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この世に無駄は必ずある

自分の大嫌いな言葉に、
「人生に無駄なんてない」
「この世に無駄なモノなんて何一つ無い」

系の言葉があるんですが、

今日はそれをブッ壊すためにやってまいりました。


まず手始めに、背理法からのアプローチ。

1.この世に無駄なモノなど一つもないと仮定する。
2.その状態では、「無駄」という言葉は修飾する対象を完全に失う。
3.「無駄」という言葉が、文字通り無駄な言葉になる。
4.3は1に矛盾する。
5.よって、この世に無駄なモノは少なくとも一つ存在する。

「Q.E.D. 証明終了() 」


まぁこんな感じ。

(似たような感じで、
 「我が辞書に不可能の文字を掲載することは不可能である」
 みたいにすることで、ナポレオンもブッ殺せます)


とにかく自分は人生論においてこの、
「人生に無駄なんてない」系の教訓を言ってくる人が大嫌いだったので
それをぶっ壊す方法を色々考えてきたわけです。

↑上の証明も中学生の時考えました。
そして、「人生に無駄なんてない」を言ってきた先生に
ぶつけてやったハズ。 その後どうなったかは覚えてない。

(そういうことするからニートになるんだよ)
(ニートになるような人間だからそういうことするんだよ)



 

ではこっから全力でブッ壊します。


まずこういう話を突き詰めると、
「そんなのは『無駄』って言葉の定義とか個人の捉え方の問題だろ?」
的なところに行き着くかと思います。

だったら、それこそ
「無駄なんてない」的なことを言ってしまうのは
「この世の全ては無駄」と言ってしまうのと同じレベルで
言葉の使い方を間違えているということです。



大体、「この世に無駄なんてない」とか言ってしまう人は
「無駄」という言葉を、「0よりは価値がある」くらいの意味で使っているのです。
それは、言葉の使い方として、どうなんだ。

そんな使い方では、それこそこの世の全ては (無駄という言葉以外)
無駄ではなくなってしまう。
そんな使い方は、むしろこの世の価値の全てを薄めると思う。

自分は、「無駄」という言葉は、
そのような「0と比べる絶対値的な使い方」ではなく
もっと「相対的な評価」で捉えるべきだと思う。


具体的な話、
「人生に無駄なんてない」系のことをいう人は大抵、
学校の教育とかを引き合いに出してきます。

大抵、
「学校で習った〇〇って『社会に出ると役に立たない』とか言われてるけど
 実はそんなことなくって、結構役に立ってるんだよね~」

的な人生論を語ってくるのである。

ぶ ち 切 れ そ う に な る 。


こういう系の考え方のブチ壊し方は、たしか書いた。
こういう考え方は無意味なんだ。

例えば学校で習った三角関数が役に立つか立たないか、
無駄か無駄ではなかったかは、そのような捉え方で考えるべきではない。

自分だって、三角関数はゲームプログラミングでムチャクチャ使う。
でもそれをして、「学校教育で習った三角関数は無駄ではなかった」
などと言うつもりは全くない。

なぜか。

「人生において何が無駄で何が無駄でなかったか」は、
さっき言ったように、絶対値的ではなく相対的に考えるべきだから
(絶対値的な評価なら、何か学んだことが0でないのは当たり前すぎる)
(0と比べて無駄でないなんて、当たり前すぎて、それこそ無駄だ)
(無駄な事は嫌いなんだ……無駄無駄……)

つまり、「それを学ばなかった場合」などと比べるのではなく
「それ以外を学んでいた場合」
「それ以上のもっと効率の良かった学習を受けていた場合」と比較する。

これこそが、
「人生において何が無駄で何が無駄ではなかったか」を正しく考えることになる。


人生において
「学校教育で学んだ三角関数が無駄であったか無駄でなかったか」を考える場合、
その後の人生で高々一回でも三角関数が役に立ったくらいで
「三角関数を学んだことは無駄ではなかった」などと言ってはいけないのである。



そうなってくると、これは結局
「人生における何らかのイベントのON/OFFでの評価の仕方」
という次元の話だということが分かってくる。

これは凄く難しい問題。


本人にとって一度しか通過できない人生上の「何か」が
その後の人生でプラスだったかマイナスだったかを正しく評価するなんてことは、
本人にはほぼ不可能。


それでももし完全に客観的に評価をしたいのなら
本当に、「その人がそれをした場合」「それをしなかった場合」
両方のパラレルワールドを観測して比較するしかない。
そんなのは、本人どころか、全人類にとって不可能。


(自分は事あるごとにパラレルワールドを引き合いに出すけど
 最終的にやはりそれしか無いだろ、と思ってる)
(前提の前提であって、パラレルワールドを考えずに人生について
 なにか教訓を言ったりしてる人をみると本当に腹がたつ)


つまり、「人生上の何かのON/OFFは本人には正しく評価できない
という認識が、一番正しい。

ワカランのである。

学校に行った人間が「学校教育は無駄ではなかった」とか言ってみたり
学校中退した人間が「その後の人生のことを考えれば、あの時中退していてむしろ良かった」
とか言ってみたところで、
そんなのはどちらも、全くデタラメな評価なのである。


じゃあ
「『人生において何が無駄だったか何が無駄じゃなかったか』なんて
結局分からないんじゃないか」
となりますが、まさにそうです。

ちゃんと考えれば行き着く先はそこです。


ここまで考えてくると
「この世に無駄なモノなんて何一つ無い」と、
「この世に無駄なモノは必ずある」とでは、言ってることの正しさが全然違うことが分かります。

前者は、完全にです。
(証明するのが悪魔の証明的に不可能なのもありますが)
後者は、前者の逆のようで、逆ではありません。
(「この世の全てが無駄である」と言ったときのみ、偽です)

だから、後者のほうが、常に正しいのです。


大体、
「無駄じゃないから何かをする」とか、
「無駄だから何かをしない」とかの時点で間違ってる。
(いや、無駄だから~は自分もよく言うが)

突き詰めれば人間の人生自体が無駄なんだから。


それなのに、やっぱり世の中には
「人生に無駄なんてない」
「この世に無駄なモノなんて何一つ無い」

とかいう教訓が蔓延している。 それこそ何の意味もないのに。


だからカウンターで、こういう事も書きたくなる。

この駄文自体が、完全に無意味であろうとも。

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[ 2011/02/10 20:19 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(8)
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[ 2011/02/10 23:38 ] [ 編集 ]
すべてがむだであることについて
 トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズの“じゃこうねずみ”の愛読書は『すべてがむだであることについて』である。

 「私が私の本意に基づいて行なうすべての行為は無駄ではない」。これは、結果の良し悪しにかかわらず、すべて真。

 また、

 「人生に無駄なんてない」
 「この世に無駄なモノなんて何一つ無い」

的な発言をする輩というのは、「お前らが おれの本意に基づいて行なうすべての行為は、おれにとって無駄ではない」と謂っている。その意味で、そういう輩にとって、“お前ら”の行為は(“おれ”の本意に基づいて行なわれるかぎり)無駄なことは何一つない。

 要は、“言ったもん勝ち”という構造が透けて見えるので、「言うな」っつーことなんだろうと思う。

 「私が、私にとって不本意な行為を強制され、その行為が私にとって“無駄”以外の何物でもなかった件について、『人生に無駄なんてない』『この世に無駄なモノなんて何一つ無い』的な言説によって片付けてしまえると思っている貴様は何者なんだ」っつー話はあるだろう。「どんだけぇ~?」ってな話だ。

 で、そういう ろくでもない輩というのは、「モッタイナイ」とかいう話が大好きなのだ。

 おれ自身は「誰かの行為を無駄にしない」のは大切なことだというのは認めるが、「俺の行為を(俺にとって)無駄にするな」みたいな強制はお断りである。

 おれは、「おれ自身の“誰にとっても無駄なこと”の全てを自分自身が引き受ける態度」っつーのを貫きたいと思っているのだが、いかんせん“無駄な連中”というのが、おれの足を引っ張るのである。

 「逆縁の不孝」っつー言葉があるが、親に対して「先立つ不孝をお赦しください」と思いながら殺されたひと、っつーのは“無駄死に”なんでしょうかね? 「自分がここで死ぬのは自分にとって無駄だし、親にとっても無駄なのだが、殺害者にとっては“無駄”ではなく、他人にとって“無駄”なことが自分にとっては“無駄”ではないことを確認する、という意味で“無駄”ではない」みたいな構造を、加害者というのは他者に押しつけることができるのだ。

 それが非常にキモチワルイ。つーか、そういうサディスティックな行為を楽しむことができる人間が、この世の中に生存しているのがキモチワルイ。この同じ空気を吸って臭い息を吐いているということがキモチワルイ。イヤだ。生理的嫌悪感を理由に離婚を申し立てる妻、みたいな感じで言ってしまおう。

『自分の行為はすべての他人にとって無駄である。
 だから、私は私にとって無駄な行為は拒否する。
 同じように、私はすべての他人に対して、その人にとって無駄な行為を強いることは極力避けたい。』
 それが基本だと思う。なのに、「人生に無駄なんてない」「この世に無駄なモノなんて何一つ無い」とかいった言説を弄して自分の無駄を他人に押しつける奴がいる。それがいかん。

 無駄は流通させてはならない。自分で消化すべきものである。
 その意味で、世にあるすべての「無駄」は無駄であり、自分自身が消費する「無駄」は、無駄ではない。
[ 2011/02/11 00:10 ] [ 編集 ]
No title
「私の生そのものこそが、用途なき否定性の存在証明であり、閉じられたヘーゲルの弁証法体系に穿たれた穴なのです」
・・・と言ったのはジョルジュ・バタイユでした

「無駄なもんなんてない?ニートを見てからほざきやがれ」という、ByNEETさんのカウンターにも、近しいものを感じます

あの、どこまでもなにもかも「ノーマル」に組み入れようとする言説の気持ち悪さ
人生に無駄なものなんてないくせに、この国じゃ年間三万人も自殺する現実の滑稽さ。嘔吐。
[ 2011/02/12 20:50 ] [ 編集 ]
コメ返信
> 名無し さん

> 統計使えばいいんじゃない。

そうですね。

人の身で、人生における何かのON/OFFを客観的に評価するという行為。
そのために人間が精一杯出来ることが、統計でしょうね。
(パラレルワールドの比較には及びませんが)
(統計使わずに人生語る人がムカつく、という話にもなります)

そうなると具体的には、
例えば学校教育のカリキュラムで、何が無駄で何が無駄じゃないかを
子供の人生を使って統計とる必要があるわけですね。

〇〇の授業を受けた子供達と、受けなかった子供達、
その両者の将来の年収などで統計をとるって感じですかね。

もっと単純に分けて
実際、理系か文系かで将来の年収に差が出てくるということはありそうです。
というかこれは出てますね。
なんかドギツイ話になりそうですね。

でもこれで「子供に文系の道を薦める行為は相対的に無駄」とは言えそうにないです。

やはり「個人の人生の選択肢の
後付からの評価は難しい」って話ですからね。
[ 2011/02/13 18:32 ] [ 編集 ]
Re: すべてがむだであることについて
> Mr.Moto さん


>  要は、“言ったもん勝ち”という構造が透けて見えるので、「言うな」っつーことなんだろうと思う。

そうですね。

そして最近の自分の文章もまた、ただの「〇〇するな」ではありますが。

「無駄なんて言葉を使うな」というような教訓に対してのカウンターですので
「『無駄なんて言葉を使うな』という言葉を使うな」にしかなりませんw


>  「私が、私にとって不本意な行為を強制され、その行為が私にとって“無駄”以外の何物でもなかった件について、『人生に無駄なんてない』『この世に無駄なモノなんて何一つ無い』的な言説によって片付けてしまえると思っている貴様は何者なんだ」っつー話はあるだろう。「どんだけぇ~?」ってな話だ。

まさに「人生に無駄なんて無い」系の教訓を言ってくる人は
先生とかが多いです。
(まぁ、先生だからこそ、そういう教訓を言うのでしょうがw)

だからその先生に対して
「今まさにあなたが子供たちに行っている教育が
 真に相対的な意味で無駄ではないと言えるのだろうか?」
と、昔の自分は疑問に思ったわけです。


>  それが非常にキモチワルイ。つーか、そういうサディスティックな行為を楽しむことができる人間が、この世の中に生存しているのがキモチワルイ。

確かにサディスティックと言えますね。
この感じは「若いうちの苦労は買ってでもしろ」にも共通してるかも知れません。

人のためを思っているような教訓のつもりで、
実は他人に努力を共用したいだけなのではないか、という感じがします。


> 自分の無駄を他人に押しつける奴がいる。それがいかん。
> 無駄は流通させてはならない。自分で消化すべきものである。
> その意味で、世にあるすべての「無駄」は無駄であり、自分自身が消費する「無駄」は、無駄ではない。

ですね。

自分の人生もまた無駄もいいところですが、
この無駄から来る無駄を、他人には押し付けていないことを望みます。

(また心にもないことを書いていますw)
(そして家族にはおk、だと思っています)
[ 2011/02/13 19:13 ] [ 編集 ]
コメ返信
> BOX さん


> 「無駄なもんなんてない?ニートを見てからほざきやがれ」という、ByNEETさんのカウンターにも、近しいものを感じます

こんなこと言いましたっけw
まぁ言ってるんですがw
バタイユさんももっとわかり易い言葉で言ってくれませんかね。
(酷い)


自分の文章の無駄さによって
この世に無駄があることの証明になってるなら、
まさに完璧ですね。


1.やっぱりこの世に無駄なんて無い!
2.よってこの記事は間違っている!
3.間違っているこの記事は無駄である!

「1と3は矛盾する」
よって、「この世に無駄は存在する」

こうしてカウンターが決まりますね。
(ついでに「この記事も正しいし無駄ではない」となればマシなのですがw)


この記事が無駄であろうが無駄でなかろうが
正しかろうが正しくなかろうが
どっちみち勝利する構造は好きです。
(ヒドイ話だw)

[ 2011/02/13 19:35 ] [ 編集 ]
この世に無駄なことなんて無いよ

例えば
「無駄なことしてないで働いてろ、私の趣味は労働です」だ

生産者だけでなく消費者もいないと経済が成り立たないから。
消費者のくだらない欲望や満足感があって資本主義が成り立つ

つまり無駄なことなんてこの世に何一つ無い
[ 2014/12/11 02:27 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無し さん


スイマセン。


自分の記事すら読み返さずにコメント返しをしてしまいました。
だから消しました。

自分が過去に何書いたかなんて、全く覚えてないんですね。
こっ恥ずかしいことですね。


でも、それにしたってその根拠はよくわからないですね。

自分が記事も読み返さずにコメント返ししてしまうはずです。
だって自分の書いてあることと、「語っていることの層」があってないというか。



「この世に下らない欲望があって、それは無駄じゃない」ゆえに「無駄なことなんてこの世に何一つ無い」

これは、明らかにおかしいですよ。


「ここに黒い鳥が一匹いる」だから、「この世に白い鳥なんて一匹もいない」

これとおなじくらいの乱暴さだと思うのですよ。



この世に無駄なことが何一つないことを証明するのは、まぁ我ながら凄い難しいですね。


普通にやっても「悪魔の証明」。 (無いことの証明)

ひねってやっても「ヘンペルのカラス」です。 

(全てのモノは無駄ではない ⇔ 全ての無駄なモノはこの世に存在しない)



どっちの証明も激ムズだと思うのですが、
まぁ、本当にこの世に無駄が無いと思うのでしたら、頑張ってください。

[ 2014/12/19 09:22 ] [ 編集 ]
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