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自分の「ヤマアラシのジレンマ」



これはもうボツ文章にしようと思ってたのですが、 それでも、どっかのタイミングで貼らないといけない気がする。
あらゆる意味でひどい文章なのですが、 それでも、 やっぱり、必要ではある気がする。


いや、4/2日に、結構なことが起きると思うのですよ。 
その前に、 自分はこういうヒドイやつなのですよ、という話を 定期的にやっておきたい気がするから。



これをメモ帳に書きなぐってたタイミングは、実はシン・エヴァみたすぐ後です。 
直後感想の次くらいに書いてたのが、「こういうこと」です。

中身が中身だけにこれは貼れないと思っていたのですが、それでもやっぱ貼っておきたい。


自分のヤマアラシのジレンマ







別に読まなくてもいいのです。
とにかく一言で言えます。 自分はどこまで言っても人の話を聞かない奴だ、というその表明なのですよね。


相当のことでも起きないかぎり、他人と喋ろうとなんて思わない人間なのだ、ということです。


ものすごい勝手なのです。 「自分のタイミング」以外じゃ、絶対しゃべりたくない。




(シン・エヴァの感想後)


でも自分的にはもっと別の話、 一番刺さって 重要だと感じたことがあったりする。

シン・エヴァを受けて、とにかく実は一番思ったこと。



「自分版」のヤマアラシのジレンマの話である。




まぁとにかくゲンドウの発言である。






子供の頃から好きだったことがある。

知識が好きだったと。 (ピアノは捨て置く)

知識は一方的に貪り漁って蓄積するだけだからだと。

知識は相手に気遣いする必要がない対象だからだと。


そうやって一方的な関係性で扱える存在なんだと。






・・・こういう発言がすっごく納得だったし、 そんですっごく突き刺さってしまった。

孤独な人間がどうしてオタクだのマニアになるのか、みたいなことを、全部、ズバリ説明されてしまったような気がする。


そうだよなぁ~~~と。


自分も完全にそうだと。


で、別にこれは「知識」に関することだけじゃない。


「自分が世の中に向き合っている姿勢全て」 が これなのだなぁ ということもなんか気づかされてしまった。






まぁそのままだいたい自分はそういうヤツなんだが、


例えばツイッターでは

「自分にリプで話しかけてもマジで読みませんよ」 、というようなことをプロフに書いてある。

あれは、そういう意味です。



DM以外で話しかけた場合は、気づかなくても知りません、という意味です。 本当に読んでないんだから。


話しかけられても困るし知らん。 「相当の人」じゃないと読みません、相手しません。

(その「相当の人」だって、読むか読まないかは、です。 TLに表示されなかったら、反応できません)
(つまり「〇〇さんのツイート表示回数を減らす」、というのをチェックしてたら、その人は運ゲーで無視されやすい)



なぜなら、やりたくないから。 自分は人に話しかけられたくないし、 話しかけられたからって相手のタイミングで相手するのがすっごい苦手なのです。



これは本気で思ってることだし、それをそうやって書いてあるのにそこを理解せずに自分にリプライつけてくる人は、

「相手のことを考える気がない人、 相手のことを調べる気がない人」 なんだから、

そういう人はこっちだって多少無視したっていい、 そんな人は無視されたってしょうがない、 と考えています。



だから、自分のツイッターは、リプつけられても確認しません。

常時こうなっています。 通知20+



それでも、
本当に、なんか聞きたいこととか話したいこととかがあるんなら、全部DMでやってくれ、ということですね。
DMなら対応します。 DMでも無視されてるような人がもし居たとしたら、まぁその人は相当失礼だったのでしょうね。




・・・という調子。

この方式で全部やってます。


pixivでも「コメントは読みません」と書いてありますし、 本当に読んでません。 何が書いてあるか、考えるのもイヤだから。


もし文句や難癖つけられてたとしたら嫌だし、 もしなんか褒めてたりスタンプがつけられてたとしても、そういうことにいちいち「どうも褒めてくださってアリガトウゴザイマス」
とか返すのはあまりに面倒くさいし、 そうやって自分の心に嘘ついてるのが、あまりにも精神衛生上よくない。


絵がよくって褒めてくれたんなら、 いい絵が見れた時点で相手にとってはもう一方的に「プラス」になってるんだから、 もうそれでいいじゃないかと 本気で思う。


もし称賛コメントつけたのにそれを無視されたからって 「マイナスだ」 「損した」 「こいつは失礼な奴だ」 なんて言って怒るような人がいたとしたら、
じゃあ最初からコメントなんかつけるな、と思ってしまう。


だから、「コメントは読みません」ということは最初から書いてある。


やはり、 相手のことを調べたり相手の気質を考えたりすることもなく、 自分の都合でやってくる人なんだから、自分だって自分の思うように対応していいだろう、
と考えてしまう訳です。



まぁそれだけだと困ることもあるだろうから、
ほんとうに言いたいことや伝えたいこと、 なにか自分が致命的に間違ってたりしたことがあったなら、 そういうのはpixivメッセージで直接言ってくれ、と思っています。
そしたらちゃんと対応します と。



ここのブログのコメントだってそうです。

一応コメ返しはまぁしていますが、
コメント返しするかどうかは、わりかし運ゲーかと思います。 かなりの気分です。

気分がよけりゃ返す、気分が悪けりゃ返せない、 というわけ、 でもない気がするけど。



むしろムカつくコメントがあったらバンバン返してしまう気がする。 自分より間違ってる人、馬鹿に馬鹿にされるのは本当に腹が立ってしまうから。
いや、そういうのは却って下品すぎるかもしれないから、やっぱり我慢するかもしれない。 
・・・やはりそういうのは消すだけかもしれない。

この辺のバランスは難しい。 やはり相手の品性に関わってくることかもしれない。





いや、そういう話がしたいんでもなかった?

とにかく、  自分は 「双方向回線」 というのをあらゆる点で拒絶しているな ということです。



自分はこういう風に、 なんかしらんけどブログとかにクソみたいな長文を ベラベラベラベラ 延々と「書く」という行為は、 結局かなり好きだったらしい。

かなり性に合っていたらしい。 結局、どこまで行っても好きらしい。



じゃあ、こんなに「よくしゃべる奴」は他人とおしゃべりするのが好きかと言うと、 これは人に話しかけられたいからやっているかと言うと、

それはもう全く全然違う、 ということなのですね。 もう絶対に違う。



この点は、定期的に言っておかないと、勘違いする人が出てくるのです。




ベラベラベラベラ、自分の主張はネット上世界中にばらまくのは平気な癖に、 
実は誰にも話しかけられたくないと、 マジで思っているらしいです。

これ、まじでそういうことらしいです。


本気でラジオの感覚でやっているのですね。 頭の中で常時ラジオの生中継をやってるつもりで自分は生きています。 ずーっと頭の中で喋っている。

その「脳内会話」を、そのままリアルタイムで文字起こしする感覚で文章を書こうとすれば、自分はいつでも長文がこの調子で書けるんです。


それをただ、やっているだけなのですね。 

それも、単に好きだからやっているだけ。


やってないと、頭がおかしくなりそうで眠れなくなるときがあるから。




こういう部分を、 イラストで示してみると、 やはりこういうことかと思われる。



自分のヤマアラシのジレンマ

自分のヤマアラシのジレンマは、「↑こういうこと」です。

もはやジレンマでも何でも無いワケですが。




自分は、 「他人のことを一方的に突き刺すだけのヤマアラシ」 で いたい らしい。


全てがこれです。

全てのことに対する態度がこれなのだなぁと、今回シン・エヴァのゲンドウで気付かされました。

あれもこれも。





例えばこないだ本をオススメされても、 限界まで読みませんでしたね。 
お金を貰って「依頼」として「感想文書いて」と言われたのに、読まずに済ませようとした。


あれも結局、「そういうこと」だったんだなぁ ということが分かりました。



自分って 人に本をオススメされても、びっくりするくらい読みません。 
ゲームや映画 漫画、 何についてでも、そのように思います。


そのくせ、自分自身は色々あーだこーだ アレが良かったこれが良かったと 語りますよね。


自分自身は他人にモノを勧めるくせに、 他人から勧められたモノは まじで受け取ろうとしない。



なんでだろうか?

自分でどこまで考えようとしても、これはもうマジで
「他人から影響受けたくない」 という気持ちが根っこにあるからだ というところまでしか分からなかった。

本当に、そういうことらしい。


人から勧められた物がまんまと面白くてもイヤなのだろうし、 人から勧められたモノがつまんなくても、それはそれで普通に嫌だ。
どっちの結果でもなんか苦しいんだから、その時点でもうダメなのかもしれない。


どんどんと。
まぁ、全てのことがこうなっている。



ブログ
話しかけるが、話しかけられたくはないらしい。


(自分のコメント返しの時の脳が全く回ってない感じは、我ながら酷いと思う)
(自分のブログの文章がだとするなら、 自分のコメント返ししてるときの文章はくらいしか脳みそ使って無い感じだから まぁひどいですよね)




人に何かを勧めるが、勧められたくはないらしい。



説教するが 説教されたくはないらしい。



人に教えたがるが、人から教えられたくはないらしい。


(これはどうかな 「適切なアドバイスはむしろしてくれ!」とは思ってるはずだけど それが無くってどうでもいいお世辞ばかりだから、ムカついたりはするけど)
 (つまり、他人からは全部 「思ったとおりに」して貰いたいらしい)





考えることもそうだ。

前に書いた、「自分はもうyoutubeの考察チャンネルとか見たり調べたりするの全然やらなくなった、
自分の頭の中だけでやる」みたいな話も、こういうことだ。

自分で考えた説とかはバンバン発信したいくせに、他人の考察とかには触れたくもないようだ。




とにかく、一方通行



ほんとに自分ってこうだなぁと思った。


双方向回線、開きません。


一方通行のコミュニケーションしか、最初から望んでない。 (それ「コミュニケーション」って言わないんだが)



他人に影響を与えたいが、他人からは影響を与えられたくないらしい。


ゴジラを攻撃できるが、 ゴジラからの攻撃は受けない。
そういう、ギドラみたいな存在でいたいのかもしれない。

「作用反作用の法則」を完全に無視したような存在になりたいんですかね。


ということです。




もうとにかく、 やっぱりあのイラストが自分的にピッタリだと思ったわけです。

自分のヤマアラシのジレンマ


通常のヤマアラシのジレンマとは全然違う。


(ところで、実際のヤマアラシ自体は わりかし互いに身を寄せ合ってヌクヌクとして眠るらしいですね)
(つまりこれも「茹でガエルの法則」よろしく、 「人間の方が喩え話よりもバカだった」というパターンですね )





別のヤマアラシからは攻撃されずに 一方的に攻撃したいだけなのが、自分らしい。


ではそのためにはどうあらねばならないかというと、

もう、
とにかく 「トゲを伸ばすしかない」



「トゲを伸ばす」というのは、万事 そういうことだろう。



他人より詳しくならねばならない。 そうすれば 誰からもアドバイスは来なくなる?

他人より上手ければ文句はつかなくなってくるだろう。

他人よりあらゆることで勝っていれば・・・



他人よりも正しくモノのことがわかっていれば、

他人よりモノの見方が優れていれば、




他人より 「話がうまければ」 誰も反論できないだろう。 舌が回れば  (文章力とは違う。 口先の上手さ)

まくしたてたり 「言いくるめる力」が勝っていれば、 誰も文句は付けられないだろう。
(自分はリアルでは全然喋らないけど、いざ誰かと口論するとなったら、とんでもないことになるよ)


それを見せつけてしまえば、誰も文句は言わなくなってくるだろう。


通常の人間が思いつく程度の反論は全部含めた文章を書いておけば、誰もそう簡単には反論してこなくなる。
自分の文章の癖は、そんな風になっているのかもしれない。



大体、定期的に「拒絶する力」を見せつけておけば・・・




・・・全部「そういうこと」なのかもしれない。
この文章だってそうだ。




ということなので、 自分がやっていることは全部、 「トゲの長さを見せつける威圧」 ということになってしまう。

やりたいことは、 「他人に一方的に影響を与えられる場の完成」 ということなのかもしれない。

そういうことなのではないだろうか、 と思ってしまった。





で、これが「シン・エヴァの感想文の一種」 なのだから、 自分でもなんなんだこりゃと思ったりするけど、 まぁいいや。
どこまで行っても「そう」なのだ。 無限にそうなのだ。

こんな文章読んで 面白いと思ったりする人がいる限り そうなってしまうのだ。



でまぁ、 ここで終わってたらそれまで何だけど、 多少はそっから先も考える。


通常の「ヤマアラシのジレンマ」とは全然違うし、 そもそもジレンマになってない ということではあるんだけど、
いや、やっぱり実は同じことなのかもしれない。


「痛いのは嫌だ」「怖いのは嫌だ」  その究極の果てが、 こういう形態ってだけなのかもしれない。



どんなヤマアラシよりも長いトゲを持っているヤマアラシ。
「この世で一番トゲが長いヤマアラシ」は、 絶対に他人から傷つけられることはないだろう。


だからこれは 恐怖の行き着く果てなんだろうな、ということなんだと思います。




自分ほど他人が怖いヤツいないんだから。



まぁ結局、嫌なことの経験の積み重ねが、こういうことになっちまうんだろうなということです。
誰がこういうことにしたんだか。




すると見えてくる解決方法。  
(別にそもそも解決する気があるんだかどうかも分からないけど)


(てかこれ、何が問題なんだろうか??)
(それでもその上で 「面白いですよ」と言ってくれる人がいるなら、 もう別にこのままでいいんじゃないか とさえ思うけど)


するとまぁ、 「結局これどうしたらいいの?」だけど、
「経験」しかないようにも思う。

経験で学習してしまったことは経験で癒やすしか無い。


他人の恐怖は、もう、優しい人に会うしか、ないのか?


「なんでみんなそんなに優しいんだよ!」


確かにそういう風に思うときもあるかもしれない。






昔と違って、 そんな攻撃的なコメント、最近はつかなくなったのに、 なんで未だに、こんなビビリ続けてるんでしょうね?
それにしても、昔はひどかったよなぁと思ったりする。

(3割くらいは、イチャモンみたいなコメントが付いてた気がするんだがー) (気のせいか?)



むしろ、そういう状況が、どうして変わっていったんだろうか?

今でも、あの当時の人達は、息を潜めて、ROMっているんでしょうか? 
ああいう人達は、どこに行ったのでしょうか? 

諦めたんでしょうか? それとも本当に、精神的に成長してしまったんでしょうか? 
(コメント削除エボリューションなんて記事ありましたが) 
(コメントを無言で削除されることで人間は精神的に成長するという、珍説) (あれも威圧記事だなぁ)



自分的に、自分の文章は どんどん自分勝手に、
どんどん酷くなる一方
だと思ってるんだけど、 (文章的にも、主張的にも) (これは本当に、繕わなくなったから)
それでイチャモンがつかなくなってきてるのは、むしろ「良くない」ことなんじゃないか?と思ったりする。


(トゲの長さがエコーチェンバーにつながっているんだろうか?)



なんで最近は みんな 割と優しいんでしょうかね?  (何を書いても馬鹿にされない感じ?)


興味深い例としては↓これだ。
(どこ行ったか忘れたけど)

「物書きとして権威がつくにつれて、 「あなたの文章は私の文章のパクリです」 というような統合失調症のようなヤツからのイチャモンの手紙が送られてくる件数が減っていった」 みたいな話があった気がする。


そういうことだろうか?



もしくは、 本当に自分が自分でなんとか生活費稼ごうとしていることが、 基準なんだろうか?


昔の自分は本当にガチでニートだったから、
「ニートが馬鹿なこと言ってんじゃねぇぞ」で、悪口を言われていたのだろうか?


自分としては、 「そういうモノの考え方」は してほしくないよなぁ。

相手が無職だとか無職じゃないとか、
金を稼いでいるかとかどうかは、 主張や口の悪さとは 何の関係も無いぞ、と思っていたりします。

ええ 最終的な話がそれかよ と。




まぁとにかく 今回は そういう「気付き」という話でしたとさ。 

本当にゲンドウ君には気付かされます。
「気づいたからなんなん?」 って言うけどそれはもうそれだけの話なのだ。 (そしてこういう言い回しがもうダメなのだ)



自分は トゲの長さで威圧しているヤツ、ということでしたとさ。
そんだけ他人が怖いってことですね。

(二行とかで済むことをずっと言い続けています)




いや こういう話の落とし方では無かったかもしれない。
もっと別の方向性があったはず。



考えてみると、 まぁ確かに自分は 他人から説教されるのは嫌いらしい。

内心では、「どこの誰が自分に説教できるんだよ」と考えている。
(仮に閻魔大王と対面したって、自分の人生を批判することはできない!)
(あの主張もこの主張も、どんなメチャクチャを書いていても、 「誰が自分にちゃんと反論出来るんだよ」とか考えていたりする)


そんななのに、
意外というかなんというか、

自分は 「作品から」説教されるのは、大好きらしい。




世の中には「説教臭い作品」を嫌う人は多い。


「この映画は最後に説教臭いメッセージが入ってるから嫌いだ」

「なんでゲームに説教されなきゃいけないんだ」

「ゲームの中でさせられてたことで、最後の最後で説教してくるのはおかしい」


・・・
こういう意見がよくあるけど、 自分は真逆で、 お説教がある作品であればあるほど、 むしろ大好物で楽しんでいるように思う。
考えてみると、そういうの、全部好きだと思う。




人間に説教されるは嫌い なのに、 ゲームとか映画とかから説教されるのは 大好きなのは、 どういうことだろうか?


・・・
これも考えてみると、答えが見えてくる。



相手が 「情報」だからである。




「情報」という言葉の使い方は結構重要です。 実は新劇のエヴァでも結構印象的な使い方をちょくちょくしている気がする。
(Qでも、シンでも)



「情報」 というのは、 「変わらないモノ」 「変化しないモノ」の象徴です。


(ここんところ、かなりの大前提が要る気がするけど)

(わかんない人は、自分が何言ってるかわかんないと思う)
 (「情報は、データは、変わるものの代表格だろ!!!」となっちゃう)






とにかくゲーム作品であれ映画作品であれ、 相手は一種の「固体」なのだ。

それ以上変化することはない。

ゲームは内部の「変数」だとか「ルート」だとか「フラグ」だとかあるだろ? 内部データ書き換わりうるだろ? というツッコミがあるかもしれんが、そういうレベルの話ではない)

(ゲームはゲームで、どこまで行っても「ROM」なのです。 「リードオンリーメモリー」って、そういうこと)



もう既に「出来上がってしまっている存在」なワケです。



そういう存在は、どこまで行っても変わることがない。



だから、そういうモノとの「対話」は、 いくら対話のようであっても、 やはりこれは実は「一方的なコミュニケーション」なのではないかと思う。




・・・
だから、映画からメッセージを受けたり ゲームから説教されたり するのが、 好きなのだろう。


まぁつまり同じことだ。


自分は「一方的な存在」からならば、「刺されてもいい」と思っているわけだ、と。



作用反作用がない相手だから。



すると次に考えないといけないこと。 

なぜ、情報「ではない」存在とのコミュニケーションは、そんなに怖いんだろうか?



じゃあ多分、「AIロボットとの会話」なら、自分は平気なのだろうか? どんなに人間そっくりでも?


「相手が変わらない存在」と思っているなら、平気なのだろうか?


ちゃんと学習するAIであるならそれは内部に変化が蓄積していく筈ではあるが、それでも平気だということは、
もう究極的な話、


相手が傷つくと思ってるかどうかが、 怖いのか? ということになってくる。


???





反作用の無い存在。

「情報」であるゲームや漫画アニメ映画から説教(作用)を受けるのは平気なのに、

(多分AIロボットから説教を受けるのだって、ニヤニヤしながら平気だし、言うことも聞くだろう)


それが一転して
反作用のある存在、
実際の人間から説教を受けるのが こんなにもイヤだということは、


その差はもう、相手が影響を受けてるかどうかの有無に かかっている。



説教してくる「人間」というのは
無視したり、反論したりできてしまう存在である。 


相手が何を言ってきたって、そんなの無視すればいい
相手が言ってきたこと、全部論破してしまえばいい。 楽勝だろ? 何も怖いことは無いはず。 


それくらいの自信はあるはずなのに、何が怖い?


どんなに簡単に反論できたとしても、それでも相手は勝手に腹を立てたり、軽蔑してくるかもしれない。


「相手」は、そうやって 勝手に、 「変化する」。


そのこと自体が、本当の怖さなんだろうか???



だから、「話しかけてくんなよ」 と、思ってるんだろうか?







意味不明だが、

「不愉快じゃない説教してくるロボット」と
「不愉快である説教してくる人間」 というのの 自分の中での決定的な差というのを考えていくと、 答えはそこにしかない。


どこまで行ってもロボットは傷つかないと思っているけど、
人間は不機嫌になると、思っている。


その点こそが、恐怖の正体ってことかもしれない。



相手が変わるということが、 恐怖の根源なのかなぁ、 なんか変な結論になりそうであるけど。



じゃあこれは、「気遣い」、 気遣いなのかなぁ。



「一方的に貪るだけの知識に気遣いは不要だ」


気遣いが要らない存在だから、スキ

気遣いが要る存在だから、キライ



一応つじつまは合っている。


相手に「気遣い」があるからこそ、それが「恐怖」になる、と??




その「恐怖」の行き着く果てが、 この「長いトゲ」であり、 いつのまにか それで相手を突き刺すのは「平気」になってるってんだから、 
なんだかとんでもなく皮肉な話のようにも思える。



「自分の知らないところで死んでてください」 ってことかもしれない。



気遣い転じて、無関心な殺意となる?



うーむ酷い。




・・・
途中の結論でやめときゃよかったのに、 今、本当にわからないところを彷徨っていますからね?



この話はここで切り上げてまた別の話をするなら、

自分は自分よりトゲが長い人には簡単に平服するとは思います。

トゲが長いつったって、 無礼だったり攻撃性がある人間って意味ではないです。 そういうヤツは通常通り、平気で無視します。



自分より上の存在であれば、割と刺されるのは納得しますからね。

(でもそういう人は普通自分のことなんか相手にしないんだけど)



だからやっぱり、 説教したい人は身分を明かせばいいと思うんですけどね。
匿名で文句を言ってくるから無視されるんじゃないかと思ったりする。

本当に、能力が上であることを示してしまえば、問題はなくなるように思うんだけど。




こういう話がしたかったんでも無かった気がするんだがなぁ。



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[ 2021/03/31 19:28 ] 駄文 | TB(0) | CM(1)
>「不愉快じゃない説教してくるロボット」と
「不愉快である説教してくる人間」 というのの 自分の中での決定的な差というのを考えていくと、 答えはそこにしかない。

答えは進化心理学にあると思うよ。
[ 2021/03/31 22:46 ] [ 編集 ]
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