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「自給自足」の否定


10日くらい自己嫌悪でブログ開いてませんでした。
という訳でやっとアホなことを書き始める。


このブログとか、「自分の生き方」への「一番のツッコミ所」
こいつ馬鹿だなと思われているであろう部分というのが、

「なんで一人暮らしをしないのか?」
「そんなに家族を憎んでいるのなら、なんで自立しないのか?」

という所だと思う。



自分に理解のある風にやってくる人も、結局、最後の最後では、人生のアドバイスとして、

「引っ越したらどうなんですか?」
「一人暮らししたらどうなんですか?」
「自立出来るようになったらいいですね!」

みたいなことを言ってくる。 それで、解決すると思っている。 それが、ゴールだとおもっている。


でも自分としては、そんなことを言われても無理、何じゃそりゃ?」としか思えないワケ。


それくらい、「一人暮らし」という生き方に対する「価値観」が、
自分と常人とでは 違うのだろう。


だからそのギャップの部分について、いい加減に説明しないといけない。


でも、この価値観もちょっと面倒すぎるので、
段階を追って語っていかなければいけない。


そのための段階。


1. 「自給自足」というのはいい事でもなんでもない

2. 「自立」というのはいい事でもなんでもない

3. 「一人暮らし」というのはいい事でもなんでもない



あとは細々とした
自分の金銭感覚が崩壊しているとか、
自分の家賃に対する感覚とか、
絶対に自分は一人では生きていけないと思っているとか、
絶対に自分はまともに働くことはできるわけが無いと思っているとか、
絶対に自分は・・・とか
そういうのがプラスされて、自分はこうなっている。



で、今回は、 「1. 自給自足はいいことでもなんでもない」という部分の話をしていく。




 
まず大前提として、

「自給自足」というのは良いこと、 美しい生き方、健全な生き方、理想の生き方

自分の必要なものを全部自分で作って消費する、

他人に頼らない、
人に迷惑をかけない、

自己完結した素晴らしい生き方。
クリーンな生き方。

・・・
「そういう風」に思っている人が多い のではないだろうか?


(ここが違うってんなら、別にこんな話しなくていいんだ)


でもなんとなく、みんなそういう感覚があるはず。




脱サラしたサラリーマンとか、
人生に、都会に疲れた人が、

「田舎で農業でもやるか~?」
「田舎で畑でも耕して、自給自足の生活でもするか~?」 
とか、そういうことをよく言ってそうじゃん。 (ガメラ3)


なんでそういうことを言い出すのかというと、

やっぱりみんな心のどこかで「自給自足」は (大変だけど)「善い事」という風に認識していて、
(大変だけど)憧れがあるから、そういう風に夢見ているんではないかと思う。



で、今回自分が言いたいこととしては そもそも「自給自足」は「善い事ですらない」 ということですね。


究極的な話、

もしも
「すべての人間」が自分の食べる分の食べ物をすべて栽培して、すべて採集して、すべて狩猟してて、
・・・
完全に自給自足で生きていけるようになったとする。

すべての人間が他人に頼らずに生きていける。 

もしも、そんなことが「成立」している世界があったとしたら、どうだろうか?


すべての人間が自分の面倒を100%見れていて、誰にも迷惑をかけない、誰にも何も頼らない。
そんな世界。



そのような世界は、本当に理想の世界なのか?

そのような世界は、本当に皆が理想の生き方を出来ているといえるのだろうか?




で、
結論。
「そのような世界」からは、 「何も生まれません」



そのような世界とは、すべての人間が自分の食べるものを用意することに奔走しているだけの世界ということです。
普通の労力で考えればそうなります。


一日中畑耕してて、
一日中動物おいかけまわして、
一日中魚釣ろうとしてて、
一日中薪割りしてて、
・・・
そういうことを一日中やってるだけの世界ということです。



で、一応それが成立しているのだから、 まぁすべての人間がそれで生きてはいけているわけです。



一日中植物の世話してたり、

一日中狩りをしてたり、

一日中釣りをしてたりする、 そういう生活は、


確かに
充実しているかもしれない。

確かに、楽しいかもしれない。



ものすごく、プリミティブで面白い人生を、すべての人間が送れている世界、ではあるはずなのです。



でも、やっぱりそれは「個人のため」にしかならないのです。



すべての人間が、自分の食べ物,自分の生活のことだけを一日中考えていて、
それは面白くて充実した人生なのかもしれないけど、

みんな、自分ひとりだけのことで限界で、他に何も生み出すことの出来ない忙しい人生とも言えるのです。


・・・そのような生き方をすべての人間がやっているという世界とは、

「すべての人間が 動物になったのと同じ」ということです。



野生の動物が1日中やっていることは、
自分の飯の心配とか、身の安全を考えることばかりでしょう。

そうして、
今も世界中で何億、何兆もの動物が蠢いて生きているわけだけど、

彼らの人生は自分だけで完結していて、何も生み出す余裕がない。

動物の命というのは、
死んだ後何も残らない。


食事と繁殖と、自己の楽しみだけで生きている生物、 

「そのような生物がどっかで大量に、ライフサイクルを回している」という構図は、

実は「そんな生物最初から絶滅していた」というのと何も変わりません。


だって、絶滅はどんな生物もかならずするし、 
そして死んだ後、何も残ってないのであれば、同じことになるからです。

「大量の動物達が、地球上で 自分のことだけを考えながら毎日生きている」 というのは、そういう構図です。



だから、
すべての人間が、自分のための食べ物をすべて自分で用意することに奔走している世界というのは、
「すべての人間が動物になったのと同じ」と言えるのです。


ここでようやく分かってきたはず。



自分だけの小さな畑を持って、 それを耕して、

植物の世話を毎日して、

小さな農場を作って、

動物を飼って、エサをやって、毎日世話をして、

燃料も自分でつくって、
・・・
・・・
そうやって、自分の食べる分の食べ物を全部自分で用意して、慎ましく生きていく。 
そんな生き方
そういう生き方というのは 物凄く 健全で美しい、理想の生き方のように 思えていたかもしれないけど、

このような構図について考えたとき、ようやく気づくのです。




自給自足の生き方というのは、 

実は物凄く効率が悪く、

実は「自分のことしか考えてない」生き方であって、 (真逆になるのが面白い)

最も「自分勝手な生き方」
最も「動物のような非生産的な生き方」だということ。


すべての人間がこのような生き方にあこがれだしたら、 

実はそれは人間がいなくなって
この地球が動物だけの惑星に戻るのと等しいくらい、愚かなこと。


そしてそれは、 すべての動物が最初から絶滅していたことと何も変わらない生き方だということなのです。



で、キーワードが見えてくる。
自給自足とは、「自分勝手」で、「効率が悪い」生き方。
非常に「動物的」で何も生み出せなくなる、「不毛」の方向性を向いた生き方であることが分かってきます。



ではどのような生き方が「その逆」をいけるか?
わかりきっています。


見えてくるキーワードは、
「集団」「分業」「分担」「専門化」「効率化」「適材適所」です。




「それぞれの人間が、自分のやれることをだけをやる」

すべての人間が自分の食うものを100%世話する必要はないってことです。

これは食料だけの話ではないし、


・エネルギー、
・サービス、
・労力

あらゆることでも共通して言えることです。



すべてのことを自分でまかなおうとしたら、時間、エネルギー、労力がいくらあっても足りません。
そんで、その行き着く果ては、動物のような生き方に近づくだけです。


で、ここでちょっと話が広がるけど、

国の食料自給率も、全く同じように考えることが出来ます。




みんな、子供の頃 学校で、
「日本は食料自給率がとても低い国だ」と教えられたと思う。

それがいいことだというニュアンスでは、全く教えられなかった筈です。


アメリカはこう、
中国はこう、
・・・
でも日本は、これだけしか自分で食べる分の農作物を作れてなくて、
あとは輸入に頼ってますよーと。

(これって良くないですよねぇ~)
(なんとかしないと駄目ですよねぇ~)
(農業に従事する人が増えないと困りますよねぇ~)

・・・というような言外のニュアンスを、社会科の先生から、なんとなく教えられてきたと思う。



そういうのがあるから、
そのままで何も考えなかった人は、
「国の食料自給率が低いことはよくない事」というような認識で、止まっていると思う。


そういう認識で止まっている人間が政治家になったりすると、

「食料自給率をなんとかせねば!」
「日本の農業をなんとかせねば!」みたいなことを言い出すようになります。

学校で教えられたままの価値観で止まっていて、
「自給自足」の本質についてまで考えたことがないから、そういう風な人間になってしまうのです。





でもここまで考えながらこの文章を読んできた人なら、わかりますよね。


日本は、むしろ食料自給率が低いことを誇りに思うべき、くらいのことが分かってきます。


「本当に尊敬される国」というのはどのような国でしょうか?



そらまぁアメリカはいいですよ。
国土も広いから、 食料自給率も高いし、それ以外のことも出来る。


じゃあ日本も自給率の高い国をめざしたほうが、いいの? ほんとにいいの?

国土も狭い、 (これを言うと日本は別に狭くないみたいなツッコミはいりそうだけど)
山だらけの国。


そんな国が、無理に農業にチカラをいれるということはどういうことかというと、

↓それは人間でたとえればこうですよ。


「狭い庭」しか持ってない人間が、
その狭い庭で家庭菜園やろうとして、
「自分の食べるだけの野菜は自給自足できるようになったらいいなぁ~」とか夢見ているようなもんですよ。


それで、庭の狭い人間が、せっせこ家庭菜園の趣味に明け暮れるようになる。

それが、本当に日本人のやるべきことなんでしょうか?




そんな家庭菜園は、
アメリカさんのように「庭が広い人」にやらせておけばいい。

アメリカさんの方が時間も労力もかけてないのに、多くの野菜を採れている。

(アメリカの農業従事者の人口比率は、日本よりも低い) (日本 3.7%  アメリカ1.6%)
(飛行機で農薬まく国は違うね)



そうやって、アメリカさんから野菜を分けてもらえば、それでいいじゃないかと。

自分の狭い庭で家庭菜園をやろうとして、意味のない自給率という数字にこだわるより
そうやって分けて貰ったほうがお互いよっぽど効率がいいし、自分のやれることをやれる、ということです。



「海外の安い労力で作られた安い野菜のせいで国産の農業が~!」
なんて悩む必要、最初からなかったんです。


そんな、食糧生産なんて「原始的な部分」からはどんどん脱却していけばいい。 
他所の、もっと適した土地の、適した人たちにやらせておけばいい ということです。


庭の狭い日本さんは、
頭のいい日本さんは、
手が器用な日本さんは、
「畑仕事なんかよりも他にやるべきことがある」ってこと、みんな分かってる筈です。



これもまた、国単位で考えられる「分業」「専門化」です。


「エネルギー自給率」についても同様です。


「エネルギー自給率について考えよう!」
なんて、勘違いしたCMをやってたりしますが、
あんなのも「考えなくていいこと」です。




「エネルギー自給率が高い国」というのは、 本当にそれだけで「尊敬できる国」と言えるのでしょうか?



人間は、そんなことでは尊敬はしないはずです。



正直いって、 みんな、 サウジアラビアとかあのへんの、大富豪の王子とかの人たち、 本当に尊敬してますか?


人間で例えれば、 ある日庭から石油が出るようになっただけの人です。 ただの成金です。
そういう人のことは、誰も本気では尊敬しないはず。


単に金持ちだから、まぁ相手してやるけど、まぁ舐めたような接待はしないけど、

でも内心は、「そんなのお前の手柄じゃないからな」「その庭から出てる石油はお前が作ったものじゃないけどな」って、思ってる筈です。


みんな、実は、産油国を軽蔑している筈。



「新黒沢」って漫画で、石油王が出てくる巻がありますが)
(あれ読めばまぁ確信するよ。 みんな、実は石油成金を尊敬なんかしていないって)




よって、「エネルギー自給率」なんて概念も、
実は心配する必要すらないことだということがわかります。


石油は、庭から石油が出てきた奴から、分けてもらえばいい。

ただそれだけのことであって、

庭の狭い日本さんが、屋根に太陽光パネルをつけるべきでしょうか?とか、
原子力発電に頼るのはよくないのでしょうか?とか、
自分の庭からも何か資源が出ないでしょうか?とか、

そんなに真剣に考えるほどのことでもない。


CMで流して啓蒙するようなことでもない。



そういうことがわかるようになります。


じゃあ本当に尊敬される国とは何か?


食料自給率なんか捨てていい。
自分が食べる食べ物を全部自分で用意する必要なんかない。

エネルギー自給率なんか捨てていい。
自分が消費するエネルギーを全部自分で用意する必要なんかない。


人間は、国は、そんな所で尊敬されたり、軽蔑されたりしない。




本当に尊敬されるポイントというのは、
自分にしかできないことをやる、ということです。
やはり「分業」です。


日本で言えば、「知的財産」です。 クリエイティブな力です。 
そこを一番みられている筈。



そのことから考えれば、
「自分の必要な分は全部自分で用意しよう」なんて発想は、
ゴミのような、動物に後退するような発想だということが見えてくる筈です。


すべての人間が、
このことに気づき、

このようなことを「一回は自分で考え」、

(社会の授業で、なんとなく「日本の自給率低いですね、よくないですね」みたいな教え方をするのではなく)
(このレベルのことを最初から小学生に教えていたならば)

自給自足を尊ぶ価値観には、実はそんなに根拠がない ということに気づいたならどうだったか。



自給自足は動物側に近づく発想!
分業こそが人間側に近づく発想!

自給自足は「悪」!
分業こそが「善」!


このような考え方のほうが、
漠然と自給自足をありがたがるよりもよっぽど進んだ価値観ではないでしょうか?



ちなみに「食料自給率なんか低くていい!」なんてことは、普通の人はなかなか言えませんよね。
ここまでのことを考えたことがないから。


それに、そういうことをもし言おうものなら、
これが飛んできます。


「戦争になったときどうするんだ!」
「輸入を絶たれたらどうするんだ!」
「食べ物がなくて困るぞ!」
「リメンバーABCD包囲網!」


ってやつですね。



まぁ戦争になることを心配している時点で、やはりこれも「動物側」に近づく発想なのですよね。

じゃあそもそも自給率を高めたいというのは戦争に備えてのことなのか?ということになる。




お隣さんと喧嘩した後のことが心配だから、家庭菜園に力を入れておきましょう。
お隣さんと喧嘩するときのために、番犬に高い金をはらっておきましょう。

・・・
そういう発想は果たしてそんなに正しい発想なのか?


これもまた「分業」で考えられます。


「タダ乗りしていたからこそ成長できた」って考え方だって、出来るのですよ。



好き好んで、「世界の警察」をやりたがる人がいるのなら、
そんな行為もまた、そういう奴にまかせておけばいい。

警備活動は警備員にまかせておけばいい。

自分で犬を大量に飼うとかしなくていい。


犬を買わなかった分のお金で、別の経済成長が出来た。

じゃあそれでよかったじゃないか、という考え方。


「戦争について考えない」
「戦争の準備を限界までしない」
「他人の警備網にタダ乗りする」
という戦略もまた、「分業」という考え方でいえばありえるのです。

(だから、「戦争になったら自給率が低いと困る!」というのは、
 動物的な発想、自給自足を尊ぶのと同じ、根拠のない発想と言えるのです)



(まぁどんどんきな臭い話になってきて、 こういう話は本題じゃないのでもうやらないけど)


・・・
まぁ大体がこういう考え方です。



皆が、漠然と そう教えられ、 
尊ぶことがデフォルト」のままで固まっている概念。


自分の分は自分で世話する。

他人に頼らない。

自分で全部作る。

自分の力だけで生きていく



自立。

自給自足。



それは善い事だと、立派な姿勢であると、深く考えないまま、 
「自給自足」というカッコいい4文字熟語が、子供の脳みそに記憶される。

そのまま大人になる。

そして、そのまま「自給自足は善いこと」だと思いこんで、疑わなくなってしまう。




でも実は、
「自給自足」というのは「動物の基本」でしかなかったということです。

人間の基本で考えるなら「分業」という発想の方が100億倍効率がよいということに、
まずは立ち返るべきではないかということです。





自分の食べ物は自分で無理に用意しない。
そんなのは庭の広いやつにやらせればいい。

自分には自分しかできないことを集中してやった方がいい。
すべての人間がそのように分担したほうが、結局は皆の役に立つ。 皆が楽を出来る。

皆が自立をしようとするというのは、実は皆が楽できなくなる方向を向いている。

このような発想を加速させたほうがよっぽど良かった。
自給自足に代わる、かっこいい4文字熟語を発明して、子供に刷り込んでおいたほうがよっぽど良かった。

なぜそうできなかったんだろうなぁ。



逆に、「自給自足はよいことだという思い込み」のまま、「それを無理に維持しよう」とすると、
いろいろズレたことになってくる。



国の食料自給率を上げたい!

農業従事者を増やしたい!

農業を守りたい!


でも所詮は狭い畑。外国からは安い野菜。儲からない。


よって国内で農業をやっている人に、「補助金」を与えたりする。


すると、儲からないけど補助金目当てで食っている農家とかも出てくる。なんとなく生きているだけの人間。
儲からなけりゃ平気で野菜をトラックで潰して捨てたりする。


そうやって数字の上だけの農業従事者の人口を「金で維持」して、何になるというのか?



だったら最初から農業なんかやらなきゃいい。

だったら最初から、その補助金で別のものを買ってりゃいい。

意味の無い維持だったということが見えてくる。





農業なんか、他の精神活動から比べれば、大して尊ばなくていい行為だということに気づくことが出来れば、

「自給自足」なんか、「分業」という発想から比べれば、大して尊ばなくていい行為だということに気づくことが出来れば、

もっと簡単に捨てることができたはずです。



まぁそういうこと。


ちなみになんでこんなに農業を目の敵にしてるっぽいのかというと、


よく、自称識者の人が、
「ニートには農業をさせろ」みたいなことを、まるで「物凄いグッドアイディア」であるかのように言いますよね。

後継者の足りない農業を、ニートにやらせれば、一石二鳥じゃないかという発想です。



自分に言わせれば、こんなのは全然賢くない発想なのですよ。


理由は特に説明しなくてももう分かるはず。
そんなのは「無駄な維持」だからです。


「ニートが存在出来ている」という事実は全く別の捉え方をすることが出来るし、
「国内農業が儲からない」ということも、全く別の捉え方をすることが出来る。



今回自分が書いたような考え方をすることができれば、

農業は捨てていい。
ニートは農業なんかやらなくていい、ということがハッキリわかるようになります。



「なんとかせねば」ではなく「やらんでいい」ということが見えてくる。


他にも、「ニートには株をさせろ」みたいなことを言う自称識者もいますよね。


これも、馬鹿な発想です。

でも、これは一応「ニートには農業をさせろ」とは意味が違いますね。

これは、「ニートを食い物にしたい」という、より邪悪な発想であるかもしれません。


つまりそれは、貧困救済ビジネスといいながら、
さらに「その貧者から奪う」ような詐欺行為をやってるような連中に近い発想です。


よってこれも、賢い発想では全く無いということがわかります。


まぁとにかくそんなこんなで、

・「自給自足」とは

・「農業という行為はどれくらいの優先順位で尊ぶべきか」

・食べ物とは


これらに対する 自分の捉え方が、ちょっとは伝わったのではないかと思います。



これが基本です。



まぁこんな文章を書くべきか書くべきじゃないか迷ってる内は、
そら自己嫌悪で死にたくなりますよ。


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[ 2018/08/01 15:46 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(6)
リアルな自給自足って簡単に言えば、建築ブロック1つ作るだけでも数時間以上かかる上に生肉で応急処置も出来ないマイクラって事ですよね。4文字に縮められますよ。ク ソ ゲ ー。

自分の両親が屋上で家庭菜園やってるんですが、ナメクジ、蟻、カナブン、ネギにこびりつくダニ共であふれています。ナメクジは命知らずで、この猛暑にプランター下の目先の水を求め集まって勝手に干からびて死にます。
おぞましいので発狂耐性が低いと頭から血飛沫撒き散らして死にます。

自分は極端に軟弱ですが、普通の現代人にやらせても肉体面や精神面で多少は消耗するので、ポストアポカリプスな世界でないと本気で自分の力で生きようなんて思わないでしょう。
何が言いたいかっていうと自給自足についてそこまで理解していない、表面だけさらうのが好きなナメクジみたいな奴らが群れて騒いでるだけなのではと思いました。
[ 2018/07/24 00:12 ] [ 編集 ]
「自給自足」「自立」「一人暮らし」に対する三部作の主張?をお聞きする前に口をはさむのも良くないのかも知れませんが…。

「創作活動が捗らない」や「課金に結びつかない」といった悩みと、「家族が憎い」という悩みは、やはり大きく違うと思っていて、個人的には、この最後の問題が改善されることを(勝手に)望んでいます。
そしてそのためには、距離を取るのが最善のように感じるのです。

「自立」や「一人暮らし」はあくまでもひとつの手段であり、「距離を取る」という目的を達成するために、あらゆる方法を模索されると良いのではないかなと(勝手に)思っています。

[ 2018/07/24 18:12 ] [ 編集 ]
>新黒沢って漫画で、石油王が出てくる巻がありますが
オチが無くて良く分かんない話でしたね。
でも福本先生はああいうノリが本領なのかな。

ところで食料自給率は、ちょっと違います。
ライフラインを他国が握ってる事のリスクっていうのは、戦争にでもなれば栓を閉められて干上がるっていうのもあるんですが、
供給量や価格が輸出国の事情で変わるのが勘所です。
それは政治的事情もそうですが、どうにもならないのは気候とか作付けの変動です。
今人口爆発と地球温暖化で世界的に原材料費が高騰してるんですが(シュリンクフレーションは世界規模で起こっています)、これは長期的には取り返しのつかないリスクになるのでは…というのが自給率が低さが危ぶまれる理由です。
実態としてはそこまで深刻に考えられてる訳でもありませんが。

まあ記事の主題とは全然関係無いですね。
ただ、今回の記事はスケールが広がり過ぎて地に足がつかない話になってる所はあると思います。
[ 2018/07/25 00:41 ] [ 編集 ]
コメント返信
> こうた さん

> 「創作活動が捗らない」や「課金に結びつかない」といった悩みと、「家族が憎い」という悩みは、やはり大きく違うと思っていて、個人的には、この最後の問題が改善されることを(勝手に)望んでいます。
> そしてそのためには、距離を取るのが最善のように感じるのです。
> 「自立」や「一人暮らし」はあくまでもひとつの手段であり、「距離を取る」という目的を達成するために、あらゆる方法を模索されると良いのではないかなと(勝手に)思っています。


まぁそういうことではありますね。

自分も自給自足や一人暮らしを否定するだけじゃなくて、
一個最強の案というのを考えて書いていきたいと思っています。

そして自分の中の、それの究極系の話をしたいと思ってます。


でもその先は、「自分が考えたように世界がそうなっていないので知らん」みたいな話になるんですけどね。
[ 2018/08/02 09:54 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無し さん


> >新黒沢って漫画で、石油王が出てくる巻がありますが
> オチが無くて良く分かんない話でしたね。
> でも福本先生はああいうノリが本領なのかな。


確かにオチなかったですねw

でもなんなんだろう「俺、石油王に会ったら一度聞いてみたいことがあったんだよ」みたいなくだりですかね、
ああいうの、案外みんな実は気になってることだと思うんですよ。


新黒沢はなんかそういう 妙に庶民目線にフィットしたこと、
案外毎日の中で疑問に思ってることを垂れ流してくれてる感じがあるんです。


コンビニの弁当を横流ししてくれたらなぁ~とか、
石油王って何考えて石油売ってるんだろうなぁ~とか、
偉いお坊さんってどういうつもりで修行やってるんだろうなぁ~とか、
古武術やってる奴っていけすかないなぁ~とか、


そういうの直でやってる感じがします。

そこがなんかバカみたいだけど、どうにも好きなんです。




> それは政治的事情もそうですが、どうにもならないのは気候とか作付けの変動です。
> 今人口爆発と地球温暖化で世界的に原材料費が高騰してるんですが(シュリンクフレーションは世界規模で起こっています)、これは長期的には取り返しのつかないリスクになるのでは…というのが自給率が低さが危ぶまれる理由です。


そんな感じですかー。


自分がシュリンクフレーションを一番感じるのは、ポテトチップですねw

まぁ、値上げをしたら売れないだろう。
だが原材料は上がっている。 
だから量を減らすしか無い。

ということですね。


究極的には、「農作物を買い叩くのがあたりまえ」という構造がこれを生んでいる気がします。
買う側と売る側が全く対等になってないから こういうことになる、と。
いつだって買う側が有利すぎる、と。


世の中のありとあらゆるモノの値段を、人間の命と労力に照らし合わせて公平にしたらどうなるんだと思うことがあります。



もしくは全く別のこと。
人間なんて8分の1に縮んでしまえばいいと思っています。




あと、ニートというのは もとより地に足がついていない存在なので
これで基本だとも思います。
[ 2018/08/02 10:31 ] [ 編集 ]
【自給自足度】

 「全人類が完全に自給自足」のような仮定は、そこ(=自給自足)に当てはまるものが何であれ大抵うまく回らないと思います。

 考えてみれば自給自足は「するかしないか」の二択ではなく「自給自足度」とでもいうべき数値で表現するのが適切かと思います。
 自給自足度マックスの状態が「一切他人に頼らない自給自足」だとしましょう。
 逆に自給自足度ゼロの状態(他人に全依存)をイメージしてみると「意識のない寝たきりの重病人」になるように思えます。
 さすがに極論ですが、自給自足度を究極的に下げる想像をするならそうイメージせざるを得ないでしょう。

 現実的な範囲で自給自足度を考えると「家には井戸があるから水道民営化で値段が暴騰しても問題ない」程度でしょうか。
 「採算が取れないから水道はなしです」となれば、その土地では生活できないでしょうし。

 「自給自足の軽視」とは言うなれば「極振り」にも思えてきます。
 (となると「ガチ勢とエンジョイ勢の違い」というのが、自給自足論以前の段階で存在するように思えます。
 「完全なる自給自足」もしくは「自給自足の軽視」というような極限的な仮定は、どちらもガチ勢的発想に見えます)

【自給自足度とクリエイティブ能力の関係】

 自給自足の話から「分業」さらに「クリエイティブ能力」へと繋がる様子ですね?

 「専門家」タイプの人間が自給自足度をオミットすることで、クリエイティブ能力を高めるというイメージでしょうか。
 言うなればゲームにおける「スキルポイント」の振り分けのような価値観に思えます(RPG的発想?)。
 (現実におけるスキルポイントとは「時間」?)
 「自給自足度」を高めるスキルポイントをクリエイティブ能力に割り振ることで、よりクリエイティブ能力が向上するといった発想でしょうか?

 しかしクリエイティブ能力を高めるために自給自足度を犠牲にするのは本当に妥当なのでしょうか?
 自給自足に関する知識次第で「題材」とできるもの(あるいはそれを題材とする発想)の数も増えそうにも思えますが・・・・・・。
 (非凡な発想を目指すなら、非凡な経験が近道では?)

 ゲーム的な例えなら「イベントフラグ」のような概念でも考えることはできると思います(ADV的発想?)。
 「自給自足生活」が「刺激(イベントフラグ)」となりスキル獲得(クリエイティブ能力が高まった)というようなパターンのイメージですね。
 「自給自足生活」単体では役に立たなくても相乗効果的ななにかが期待できないか?というような発想です。

 自給自足論は「能力アップに必要なのはなんなのか?」という能力向上論(?)にも繋がってきますね。
 大抵の人間が(自分の専門分野の)能力アップを望んでいるわけですから。
 自給自足派からすれば自給自足することで能力アップするように思えるのでしょう。
 自給自足それ自体が目的ではなく、自給自足度を高めることで能力が高まるというような価値観です。
 (「気づき」だとか「人間力」とか言いそうなタイプ?)

【後世に残るもの】

 ところで『死んだ後何も残らない』という観点では、どんな分野なら何か残すことができるでしょう?
 今の時代、昔よりも「後世に物を残す」難易度が高くなったように思えます。
 (昔のものなら、わりとレベルの低い日用品でも博物館に飾られているイメージがあります)

 まずゲームを含めてデジタルデータはきっと後世には残らないでしょう(特に最近のソーシャルゲーム)。
 個人でどれだけ良い物を作っても、デジタルデータはどんどん消えていってしまいます。
 更新が止まりやがて消滅したサイトは無数に存在します。
 企業の気まぐれでサービスが終了になり、見られなくなるパターンもあります。 
 収集家にしても企業の製品でなければ収集していないように思えます。

 やはり実体でしょうか?
 しかし実体も劣化していきます(材質による)し、よっぽど価値のあるものでなければ捨てられて忘れ去られるでしょう。
 よしんば博物館や大学のような場所に収められても経営悪化などで処分される恐れはあります。
 遺族や収集家の手に渡ったとしても、個人の気まぐれで捨てられたり粗末に扱われて消失する恐れがあります。

 「後世に残るもの」という観点で考えるなら、それが可能な職業はクリエイティブ系の中でもさらに極少数ではないか?と思います。
 時計職人や刀匠などの「耐久性のある(もしくは修理できる)」「嗜好品」「実体」系がこの観点では強い職業に思えます。

【自給自足と未来像】

 自給自足が『善い事』かについては「現時点で既にしている」ではなく「これからすべきか?」というような論調のものがほとんどかと思います。
 実際に「現時点で完全な自給自足生活をしている」人は極少数派でしょう。
 ならば自給自足論は今現在の話ではなく「将来どうなるか?」「将来どうするか?」という話でしょう。
 そうすると将来への展望、「未来像」へと繋がります。
 未来像が楽観的ならば自給自足は不要、悲観的ならば必要という結論へ至るはずですね。

 「よりよい未来になるから自給自足なんて必要ない」
 「ロクな未来にならないから自給自足するか」
 というような違いです。

 自給自足派にしてみれば「文明崩壊する将来に備えて自給自足の能力を身に着けるか・・・・・・」といったところでしょうか。
 恐怖の大王、未知のクリーチャー、病原菌、戦争や犯罪、恐怖政治、経済崩壊、大災害・・・・・・。
 イメージされうる文明崩壊のパターンは様々です。

 そして、考えてみればこのような「悲観的な未来像」には「創作作品」の影響もあるように思えます。
 未来像を自分の頭だけで未来を想像する人など少数派で、大半は何かの受け売りでしょう。
 そして一般的には科学の専門雑誌などではなく創作作品(娯楽作品)が未来像の源流でしょう。

 創作作品における未来はポストアポカリプスやディストピアのように悲観的な世界観を持つ作品が多いような気がしませんか?
 娯楽作品ならばバトル要素が含まれるため、物騒な世界観なのは必然的な流れなのかもしれません。
 それ以外では「文明のありがたみ」的なものの影響もあるように思えます。

 「自動車」の例で考えて見ましょう。
・「文明発展によって自動車がなくなった」なら自動車愛好家は「自動車のない世界が理想像なのか?」「自動車のない世界が成り立つわけがない」と反発する。
・「文明崩壊によって自動車がなくなった」なら自動車愛好家は「自動車のない世界はこんなにも悲惨」「自動車のありがたみが再確認できた」と受け入れる。

 つまり「悲観的な未来像」でなら「文明のありがたみ」という概念から「文明の利器」を排除することが許されるのです。
 文明の利器(移動手段、通信手段など)は物語の幅を狭めるため、それを排除(制限)できるような世界観(舞台設定)は都合がいい訳です。

 このような流れから創作作品の未来像には悲観的なものが多く、それが「自給自足」は望ましいという風潮に繋がっているのでしょう。
 いくら自給自足は不要だといっても「じゃあゾンビが蔓延したらどうするの?」といった風な考えへと続くわけです。
 自給自足に近い生活を送る側の人々は、ゾンビは冗談にしても首都直下型地震くらいなら実現しそうと思っていて、
 「タワーマンションに住んでた勝ち組の連中も今じゃ惨めな避難所暮らし・・・・・・。かたや自給自足生活の俺はノーダメージ。大逆転だぜ!」
 となるような未来像を持っているのかもしれません。

 (悲観的な未来像を起点として、貧困層ならホームセンター、一般人なら筋トレ、金持ちなら自給自足、大富豪なら核シェルターというような発想になるのでは?)

 まとめると「創作理論上、文明崩壊する未来像が望ましい」ことにより「創作作品の影響を受け、自給自足が望ましいと考える」風潮が生じているというような仮説です。
 「自給自足なんて必要ない」と思う人を増やすには、この「創作世界において悲観的な未来像が主流」であるような状況をなんとかしなければならないかと思います。

【未来像とシンギュラリティ】

 悲観的な未来像とは逆に、楽観的な未来像とはどのようなものでしょう?
 このブログでは他のブログと比較しユニークな点として「シンギュラリティ」によりよりよい未来が訪れると思っているように読み取れます。
 最近ではシンギュラリティ(技術的特異点(2045年?))のように人工知能発達により人知を超えた知性で問題解決するような未来像が広まりつつあるようですね。
 (将来的に)自給自足の必要性を感じないのもシンギュラリティによる楽観的な未来像を信じているためであるように思えます。
 個人的にはシンギュラリティにはオカルト的な雰囲気を感じますが・・・・・・。
 悲観的な未来像がピグマリオン効果や予言の自己実現などで実現するよりも、楽観的な未来が実現したほうが良いはずではありますね。

 シンギュラリティにより、いったいどのような未来が訪れるのでしょうか?
 人生の不幸は肉体の性能に起因する部分も多々あるのでしょうし、まずはその点の改善でしょうか。
 サイボーグ?バイオテクノロジー?仮想空間?ナノマシン?などにより、それらが解決されるとしましょう。
 そうなれば、超人的な肉体により自給自足はおろか肉体の維持に一切のエネルギー補充(食事)の必要さえないような未来が訪れるかもしれませんね。
[ 2018/08/05 00:13 ] [ 編集 ]
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