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ニートが頑張るブログ TOP  >  ニートメソッド >  真の理想の生き方とは

真の理想の生き方とは


信じられんようなタイトルでしょう


こっからようやく全体で言いたかったような話に到着する。
ぶっちゃけ今までの話は、そんなに重要じゃないのですよ。


ここで自分が言いたいことは
なぜか突然「理想の生き方」とかの話になってくる。


で、とにかく、
自分のような「半人前の人間」は、
絶対に自立出来ないと思っているし、
絶対に一人暮らしをするべきではない
と思っているわけです。

そんなことしてたら絶対に金がなくなって死ぬだけだと思っている。


自分は絶対にまともな仕事には就けないと思っているし、
絶対にそのための就職活動を出来るとも思っていない。

自分は、1日に二時間の清掃バイトやったら、それでもう 力尽きるくらいの体力の人間で、
それが限界だと思っている。 実際にそう。

どうしてそんなんで一人暮らしが出来るのか。 出来るはずがない!
家賃というのは頭がおかしい値段設定だと思う。
なぜあんなことになっているのか。 どうせあれも「ナプキン」だ



で、
そういう人間が一応 無理にでも生きていこうと思ったら、
それはもう実家に寄生するしかない。


いや、本当は他にも選択肢はあるのかもしれない。

なんか、「ギークハウス」とか、「シェアハウス」とか、そういう話もある。



そもそも、自分自身同じようなことはよく考えることがあるのです。

ずっと前に書いた、「積みゲー解消マンション」みたいなのだって、
この発想をずっとどんどん進めていけば、ギークハウスみたいな発想には必然的にたどり着いた筈です。


同じ趣味趣向を持った人間同士で集まったら、 (ゲームの借り合いなんかもそうだし、アカウント共有なんかもそう)
同じ目的意識を持った人間同士で集まったら、 (「楽に低消費で生きていきたい」、みたいな意識が共通しているのは大事)
色々と低コストになるどころか、
一人で生きていくよりも、さらに何倍も 面白おかしく生きていくことが出来るようになる筈、みたいな発想。



じゃあ「そういう発想」を究極まで突き詰めたらどこまでいくだろうか?


延々と、
もしも自分だったら、もしも自分が「究極のギークハウス」を考えるなら、
さらにその先を行くような「究極の楽」に到れる生き方を目指す共同体を作るとしたら
それはどんななのか?
・・・
みたいなのを書こうかとも思ってたわけだけど、 今回そういう話になると思う。

いやちょっと違うか。

もっとすっとんで、
そういうのがメインの生き方の指針として提示されていたら
「人類はどれだけ変わっていたか」
くらいの話になってくる。





 

まぁとにかく「ギークハウス」というモノがある。 知らん人はググって、概要だけ知っといて。
(月の生活費5万くらいで、プログラマーとかフリーランスが生きていく新しい生き方、みたいな感じ)


てか自分自身、本当に似たようなことを考えてた頃があるので、
この単語を知らなかったら普通に車輪の再発明してたと思う。




だが思うんだが、それで、どうなるんだろうか?


「じゃあニートさんギークハウスに住めばいいじゃないですか」って言われたところで、
それでも自分は多分「動けない」と思う。


だって、誰も知らんし。
そして、友達とか一人もいないし。
知らん所には行けない
って思うわけ。


それで嬉々としてギークハウスに引っ越し出来るやつなんて、もとから精神的にニート引きこもりじゃないよ!
と自分は思う。




そういうわけで、 それほどの条件を提示されても、結局自分には絶対に無理なワケ。




もしもそういうことが発生するとしたら、
もう全く別のところから突然 指名、お呼びがかかるとかでない限り、自分には無理だと思う。

そして、そういうことを言ってくれる人がいるわけ?
いるわけがない。


みんな勝手な事は言う。

ニートさんなら働けるでしょとか
あれ出来るでしょ
これ出来るでしょ
ああいうとこに住めばいいでしょとか
・・・


「働けクソニート」と言ってくる人はいるけど、
それで「自分のとこで雇ってやるよ」と言ってくる人はいない感じ。

そういうことには絶対ならんよね。
これが全てなんだよ。


「同情するなら金をくれ」みたいな気分になる。


・・・
というわけで、自分は絶対に現状から動けないと思う。

そういうのに能動的に動くくらいだったら、自分は実家寄生という現状維持しか考えない。



で、つくづく思うことはこういうことだったりする。

とにかく、子供の頃から教えられてきた価値観自体が間違ってたなぁということである。


自分の考えでは、多分、 ギークハウスのような発想 環境ですら、
自分を生かすことは出来ないと思う。


似たような境遇の似たような人間を「あとから」集めて共同生活、ってのが、もう無理だと思う。

もっと「先」をいかなければいけない。


どのくらい先か、
どういう発想かというと、



もう、「最初から」友達だった人間が、そのまま一緒に住む、みたいな感覚である。



なぜ、「このような価値観」が自分が子供だった頃に存在しなかったのだろう。



自分が子供の頃、なんとなく伝わってきた「大人へのミーム」というのは、 
「一人暮らしのミーム」か、「結婚のミーム」みたいなのしかなかったような気がする。


これが大問題なのだ。


つまり、人間は大人になったら、進学したら、卒業した後は、
・一人暮らしをするべきである。
・もしくは、恋愛をして、結婚をすべきである。
そうやって、実家とは違う所で生きていくべきである、
みたいな価値観だ。 

(これを「脅迫」と言ってくれた人もいた)(「同調圧力」でもあるし)(自分は「ミーム」と呼んでいく)



そういうのが、「大人のなり方」「大人になったときの生き方」みたいにして、なんとなく伝わってきた気がする。
そういう方向性しか、提示されていなかった。


これが、もう大間違いだったのだ。 てか、そういうのは自分には無理。



今でこそ、ようやくシェアハウスみたいなミームが出てきた気がする (ドラマとかで)
だが、自分的にはもう手遅れである。


自分が子供の頃から、シェアハウス、いや、それを「もっと進めたような価値観」があり、
それを子供の頃から教えられていたら、自分はその価値観に従うことが出来たのになぁ。


「もっと進めたような価値観」
つまり、こういうのになる。



とにかく小学校、中学校、高校、までの間に、
どんなに人付き合いの苦手な人間だろうと、 自分にとっての「真の親友」を作れと。

で、進学したら、大人になったら、 もう その親友と一緒に生活するのである。

できれば、その親友は多ければ多いほうがいい。
理想としては7人くらいである。


概要としてはこれだけである。


何故、親友でないといけないか?
「究極のシェアハウス」というのを考えた場合、そうなってくる。


ただの「後付け」で集まったシェアハウスやギークハウスで、一体どこまでのことが出来るだろうか?



たとえば、 「他人が入った後の湯船に浸かる」ということが、可能か?

「他人が使った後のトイレに座る」ということが、出来るか?

「他人の下着を一緒に洗濯してやる」ということが、出来るか?


多分、出来ない。


だから結局、そういう「ギークハウス」とか言って、コスパの高い生き方を謳ってる人たちだって、
部屋は別だろう。 風呂も別だろう。 洗濯も別だろう。 自炊も別だろう。 色々、別だろう。

それって結局家族以下なんだよ。



すると結局、水道代とか光熱費も、 
大勢で住めば住むだけ安くなる基本 「n分の1」「ルートn分の1」 という風にはいかなくなってくる。

エヴァ22話で風呂の水を捨てるアスカ
↑アスカみたいに風呂の水すててたりするような関係性じゃ、家族ごっこをする意味がない。



「他人が入った後の湯船に平気で浸かれる」くらいの間柄の人間同士で共同生活しないかぎり、
本当のコスパ、本当の楽、 本当の怠け生活には至れないわけ。




で、普通はそんなの、家族か、 まぁ結婚した相手、くらいしか限られてくるだろう。
ここが、家族とギークハウスの差になってくると思う。


「パーソナルスペース」の限界を、超えないといけない。

ATフィールド破られても平気なくらいの関係性。

そこまで行かないと、ギークハウスは超えられない。家族は超えられない。


で、さっき言ったように、自分に結婚は無理だ。 ギークハウスも無理だ。 
すると、最後は、 必要だったのは「超・親友」ということになってくる。


もちろん、今の自分には友人が一人もいない。 全員切れてしまった。
(同窓会とか一回も行ったことないぞ)




だからこそ思うのだ。

小学生の頃から 「人間は大人になるまでにこれだけを考えておけ」という生き方の指針として、

絶対に 「将来一緒に住むための5人以上の親友を探していけ」
「その親友はタダの親友ではない。 家族を超えるレベルの超・親友だ」
「その親友を集めるために、学校というのはあるのだ」

・・・
みたいなことを提示されていたら、 自分だって、その価値観に従って、学校にいけたし、進学できたと思う。



そういう「将来へのビジョン」を提示されていたら、
自分ですら、「大人になること」をワクワクできたかもしれない。

(自分は、大人になることを待ち遠しく思ったことが一度もないよ)
(「一人暮らしに憧れる」ということも一度もなかった)
 (そんなのに憧れているみんなの方が、頭がオカシイんじゃないかと思っていた)


世界がそうなっていたら、
さすがの自分だって、友人を大切にして、生きていけたと思う。
学校卒業後、完全に全員と切れる、みたいなことにはならなかったと思う。


だって、仲間と生きていく未来について ワクワク考えて生きているんだから。


就職とか進学とかよりも、
「親友と同じところで住む」というのが最終目的の価値観なのだから。


それなのに、子供の頃から自分に提示されてきた「大人はどう生きるか」という価値観は、
一人暮らしのミームとか、
就職のミーム、
結婚のミーム、そういう、デタラメの、しかも「辛そう」なモノしかなかった。



これが大間違いだったと思うのです。
本当にこれらは全部デタラメだよ。

人間を不幸にする、非効率的な価値観でしかない。


今回自分が提唱するようなスタイルを、何か一言で命名出来ないだろうか?
まぁ「超・親友」のままでもいいんだけどさ。


「スーパーベストフレンズ」とか
「伍を組む」
みたいなのがいいかと思う。



まぁ 「伍」で行こうか。
(一応この命名は半分ギャグだよ)
(「キングダム」の伍でもいいし、)
(「薩摩示現流」の伍でもいい)

キングダムの伍

薩南示現流の伍


とにかく、人間は、 義務教育の間に、マジモンの心の友、親友を5人くらい作ることをめざしておく。
そして、大人になったら、その心の友5人くらいと、共同生活を始めるのだ。



そうすれば、 もうどれほど楽だったかわかったもんじゃない。


家賃ゲロ安。
光熱費、水道代・・・「拡大家族」と同じくらいのコスパ。



全員親友なので、めっちゃ楽しい。
ゲーム、貸し借りし放題。 話題共有しまくり。


PS+
ネトフリ
アマプラ
各種サービスも、 家族扱いで、アカウント一個で共有できる。 

(そもそも、「心の壁」を超えられるくらいの関係性なので、「アカウントを分ける」ということをする必要自体がなかったりする)
(そこが超・親友の凄い所なのだが)

よって物凄いエンタメ充実。



その5人の中に、無職が4人くらいいたって成立するくらいの生き方が出来るんじゃないだろうか。


まぁ、それはよくないとして、
(いや、そんな関係性でも腹が立たないからこその超・親友なのかもしれないし)

(その一人の稼ぎ頭を、「残りの4人が命をかけてサポートする」という生き方をするのであれば)
(そんなのは、結婚の数億倍の幸福度でお互いに生きていけるだろう
(だってめちゃくちゃ気の利く究極の専業主婦が4人体制でいるような状態だと考えられるのだから)


だって、
ギークハウスは、 月収5万くらいの人間でも生きていけるようなシステムなんでしょ?

自分の提唱する「伍」は、 ギークハウス以上のコスパが出るだろうから、それより安い。
(その根拠は、風呂とトイレを超えられるくらいの、家族以上の関係性から生まれる「n分の1」の発想からくる)


5人の人間があつまって、月収20万くらいあれば全員幸福に生きられるようにならんだろうか?
で、5人の人間のうち、一人がまともに働ける人間であればいいわけ。


こういう価値観、 こういうことを、子供の頃から約束する仲。
就職だの一人暮らしだの自立だの結婚だのに悩むのを完全に放棄できる
(いや、親友が常に一緒にいるんだから悩みもいくらでも相談できるわけだ)
・・・
そういうのをともに目指す仲。




そういう親友を5人集めれば、最高の人生を送れた。
そういう価値観が、何故なかったのか。

(てかいまも、シェアハウス、ギークハウス止まりの発想しかないのなら、誰も思いついてないということだけど)



なぜこういう価値観が台頭していなかったのか。

こういう価値観が、一人暮らしのミームや結婚のミームの代わりに、 全人類に感染しているような世界線に、
どうして生まれなかったのだろうか?




もしも自分が生まれた世界がそんな世界だったら、
自分だって、友人を大切にしただろう。

自分だって将来を前向きに考える人間になっただろう。
自分だって、大人になることを夢見れる人間になっただろう。


「将来の伍となれるような親友」そのようなベストフレンドを作りながら、探しながら、学校生活を送れただろう。


そして
伍の一員として、どっかのマンションで生活し始めていただろう。

そうすりゃ、自分もニートになってなかった気がするのですよ。


(自分がニートになったのは、 学校卒業後とか、その辺の時期に)
「誰にも何も相談ができなくなった」というのがデカイと思う)
(「伍」はそういうのを解決できる)



(てか、「伍」のシステムなら、別にニートになったって幸福に生きていけるし)
(逆に、「伍」の親友の中にニートが4人くらい産まれてしまっても、みんなで生きていける)



何億回も言うけど、
どうしてこうならなかったのだろうか?



「伍」のような価値観が世界に産まれてこなかったのが悪い。

誰もこれを思いつかなかったのが悪い。



・・・

でまぁこういうことを言っていると、
「人間がどいつもこいつもそんな「伍」のような生き方をしはじめたら 経済が回らないぞ」みたいな反論が絶対飛んでくるだろう。

それを事前に切っておくために、前回のようなことを書いておいたわけ。
前回の記事にはそれくらいの意味しかない。
(まぁそれと、「一人暮らしのミーム」みたいな言い回しは前回から始めたか)





だから、残るような反論はこれがあるだろう。
「人間がどいつもこいつもそんな「伍」のような生き方をしはじめたら 出生率はどうなるんだ」って奴だ。


これはどうなんだろうねぇ。


ぶっちゃけ、ニートだの引きこもりだの草食系だのは、
これも結局、世の大人が子供に伝える価値観が間違ってたから だと思うのです。


(こういう話は気色悪いので限界までしたくなかったのだが)

例えば恋愛のあり方を制限するような価値観、ドラマ、映画というのに、世は溢れている。

「恋愛というのは、これくらいの美男美女同士で、これくらいドラマチックで運命的なことが起こって始まるもんですよ~」
みたいな無意識下でのミームを、
じっくり時間をかけて押し付けられたからこそ、ああいうことになるんじゃないかと思っている。

ドラマや映画で押し付けられる恋愛のミームと、実際の結婚のミームが完全に食い違っているので、ああなる。

(「相手」や「状況」への理想が高すぎて、限界まで自由恋愛は出来ない)
(で、時期が来て、今度は「結婚のミーム」に「焦らされて」、無理やり婚活する、そういう間に合わせ行為)

(前に言った 「この世界の片隅に」のような恋愛観を描くほうが、よっぽど正しいとは言える)
(「お見合い結婚から始まる恋」「代替品から始まる恋でもいいよね」ということをあれは言っている)
(これなら、恋愛観と結婚のミームが「食い違ってない」ので、正しいといえる)


はい気色の悪い話終了。


あと、
人間が個人主義に走るのも、一人暮らしのミームのせいだと思っている。



てか実際
もしも、「一人暮らしのミーム」よりも
「伍のミーム」の方が優勢な世界だったら、人間はどう生きているだろうか?



休日なんかは、友人同士で、楽しく外出するみたいなことが当たり前になっているのではないかと思う。
そのような世界のほうが、 逆に恋愛というのは加速するような気がするんだがね。

だって、人間同士の「横のつながり」がものすごい連鎖していくだろうから。



(ところで、 自分は友人0だけどさ、 これって今時、別にそんな珍しくないらしいよ)
(自分はいいけど、みんな大丈夫か?)


(友人がゼロって人間は、案外自分のようなニートひきこもりに限らず、今の時代はものすごく増えているらしい)
(これも実は、「一人暮らしのミーム」のせいではないだろうか)
(そんな風に、人間の横のつながりが全くないまま大勢の人間が生きているような状況だから、後付で婚活とかするようになるし、それもうまくいかないのだと思う)


そもそも、結婚若者が結婚なんて考えられないくらい生活が厳しい、
育児を「コスパ」や「損得」でしか捉えられない
というのが、少子化の根源だろうと思ってる。


「伍」が成立している世界なら、 誰も経済的に「苦しい」「生きづらい」ということにはならないので、
「伍」のメンバーの中から結婚したいって人間が出てきても、全員が祝福できると思う。


てか、「伍」の中で子供を育てりゃいいし。

これも、あらゆる問題を解決できると思う。


自分みたいな人間がなんでクズに育つかっていったら、
それは、親が離婚してて、「片親」で育てられたからですよ。


周りに大人がいない。 
馬鹿な母親一人しかいない。
いたとしても、いつも喧嘩ばかりししている。
・・・
そういう歪んだ状況で育つと、こういうクズになる。 わかりきってます。



一方、「伍」のような状況下で育つ子供はどうだろうか?
自分の周りにつねに大人が数人いて、その大人たちがみんな仲良く、楽しそうに生きていたら、どうだろうか?



そんな状況で育った子供というのは、 
自分のような状況で育った子供よりも、
何倍も社交的で、
何倍もハキハキしてて、
何倍も賢くて、
何倍も行動的な、
 ものすごい立派な人間に育つ確率が 高い 気がする。



(なんか物凄い「良いサイクル」を産むシステムな気がする)

(両親が離婚した子供は離婚しやすい~とか)
(親に虐待された子供は虐待しやすい~とか、そういう「負のサイクル」の真逆が、ここにはある気がする)



・・・
まぁこの辺が、 

「伍?」
「いい大人がいつまでも友人同士で固まって生きているような世界じゃ、少子化が余計ひどくなるだろうが!」

みたいなのに対する反論ですね。




自分に言わせれば、この「伍」というスタイルこそが、
人間の究極の理想の生き方だったように思う。


これであらゆることが解決するように思う。



本当に、これを人類が思いつけなかったのが問題だと思っている。



自分がいいたいのはひたすらこれです。
(自分の人生の問題はほとんどどうでもよくなって来ている)



もしもここを読んでいる小学生や中学生がいるのなら、
マジで、このような生き方について考えてみてほしい。

学校や世間からなんとなく押し付けられている生き方にとらわれないような将来を、作れる筈なんだよ。



自分はマジでこんな風に思っているところがあるのです。

つまりなんというか、 「本当は親友がいたら良かったのになぁ」みたいなことも。実は思ってたりはする。


それならば自分は生きられたと思う。


伍が当たり前の世界だったならば・・・


・・・
で、現実に戻るけど、
じゃあどうしたらいいわけ?



自分の頭の中には 「伍」という生き方のアイディアが、「究極の理想形」としてあるわけ。
(親友が一人もいないにもかかわらず)



でも、周りの人は、
「一人暮らししろ」だの
「自立しろ」だの
「引っ越せ」だの
そういうレベルのことしかアドバイスできないワケじゃないですか。



せいぜい「ギークハウスでならニートさんは生きられるんじゃないですか?」くらいの提案止まりだろう。
で、それにしたって、誰も知らないギークハウスのところに自分がいきなり行けば全て解決すると思っているわけだ。
そんなのは、絶対、精神的に無理なのに。



全部、自分の考える理想から比べたら、ゴミのような選択肢にしか見えないわけ。

「伍」からすれば、ギークハウスですら、ゴミです。


そんなのを選ぶくらいなら、
実家に寄生してる生き方のほうがよっぽどベターのように思えるワケ。


自分が動けないとしたら、こういうのが根源にあるような気がする。
自分の思いついた理想が理想すぎるわけ。



今回自分は凄い話をした気がする。 珍しく。

で、これを切るのなら、
「伍」以上の生き方の指針を提示するか、
もう、あることをしなければならない。

(自分の言いたいことが分かるだろうか?)



それが出来ない人に
自分に説教やアドバイスなど 絶対に出来るはずがないとも、思っているのです。
(ひどい話だ)


まぁ究極の「ないものねだり」をしているといえばそれまでだけど、

それにしたって
「そもそもこんな世界に産まれたくなかった」
「こんな価値観がはびこってる世界に」
「どうせ限界がきたら自殺すればいいし」 
(もしくはその話は「セーフティネットパチンコうどん」の回でした)
と思っている人間が相手なのだから、
ないものねだりは何もおかしくないわけです。


・・・
まぁ、 人間は究極 どれくらいケチって、どれくらい低収入でも生きていけるんだろうか?
みたいなことはずっと考えてるよ。


月収2万くらいで生きられないのだろうか? 実際。

(これを解決するために、「数人で固まって生きる」という解決策が基本としてあるわけだけど)
(それ以外もあるはずだ)


食費にしたってどうなわけ?

場所によっては100円弁当を売ってる地域とかあるわけじゃん。
100円だよ100円。


自分は子供の頃から、
給食の残飯をどうにかして分けてもらえないだろうか?
コンビニの廃棄弁当を譲ってもらう方法、
マクドナルドで廃棄されるポテトをもらう方法がないだろうか?
みたいなことしか考えてなかったよ。


小学校の頃から、乞食みたいなことばかり考えてたのはなんなんだろうなぁ。
給食の残飯が大量に運ばれていくのを見て、そういうことばっか考えていた。
(いまでいう「食品ロス」に子供の頃から物凄い関心があった)


(ひな祭りに物凄い豪華なゼリーが出たんだけど、それだって何故か大量に廃棄されてるんだよ)
(勿体なさすぎると思った)
(あまりに勿体なすぎるから、自分は将来これを食べる乞食になりたいって思ったんだよ)


いきなり黄金伝説の「一ヶ月一万円生活」みたいなのに、憧れもあるんだよ。

前々々回、「自給自足の否定」ってのをやったけど、 実は「憧れ」も、自分の中にありはするのです。

自給自足自体は馬鹿げているけど、
低収入でも生きられることに繋がるのなら、それはアリになる。



なんの話だったんだ。
意味がわからない。
でも今回の一連の話は、多分ここでオワリなんです。


自分が本当は何が言いたかったか、推理できる人はいるのだろうか?


しかも、今回の「伍」とか「超・親友」みたいな話は、 更に「先の発想」があったりはする。

自分には、いや、 現代人には、 親友ですらどうにも出来ない「心の闇」がある気がする。
そこをどうにかしない限り、絶対に自分は、伍ですら生きられないんじゃないか? みたいな考えになってくる。


キーワード
"100年の恋も冷める"要素を、誰もが心の中に持っている」
「今の時代、本当に必要なのは、"親友"じゃなくて"悪友"



・・・
でもその話は、滅多なことじゃ出来ないと思う。



だからやっぱりこの話はここでオワリです。



なんでこんな話になったのかも分からないし、
自分でも自分が何を考えているのか 何を望んでいるのか 何に悩んでいるのかも、よく分からなくなった。


関連記事
[ 2018/08/06 19:44 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(6)
友人:1 のありがたみ を感じました
更新、お疲れさまでした。
今回の記事も読みごたえがありました。

①親友は社会人になってからは作れない!?
 管理人様は、学生時代の間に親友を作るべきだと仰いましたが、
私もその通りだと思いました。
そして、曲がりなりにも多少の(?)社会人経験のある私から補足させて頂きますと、社会人になってからは、親友というものは、やはりなかなか作れないと思います。

何故なら、社会人が長時間拘束されることになる会社、
その社内においての人間関係とは、
忖度が働きやすく、本音はほとんど言えない、
上下や横が歪に固定された関係になりがちだと感じます。
何故なら、お互いの収入や生活や、社内での立場や出世がかかっている以上、
どうしても、力関係や利害関係抜きでの関係は構築することが出来ないからです。
そして最悪、何かあったら会社を辞めざるを得ないということもありえますから、
それこそ恋愛関係以上に、「金の切れ目が縁の切れ目」でしょう。
所詮は、金の為に、生きる為に、
人間が集まって働いてる(働かされてる)場に過ぎません。会社なんて。

また、近年では、非正規労働者と正社員の間での断絶も広がっていると感じています。
そもそも、シフト制の仕事の場合は、
仲のいい同僚とちょっと一緒に遊びに行って親睦を深める、
なんてこと自体が、人手不足のせいで難しいという現状もあると思います。

そこで、せいぜい現実的だと思うのは、
利害とお休みの日が一致する者同士で飲み会でもして、
アルコールという名の潤滑油を、
会社の歯車の組み合わせでしかない人間関係の間に注ぎ込んで、
無理やりヌルヌルにするくらいが関の山なんじゃないですかね。
俺は飲み会、行ったことないですけど。

結局、社会人になってから(あるいは、学校に通わない年齢になってから)、
本当に気の合う相手との出会いを求めるならば、
あくまで社外で、趣味だとか、イベントだとか、
ネットとかの領域で見つけるべきだと思います。

②友人:1 の重み
なんというか、この記事において管理人様が提唱した、
「伍」に関する記述を読んでいた時に、
俺に残った唯一の友人(高校時代のクラスメイト)のことを思い出して、
なんだか泣けてきちゃいましたよ・・・。

俺に残った唯一の友人である彼は、
俺と趣味は合うものの、俺よりずっと有能で活発で、
それでも、何故か俺みたいなのに十年以上付き合ってくれてます。
高校卒業後、別々の大学に行って、大学を出てからも、
色んなとこに遊びにいって、色んなことをしました。
それでいて、お互いの仕事とか収入とかに関しては、極力聞かない間柄です。
一応、今でも、数カ月に一度は会う仲です。
次に会う時は、9月に荒木飛呂彦原画展に一緒に行く予定です。

もしかしたら、彼にとって、あるいは、俺から見ても、
この俺達はお互いに、都合のいい遊び友達に過ぎないのかもしれません。
それでも俺は、私生活で行き詰まりを感じて辛かった時も、
彼と遊べば正気を取り戻せるというか、
人間的に救われているような気分になれました。
だから俺は彼のことを、自分の生涯において掛け替えのない親友だと思っています。

それで確か、今年の春頃でしたかね、
その友人と一緒に遊びに出かけた先(上野・秋葉原)で、
彼が、『姉ちゃんが結婚して子供が生まれたから、その誕生祝いにぬいぐるみを探して買いたい』という話をしてきた時のことです。
その時、俺はまるで、自分の親しい親戚に子供が生まれた時のような気分になって、
自分の直接の子孫を残せない自分みたいな人間でも、
下の世代が生まれたことを素直に祝福出来るんだ、ということに驚きました。

そういうことを、思い出させてくれてありがとうございました。
すみません、自分のことばかりを書いてしまって・・・。
[ 2018/08/07 11:21 ] [ 編集 ]
>こういう価値観が、一人暮らしのミームや結婚のミームの代わりに、 全人類に感染しているような世界線に、どうして生まれなかったのだろうか?

>もしも自分が生まれた世界がそんな世界だったら、
>自分だって、友人を大切にしただろう。


拝読していて、ここが一番ひっかかりました。
この「一人暮らしのミーム」や「結婚のミーム」が蔓延している現実世界で、ByNEETさんは別に一人暮らしを志向したり結婚を志向したりしなかったわけですよね?
それなのに、「伍のミーム」のある世界ではどうして親友を志向するだろうと想定できるのか。
「自分はうまく『伍』に入れない。こんなミームのある世界はクソだ」となってもおかしくないのではないでしょうか?

「『伍』の方が効率がよく生きやすい社会だから自分はそれに馴染むに違いない」と反論されるかもしれませんが、ByNEETさんがこの現実社会において、効率がよく生きやすいやり方を積極的に選んでいるようにもあまり思えません。

もう一つ、現実の世界ですでに「友情のミーム」「仲間のミーム」は強力にあると思うのですが、自分は全くそれに馴染めません。「伍のミーム」がある世界は、余計に自分にとっては生きにくそうに思います。

つまるところ、ByNEETさんの考える「伍の世界」は、「必ず共同生活が上手くいく五人の親友」という部分にのっかりすぎているように思います。それを想定していいのなら、「必ず共同生活が上手くいく家族」とかを想定していいことになるのではないでしょうか。そして「そんなもんはなかった」からこそ、ByNEETさんがこの文章を書いているのではないか…と思いました。
[ 2018/08/07 13:31 ] [ 編集 ]
麻雀、パネポン、ギター。
それ以外なら、新宿だかの都心のギークハウスがIT、プログラムなどの集まりらしいっすよ。
[ 2018/08/07 23:35 ] [ 編集 ]
クローン作って定期的に同期するしか無いな
[ 2018/08/08 00:32 ] [ 編集 ]
>自分は子供の頃から、
>給食の残飯をどうにかして分けてもらえないだろうか?
>コンビニの廃棄弁当を譲ってもらう方法、
>マクドナルドで廃棄されるポテトともらう方法がないだろうか?みたいなことしか考えてなかったよ。

モロ新黒沢じゃないすか。
僕も昔考えた事あります。何故廃棄弁当をくすねたバイトは叱られるんだろう。店は損するでもなし、食べ物はゴミ箱でなく胃袋に入るというのに…色々理屈があるんでしょうが、異常な事です。
アフリカのどこぞだったら絶対に有りえません。
食品を食品としてでなく、商品として見てるからこういう歪みが出ます。
マルクスっぽく言うと、使用価値より交換価値が大事という資本主義社会の原理です。



ところで、ニートさんはマルクスって読んだ事ありますか?多分無いかと思われますが。
節々で凄く似てて驚きます。「労働価値説」とか「疎外論」とか。
>なぜ、「このような価値観」が自分が子供だった頃に存在しなかったのだろう。
この辺りの下りなんて国家イデオロギー装置の話みたいです。
理想郷を目指すっていう点が似てるので、収斂進化みたいなものでしょうか。
ありきたりでない、というかかなりオリジナルな思想ですが、過去にあった思想と結構似ている。
なんだか感心させられます。
[ 2018/08/08 08:11 ] [ 編集 ]
「使命」
 共同生活で効率を追求すると「虫(社会性昆虫(蟻や蜂))」のようになると思います。
 さらにミームで言うなら「虫はイヤ」のミームというものもあるかもしれません。
 (ミームではなく本能的なものなのかもしれませんが)
 すると「集団生活の虫っぽさ」と「虫はイヤ」のミームが合成されて、集団生活が避けられるようにも思えます。
 「私は虫ギライです」「集団生活は虫っぽいのでイヤです」

 ところで文中の「伍」のような共同体の雰囲気は「戦隊シリーズの秘密基地」として、すでに提示されているのでは?
 戦隊シリーズのメンバーは、なぜか共同生活する場合があります(すべての戦隊シリーズがそうではないようですが)。
 (特にタイムレンジャーのような共同生活がイメージされているものに近いのでは?)
 もっとも戦隊シリーズの共同生活は「侵略者の戦い」というような「使命」があるわけですが。

 現実世界でも共同生活するための「使命」はあるのでしょうか?
 ギークハウスやトキワ荘にしても「クリエイティブ活動のため」というような使命が掲げられているようですね。
 結婚ならば「子育て」が使命でしょうか。
 創作でも現実でも共同生活を送るには、どうも使命が要るようですね。
 時代が時代なら「戦争」なんかが使命でしょうし(伍もそうでは?)。
 原始人なら「マンモス」が使命、現代ならば「競技」や「ビジネス」なんかが使命なんでしょうか。
 文中の「伍」の場合「友情」が使命足りうるか?でしょうね。
 (「最初から友達」というと「前世の仲間」的な感覚でしょうか)

 食堂だとか風呂を共有する程度の話なら団地や寮生活などがイメージできますが。
 単に節約するだけならそれでも十分に思えますが、そういうニュアンスの話じゃないですよね。
 (深く追求するポイントでもないでしょうがアカウント共有は企業の規約で許可されるか次第では)

 他人と同じ空間で生活するとなると素晴らしさよりもまずトラブルを考えてしまいます。
 まず衛生面(掃除、洗濯、片付け、ゴミ捨て、断捨離)が気がかりです。
 自動的に「気になったほうが捨てる」というようなルールができ、やがて衛生面での我慢比べ競争が始まるのでしょう。
 (先に「きたない」と思ったほうの負けという競技)
 こんなルールじゃ「きたなくてOK」な人間は良くても「キレイじゃないとイヤ」な人間は困るでしょう。
 毎回損することの確定しているゲームにわざわざ参加しないのでは?

 となれば必然的に「どの程度できたないと感じるか?」というような価値観(衛生感覚)でメンバーが取捨選別されるでしょう。
 「大体同じくらいの衛生感覚」の集団でなければ「衛生維持派」は一方的にイヤな思いをするだけです。
 その結果「だいたい同じ程度できたないと感じる」似たような価値観・似たようなタイプの人間で構成された均質化された集団が誕生するのでは?
 (単に役割分担だけなら「家庭内通貨」のような仕組みで解決できるかもしれませんが)

 衛生基準について考えると、それ以前の根本的な疑問として「違うタイプと友人になるか?」が挙げられます。
 当たり前ですが「欠点を補う」ような目的での共同生活なら「違うタイプ」の人間と友達にならないとなりません。
 しかし現実には友人とはおおむね「似たタイプ」で「違うタイプと友人になる」ようなのはレアな話に思えます。

 例えば「貧乏舌」集団に一人だけ「料理好き」がいれば、自然とその料理好きが料理を担当するような雰囲気が発生するでしょう。
 とてつもない労力を支払い毎食健康的で凝った食生活を維持したとして、周りの人間はそれを称えるどころか「自己満足」程度にしか扱わないのでは?
 「食事なんて単なるエネルギー補給だから。胃袋に収まれば全部同じだし、こだわる必要なんてないよ。それより食費使いすぎじゃない?もっと節約しなよ」
 そんな状況で「友情」がなりたつのか疑問に思えます。

 友情とは「リスペクト」でなりたっていると思います。
 言うなれば「石油王を本心からリスペクトできるか?」というような話です。
 本心からのリスペクトなしに、共同生活を続けても不満が蓄積されていくだけじゃないかと思います。
 理論上「違うタイプの人間とパーティーを組むと効率がいい」として、それが実現可能なのでしょうか?

 「専門特化×役割分担」というものはかなりの「大人数」でなければ適用できないのでは?
 経済面にしろ家事にしろ、一人欠けただけで駄目になる冗長性のないチームは成り立たないでしょう。
 1人が4人を経済的に支えるとして、その1人がダウンしたら?
 結局は現実では「少人数」ならば冗長性を考慮し「赤魔道士パーティー」的な編成とならざるを得ないのでは?
 (そして赤魔道士タイプなら集団生活を必要とはしない)

 友人となる以前の段階で、すでに容姿や経済力などの「能力による選別」がなされるのではないか?とも思えます。
 タイプ的には「キモくて金のないオッサン」ほど節約に迫られているのでしょうが「キモくて金のないオッサン」同士で暮らしたいか?というと、果たして・・・・・・。
 「似たようなもの同士つるんでいればいい」と言われて、すんなり受け入れられるでしょうか?
 結婚で言う上昇婚志向のように「一生の親友」という前提なら妥協したくない感情が生まれそうです。
 総じて容姿が飛びぬけてよければ、お金も得られ自由気ままな生活を送ることができ、共同生活を「欲しい」とも思わないのでは?
 結局はルッキズムですよ。

 友情が共同生活を送るための「使命」足りえるかというと、やはり難しいところがあると思います。
 友情が使命ではなく、使命から友情が生まれるのでは(「使命」⇒「リスペクト」⇒「友情」⇒「共同生活」?)?
 現実世界に「使命」といえるほどの本心から熱中できるミッションが存在しないことが厭世観の元凶では?
 「お金をいっぱい稼いで幸せになるぞ!」とか「競技で一番になるんだ!」みたいな使命じゃ満足できないタイプでしょうか?
 (時代的に使命感を持つ前の段階で自信を獲得するハードルがあがっている感もあります)
 「使命」としてのよしあしで考えると「友情」のようなポジティブなものより「バトル」のようなネガティブなものほど強力に思えます。
 かといって「バトル」を作るような方法も「理想」ではないでしょうし。
 (カルト信者やトンデモを信じる人は本気で使命感を持っているのなら、ある意味では幸せな存在ですよね)

(※この辺に「刑務所」関連の文章を書きましたが、禁止キーワードが含まれているらしく削除)

 「ないものねだり」でいいなら「ロボット支給制度」なんかはどうでしょう?
 支給されたロボットに代わりに働いてもらえばいいんですよ。
 (人間なんて所詮動物ですよ。うまくいくかいかないか個体差(属人性)の占める割合が大きすぎます)

 1人につき1台以上のロボットが国から支給され、ロボットが労働を行い、人間はロボットの日常メンテナンスや各種手続きを行います。
 (ここでいうロボットとは産業用ロボットのような「資産」的なものではなく「相棒」的なものです)
 ベーシックインカムが「直接お金がもらえる」制度なら、その代わりに「労働力であるロボット」がもらえるような制度です。
 ベーシックインカムの「前段階」としてロボット支給制度のようなものが必要なのではないかと思います。
 (ベーシックインカム的なものが最終目標にしても、いきなりは無理でしょうし、ラッダイト運動的なことを考えるとロボットを独占するのは不満を生むでしょう)
 労働美徳勢にしてみても「働きたくない」と望めば反対しても「働くための道具が欲しい」というような感じで希望すれば受け入れられるのでは?
 (このようなライフスタイルを否定するのであれば社長業や派遣業はどうなのか?という話にも繋がります)

 ロボットにはいくつかの種類がありコストに応じてポイントがありローコストなものなら複数体支給されるような感じでしょうか?
 ロボットがイヤなら不思議な生き物でもいいかもしれませんね(「不思議な生き物支給制度」)。
 最初のうちは全国民にはいきわたらないでしょうし抽選で千人だけに支給されるような感じでしょうか。
 ウイルスなどでロボットが破壊されるかもしれませんが、1人に与えられるのは1人程度の労働力なので所有者が代わりに働けば、いざというときはなんとかなるでしょう。

 どんな仕事でもこなせるような高度なロボットは現代のテクノロジーでは実現していないようです。
 それでも「タイムマシン」よりは実現可能性は高いでしょう。
 ロボットが実現していないのは資金配分による部分もありそうに思います。
 国家や企業には「まじめにロボット作る気」がどうもあまり感じられません。
 もし仮に新国立競技場に投じられた三千億円がロボットテクノロジーに投入されていれば「簡単なヒューマノイドならもう実現していたんじゃないか?」という感はあります。
 (まずはプロトタイプ的なものが技術体系として確立されていなければならないでしょう)
 仮に高度なロボットが実現しても資本家に独占されるようにも思えますが、そのへんは法律でなんとかしてもらいましょう(理想ですからね)。
[ 2018/08/08 08:17 ] [ 編集 ]
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