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反スポーツの価値観

 
自分の中にある、反健康、反運動、反スポーツのような価値観についての話です。


「運動がまるで"善いこと"であるかのように賛美する価値観」が当然のようにはびこっている中、
「その真逆のような考えの方が実はよっぽど正しい」、そんなことが考えられるのではないか?
少しは逆方向にバランスを取るくらいやってもいいのではないだろうか?

そんなことを訴えるための文章です。



 

近所に毎朝ランニングをしている人がいるとする。
自分は「そういう人種にはなりたくない」みたいな感覚がある。


「健康志向」というのは何なのだろうか?
そういうことについて、根本から問い直す話。



例えるば
「毎日2時間ジョギングして、私健康です」
そういう人がいたとしよう。


「一体それの何が良いことなんだ?」という感覚がある。

人間の1日に自由に出来る時間は16時間くらいだとする。
もっと少ないかもしれない、

その時間のうち、2時間を毎日捧げて、
それで健康って、どういうことだ?という気分なわけだ。

人生の8分の1を捧げて、
その結果どれだけ人生が伸びるというのだろう?


8分の1、丁度伸びるとしよう。

じゃあ64才で死ぬはずだった人間が
72才まで長生きできたとしよう。 (変な計算だが)

それの何が良い訳?

そうやって得られた8年の時間は、
ずっと健康に気を使い続けたコストに見合うのだろうか?

その無駄に走って消費したエネルギー・気力は、もっと他人のために役立てることだって
できた筈でしょ? (ランニングなんて全く他人のためにならない運動だし)

そうやってエネルギーを無駄にして、老後の8年間を得て、
アンタはその老後の8年で、ようやく他人のために何か役立つことをやろうというのか?
違うでしょ?「老後の娯楽」とか言ってるんでしょ?

だからそんなのは無理だろうし、
いや、もしそんなのをやろうというのなら、
最初から運動なんかやめて、若い内からもっと他人の役に立つことをやってりゃよかったんだ。


ずっと運動して健康を得る。

人によってはこれ、
余裕で見合うじゃんということなのかも知れないけど、
やっぱ自分的にはありえない。


むしろ「損」だと言える筈だ。


個人的にも損だし、
そんな風に、「健康のために運動をしている人種が大勢いる」ということが、
そもそも物凄い損失なんじゃないかと思う。



例えばデブのことを考えてみよう。


デブが無駄にメシをくうとする。
そのあと「ダイエットだ」とか言って、無駄に運動して、
エネルギーを燃焼させて、
痩せようとするとする。

・・・
「何でそんな無駄なことを!?」と思う。

最初から食うな
無駄に動くな
無駄に燃やすな

それは食べ物を空気中に燃やして捨てているのと同じだ。


この世からデブが一人もいなくなり、
無駄に運動とかダイエットをする人間が絶滅したら、
全ての人間が飢えずにすむのではないか。

こんなことを言うと、
「いやそういう風にはならねーよ」と思われるかもしれない。
 (「金持ちから奪えば貧困層が解決するのか?」みたいな言い草だ。)
  (だが実際そうなんだよ 1%の人間が・・・)

でもやっぱり、自分にはこの全体の構図が無駄に思えてならないし、
無駄に食べて、運動やダイエットをしている人間は、「敵」のように思えてしまう。



つまり、
もの凄い利己的・短絡的な人間に見えるのですね。

自分さえ良けりゃいいという感覚で、
痩せたがる
健康でいたがる
そのエネルギーを他者の為に役立てようとか、
建設的なことに使おうとかでなく、

ただただ
まずは自分の肉体のことしか考えてない
・・・というような感覚。


つまり時間的にも、

若い頃の時間を売って老後の時間を買うような
非効率な行為に思えるし
もっと巨視的に見ても
エネルギー・食料を無駄に燃やしている邪悪な存在におもえるのです。


もっと簡潔にいうなら、
「スポーツは善いモノ」
という価値観そのものが大嘘
なんじゃないだろうか?


いつか全人類が飢えるときが来たら
自分のこのような価値観のほうが主流になると思うんです。


ラスアス


昔の人間が飯をたらふく食っておいて、
ダイエットとかしてたなんていうのが許せないと。

(だって古代ローマ時代の貴族が
 「飯を食ってはさらに食うために吐いてた」とか聞くと、引くし、ムカつくでしょ?)

(てか今だって、寿司を頼んでおいて、炭水化物ダイエットだとか言って刺し身にしてシャリ捨ててる人間みたら、
 殺意が湧くでしょ?)



みんな、吐くダイエットをしている人間が邪悪だということは、そこそこ自然に理解できるだろう。


でも、ランニングしている人も、「エネルギー的な点で見れば同罪である」ということには、なぜか気づきにくいのです。

食べ物やエネルギーを、人一倍無駄に捨てている、無為に燃やしているという点で、
同じなのに。



それと同じことが、未来人視点できっと起こる。


自分の中には、
このような価値観が昔っから、素であるのです。何故か。


だから自分は昔っから、
「健康のために運動しろ」
とかいってくる人間が馬鹿というか、
邪悪な発想の持ち主にしか思えないんです


無駄に運動なんかする暇とエネルギーがあったら、
一日中猫背でパソコンの前で作業してるほうが
よっぽど尊い行為なんじゃないか?


ランニングなんかしている人間のほうが
よっぽど邪悪で狭い価値観の人間なんじゃないか?



それなのに、
「不健康は悪」
「運動的な人間は善」
みたいな安易な価値観が世の中に
はびこっていると思う。



これを完全にひっっくり返せとは言わないまでも
せめて「同格」にはならんのだろうか。

ランニングしてる人間も
もの凄い利己的です。

エネルギーを無駄に燃やしている人種です。
(せめてタービンでも回してこい)


そういう
「反スポーツ論」「反健康論」を、どんどん高めていくべきではないかと、
ズーッと思ってるんです



・・・
例えばこんな感じ。

「筋トレとか運動的とかランニングとかダイエットについて語れ」ってなったら、自分はこういう話ができる。

これ、本気でそういうこと思ってます。


つまりこういうこと。

他人から見れば
「何故ああやらないんだろう」
と思うようなところにも、一つ一つ理由や価値観の問題があって、
それで自分はやれない・やらない、
そういう風になっている。


こういう話を全ての行動原理に関して話していきたい、
そしてリストにまとめたいと思ってるんだけど
なかなかこういう話は書けない。


今回はスポーツと不健康についての話題だからこそ、
ザラッと書けた。

でもこういうのが山ほどあるんです。


まだまだツッコミどころがあるように見えるだろうけど、
ツッコまれればツッコまれるだけ補強していくので、やっぱり無駄なのです。



そもそも前提としてやっぱり、人間はさっさと死ねばいいと思っているので、
運動に時間を割いて長生きするというのは非常に無駄に思える。


さらにここに「ジャネーの法則」なんかも絡めれば、もっと強固になる。

若い頃の10年は、年取ってからの10年の何倍も価値がある。

だったら、人間は
自分自身の老後の健康維持なんかためにずっと運動なんかやってないで、
さっさとやるべきことだけやって、
老いたらすぐに死ぬべきなのではないか?



若い頃からスポーツなんて無駄なことをやって、
無駄なエネルギー使って、無駄に時間を消費して、
なんか健康的になったつもりか知らんけど、
それで老後がちょっと伸びたとして、 
なんな訳?

そんな老人がいっぱい増えて、未来の子どもたちから年金ふんだくって、それの何が「良いこと」なわけ?



・・・
やっぱりそれは全体で見れば物凄い無駄だったということになる。



つまり最初から運動なんかやらなければよかったんだ。



そうやって、人間の老後というのを短くしていく。
さっと生きてさっと死ぬようにする。


その方がよっぽどいいんじゃないのか?


全ての人間が運動を蔑視するような世界になったらどれだけいいか。


Imagine, there is no sports.


勿論、こんなことを言っていると別の感情論も出てくる。

「価値のある人間には長生きしてほしい」という欲求もあるからだ。
(自分もそういうことは思う)
(漫画家さんが早死にとかしてるとよく思う)


だが、それをいうのなら、
「じゃあ運動しているアンタは自分に価値があるとでも思っているのか」ということになる。


自分は、
人間の価値というものは、
「何を為したか」 ÷ 「消費した資源・エネルギー」 で求められると思っている。



(まぁこれは「価値」というより、更に先の、「価値効率」のような数値だけど)
(これを自分は「人間の燃費」と呼んでいきたい)



つまり、

二倍メシを食ってる人間、
二倍エネルギーを消費している人間は、
同じような価値しか産んでない同格の人間よりも、二倍無駄な人間であるということです。


人の3倍も価値を産んでいる 価値ある人間なら、
人の二倍贅沢してもいいでしょう。

でも、人の二倍しか価値を産んでない人間が、
人の3倍贅沢したり人の3倍エネルギーを消費しだしたら、途端にそれは無駄な人間になるんです。


・・・
このような価値観で考えれば、

運動だとか健康だとかについて考えるのは、 「まずは価値ある人間になってから」
ということが分かるようになると思う。


「アンタは自分を、無駄なエネルギーを消費して自分の健康のための利己的な運動なんかするほど、価値のある人間だと思っているのか?」
こう自分自身に問うてみて、 YESと答えられる人間だけが、 運動をすればいい。

そうでない人間は、まず自分の価値を上げることを先にやるべきではないのか。


そういう風に考えたなら、

「基礎代謝をアップして痩せよう!」
みたいな宣伝文句が、どれだけ邪悪な発想であるかということが分かるようになると思います。



どうせ価値のない人間のくせに、

数倍無駄に食べて、

意味もなく基礎代謝を上げて、
(つまり「人間としての燃費」を下げて
それで痩せようなんてのは、本当に邪悪な話です。


何億回もいうけど、
痩せたいのなら、最初から食うな、動くな、燃やすな、ということです。


無駄に食って、

無駄に燃やして、

無駄に運動して、

無駄に基礎代謝を上げて、

それで痩せようなんてのは、 人間としての価値を下げるだけの行為です。




そんな、「基礎代謝を上げる」なんていうことを、まるで美徳や、基礎テクニックのように語るということが、
どれほど邪悪な発想であるかということ。

(余分な脂肪を便と一緒にトイレに捨てるのが、良いことなのか????)
最初から食うな 食ったら捨てるな 役立つことに使え
(これこそ、本来日本人が一日1食で生きられることの証拠だと思う)



このことを正しく認識できる人間が、逆にもっと増えてくるべきなんです。

このことを小学校の道徳の授業をカットしてでも教えるべきです。 (これ決まり文句にしたい)


で、
「基礎代謝を上げるのは悪」

「基礎代謝を下げるのが善」
 という新しい価値観が提示されました。



もっと行く。


基礎代謝を下げたかったら、まずやることは「筋肉を無くす」ということです。


そうすれば、
人間は一日一食とか、一日二食とかで十分生きていけるようになります。


「一日3食食べなければ不健康」
「一日三食食べなられなければひもじくて不幸な生活」
 なんて価値観もまた、 エジソンが生み出した嘘の価値観です。

結局、「金儲け」のために捏造された、大嘘のプロパガンダなんです。


筋肉を無くす、なんてのは、悪いことであるかのように思われるかもしれない。


・そんな事してたら、老後に寝たきりなるぞ、とか、

・運動不足で良くないぞ、とか、

・そんなの不健康だぞ、とか、



そんな聞き飽きたつまらない説教が飛んできそうですが、
ここまで読んできてくれた人ならば、
そのような説教をしてくる人間の考え方のほうが、よっぽど短絡的で間違っていることが分かってきてくれるでしょう。


・人間は老人になったらさっさと死ねばいい。 むしろ老後に健康になって長生きしようというのが間違い。

・運動不足になって代謝を下げるということが目的なのだから、エネルギー効率的に何も間違っていない。

・前述の通り、そもそも「健康を求める」というのは、 「人間としての価値が極めて高い人間」だけがそのあとで求めればいいことだ。

・・・
という風に反論できます。


つまり、人間は運動不足になれるのなら、運動不足でいればいいのです。


現代人はデスクワークばかりで、運動をする機会が少ない、と。
運動不足になりがちだ、と。

・・・
それの何がいけないのでしょう?



そうやって筋肉の量が減る。

体重が下がる。

基礎代謝が下がる。

食事の量が減る。

ますます身体が軽くなる。


・・・

すばらしいサイクルです。

いいことづくめです。

これが正しいダイエットです。


そもそも、「なぜ 筋肉というのは、使わないとしぼんでいく」のでしょうか?
これについて、ちゃんと考えたことのある人がどれだけいるというのか。

生物の欠陥なのでしょうか?
神の設計ミスなのでしょうか?

違います。


それこそ、必要ない機能は縮小していくべきだということが、生物のシステムとして正しいから、
そうなってるんです。

動かなくていいのなら、その量に応じて、必要最低限の筋肉量だけ残し、
筋肉はしぼんでいく。

それで全く問題ないのです。

デスクワークしかしない現代人がムキムキマッチョになる必要がないのです。
エネルギーと食料の無駄です。


「骨」についても同様です。

骨もまた、ほっとくと溶けるようになっています。


でもこの仕組こそが、 生物の 「最小の材料で最大の効果を発揮する」ためのメカニズムなのです。


・圧力のかかる場所では成長し、 
・そうでない場所では自然に溶けていって、カルシウムは体内に吸収される。


この2つの働きがある。


必要なところで成長、
不必要なところで溶ける。


この2つの相反する働きの中で生物が運動すると、
骨というモノは、セル・オートマトン的に最適化されていくのです。

これが、生物の天才的なところです。



生物にとってカルシウムというのは貴重な栄養素であるからこそ、
それを出来る限り無駄にしないために、
最小の材料で最大の効果を発揮するために、
「いらない所では自然に溶ける」、という機能が重要なのです。


つまり、
「いらないところでは衰える」、というのはとても自然なこと、
究極的に効率のよい発想なのです。


それが分からない人間は鹿のように骨粗鬆症で苦しめばいいのです!!


・・・
こういうことについて考えれば、

「筋肉というモノは、日常生活において自然に衰えるところまで 衰えさせて置けばいい!」
ということが、ハッキリと理解できるようになるはずです。



運動不足な人間は、運動をしなくていい人間なのだから、
そのまま、運動をしなくていいということです。


これに反して、
健康のために筋トレをやろう・ランニングをやろうなんてのは、
実は邪悪な価値観であるということに、
そろそろ気づきはじめるべきです。


それでも運動をして健康になって長生きしたいというのであれば、
それは、「自分が価値ある人間だという大いなる勘違い」によるものです。

まずは前提として、「自分が人の数倍 エネルギー・資源・食料を消費するに足る、価値ある人間かどうか」を問うてから
運動をするべきです。



こういうのを、新しい 「反運動、反健康の価値観」として、 全世界に広めていくべきではないか。



・・・
こんなことを思っている自分にむかって 筋トレしろなんて、一体誰が言えるんですか。



(ところでこういう文章って、みんな「どこまで読み取れる」んだろう?)

(とにかく、色々なことを考え直してほしい)

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[ 2018/05/07 09:52 ] 駄文 | TB(0) | CM(-)
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