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「関係ない」について


すいません結局色々と非公開にします。 (コメ返信読めるように一日だけ猶予残す と思う)
まぁ「元より没文章」だったんだから、そこはわかってほしい。


で、これが、本来GWの「最初に」 置いとくべきだった文章。


「関係ない」について結構考えることがある。

いや意味不明だろうけど。






(この文章は、fanboxのこれについての答え合わせ)

本来、今の自分は、 
何連休だか分かんない生活を送っているので、GWとか関係ないわけです。


世間の方たちは10連休だとか10連休じゃないだとかで一喜一憂しているのに、
今の自分はずーっと家に引きこもっていられる。 一応。



それで
世間の人達は、 (それも、創作畑の人達とかは、)

GW中にあれをしようこれをしよう。 
個人制作のこれを完成させよう。
あれをGWのうちに進めよう。

・・・
そういうことを、よく言っているワケです。



そういうのを見ると、 自分やべーなと思ったりする。 たるんでるなと。


普通の人にとっては、 やっぱり10連休というのは「凄い」のだ。貴重なのだ。
その間になんか色々作ったり完成させたりするわけだ。

それなのに自分はなんなんだ?とか思ったりする。


2019年。 もう4ヶ月経った。 100連休とかじゃん。

普通の人が10連休で為せることの10倍のことくらい成し遂げてなけりゃいけないのに、
その割にはなんもしてないなぁと思ったりする。




自分が、普通の社会人だと考えてみよう。

清掃バイトやってた頃のことを思い出してみよう。

今の自分の待遇は、ものすごいはずだ。
ものすごいありがたいはずだ。

そう考えたら、もっともっと頑張れるはずだ。

もっと他の人のことを考えてみよう。


・・・?



・・・こういうことをあんま考えていると、
ここらで浮かび上がってくるのが、

「関係ない」だったりする。


よくある概念です。
ネット上では非常によく出てくる、モノの考え方。




一番わかりやすいのは、 好き嫌いする子供や、給食を残す子供に対しての 言葉。


あなたは、食べモノを残す子供に、 なんて言って、しつけをするだろうか????



「世界には、 食べたいと思っても食べられない子どもたちがいるんだから、 そのことを思って、食べなさい!!」
「農家の方が一生懸命心を込めて作ったんだから感謝して食べなさい!!」


こういうことを言う、 親や教師は、いるだろう。
そう言われて、食べてきた人達も、いるだろう。



・・・そういうのへの反動として、
また、成長したあとでの 「反論」「批判」として、 次のようなのがあるわけだ。



冷静に考えてみれば、

「自分がクソ不味い給食や料理を無理やり食べさせられている」ということと、

「地球の裏側で餓死している子供達がいる」ことは、

実は何の関係もないはずだ。



自分のこの残飯を地球の裏側に持っていくこともできないし。


そんな、どうしようもないことと関連付けて 
「あれをしろこれをしろ」、ということを言っていいのなら
そういう風に 「こういう人達がいるからこうしなければいけない」ということを言ってもいいのなら



メシを食っては 満腹になったら 吐いているセレブだの、
生まれながらの石油王だの、芸能人だの、
大食い選手権の賞金稼ぎ
とかのことを考えればいい。

生産調整とかいって大量の野菜を踏み潰している農家の人のことを考えてみればいい。



地球の裏側で、大量に産まれて、大量に死んでいっている生物、魚 のことを考えてみよう。
地球の裏側で、人間と関係のないところで大量に生えて枯れてを繰り返している植物 のことを考えてみよう。




「地球の裏側では そういうことが起こっているのだから、少しくらい 食べ物を粗末にしてもいい」

ということだって言っていいはずだ。



お前が、「そういうこと」を最初に言ったんだからな???



だから、そんなことを強要される謂れは なかったはずだ、と。



・・・「こういう反感」が、後付で、大人になってから首をもたげてくるわけです。


で、こういう「関係ない論」というのが固まってくる、と。



「農家の方が一生懸命育てた野菜だから感謝して食べないといけない」
これすら、切られるようになる。


いーや、別に農家の人は、案外そんなことなんか大して考えてないはずだ。
(自分が農家の人間になったときのことを真剣に想像して頭の中でシミュレートすれば、そうなるのが分かるはずだ)
(それこそが、真剣に相手の立場になって考えるということだ)


てか、この世で一番野菜を粗末に扱ってるのは、農家の人達だろ?
だがまぁそれも必要悪だとしよう。

結局、彼らがほしいのは「金」である。 対価である。

それだけが重要なのだ。


で?
金はもう払っている。

給食費はもう払っている。
 (払ってないのに給食残してるなら流石に問題だが)


その時点で、 
対価を払った我々消費者と、
生産者、農家の方とは 「対等」である。



我々だって、 日々、労働をして、金を稼いでいる。 命を金に変換している。
その金を払って、野菜を買ったのだ。


その上で、更に後乗せで 「野菜に感謝をしろ」と言って 上に立たれる謂れはない。

金を払ったのだから、 「対等」なのだ。 上下はない。

それを言うのなら、農家の人だって、もらった金に  「後乗せ」で 感謝をしなければならない。


そんなことを言い出したら、 感謝の後乗せ合戦になる。

そんなのは、ナンセンスだ。 無駄だ。


よって、どっかでキッパリとやめるべきだ。


やはり、 金を払った時点で、もう何も考えるべきではないのだ。



地球の裏側も、農家の苦労も、関係ない。

離れた場所のことはすべて関係ない。



一番重要なのは、ただ、この眼の前の野菜炒めがまずい、という事実だけだ!

一番悪いのは、こんなまずい調理をしたやつだ!

そいつが責任逃れするために、関係ない引用をすべきではない!!


・・・みたいな考え方も、 形成されていくだろう。

(ところで、こういうことを言いまくる小学生が主人公の漫画とかあったら面白いと思わん?)
(思うだけ)



・・・
つまりはそういうことである。



子供の頃にやたらと、 親や教師から
「アフリカで餓死している子どもたちのことを考えなさい!!」みたいなことを言われすぎると、


その反動で、こういうことまで考え、 最終的に何も感謝しないし 
地球の裏側で苦しんでいる人達に「何も心を傷めない」「何も考えようとしない」人間になったりするわけです。


で、 どっちが正しいのだろうか????


やはり 「関係ない」で完全に突っぱねるのが、 正しいのだろうか?




で、結局自分は、 「たまにはこういうこと考えるのもいいよな」って思っちゃうのです。


そういうもんじゃないのか?




不意に、
江戸時代の
ひもじい農民の気持ちを考えてみる。

すると、 どんなにチープなコンビニ飯を食べてても
ありがたく思えてくる。



ナンセンスだし、関係ねーよと思うかもしれないが、
やはり、目の前のコンビニ飯が 妙にありがたく思えてくるのだ。


つまり、 これも「遊び」である。 愉悦である。 
シャーデンフロイデの捏造である。



常に、いろんなことから、 いろんな視点から、 いろんな立場から、 比較してみる、 考えてみる。
すると、なんか日常が新鮮に感じられる。

それはいいのではないかと思うのだ。


本当に色々あるよ。


突然、
「きけ わだつみのこえ」とか、聞いてみる。

戦時中に遺書を書いた学徒兵の気持ち を考えてみる。

すると、どんなに虚無な生活をしてても、生きてるだけでありがたい気がしてくる。



「映像の世紀」とか見てみる。
ガリガリにやせたユダヤ人とか見てみる。



・・・
「生きてこそ」とか見てみる。
チョコレート一欠片でも食べられることが、面白く思えてくる。

シャーベットみたいな尻肉を食べる気持ちは、どんなものだろう? とか、考える。 意味もなく、考える。



「野火」とか見てみる。


「ひかりごけ」とか見てみる。



・・・


鬱映画とか グロ映画とか、 カニバリズム映画とか、・・・
そういうのを見るやつの気がしれねー って思う人は、いるかもしれない。


悪趣味だろとか?、
かっこつけで見てんだろとか?、 ポーズだろ
と、思う人もいるかもしれない。




違うんだよ。 本当に 良いから、好きなんだ。




結局は、
「そういう壮絶な生きざまを見てから 現実に立ち返ってくる」 

その事自体が最高のエンタメなのだと思っているんです。


鬱だからこそ、逆に、なんかスカッと爽やかに感じられる。


そういうのってあると思う。


みんな、どっかのタイミングで、 グレープフルーツジュースとか、飲むようになるでしょ?


「あんなん、糞苦いだけじゃん」、って子供の頃は思ってた。

(で、大人になったら苦味に耐性が付くのは単に味蕾の「劣化」であって、 味覚の成熟ではない、ってのはあるとして)

でも、その上で、
苦いからこそ 後味が サッパリするのだ。


そういうことに、 どっかで 気づいて、 グレープフルーツジュースが好きになったりするだろう。



壮絶な、過酷すぎるシチュエーションの映画が好きになるのって、 究極的にはそういうことだと思うんだよ。



はい。 

「視点の相対化」

数文字で終わるようなことを こんだけ長々と書けます。

だからどうしたと。





まぁそういうわけで、
もう100連休みたいなもんで GWとか関係ないの自分だけど、


ここらで、「10日間 に気分を区切ってみて、 その間に何ができるか考えてみる」
そういうのにも多少意味があると思う。




伊藤計劃のことを考えてみよう。 
(本当に、いつもいつも思ってることだけど)
(今回「10日」というキーワードが関連してるので特に思う)

癌で、病床で、 10日間で 虐殺器官を書き終えたんだぞ?

なんで自分はダメなんだ?と。



というわけで、気持ちをリセットして、 この10日でなんかやってみよう、とか思っていたわけです。


(そりゃぁ、自分と伊藤計劃に「何の関係もない」よ。 でも、そういうこと考えてしまうんだよ)



で、今の所やったこと (途中)



・ブログ 7連ほど更新 (ほとんど消す予定)


・イラスト 二枚ほど描く (一枚ボツにする) (ボツ絵は後でfanboxで出します多分)



(↓言いたいこと)





(↓言いたいこと)



・AA 一個だけつくる


・サメ 進める



・依頼の女の子 進める



・ゴジラ、進んでない


全方位テトリスというのを、動く所まで作ってみる (これが意外なくらい大変)






・・・
・・・
・・・まぁこの程度ですよ。



気持ちをリセットして、10日で何が出来るかなぁ とやってみたのですが、こんなもんでした、ということです。


人間が10日で出来ることって、せいぜいこんくらいだと思うんだよなぁ。


伊藤計劃なんなの?


癌なのにそれってなんなの? 一心様なの?



不死切り「開門」で、全盛期の伊藤計劃 を黄泉返らせたら どうなるのっと



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[ 2019/05/05 13:48 ] ニート生活 | TB(0) | CM(-)
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