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自分の不幸でメシが美味い

何も出来てないので駄文妄言安定.



最近思うこと.

このニートはもっと精神的に追い詰められるべき.
もっと酷い目に遭うべき.
もっと不幸になるべき.
というか死ぬべき.

だがよく考えると死にたいとかとは違うのだ.
「消えてしまえばいい」という概念もよく使われるけど
それとも違う気がする.

自分の主観が自分から外れてしまえば良いと思う.
自分の主観が自分から外れた後も,
自分は同じように生きていけるワケです.
(自分が自分にとっての他人になっても,他の他人と同様に生きていける)

そうなれば,積極的に自殺することで自分を殺害する必要もなく
「自分」は自分の人生を見なくて済むようになる.


自分の主観が他の誰でもなく自分であることに
何の理由も示されてないのがこの世界なのだから
いつの間にやら,それが無くなってもおかしくない気がする.

認識は認識にとって存在する場合しかないのも分るけど
それにしたって,それがよりによって自分になる意味がワカランです.
(単に一対一対応しているとお互い思いこんでいることになっているだけ.
 「何故自分は自分なのか」の説明って出来てるんだろうか?
 多分どんなエライ人がどんな説を主張してても
 それは自分にとっての確信にはならないと思う )

あと,全ての人間が全ての人間にとって「他人」になってしまえばいいとも思う.



なんか話がズレてるけど
ここでは自虐について思ったことを書いてみたいと思います.




自虐について思うこと

例えば自分以外の人がチラッと自虐をしているのを見たりする.
そのとき感じる感情から分析してみる.

・その人が,自分の嫌いな人の場合
(そういうケースはあまり無いのだが)
(実のところ自分は他人にあまり関心がないのかもしれない)
はぁそうですかい,と思う.
否定して欲しいのかな?とも思う.


・その人が,自分の好きな人の場合
特に何かの能力において尊敬するパターンが多いわけだけど,
そういう人が謙遜なのか自虐なのか
まぁ自虐めいた事を言ったりするのを見たとする.
そういう場合,このニートはなんか
そういう発言止めればいいのにー,とか思ったりする.
あとは自分と比べて,自分が情けなくなる.


絵で例えればもっと分りやすいだろか.
例えばAさんから見てBさんの絵は下手に見えるとする.
そしてBさんが「オレの絵って下手だよね~」
などと自虐をして,それをAさんが見たとする.
その場合Aさんは
「分かってんなら言い訳してないで精進しろよボケがぁぁぁ」
みたいな感想を抱くのではないか.

逆に,Aさんから見てBさんの絵は上手に見えるとする.
そしてBさんが「オレの絵って下手だよね~」
などと自虐をして,それをAさんが見たとする.
その場合Aさんは
「ウソ付けやこの神絵師がぁぁぁ 嫌味かぁぁぁぁ」
みたいな感想を抱くのではないか.
(Aさんが本気で自分を下手だと思っていたとしても)


つまり,たいていの場合
相手との関係がどうであれ,自虐をやっているのを見て
良い印象を与えられるケースはないのである.


ということは,普通に考えれば
「他人のbehavior見て我がbehavior直せ」パターンで
自虐をやるのやめようかなぁと自粛すべきなのだけど,
自分の場合はそれでも止まりません.



なぜ自虐が止まらないのか

まぁ簡単に言ってしまえば
別に他人に良い印象を与えるためにぼやいているワケではない
ってことですね.

他人によい印象を与えるために自虐をやるのであれは
それは目的と手段が一致していないのでやるべきではないが,
鼻から,他人に悪い印象を与えるのが目的であれば
それは目的と手段が一致しているので,その自虐は誰にも止められない.
そんな感じです.


そしてこの文章も感じ悪いですね,
一致していますね.完璧ですね.



ではなぜ印象が悪くなることを書きたくなるのかというと
それはまさに,自虐の目的と同様に
自分を酷い目に遭わせたいのでしょう.
一致していますね.完璧ですね.



なんかもう,自分の不幸が面白いんですね.

自分の人生がどん底に転がっていくのを
自分で面白く感じるようでないと
きっとやっていけないからでしょう.


自分の不幸でメシがうまい!って感じでしょうか.

関連記事
[ 2009/12/15 19:48 ] 駄文 | TB(0) | CM(9)
No title
僕は自虐することによって自らのハードルを下げてます。
いいことではないと思うのですが
[ 2009/12/16 00:02 ] [ 編集 ]
No title
>自分の主観が自分から外れてしまえば良いと思う.
これはよく思いますね。自分の無力さを感じるときは特に。
どこか別世界の幸せな人々を傍観するだけの存在になれたらなと思ったりしちゃいます。この世界のこの自分で生きるのが辛い。
[ 2009/12/17 00:53 ] [ 編集 ]
No title
>自虐することによって自らのハードルを下げてます

分かる気がします.
そして自分もやってる気がします.
いいことではない,ですかね.
謙遜よりは言い訳に近い方向の自虐ですね.


>どこか別世界の幸せな人々を傍観するだけの存在になれたらなと思ったりしちゃいます。

これも分かります.
そして,幸せな人以外の主観は要らない気がします.


地球上に現在だけで60億以上の人間がいて,それら全員に
主観があるということになっているのに自分の主観を見ているのが
自分なのが分かりません.
さらに,それが現在である必要性もないわけで
今までに生まれてきた全ての人間と,これから人類が滅ぶまで
生まれてくる人間全てであっても問題は無かったはずです.
さらに,地球人に限定せずに,この宇宙の全ての時間上での
どの知的生命体に接続されていても違いは無かったはずです.
さらに,この宇宙に限定される理由もない気がします.

そんな感じのことを思っています.
[ 2009/12/18 17:51 ] [ 編集 ]
No title
自分を酷い目にあわせるってなんか楽しいんだよな。
中毒的な気持ちよさ(笑)これってどMってことなんだろうか。
いいブログだね。
[ 2010/01/31 13:38 ] [ 編集 ]
No title
> ひき戸 さん 
自分はMなのかSなのか、どっちなのかよく分からないですが
こういうことに関してはMなのかもしれません。
[ 2010/01/31 21:20 ] [ 編集 ]
目線の位置
『死んだなら たつた一分と云ふだらう 生きて居たらば百も貸すまい』。
そういう句があったりするのだが、
こっちの切実さが伝わらないイライラが、
下から目線の強調というか、自虐的な態度に繋がっていると
我ながら思っていたりするのだな。

「そういうのは行政がなんとかしてくれるんじゃないですか?」とか、
「それはしかるべき対応を取るべきじゃないんですか?」とか、
「誰かが何とかしてくれるはずだ」という期待感が
世間をふわふわと覆っている結果として、
機能していないセーフティネットが放置されているように思う。
「だったら生活保護を受ければいいじゃないですか。」と言われても、
生活保護の捕捉率は20%を切っているわけで、
つまりは生活保護未満の水準の生活をしていても、
実際に生活保護を受けられる人間は五人に一人未満だったりする。
その背景には役所の水際作戦とか、
生活保護を受けている人間に対する就職差別とか、
いろいろあるだろうが、とにかくそういう結果があるわけで、
そのことに対する対処を政府が怠けていても、
批判を受ける心配があんまりなさそうだという
政治家の意識もありそうだ。

失業保険にしても、
「過去に遡って加入できる」という救済措置を逆手にとって、
試用期間については失業保険に加入しないという言い訳にする企業もあるし、
労働基準局が国の所管であって
地方自治体の所管であるハローワークや警察と連携しにくいのを見越して
仕事だけはさせておいて「雇用しなかった」ことにしたり、
雇用はしたものの仕事が終わった時点で勝手に自己都合退職したことにしちゃったり、
案件ごとにそれぞれ担当の部署を設けたことにして案件が片付いたら整理解雇にしちゃったり、
けっこうヒドいことになっていたりするのである。

困っている人間を見捨てるためのエクスキューズとしてしか
機能していない救済措置と、
機能していない救済措置が存在するために
見捨てられている人間の自虐的な心性は、
ひょっとしたら双対なんじゃないかと思ふ。
[ 2010/01/31 21:27 ] [ 編集 ]
No title
> Mr.Moto さん
なんだか難しいコメントです。

でもまぁ、自分は生活保護とかを
受けられるかどうかとかも考えた事がないですね。
ニートがそういうことを言っても「水際作戦」とやらで
跳ね返されるでしょうし、そうあるべきだと思います。

生活保護を望むくらいだったらベーシックインカム導入を望みます。

あと、自分みたいなニートは困窮して餓死するべきだとも思っています。


>機能していない救済措置が存在するために
>見捨てられている人間の自虐的な心性

これは自分のことなのでしょうか。
自分から社会のシステムから逃げ出した人間は
「見捨てられている」と言えるのでしょうか?
まぁ、どっちにせよ自虐的なのは合っていますね。
[ 2010/02/02 18:02 ] [ 編集 ]
目線っつーか立ち位置っつーか
> 自分から社会のシステムから逃げ出した人間は
> 「見捨てられている」と言えるのでしょうか?
日本国憲法みたいな話でいうと、
「健康で文化的な生活」っつーのが
生活レベル“だけ”の話かどうかっつー話になっちゃうワケです。
人はパンのみで生きてゆけるのか、と。

労働は義務であると同時に権利であるワケで、
「働きたいけど働けない」とか
「“働く人間”の世界から疎外されている」っつーイライラ感が
なんとなく伝わってくるような気がするので、
「働かなくっても喰ってけるんだろ?
うらやましいねぇヘッヘッヘ」みたいな世間の目を
意識しちゃったりしてんのかなぁ、と。

なまじ喰えてるもんだからヤケクソにもなれない
なまぬるい日常の中で着実に年老いてゆきながら、
いくらかでも働くことができるという能力すら失って
ひいては自分というものも保持することができなくなりそうな不安。
人でも殺して死刑になったほうがなんぼかマシか、
みたいな短絡的な結論に飛びつきたくなりそうなイライラ。
そういう感覚を世間と共有するっつーのは
難しいだろうなぁという絶望感。

まあ、そんなこんながないまぜになった気分が、
少なくとも“見捨てられ感”っつーものとして、
あるんじゃないかなぁ、と。

福田定良っつーひとは、
「仕事とは、畢竟、“自分の仕事である”」っつーことを
謂ってます。社会の中に自分の役割を見つけ、それを
果たすのが仕事であると。
それができない状態というのは、少なくとも社会から
疎外されている状態ではないんかと。
喰える喰えないは別にしても、
あるいは金銭的に儲けた損したは別にしても、
自分の器量・裁量で世の中に働きかけることができて、
その結果が正当に評価される場を与えてくれんかと、
少なくとも私は切実に思っとるワケで、
国は憲法に従って、そこんところを保証するよう
努力してくれんかと思うわけだ。

まぁ、他人様の事情はなかなか推し量ることができないんで
印象でしかないんですが、
少なくともByNeet さんの文章には
心性として共感できる部分があるので、
自分の立場に引き比べて思うところを述べただけなのだけれど。
[ 2010/02/07 20:56 ] [ 編集 ]
No title
>「働かなくっても喰ってけるんだろ?
>うらやましいねぇヘッヘッヘ」みたいな世間の目を
>意識しちゃったりしてんのかなぁ、と。

確かに勝手に意識しまくっていますね自分は。

でも、ブログや2chでニートを名乗っているにも関わらず
そういうことを直接言われたことが一度もないのが意外です。
関心がないだけかもしれませんが。



>その結果が正当に評価される場を与えてくれんかと、

この辺凄い分かります。
分かりますが、やはり自分みたいのがそういうことを
勝手に社会に求めているのは間違っているような気も
してしまいます。


>社会の中に自分の役割
>金銭的に儲けた損したは別にしても

なんとなくこの辺も。
ブログ上で訳の分からない活動をしているという行為が、
「自分の役割」にならないかなぁ、みたいな事を考えています。

[ 2010/02/11 20:58 ] [ 編集 ]
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