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「一人暮らし」の否定

 
今書いてるこの、なんだかよく分からないシリーズというのは
一応、物凄い自己嫌悪の中で(無理やり何故か)書いてるんだけど、まぁそれも分からないだろう。

(だからコメントもらっても本当は困る)
(そして自分の習性として、本当は反論のコメだけ相手したくて 賛同のコメは無視したいくらいなんだけど)
(どうにもそれってすごい変な気がする)
(だからやっぱりコメ禁止にしたい 本当は)



そしてこの記事も、一応「勢い」だけで書いてはみたんだけど
もはやちゃんと編集する気にもなれなかった。


自分が本当に書きたい結論は、次の記事からになります。

で、もうしょうがないので、この記事は途中の段階で置いておくけど、
本当はボツ記事同然だからね。これ

だからここだけ特に文章テキトーだし説得力薄いけど、
まぁこういう「流れ」なんです。



次は一人暮らしの否定というのやる。




これはほとんどボツ記事です 


単純な話、 一人で生きていくのと数人でまとまって生きていくのとでどれだけ金銭的負担が違うだろうか。


家賃、
光熱費 (料理はまとめて作れば~という発想)
水道代 (風呂なんかもわかりやすい)

ネット料金、
各種サービス・・・ (kindleだのアマゾンだのも、家族間で共有できるサービスがある)


・・・まぁとにかく、n人ですめば単純に「n分の1」までとは言わないまでも、
「ルートn」くらいは楽になっていったりするのではないだろうか?




基本的にはこれである。

一人暮らしは金がかかる。

金もかかるし、エネルギー的にも、資源的にも、同様に無駄が増えていることがわかる。


「自給自足」同様に、
一人暮らしは無駄が増える、ということです。



だから、金を人一倍稼げるつもりの無い 自分のような人間は、
実家に寄生するしかないだろう、というのが基本です。



で、これ以外の「ギークハウス」だの「シェアハウス」だのの発想もあるはずなのだが、
それは自分の、「自分はもう絶対に友人が作れないだろう」みたいなのが引っかかってくる)

要は、結婚だの友人だの学友だの、そういうのは自分には絶対に望めない。

よって、もう家族に寄生するしかない、ということです。


そのためには、どんなに家族が馬鹿だろうと、どんなに家族が憎かろうと、
そこは仕方がない、ということなのです。


で、実は今回は話は、「一人暮らしの否定」ではなくて「経済を回す」という言葉の否定になってきます。


一人暮らしの否定はもうここで終わりです。
これで十分わかる筈です。




こんなふうに、
一人暮らしはいかにコスパが悪いか
一人暮らしをすることで如何にエネルギーやら金やらが無駄になっていくか、ということを語ったところで


わりと飛んでくるであろう反論が、


そういうことをしていると「経済が回らなくなるぞ」という奴です。




そりゃぁ確かに実家ぐらしは金がかからないかもしれない。

そりゃぁ確かに実家ぐらししてて車に乗らなければ金がかからないかもしれない。

そりゃぁ確かにコスパがいいんだろう。


でも、みんながみんなそんな風な生活をやりはじめたら、誰も車を買ったりしなくなるじゃないか。
みんながそんな節約生活をやってたら、経済が回らなくなるじゃないか。

そんなケチな発想は、不況をまねくだけだ。

だから、人一倍金を稼いで、じゃんじゃん金を回すことが、結果的に世のため人のためになるんだ!
人の半分しか金を稼げない奴は半人前なんだよ!



・・・
こういう反論が、飛んでくるでしょう。
これが、一般人が唱えられる、「実家ぐらし」への反論でしょう。




でも自分は、こういう発想自体が 馬鹿げてると思っているんです。


「経済を回す」って、なんだろうか?



前にも言ったけど、自分は「経済」の本質って「花見酒」だと思っているんです。



「花見酒の経済」とか、
「花見酒経済」とか言いますが、 

そういうのではない。


経済の「一部」に花見酒のような状態がある とかいうレベルではなくて、
経済「全体」が、「人間の間で金が回る」ということの本質自体が、 花見酒そのものなのです。



ちなみに、「花見酒」について一瞬で理解がしたかったら、
ドリフのコントを見るのが一番いいんだけどね、どっかにないかね。


二人の酔っぱらいのおでん屋がいて、100円を持ってる。

片方が100円をもう片方に払っておでんを買って食う。
もう片方がその100円をもう片方に返して、またおでんを買って食う。

そんで、100円が移動している間に、互いのおでんが勝手に消費されていく、という構図です。


なぜこれが経済の一部ではなく経済の全てだと思っているのかというと、
やはりそれは地球の資源というのを見てればそう思うはず。


二人のおでん屋を人間、
間で動いている100円を金、
勝手に減っていくおでんを地球の資源だと捉えればいい。


人間が定めているモノの値段というのは、

あくまで 人間が人間基準で、人間の時給とか人件費とかから割り出している儲けのラインで決まっているだけです。
(そしてそれ自体も物凄い不平等なんだが)



そこに、
世界にこの資源がこれだけしかない、
地球のこの資源は一年にこれだけしか出てこないからこれ以上は取れない

みたいな条件は、全然入ってこないのです。


人間がお互いに回し合う金の金額が妥当かどうかというのは
自分の時給のような感覚からしか考えることが出来ない。


ガソリンの値段はそれが消費者に売れるかどうかで決まる。
枯渇する直前まで値段はそう上がらない。


うなぎの値段も同様。

絶滅がやばそうですねーなんてのを数年前から言われていても、
その時点では値段は急にあがらない。


(つまり、「綺麗な反比例」にはならない) (1/穫れる量)
(本当に資源を守りたかったら、反比例の二乗三乗とかにすべきな気がするが) 



本当に絶滅する直前になってから、ようやく、需要と供給とか言い出して値段がやっと上がり始める。
で、そうなった頃にはもううなぎは絶滅寸前になっているわけ。



人間間同士なら、価格の妥当性は時給基準で定められる。


前回言ったように、

私はこの服を1日かけてつくりました。
私はこの食べ物を1日かけてつくりました。

これで、この二人の人間が対等なら、それでお互いの作ったもの・サービスを金を介して交換することができるでしょう。




だが、人間と地球資源の間で、その価格の妥当性というのは誰も考えることができない。


地球は一年間にもうこれだけしかうなぎを産むことができません。
地球は一年間にもうこれだけしか木を生やすことができません。

そういう定まっている量を基準にして、
人間はモノの値段を決めることが出来ない。




そして、人間間で需要があるうちは売りまくる。

供給が減ったら、値段を釣り上げて、売りまくる。

絶滅するまで、枯渇するまで、売りまくる。



そうやって、今の地球人は、 毎年、 地球の資源を 「地球2年分」くらいの勢いで消費している、と。



その根拠は、金が回るから。 需要があるから。 儲かるから。



つまり、 「経済を回すためならまぁ仕方がない」という奴です。



地球の時給なんか考えてたら、経済が回らなくなるから、そんなことは知るか!ということなのでしょう。


改めて、
「経済を回さなければ」というのは何なのでしょう?



要は「経済を回す」ってのは、言い換えると 「景気を良くしたい」ということでしょう。



「景気を良くしたい」というのは、 言い換えると、
「モノがじゃんじゃん売れるようになって欲しい」ということでしょう。




「モノがじゃんじゃん売れるようになって欲しい」というのは、言い換えると、
「楽に金が入ってくるようになって欲しい」ということでしょう。



「楽に金が入ってくるようになって欲しい」というのは、言い換えると、
「贅沢がしたい」
「楽がしたい」ということでしょう。




いやマジで。 これ以外の意味はないはずです。


贅沢がしたい、楽がしたいから、 景気がよくなってほしいのです。



それ以外のことは本当は望んでない筈。



それなのにいつのまにか、
経済を回すためなら他の全てを犠牲にしてもいいとでも思っているかのような人が増えてしまっていると思うのです。




そんで、
資源がいつか枯渇するかもしれないけど、まぁそんなに値上がりはしないよね、とか


一人ぐらしなんかするのは、それ金銭的にも、エネルギー的にも、資源的にもコスパはいいのかもしれないけど、
そんなことしてたら経済が回らないぞとか、


若者の車離れとかけしからん!
車が如何に無駄だろうと、 そういうものをジャンジャン昔は買ってたから、売れてたから、景気が良かったんだ!


「車に乗るより電車に乗ったほうが地球の環境にいい?」
馬鹿言うな!
そんなこと言ってたら経済まわせないぞ!
車をもっと買いやがれ!とか、


バイクは自由だ!とか (あのCM馬鹿みたい)



・・・
そういうことを言うような人間になってくるのです。



経済のためなら、エネルギー、資源、コスパ? そんな物は犠牲にしてもいい。
最優先は、経済だ!みたいな人間になるのです。


でも、冷静に考えると意味が分かりません。


「経済をまわせ」は、つきつめると
「贅沢がしたい」 or「楽がしたい」 でしかなかった筈です。



「楽をしたい」が根底にあったはずなのに、いつしかそこを忘れている。




だから、こんなことすら言うようになる。



ベーシックインカム?
そんなの、成立出来るわけがないだろう!

働かなくても最低限生きていけるような世界になったら、
どれだけの人間が会社勤めをやめることになると思っているんだ!

そしたらまた車が売れなくなる!
どんだけ景気が悪くなると思っているんだ!


・・・



そんな調子になります。


「ベーシックインカムが実現すると経済が回らなくなるので、ベーシックインカムなど実現するべきではない」
みたいなことを素で言っている人がいたりします。



おかしな話です。


「景気が良くなってほしい」は「楽になりたい」であった筈なのに、
なぜだか、究極の楽への道であるはずのベーシックインカムを、景気のために否定するようになっているのです。



そして、景気のためなら無駄にガソリンを燃やすことは仕方のないことだと思っているらしい。


・・・ということです。


「経済を回せ」とか
「そういうことをすると経済が回らなくなる」とか

・・・
そういう言葉は、自分に言わせれば どっかで手段と目的がおかしくなってる言葉なんです。



それなのに、なぜだかこんな言葉が、皆の心の中に感染してしまっているのが 現状です。



多分、日本人の中にはびこっている

「人間は自立すべき」

「人間は一人暮らしするべき」

「人間は巣立ちするべき」 のような価値観も、 単なる「悪しきミーム」に感染しているだけなのだと思います。





複数でまとまって生活するより、一人暮らしのほうが無駄が多くて、消費が多くて、経済が回るだろうから、
そのようなミームに感染させようとしているのです。 

(何者かが?)(メディアが?)
(でも、一度このミームに感染してしまったモノは、自らこのミームを伝搬させるようになってしまう)



「一人暮らしのミーム」というのはマジであると思う。
そして、日本人は特にこのミームが強いと思う。


他の国では案外実家ぐらししてる人間は多いのだ。
そういう比率がみれる世界地図があったはず。 (どっかいった)

でも日本はこう。 


(これには、都市集中型とか色々条件あるんだろうが、やっぱり根本は、一人暮らしを推奨するミームが強力すぎるのだと思う)
(でも自分に言わせれば、「一人暮らしが立派」なんてミームに、根拠は全く無い)



でも本当は、あらゆる意味で、 一人暮らしをするよりもまとまって生活したほうが効率がよい筈です。
本来人間はそうやって生きていくのが合理的。


経済学者は、どうやったら景気がよくなるかとかを考えているのでしょうが、
「景気がよくなる」の真の意味や、その先の真の目的について考えたことはあるのでしょうか?


今回自分がしたような話に対して、なんと反論ができるのでしょうか?



多分、何も無いはず。



景気をよくする方法論なんて、
「全員で同時にアクセルを踏むようにしたら渋滞なんて起きなくなる」レベルのことを言ってるだけだと思うんだけど。



んでも実際、全員で
「いっせーのーで」でジャンジャン金を使うようになったら、景気がよくなるというのも、事実でしょう。



でも、それってなんなのか?



ある日突然、「いっせーので」で モノ・サービスが二倍売れるようになったとしたら、
それは資源の消費も二倍になるようなモノではないか。


(100円の交換を加速させて、おでんの消費を加速させる、二人のおでん屋のような構図です)



ただでさえ、地球人は
経済という名の「金の流れ」を維持するために
現状、 一年で 地球を二年分消費するようになってしまっているのに、

それをまた、更に良くするために加速させるのか? ということです。


もう、発想からして間違っているんだと思う。



「経済が停滞しても全ての人間が幸福に楽に生きていけるような方向性」を考えるほうが
よっぽど正しいはず。



本当は、地球で得られる食料、 地球に降り注がれているエネルギーなどは、
「全ての人間を生かせるだけの量」が得られている筈です。


(「夏が暑い」とか思っている時点で、 地球人は太陽エネルギーも満足に利用出来ていないことがわかる)


本当は 全ての人間が食っていけるだけの食べ物は得られる筈なのに
「働かざる者食うべからず」とか言って、無駄に働いているポーズをしつづけないと生きられないかのように思わせる。


これはおかしな話ではないか。



だったらBIでも実現して、
大勢の人間が引きこもりになってしまうようにしたほうがどれだけいいか。


どれだけエネルギーや資源が無駄にならないか。
どれだけ大勢の人間の生活が楽になるか。




都会で無理して働くのをやめて、
実家にもどって引きこもって、それでほそぼそと、低消費で生きていく人間が増えたなら、
実はそれが一番幸せな筈。




で、実際、そのような世界のほうが、人間の「精神活動」は加速できるはずです。

(これを昨日、書いてたら、ひろゆきが全く同じようなことを呟いて笑った)
(みんな案外同じようなことを考えるようになってきているのか?)

だって、今の世界は、大勢の人間が通勤通学仕事に「忙殺」されている毎日を送ってるだけなんだろうから。


・・・
まぁそんな感じでしたね。



一人暮らしのほうが色々とコスパがいい。
 (自分のような半人前の人間ならなおさら)

低消費で生きていけるような生き方の方が良い。


でも 「経済をまわせ」という理由から、これに反論してくる人間もいるだろう。
だが、そのような考え自体が違うんですよ、そういうミームに感染しているだけなのですよ、 ということを言いたかった。




引きこもりの生き方の方がよっぽど正しかったと、
未来人は、未来の子どもたちなら、理解してくれるはず。


「経済を回せ」とかいって ガソリンを無駄に燃やすことを正当化していた原始人の末裔よりかはマシだからです。


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[ 2018/08/04 18:28 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(-)
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