境でワザワザ生活する人間は、どういうつもりなのか」

「あいつらが存在することが、人類の平均幸福度を下げてるのではないか」


「人間は、快適なところで、最低限の人口だけで計画的に生活したほうが、よっぽど幸福なのではないか」

「人類は、一年に二年分の地球を消費している」


「人間はもっと減ればいいのに」

"人口減"って、むしろいいことじゃないか?」


「それなのに、いらない中国人やインド人やアフリカ人ばかりが増えていく」

「アフリカ人とか生きてる意味あるのかよ」



・・・くらいのことを、人間は いつの間にか、漠然と考えるようになるはずだと思う。


酷いこと言ってるように聞こえるかもしれないけど、
案外これが大勢の人間の本音なのかもしれない。

てか、匿名掲示板ではこういう意見しかないように思える。
アフリカで人が死んだり、インドで人が死んだりしたとき、
ニュースになったとき、そういう意見しかない。



↑匿名掲示板でこういう画像が貼られた時、
あとはもう、ネタ大喜利にしかならなかったりします。
(ラーメンのスープ飲ませたりする)


だれも真剣に受け止めない。
彼らの人生について真剣に考えることは、不快すぎるから。
(つまりそれも、一種の認知バイアスなんだが)
だからギャグにして受け流す。


もしくは、
そんな辛いところで生きる意味ってなに?
あんたらが生きてることで人類の幸福度が下がるじゃん。
最初から増えなければいいのに。


というシニカルな意見しか出なかったりする。

・・・
これが、先進国の人間の「本音」な訳だ。


自分としては、
この本音をアフリカの人に届けてやりたかったりする。
そしたら彼らはなんてリアクションするだろうか?

彼らも彼らで、先進国の人間への呪詛の言葉があるかもしれない。

そうやって本音で殴り合ったほうが面白いんじゃないかと思ったりする。


まぁそんなである。
色んな国の悲惨なこととかを見るにつけ、




「人間は減ればいいのに」

「人間などこの星に巣食うウィルスである」

「人間が「ここまでの大勢」で存在する意味って、なんかあるのかよ」


・・・
という価値観が、なんとなく形成されていくはず。





そんで、寄生獣の市長さんみたいな思想を、こっそりと持っている人は、実はかなりいるんじゃないかと思う。





で、これに対抗するような価値観というのが、実は少ない。

フィクションの中でも、キチンと提示されたことも少ないように思う。
(つーか自分はしらない)


(ほんと、「こういうことを訴える悪役」に、キチンと正論で反論した主人公というのは、いるのだろうか?)
「それでも人間の命は尊いんだ!」とか、
 「みんな必死で生きているんだ!」とか、そういうテキトーな感情論の反論じゃなくて、)
人間が大勢でいることにメリットがあることを、ちゃんと理屈で説明できる主人公)


例えば、まさに寄生獣の市長だが、明確に彼の主張に反論が出たわけではない。


彼は、人間なのにパラサイトの味方をするという、本当に種族を越えた視点で地球のことを考えられる人間ではあったけど、
普通に、射殺されて、終わる。


つまり、「理想を持っていたが力が無くて消えていった」という処理をされたわけである。
(力がなければ全てがむなしい!)

彼自身が、後藤さん以上のパワーを持っていた場合、
彼の理論には、誰も反論できなかっとも言えるわけである。


(ミギーが一応 「人間が地球のためとかいうのはおかしい」とは言ってたが)
(だが、人間が10分の1になれば垂れ流す毒が10分の1になるというのも実際そうだろう)



そんなワケで
「人間が大勢いる」ということへのメリットを、はっきり説明してくれる大人は案外少ない。
現実でも、フィクションでも。

(これまた自分がいつか語ろうとしている
 「分業のメリット」なんかは、割りと簡単に語れる)
「未来少年コナン」とか見たけど、分業の意味について非常にわかりやすく解説している部分があった)



で、ここで考えたいこと。


もしも自分が、アメリカ人だったらどうだろうか?

(突然何をいいだす)


自分がアメリカ人だったら?

自分がアメリカ人のニートだったら?

自分がアメリカ人のニートの、モデラー気取りだったら?




すると、アメリカ人の人口は日本の約二倍である。

・・・てか、自分の喋れる言語は「英語」である。

自分のブログを読めるようになる人間の数は、何倍になるか分からない。

するとだ、先月のように 自分なんかが突然 有償の依頼なんかを募った場合にも、
そのアンテナに引っかかってくれる人の規模は、そのとおり増えると考えられる。



アメリカ人が二倍なら二倍。
読者が10倍なら、10倍。

依頼の量は、10倍になったかもしれない。


すると、そういうことはそのまま 自分の場合「生きやすさ」に繋がる。
依頼が多すぎるというのであれば、需要と供給のバランスで、依頼料を釣り上げることすら、考えられる。


ていうか、英語文化なら、 もっと素で patreonとかやればいいだろうし、
てか、 「donate」みたいなバナーだけ貼っておけば、
どっかの誰かが、何もしなくても勝手にお金を振り込んでくれるかもしれない。
あっちなら、そういう文化が形成されているかもしれない。


そうやって、どんどん、生きやすさに繋がる。


・・・
こういうことが、「規模」の話である。


規模が出かければデカイほど、実は生きやすさ やりやすさ に繋がっていく。


こういうのが一番わかりやすいので、
「市場規模」という話もある。


なぜハリウッド映画はああなのか?

一方、なぜ邦画はああなのか?

なぜ海外ゲームはああなのか?

一方、なぜ和ゲーはああなのか?



そういうので「優劣」を考えようとするとき、

人種の差だとか
センスの差とかよりも以前に、

一応念頭に置いておかないと行けないのが、この概念。「市場規模」だと思う。


これがしょぼいと、作品もしょぼくなる。

(いやほんとに)
(「海外ゲームはなぜクオリティが高いのか?」と突然問われた時)
(真っ先に「市場規模」というキーワードで返せる人が、正しい価値観の持ち主だと思う)
(それ以外が最初に出たら、どっかで歪んでる)




せっかく頑張っていいゲームを作っても、あんま売れない。
すると、予算をセーブする。
人員をセーブする。
作るものは更にしょぼく、小規模になっていく。

そういう「負のサイクル」に入る。


・・・その行き着く果てが、

名作RPGのソシャゲー化 だったり
しょぼい基本無料ゲー化 だったりするわけだ。

しょぼい予算でしょぼい企画で、しょぼくペイすることしか考えなくなる。


・・・そうして、海外のハイクオリティのゲームと
和ゲーの差はどんどん出てくるということである。


何が悪いのか?


色々あるんだろうが、

究極的には、「日本の人口が1億だけ」、 というとこに行き着いたりする。
(更に独自言語ってのもある)


・・・こういうことを考え出したときに初めて、

「人間減れ!」

「人口減、まことに結構!」

「人間って大勢でいる意味って冷静に考えたらないよな」

「100人が2、幸せな村と、100億人が1、幸せな世界なら、100人の村のほうがいいじゃん」


という考えに対抗できる考えが、これだということが、見えてくると思う。


人間が創造的でいられるために必要な人口というのは、どれくらいだろう?



「世界がもし100人の村だったら?」

(ここでいう↑このタイトルは、例の、人間の人口比だとか、貧富の差だとかについて考えさせる話ではない)
(割りと、もっと先の次元の話をするための話題なのだ)


貧富の比率を考えるための比喩ではない!!

現実に本当に、もしも、マジで、 世界が100人の人間だけで構成されていたら???

その人間の内、どれくらいが、食糧生産に明け暮れるだろうか?




たしか、現実では、アメリカの 3%だか2%だかが、農業人口である。

全人口か、全就労人口だかに対して、それだけの率の農民がいれば、 十分メシを生産できる、どころか、
輸出も出来るような余裕も出てくるのである。

これもまた、人口や、国土の 「規模」によって出来ることである。


(ちなみに、日本の農業従事者率は、アメリカより高い)

(この話を別方向に発展していくことで、「自給自足の否定」という話も、またいつか出来るようになる)


だが、それでも、もしも世界の人間が「本当に」100人だったなら、

この100人の内、 2、3人の人間だけが畑を耕していくだけで、
100人の人間がメシを食えている構図など、想像もできないだろう?
もっと人手がいるはずだ。


・・・つまりそういうことである。

これが「スケール問題」というやつである。


規模を変化させた場合、
単純に比率をそのままで計算することは絶対に出来ない。


で、ここでやっと「創造性」という部分に戻ってくる。


というわけで、100人の人間が100人だけで生きていこうとしたら、
かなりの率が一次産業二次産業の労働に明け暮れることが想像できる。


すると、じゃあ更に先の第三次産業や、更に先のクリエイティブな活動など、
出来る余裕があるだろうか?


100人の村で、「アニメを作ろう」とか「映画を撮ろう」とかする人間を、支えられるだろうか?

小説を書く人間や、
マンガを描く人間や、
作曲をする人間
・・・

まぁ無理である。



勿論、その100人の村が、「金銭という価値観」を捨てる発想を持つことが出来れば
 (これは100人という共同体意識で生きていれば、案外可能だとは思うが)
一応、一人のアニメーターを生暖かく育てるということは可能かもしれないが、
やはり一人だけでは、永遠にアニメくらいの作品は完成もしないわけである。


規模的にも無理だし、
それに100人しか人間がいないのであれば、
確率的に、「天才が生まれてくる可能性」も、無いのである。


宮崎駿は、何人に一人の才能だろうか?

庵野秀明は、何人に一人の才能だろうか?




日本の人口 一億人という規模で、
100年間かけて、
ようやく 一人、二人現れる、くらいの希少性の才能ではなかろうか?


そんな確率を、100人の村の中で待つ、ということが、もう期待出来ないのだ。


・・・このようなモデルでものを考えることで、
色んなことが見えてくるようになるだろう。


「人口」という規模は、

物を育てる場、

才能を生み出す場、

作品を成立させる場、 そのもの。


日本の人口1億人、 
無駄に多いように思えるときもあるけど、
それでも、色んな知的産業を支えるには、ギリギリの規模だということが見えてくる。


てか、
これがもっとデカけりゃ、それだけでもっと色んなことが成立するほど楽だった
可能性もある。


もっと色んな、高クオリティなアニメが作られていた可能性がある。


「産めよ増やせよ」なんて、特に意味のないセリフだと思っている人もいるかもしれない。
人間なんて、もっと減ったほうが実はシアワセなんじゃないかと思っている人もいるかもしれない。

でも実は、
それに真っ向から対抗できる、このような考え方もあるということ。


こういうことを、小学生の道徳に時間とかに教えたらどうか?と思うんだよ。




「なぜ、あんなしょぼいアニメがあるのか?」
「なぜ、封神演義のあのアニメはあんなにクソなのか?」
「なぜ、予算が下りないのか?」
「なぜ、あんな才能ないやつがアニメの仕事なんかしてるのか?」

「逆になぜ、ジョジョくらいのクォリティのアニメが、すぐに続編発表されないのか?」
「なぜ、ジョジョくらいの知名度とクォリティで、ペイ出来ないのか?」

「なぜ、あの名作RPGの新作が、こんなクソみたいなクソ課金ソシャゲーになっているのか?」
「なぜ、古き良きJRPGを作ろうとする才能がいないのか?」


世界がどんどんしょぼくなっていってる気がする。
世知辛い。
・・・



何が悪いんだ?
究極的には、何が悪い??



実は究極的には、
「人間の規模」というのも、一つの答えであったりする。


・・・で何の話をしてたんだっけ?

まぁつまり、
自分がああいう依頼を出して、
数人の奇特な人が、その話に乗ってくれたと、


それをして、「10年ブログやってきたけどいいことなんか何も無かったよ」というのは間違いであるというのは、
簡単だろう。

もっと感謝しろと。


だが果たしてそれでいいのか?
自分の生きやすさに繋げるためには何が足りないのか?


実は世界そのものの「規模」が足りないんじゃないのか?


変な話、
「自分の人望」が10分の1でも、 日本の人口が10倍なら、
それで依頼の数は同じだったと考えられる。



つまり、これで生きていけないのは、自分の人望のせいではない。
世界が狭いことが悪い、と言うことだって出来るはずだ。


・・・みたいな話でした。


勿論、この時点で、この文章がネタであることはわかっただろうけど、
やっぱ、この価値観というのも、「基礎」だとは思う。



究極的に問い詰めて行った結果、
世知辛さの本質はどこに求められるか?という話。



全ての小学生が、このことを学校でキチンと理解するようになったら、

実は
「創造業を支える」というのが 「100人の村」の最終目的であるということも見えてくる筈だと思う。




だって、
100人の村人全員が、その日 自分が食うメシを生産することしか考えないで生活してて、
人類の遺伝子の多様性に限界がきて 滅びるまで、何も後の世に残るような精神活動を一切しなくて、
何も残さずに死滅するだけの構図を考えてみよう。



人間が集団で生きる 本当の意味が見えてくるはず。


というか生命の本質すら見えてくる。


ジーンのコピペが生命の本質?

違う。


情報の結晶化だと。


ここで「創造性」なんていうから、なんか高尚すぎように思えてしまうかもしれないけど、
もっと別の表現 「面白さ」とか、「豊かさ」という言葉でもいいはずだよ。

100人の村が、全員一次産業か二次産業しかしてなかったら、
その村での生活は糞つまらんはずだよ。

だから、エンターテナーの役割を持つ人間が、必ず必要になってくる。


よくある話だけど、

実況者さんが、 
「仕事が忙しいから、もう実況活動引退します」
みたいなことを言って、やめてしまうことがある。


そのときの周りの反応。 コメントというのは

「まぁ、それはしょうがないよね」
「お仕事頑張ってください」
「残念だけど、仕事ならしょうがない・・・」


大体こんな感じ。

みな、「仕事」だと、「諦める」。



だが、実はこのような反応というのは、間違っているのではないか?



だってこれは、
100人の村のなかで、せっかく生まれたエンターテナー側の人間を、
ワザワザ農民に戻すような作業だからだ。



わざわざ、世界を「つまらなく」しているんだよ。


実況者さん、 仮に視聴者が100人くらいの小さな実況者さんでも、
その人が一人で自分のための仕事しているときよりかは、
大勢の人を楽しませることが出来ていたはずだよ。


もう大体のことが見えてきたはず。


食料生産に携わる人間なんて、全人口の1%でいい。
なんなら0.1%でいい。
本当は0%でいい。

単純労働も同じ。

本当は、それだけの少数でメシを回すことは出来るはず。

そして残った人間は、
精神活動、
創作、
発信、
エンターテナーとして、生きていけばいいだけなのだ。


キチンと分配ができていれば、
そうなった世界もありえたかもしれない。


それなのに、
世界は自ら つまらない方向に行こうとしている。


自分も、今年から、金儲けを考えはじめてしまいました。

先月は、依頼のモデリングだけしてて、自分のことは何も出来ませんでした。
このブログも、どんどんつまんなくなっていくかもしれない。



果たしてそれでいいのか?

この構図全体について、どのように思うのか?
このようなことを、一度でも考えたことはあるのか?


全ての小学生に、このことを考えていただきたい。


小学生がユーチューバーを目指すのが、まったく喜ばしいということすら、
理解できるようになるだろう。


・・・
・・・
・・・みたいなことをね、
書こうとしてたんですよ。


(てか今書いてるけど)

(そしたら、ブレーカーがぶっ壊れて、知らない間にオフラインになってて)
(保存したら、その文章一回消えたんですよ)


(で、ちょっと思ってしまった)

(これは、あまりに酷い文章を書いたから、バチがあたったのではないかと
 (自分もそういうことを思ってしまうことがある) (もちろん本気ではないけど)


だから反省して、
この記事はコメント禁止にする
(意味不明)



・・・ところで、こっから更に
「8分の1計画」のような話につなげてこそ なんだよね。 

(もう疲れたからやらないけど)


だってこういう面だけの「規模」の話じゃ、
「人類が一年に二年分の地球を消費している」ことの言い訳にはならないから。


「8分の1計画」をディストピアのように捉えちゃいかんと思う。


あれだって、「生きやすさ」に繋がる、いい話の筈なんだ。




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[ 2018/04/01 11:54 ] 駄文 | TB(0) | CM(-)
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