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ニートが頑張るブログ TOP  >  駄文 >  バカさとは何か?

バカさとは何か?


これも駄文。


「バカさ」とは何なのか?

みたいなことを、バカなりにちょっと考えていた。



この後からちょっと馬鹿な文章を本格的に書こうと思っているので
その前に、「バカさ」自身についても考えておこうということである。






自分でも馬鹿な文章や
馬鹿なコメ返信してるなーって思うことがある。


例えば、
「何故運動をしなくていいか」みたいな文章とか。


他にも、
コメントで「疲れやすいと聞きましたがちゃんと食事していますか?」みたいなことを言われた時に、
そのコメントに完全に食ってかかったりしたときとか、
そういう時に、自分でも馬鹿なこと言ってるなーって思ったりするのだ。



そういう「バカさ」とは何なのだろうか?


ちなみに文章ぶつ切れでいきますよ。


いきなり話変わるけど、
こないだ「嘘喰い」という漫画が全話無料公開していた。 (自分は迷宮編らまで読んだ)


その時の反応に、
「途中から難解すぎてさっぱりついていけなくなった。 でも雰囲気で読んでたけど面白い」
みたいな感想を言っている人がいた。


その時に思ったこと。

・難解さとはなんだろうか?

・難解なのに面白い漫画とはなんだろうか?

・面白い漫画とはなんだろうか?

みたいなとりとめのない疑問。


ほんと話が逸れてるけど
「嘘喰い」について、二秒ほどだけかたる。


最初のルーレットの展開、
自分は藤子不二雄Aの短編で、そっくりの話を読んだことがあるような気がした。



・主人公が、何か必勝の法則を掴んだかのような張り方をする。
 (赤、黒に二倍だとか) (張る数字を減らしていくとか)

・ディーラーが、その「裏」をかくような振り方をする。
 (00に入れるだとか) (同じ数字に入れるだとか)

・他のキャラが、その隙を突いて、ディーラーが「振った後」に、その裏に張る。
 (00に張る)(嘘喰いの場合は10に張る)

・大勝利やったー!

・「ディーラーが、自由な目に落とせるという」そこを逆に信じて利用した勝利、というわけ



マジでソックリだよ。


漫画でルーレット勝負やろうとしたら、こういうパターンしか無いワケ?
自分は飽き飽きしているよ。

(「マルドゥック・スクランブル」のルーレット戦はどうだったかな?)


てか、狙ったところに落とせるディーラーって、「逆」にいるわけないんだよね。
だって、そんなやつがもしいたとしたら、店のために頑張るメリットがないから。

「客」とグルになって、客を大勝利させて、 それで後で金を山分けすればいいんだから。


つまり、「狙ったところに落とせるディーラー」ってのは、店にとっては「リスク」でしかない。

そんな奴は逆に置きたくない、ということである。

店側からしてみれば、凄腕のディーラーが客をやりこめることなんか、どうでもいい。
凄腕のディーラーが裏で客と組んでしまうことを最も恐れる。




(まぁパチンコの「遠隔」ってのも、ある意味これではある)

(「パチンコが遠隔してる!」って騒いでいる人は、じゃあなんで遠隔してる店の店長と仲良くなって、その店長と金を山分けすることを考えないのか?ということになる)

(で、実際はそうやって儲けてるやつが、パチンコの「一番の勝者」なのだろうね)

(そうやって無意味にに食ってる人間がどれだけいるんだろう)
(業界全体が潰れればいいことが見えてきますね)


あと、嘘喰いの「7ポーカー」の展開、

あれって、福本漫画の「銀と金」の青天井ポーカーの丸パクリじゃないですか?




・イカサマで相手のカードを盗み見ている敵がいる

・主人公、すり替え?を使って、凄い役を作る?

・敵、盗み見ているのですり替えに気づく

・それを指摘しようとするが、
 実は主人公がやってたのは「すり替え」ではなくて、合法な 「隠蔽」「偽装」だった
 (銀と金の場合はカードの上にカードを重ねる)
 (嘘喰いの場合はカードの断片を使う)

・敵、イカサマをやってたのがバレる

・・・みたいな展開です。


本当そっくりだと思った。 しかもポーカーで被るなよ。



あとこの展開は、カイジ堕天録「17歩」のラストにも似てますね。


・社長、カイジの手牌を全部盗み見て、デジカメで撮影

・カイジ、それとは違う役で上がる

・社長、カイジのすり替えを指摘! 残りの河を見ればイカサマしたのは明白、とか言う 白の数がおかしい!

・だが実はカイジがやったのは「すり替え」ではなく、牌に粘着テープで白い紙をくっつけて白に「偽装」していただけだった
 自分がトイレに行っている間に社長が手牌を盗み見ることを想定しての行動

・盗み見てた社長の負け





3種類の賭博漫画で、同じようなネタですよ。

特に
福本伸行自体は、自分の「銀と金」のネタとソックリのネタを「カイジ」でやることに抵抗はなかったんでしょうか?

この辺を小一時間問い詰めたい。


そういうのが、「嘘喰い」の感想文でした。


「難解さ」とは何なのか?

この疑問自体が、突き詰めると難解すぎると思う。



難解な漫画、難解なのに面白い漫画というのはまぁ世に山程あるだろう。



例えばジョジョで言えば、5部くらいからバトルが難しいとか言われ始めてきたんじゃなかろうか?

(キンクリは案外人に説明しづらかろう)
(分かってるつもりでも、エアロスミスで分からなくなる)

(4部から?)
(アニメだけでバイツァの能力がちゃんと理解できた人はどれだけいるのだろうか?)

んで、難解さは6部でかなり高まったと思う。 (意味不明さ?)(ジョンガリA)

あと、7部のチョコレイト・ディスコと大統領あたりとか。


難解なのに面白いってのは、ほんとどういうことなんだろうかと思う。

理解するのが難しい。

じっくり読まなければ分からない。



・・・

それって結局 「説明不足」「描写不足」と言い換えることが出来ないか?とか思ったりする。





もっとじっくり説明していれば、

もっと適切なセリフで説明していれば、

もっと見やすい構図で描いていれば、

すべての読者にも適切に伝わったかもしれない。


が、そうはなさなかった。


だから、一部の読者にしか正しく伝わってない漫画というのがあるとする。


じっくり読んで、何度も読み返して、
自分の中でしっかり咀嚼したから理解できている読者と、

ぱっと一回通しで読もうとしたから理解出来ていない読者、

その2者がいるだけだとする。


・・・
って、考えた場合、
「難解な漫画」「難解な展開」というのは、 単に「説明不足」だったってことにならないか? みたいなことを考えたりする。




その上で、
「難しいのに面白い漫画」ってのは、単に「顔芸」とか「漫画力」とか「ハッタリ力」ってだけのことなのかも知れない。

てことはそれは
「難しいのに(それ以外の要素で)面白い漫画」であって、
「難しいからこそ面白い漫画」とはちょっと違う気がする。


(そうやって言ってしまえば、この世の「難しくて面白い漫画」というのはすべて「難しいのに面白い漫画」ばかりなのではないだろうか?)
(この世に、「難しいからこそ面白い漫画」ってのは、あるんだろうか?)



嘘喰いを流し読みで読んで、「よくわからないのに面白い」って言ってる人がいるってのは、「そういうこと」ではないかと思ったりする。

麻雀のルールを全然知らなくても、アカギが結構面白く見れてしまうのと同じようなことかと思う。


こういうことは「サルまん」の麻雀漫画回でもわかることである。


「麻雀のルールを全く知らなくても漫画家は麻雀漫画がかけるのか?」
ということにあの回は挑戦しているのだが、
まぁ、「哭きの竜」のパロディやってるってのも含めて、実際なんとなく面白そうなのである。

(麻雀のルール知らないのに麻雀漫画描くってのは、ギャグマンガ日和がやってたけど)
(それより先にやったのはある意味サルまん)


(実際、「哭きの竜」だって、主人公が鳴きまくったら何故か勝てる、という、理屈も糞もない
 わりと滅茶苦茶な能力麻雀漫画なのだが、)
(ただ単に絵がかっこいい、顔がかっこいい、というハッタリ力だけで売れていたのではないか?と思われる)



・作者がルール理解してない滅茶苦茶な漫画なのに、なんか面白い

・麻雀の駆け引きも糞も無い、滅茶苦茶な能力麻雀漫画なのに、なんか面白い

・読者が話の展開理解してないのに、なんか面白い


・・・
てーのは結局、「話以外の部分の面白さ」ってことじゃないかと思ったりする。



・演出力
・ネーム力
・漫画力
・ハッタリ力
・顔芸
・大ゴマの迫力
・ファンタジー描写


・・・
そういう要素でしょ。 で、実際 嘘喰いもそういう要素がどんどん増えて、エスカレートしていく。



別にそれが悪いってんじゃなくて、
そういう要素の面白さもあるよなってだけの話でした。

(ま、本当に面白いのは市川戦とか浦部戦だよねーみたいな)



・・・
で、
こういう考え方でいくと
「バカさ」というのも分からなくなってくる。


馬鹿とはなんなのだろう?
同時に、「賢さ」とは?


IQテストで高い点を取れるかどうか、というのは、大したことではないように思うことがある。

(こういうことを言うとお前は良い点が取れないからそう言ってるだろと思われそうで嫌だからいうけど)
(ちなみに自分はネットに転がってるようなIQテストで良ければ130140とか普通に出すし)
(パンチングマシンで100とか普通に出すし)(ブロントさん)




例えば、IQテストで100しか取れない人がいたとする。

でもそれが何だというのだろうか?



それで、140取れる人と100しか取れない人で、
実は普段の思考にそんなに差は無いように思えてしまうのだが、実際どうなのだろうか?
(全然違ったりするのかねえ?)

(でもアインシュタインの日常生活やファインマンの日常生活、普段の思考が、凡人とさほど違っているとは思えないのだ)
(ファインマンのエッセイとか読んだことあるけど)



だって、別に時間制限内に100点しか取れない人だって、
後で「答え付き」でじっくり解説してもらえば、すべての問の法則性をしっかり納得させることは、可能だよね?

IQ100の人に、IQテストの答えを、じっくり時間をかけて説明しようとして、
それでいくら説明しようとしても全く納得が得られなかった、ってことは、無いはずだと思われる。



「この事実」!を考えれば、
時間をかければIQ100の人だってIQ140のことを「考えたり納得することくらいは出来る」筈、と思えてくる。



すると、ひたすらに「時間」がキーワードだということが見えてこんだろうか?


他にも思うこと。

最初にアインシュタインが相対性理論を発表したとき、
(一般と特殊のどっちだったか忘れたが)

「この理屈を理解出来る人間はN人に一人しかいない!」 (Nが何百人かは忘れた)
とか、言われてたと思うのだよ。確か


でもそれが今となっては、NHKとかで100分くらいの番組をみれば、
物凄く分かりやすい例と、 (電車の中で鏡に反射する光だとか)
物凄く分かりやすい動画!、図、音声、解説によって、
馬鹿にでも理解出来るように噛み砕かれてきているワケ。




かつては「n人に一人の天才にしか理解できない!」と思われたような概念だって、
今ではきちんとした手順を踏めば、一般人にも十分理解させられるようになってくる。



つまり、「適切な言葉」、 
「適切な分かりやすい図」、構図を使って (これはさっきの「難解な漫画とは?」にも通じる)
適切に説明されたならば、

どんな馬鹿な人間にも、時間さえかければ 理解出来ない理屈なんか無いんじゃないか? 
みたいなことを思ったりする。


さっきのIQテストの話と、
こういう相対性理論の話。


つまり、

馬鹿な人間に足りないのは、 

適切な説明とか、
適切な背景知識とか、 ・・・
「納得するための時間」ではないか、と。



適切な説明も
適切な背景知識を得るためにも必要なのは「時間」ではある。
(それは教育にかけられた時間でもあるだろうし)


つまり究極的には、
「バカさ」というのは 「時間が足りない」と言い換えられないか? とか思ったりする。



「馬鹿」というのは「時間が足りない」ということである。


これは、「馬鹿に感じる側」にとっても同じことではないかと思う。



自分がブログに馬鹿な文章を書く。

自分がコメント欄で馬鹿な返信を書く。

読んだ人が「こいつは馬鹿だな、救えねーな」って呆れるとする。


でもそれもまた、「時間不足」ということなのではないだろうか?







自分が、
何故スポーツは不要なのか、
なぜ運動は不要なのか、
なぜ過食は罪なのか、

みたいな馬鹿な文章を書いていたとする。






自分に
「そんなに疲れやすいのなら3食しっかり食べたらどうですか?」

という「説得」を試みる人が現れるとする。


そのコメントに対して自分が、
「何故現代人が3食も食べることがそれだけで罪になるのか」みたいなことを延々とコメントしたりする。


それを読んだ人は、きっと
「ああコイツ馬鹿なんだなどうしようもねえな」って思うだろう。





でもその「馬鹿だな」ってのは

「コイツを納得させられることは出来ない」
「コイツを納得させようとしたらあまりに時間がかかる」

ということではないかと思う。




馬鹿に相対性理論を納得させようとしたら、常人に100分かかるところが200分かかるとする。

馬鹿にIQテストで140取らそうとしたら、通常の制限時間より10倍時間を与えないといけないとする。



馬鹿に運動をさせたり、
馬鹿に食事をさせたり、

馬鹿に仕事をさせたり、
馬鹿に反論したり、
馬鹿に負けを認めさせたり、

馬鹿が信じている前提条件を一個一個壊していったり、

馬鹿の価値観を根本から覆すような、新しい適切な価値観を与えてやるのにも、時間が膨大にかかる。

・・・
・・・

そういうことではないかと思ったりする。


「お互いに、時間が無いから諦めている」というのが
馬鹿と、馬鹿を説得させられない馬鹿の、問題なのではないかと思う。


(ところで自分は長文のコメントなんて望んでないけどね)
(ほらやっぱりどうしようもない)


ここでの自分の「前提」として、

馬鹿でも時間を10倍20倍与えればIQテストで140点くらい取れる筈

馬鹿でも時間をかければ相対性理論だろうがどんな難解な理屈だろうが、常人が納得できる理屈なら納得できる筈、

ということでこの理屈を言っています。


だから、馬鹿とかしこでも、
「脳みその根本的な構造」自体にそんな差は無い筈と考えているのが前提なワケですね。



これは言ってみれば、 パソコンで言えば
CPUの処理速度の話なのだと思う。

(最初からパソコンで例えてればよかったように思う)
(思いつきで喋ってるのでテキトーですまんね)


パソコンの性能は、多分そういう意味じゃ、3つの方向性で分類できそうだ。


1. CPU スピード
2. ディスクに何が入っているか、 ライブラリ
3. ソフト、 プログラム



ここでいう、「1」の部分の差というのが、自分がここまで延々と語ってきた
「時間」の問題になってくるのだろう。

馬鹿な人間とかしこな人間でも、同じ結論にたどり着くことは出来る、
が、ただひたすらその時間が違ってくるだけだと。


「2」の部分が、人間で言えば知識の差、 背景知識の差。 教育の差。
もっと重要なのとして、「価値観の差」「信念の差」、ということなってくると思う。

で、自分に言わせれば、この部分も結局は「時間」の問題なワケ。


知識をつけるのに必要なのだって「時間」なのだから。

(まぁ「記憶力」という性能の差もあるが)
 (でもそれもまた、時間の差になって現れてくるのだから、やはり時間だ)



例えば自分の「分からず屋」でいえば、
「人間の価値 =やったことの価値÷ 食った食料の量、 消費したエネルギーの量」
「だから人間は飯をあまり多く食うべきではない」


みたいな、あらゆる行動原理の前提となる、強固な価値観があったりする。

こういう価値観が個人の中で固まるのにも時間がかかるし、
(人生をかけてこのようなライブラリをつくってきたともいえる)
そうやって固まってしまった価値観を更に破壊・矯正しようと説得するのにも時間がかかるだろう。


で、残るのが「3」のソフトの差ということになってくるのだが、
自分の思ってる前提として、人間の脳みその中身、
「天才と馬鹿に実はソフト的な差なんてものは無いんじゃないか?」
という前提がある。

(前に「性格」について語った回と、ちょっと矛盾するんだけどね)
(知らないうちに人間の脳の内面的進化で凄い差がでてることがあったりしないだろうか?みたいなことを書いた)


で、ここまで、そこに差なんて無いと思っているからこそ
結局全部「時間の問題」ってことになってくると思っているんだが、どうなんだろうか?



そもそも、もしも「ソフトの差」なんてものがあったとして、
それは「何が変わる」というのだろうか?


Aのパソコンと
Bのパソコンがあります

CPUの性能が違います
HDDの中身が違います
入れてるソフトが違います

これで、ある難問を解かせるとする。

それで、AのパソコンとBのパソコンで、「時間の差」が出るのは当然として、
「解の結論」まで違ってきたら、なんか話が違うではないか?



そこに差はでちゃいかんでしょ。



もしもこのたとえで、
解が違っていて、しかもそれで両者ともに「間違い」ではないと言うのなら、



それはもう人間に「説得」とかは必要無いということにはなるね。

このわからず屋めー!とか、
どうして分かってくれないんだー!とか、
この大馬鹿ヤロー!とか、
そういうセリフも全部無くなる。

だって、「違ってて良い」んだから。 それは間違いだとかわからず屋とかではないってことだから。


時間をかけないと説得できなくて、
その時間をかける暇がないからこそ「わからず屋」なんだよ。

パソコンが違ったら解が違っていい
人間が違ったら解が違っていいってのなら、

この世に説得も
誤解も
納得も
何もなくていい。


よって、そこだけは絶対に違うと言わせてもらう。

(ここちょっと何か前提が色々抜けてるけどスルーして読んでくれ)

・・・
まぁとにかくそんなこんなで、

結局 人間の脳みその性能の差というのはすべて「時間の差」になって現れてくるべき、

ということになってくる。


もしも結論に差がでてくるとしたら、
それはどっちかが間違っているのだ。


(「前提」を入力し忘れているとかもあるね)
(人間同士の言い争いで、結論に差が出るのなんか、全部これだろう)


自分と、
自分を説得しようとして、そのあまりの頑固さに諦め、自分を「馬鹿」だと思った人の、 果たしてどっちが馬鹿なのか?



現代人は1日に1,2食しか食べるべきではないという結論に至った自分が馬鹿なのか?
それともそれに反論できないで、説得を諦めた人が馬鹿なのか?



ある人を馬鹿だと断ずる人が実は馬鹿である。
そんなケースもよくある。


Aのパソコンと
Bのパソコンはどっちが性能が良いと言えるのか?



そういうことになってこないだろうか?


・・・そういうことでした。


難解な漫画とはなんぞや?について考え始めた結果。


実は単に説明不足なのではないか?
もしくは、読者が読むのに時間をかけてない だけのことではないのか?

つまり、究極的には 「時間の問題」なのではないか?

とか考えるようになった。




バカさとはなんぞや?



バカさとは「頑固さ」ではないのか?



「頑固さ」とはなんぞや?



説得に時間がかかる、

頑固な人間に限って、積み重ねてきたバックグラウンドの前提があまりに多すぎる。
単にそれを説明していないだけだったりする。

前提となる知識、価値観を一個一個覆していくのにあまりにも時間がかかるし、
裏に隠れた価値観をすべて相互理解するのにも時間がかかる。

それが不可能レベルな作業になっている、と。



で、
これも結局 究極的には「時間の問題」なのではないのか?




・・・
みたいなことを考えていましたとさ。


自分が今まで書いてきた文章も全部、「頑固さ」や「バカさ」で説明できる気もする。


人間はスポーツなんかやめるべき、とか。

人間は働くべきじゃない、とか。

人間は食うべきじゃない、とか。

「人間は何故選挙に行かなくていいか」みたいなことも書いたなあ。



でも結局、あれらの結論も、誰にも折られた気がしない。 折られる気がしない。

人間は選挙に行かなくていい、みたいな滅茶苦茶な結論を書いていながら、
自分は絶対に間違ってないとも、正直思ってる。




自分が馬鹿なのか?
自分が間違っているのか?


自分以外が馬鹿なのか?
自分以外が間違っているのか?


自分を説得するのに時間がかかりすぎるから、諦めて自分を「馬鹿」だとしているのか?
自分以外を説得するのに時間がかかりすぎるから、諦めて自分以外を「馬鹿」だとしているのか?



まぁいいや。

とにかく 馬鹿と時間には密接な関わりがある。
これは結論でしょう。




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[ 2018/07/11 13:40 ] 駄文 | TB(0) | CM(10)
長文すみません!突然書き込みたくなりました!(先制)
「頻繁に繰り返す思考・感情・行動パターン=才能」という定義をどこかで聞いてしっくり来なかったのですが、この記事が納得するヒントを与えてくれました。

感情的に言い争いをしている人達はネット上でも現実でも煙たがられていますが、考える時間を作らなかったようなトピックでお互い殴りあっているのだから馬鹿だと見えてしまうのは自然現象なのかなあと。
自分の思考パターンという才能=領分を超えて他人の土俵に入り込んだ時点で馬鹿だと認定されてしまうのは当然なのかと思いました。

「あいつ○○になると饒舌になってキモい」「○○やらないと人生半分損してる」
「馬鹿を相手にしたら馬鹿」「馬鹿に歩み寄らない馬鹿」
こういう言い回しも考える時間が作り出した思考パターンに基づいてるのかなって…
自分はおそらくこれ以上考える時間を取らないので、心理学者から見れば学ぶ姿勢の無い馬鹿なのかとか思ったりします。
時間をそこに回せる適性みたいなものがあるのでしょうね。
[ 2018/07/11 15:20 ] [ 編集 ]
人間は基本的に利己的な生き物ですから、他人に対して理解もしたくなければ説得もしたくない。だから人はバーカと言って割り切るのだと思います。(自分を賢いと思ってる)
そういった賢い人たちは、考えないことによって、いつまでも同じ答えにすがることになるので、現状が良くも悪くも一生変わらないことになる。
もしそれが賢い選択であるとするならば、彼らのいうバカとは現状を変えようとする人間のことを指すのでしょう。私は現状を変えようとする人間が賢いと思ってるので彼らとは真逆ですね。

面白い観点の文章だったので、つい考えさせられました。
[ 2018/07/11 23:18 ] [ 編集 ]
結局、どこまで説明しても説明不足なんですよ
5分でも2時間でも説明不足なんです 伝わらない事が残るから
「時間がかかるから」は「時間をかける価値を感じないから」に言い換えた方が正確な気がします
どれだけかけても伝えたい人もいれば一言でも釣り合わないと感じる相手もいるからです
[ 2018/07/12 07:56 ] [ 編集 ]
質問です。
内面的進化の話で思い出したのですが、ニートさんは擬態する生物はどうやって誕生したと思いますか?
淘汰と偶然(突然変異云々)の積み重ねであるという意見が有力らしいのですが、自分は納得できません。
枯れ葉みたいなカマキリとか、逆に虫の模様がある植物なんかもありますが、偶然でこんな風になりますかね?長い時間掛けてるとはいえ…。
[ 2018/07/12 20:46 ] [ 編集 ]
灰田
よくわからないから面白いって場合もあるのかなと思いました。
内容が理解できない

自分が理解できない物を作るほど作者は凄い

そんな作者が作る作品は面白いに決まってる

みたいな思考回路。
富野アニメを見てるとたまになります。
もちろんbyNEETさんの言う、「話以外の面白さ」ありきの部分もありますが。
[ 2018/07/12 20:57 ] [ 編集 ]
>時間をかければIQ100の人だってIQ140のことを「考えたり納得することくらいは出来る」
これに凄く同意したので永き刻(とき)を超えて書き込みします。
他の分野(創作とか読書感想文とか)でも長時間掛けて頑張れば、よっぽど感性が終わっていない限り殆どの人が良作を作る事が出来る、みたいに思っています。

僕はニートさんはかしこい人だとずっと思っているのですが、やはり会話能力も高いのでしょうか。
舌が回るとかは別として、脳で整理してスピード感のある会話中に放出できますか?

自分はIQがクソ低く、かつこの能力が完全に終わってるので頭が良い人の会話力が気になりました
(あ~~~~とか、「なんか」みたいな発言を連発して、相手に気を遣わせてしまいます)
[ 2018/07/12 21:26 ] [ 編集 ]
長文はお望みでないのですね…
では中文?ミドル文?くらいの文量で失礼します
人間は何故選挙に行かなくていいのかという話は確か、自分ひとりが投票したって結果は変わらないというのが要点でしたね
しかし自分はこう考えます
「正しい事を言っていると思った人に投票する」という行為はこの国全体にとってプラスでしかないのでは?少なくともマイナスではないのでは?と
つまり「この国を正しい人たちに動かして欲しい」という思いがある人は、「選挙に行かなくてはならない」のでは?と
自分ひとりでは時間がなくて結論が出せないのです
もしこの考えが正しいなら貴方の考えはこの短時間で説得できるような物だったと言えますし、逆に間違いがあるなら是非時間をかけて納得させて欲しいと思います
さて、もしかしてこの文量でも長かったでしょうか
[ 2018/07/13 21:03 ] [ 編集 ]
 この手の選挙制度に対する謎の信頼はいったいどこから生じるのでしょう?
 私はある仮説を立てました。それは「供託金制度を知らない」というものです。
 ネット上で選挙について語られることは多々ありますが、供託金に触れられることはあまりないようです。

>>「正しい事を言っていると思った人に投票する」という行為
 は机上の空論です。日本においては実現しません。

 なぜなら日本の選挙では立候補するのに供託金が必要であるためです。
 実際には「600万円用意できる」立候補者の中から「正しい事を言っていると思った人に投票する」ことになります。

 (なお、なぜ供託金制度が認知されていないのかを考えると、私見ですが選挙像が「学校の生徒会選挙」にて刷り込まれたためではないかと思います。
 誤った認識を広める教育にいかほどの価値が存在するのでしょう?
 学校の生徒会選挙でも(学生価格でお小遣い1年分として)30万円ほど供託金を要求する方が、教育としてはより妥当でしょう)

 選挙には選ぶ側と選ばれる側が存在し、選ばれる側には「大金を用意することができる」という条件があるのです。
 600万円用意できる政治家、600万円用意できる経営者、600万円用意できる芸能人、600万円用意できる宗教団体幹部・・・・・・。
 選挙をする以前の段階で選択肢が絞られているというわけです。

 立候補者を「金持ち」という属性に限定する「前提条件」が存在するのなら、当たり前ですが選挙で誰を選ぼうと金持ちしか当選しません。
 (もっとも厳密に考えれば金持ち以外に「ギャンブラー」も当選する可能性はありますが・・・・・・)
 そのような状況で選挙に行ったとしましょう。果たしてそれで「選んだ」と言えるのでしょうか?
 「正しいことを言っていると思った人」が金持ちでなかったら?

 そもそも論として「正しい」とはアンサーであり「目的」「課題」「任務」「使命」といったクエスチョンの入力次第で出力は異なります。
 「正しい」なんてものはクイズのようなもので、難易度の違いはあるでしょうが究極的には個人の自由意志に関わらず最適解は自動的に定まるべきものでしょう。
 となれば見るべき点は「正しいか否か?」ではなく「何を問題視するか?」でしょうね。
 そして「何を問題視するか?」というのは、その人間の「立場」とでもいうべきものに大きく左右されるようです(立場が人をつくる)。

 この供託金制度自体に不満があるとして「誰によって」それが解消されると思いますか?
 一体、誰が供託金制度を変更する「権利」を持っているのでしょうか?
 現在の国会議員は因果関係を考えれば(一人の例外もなしに)供託金制度で弾かれてはいません。
 このような状況でルールを決める側がわざわざ進んで不利になるようなルールを決定するでしょうか?

 これは選挙に限ったことではなく「現在、決定権を持つもの」が「自らに不利な決定はしない」というある意味では当たり前の戦略です。
 選挙以外では、例えば面接官だったりコンテストやオーディションの審査員などがそうです。
 言うなれば、この手の「開かれた門戸と称して用意された手段」への無意味感とでもいうべき疑念的感覚です。
 「決定権を持つものが決定した」範囲内での行動に囚われる以上、決定権を持つものに有利な状況は揺るがないでしょう。
 そのことを考えずに真正面から真面目に選挙に行ったところで「国全体のプラス」にはならないでしょう。
 「国全体」という単位でよしあしを考えるのなら必要なのは「決定権を持つものが決定できない」こととは何なのかを考えることでしょうね。
 決定権を持つものと言えども人間で、全能の神ではないのですから。
[ 2018/07/14 11:09 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無しさん

> 質問です。
> 内面的進化の話で思い出したのですが、ニートさんは擬態する生物はどうやって誕生したと思いますか?
> 淘汰と偶然(突然変異云々)の積み重ねであるという意見が有力らしいのですが、自分は納得できません。
> 枯れ葉みたいなカマキリとか、逆に虫の模様がある植物なんかもありますが、偶然でこんな風になりますかね?長い時間掛けてるとはいえ…。



擬態は難しいですねぇ。

昆虫はライフサイクルが短いから~とか言われてもやっぱり納得し難い部分はありますよね。

そもそもその擬態意味あるの?というのも多い気がします。

そして擬態なのか威嚇なのかだって、本当の所昆虫に訊いたワケじゃないから分からなかったりする。
人間の解釈で180度変わったりするかもしれない。

(左右に思いっきり揺れまくってるナナフシは、怒って威嚇してるって言ったり、いやあれは虫としてありえない動きをすることで擬態してるって言ったり・・・)


広葉樹よりもコノハチョウの方が先に存在していたかもしれない、とか(これマジだっけジョークだっけ)

本当に考えれば考える程「擬態」って何?って気分になってきます。


それでも一応は淘汰と変異で納得はできると思うのですが、
何の役に立ってるのか分からない部分だと、本当謎になってくる。

ツノゼミの角とかなんでここまで滅茶苦茶な形になる必要があったのか?
ハンディキャップとか性淘汰とかで説明つくんでしょうか?



・・・というわけで
全然解答になってないですが、自分も全然分からないということです。




でもなんというか、 そういう生物を見たらすぐに、
「進化論は嘘」とかいう人もいますが、 自分はそれも分からないと思います。

世の中にはコノハムシみるだけで進化論は間違い!とかいう反応を示す人がいたりしますが(何故かネットでよくみる)
その反応もその反応でおかしいだろと思います。
「進化論」というのに対する認識がなんか違うのだと思います。




「擬態はどのように誕生したのか?」
「最初に擬態を始めた虫はどのように始めたのか?」

これを研究するなら、むしろ今から擬態をさせてしまったらどうかと思ったりしますね。

都会で進化する生物。
劇的に変化する人間の影響下の環境のもとで、
動物が今結構凄いスピードでいびつな進化を強いられていることがあると聞きました。


それを昆虫を使ってさらに人工的にやってしまえばどうかと思ったりします。

そうすれば、「あるものに少しずつ擬態しはじめる虫」というのを観察できるのではないかと思ったりします。


滅茶苦茶言ってますが。

[ 2018/07/22 10:03 ] [ 編集 ]
Re: タイトルなし
> 崩しモナ さん




> 「正しい事を言っていると思った人に投票する」という行為はこの国全体にとってプラスでしかないのでは?少なくともマイナスではないのでは?と


その「気持ち」自体は正しいでしょうね。


てか、「選挙に強い関心がある人間だけが選挙に行き、選挙に興味のない人間は選挙に行かなくなれば良い」という事自体は
書いてありますから、それはある意味それと同じかもしれませんよ。




ただ、実際の選挙というのはほとんどがどっかの組合による組織票とかで決まっていると思います。


だから、個人の「私はこの人が正しいと思う」にはほとんど意味がないし、 
そもそもその
「私はこの人が正しいと思う」が正しいかどうかも分かったもんじゃありません。

(2009年の民主党勝利なんかがそんなじゃないでしょうか?)
(あんまこういう話もしたくないですが)



他にも、

自分なんかがコロッと、ある人の演説を聞いて、「その人は正しい」とすぐに信じてしまうようならば、
どうせその人は自分なんかが投票しなくても勝つべき人なのだから、自分ひとりは投票に行かなくても変化はない。
統計的にも変化はない。
故に行かなくていい。

逆に自分一人くらいしかその人の素晴らしさを理解できてないとするならば、
そんな人はもうどうあっても選挙で勝てないのだからどうしようもない、
よって選挙に行かなくていい。


みたいな考え方もできてしまいますね。




で、プラスマイナスで言えば、
自分的には「選挙にいかない」という選択肢もまた、「別にマイナスではない」のですよ。


選挙の目的が「正確な民意の反映」というのであれば、
それは統計的に正しい比率を求めるということであります。

だからそれは多分記事で書いたように、標本調査で十分求められる。

故に、「テキトーに選挙に行かない」という行為は、結果に何の影響も与えないのだから、マイナスでない、正確な行為です。


本当のマイナスの行為というのは、
選挙が実は裏で不正をしてるだとか、
まぁ組織票だとか、
そういうことだと思います。



プラスじゃないかもしれないけど少なくともマイナスではない、というのはそういうことだと思います。


てか、多くの人間が選挙をボイコットすることで
選挙の仕組みを完全に考え直す、みたいなことが起きれば、サボることだって実はプラスだった、みたいに言えますからね。

[ 2018/07/22 10:22 ] [ 編集 ]
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