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なぜ自分はアナログの乱数志向なのか

ある人と下らん口論になった際、気付かされたことがある。


自分の中で「前提」が知らぬ間に積み重なって「当然」
なってしまった概念の説明は大変面倒臭い。


人からすると「なんだそれは?普通逆だろ?」となっているのだが
自分からするとそれを逆だと思ってる状態はとっくに過ぎているのだから
立ち戻るのは、嫌だ。


そしてそれを説明するには自分が辿った思考パターンを
すべて明らかにしなければならない。

なんという面倒くささと恥ずかしさだ。
こんなので議論が出来るはずがない。


テーマは
「アナログとデジタルの乱数の質の差」

まぁそんな感じで、ちょっと説明をする。


だからこれは駄文の中でも「私的な駄文」です。

あと、全く推敲してない糞文中の糞文なので
読むと体調を崩します。
ここまでの超糞文はなかなか無いし、久しぶりに書く。



 
自分がアナログ乱数志向な理由
なぜ、その価値反転を好むのか




あることがあって
自分は診断メーカーをdisるという行為をした。

その際に、診断メーカーを持ち下げるために
現実のおみくじを持ち上げる行為もしたと思う。


これこそが自分の中の感覚であって、

アナログの乱数 >>越えられない壁 >> デジタルの乱数

というのがあるのだ。

この事が、分からん人には分からんらしい。

「なぜ、現実のランダムネスを有難がるのか」


まず自分は乱数には質の違いがあると思っている。

まずデジタルの擬似乱数がどこまで行っても
「擬似」の乱数でしかないということ。

サイコロなどの現実の乱数が「真の」乱数であること。

そして、その擬似乱数の中でも質の良い悪いはあるということ。


だがもっと根っこの部分は、
やはり自分が考えている確率操作の設定にあると思う。


ところで
この現実世界がパラレルワールドで成り立っている可能性も
研究されつつあるらしいですね。

まぁこれはいい。

結局どこまで行っても
「可能性の示唆と信じる信じないの話」に突き当たるのは分かっている。

結局パラレルワールドがあろうがなかろうが、
人間は自分が辿っている意識の線一本だけしか認識できないのだから
「パラレルワールドなんてない」と信じてしまえばそれまでだ。

まぁそこをなんとか乗り越えて、
この世がパラレルワールドで成り立っているとする。

ではその「可能性軸」がある世界の中で、
「なぜ自分の認識が自分にとって連続なのか?」という大いなる疑問にぶち当たるわけだが、

そこで更に思考をぶっとばすと、
このニートがいつもいつも提唱している
「パラレルワールド上で自殺をすると確率を操作できる」
という話になってくるのです。



自殺確率操作の例




例えば
主人公が「1が出ない限り自殺する」と覚悟をしてから
サイコロを振る。

そうすれば、平行世界上の1が出なかった可能性が
「彼自身によって」「彼自身にとって」淘汰されるのです。

もちろん宇宙以前に人間自体がカオスであり、
主人公が自殺しきれないパターンもあるでしょう。


でもそこは自分自身の「覚悟の問題」です。
「自分はサイコロの結果を見るだけで確実に自殺する事ができるんだ!」
と強く決意すればするほど、それだけ確実に1の目を得ることができます。
(つまり覚悟の強さが主人公の強さに繋がる熱血主義かつ、脈絡も残る)

結局人間だけが
自分の周りの環境を観察し、判断し、自殺することが出来る。
(人間以外に自己判断で自殺できる動物はいない。たとえレミングスでも)

自分の認識を自分の判断で消すことができる。
このサイクルを回すことができるからこそ確率操作の力を得られるのは人間だけなのだ。
(そろそろ話が逸れ出してきた)


ここでさらに話をぶっ飛ばして、

確率操作をする主人公を描く上で
どういう世界設定をするか。

その脈絡の煮詰め具合をずーっと考えているわけだ。

ここでいろんな設定が出てくる。

例えば、主人公に振らせるのはリアルのサイコロか、デジタルの乱数か?


で、ここでようやくデジタルの擬似乱数の危なさが出てくるのだ。

擬似乱数が擬似なことはまぁ置いておく。

質が良いものだってある。
メルセンヌツイスタとか相当の周期の長さだ。

だがそういう周期云々を超えたところに、
パラレルワールド上で確率操作するために擬似乱数を参照する危うさはある。


なにが危険につながるのか、その理由は擬似乱数の性質にある。

・結局機械を通して出力される
・結局乱数の種はタイミング次第

という2点。


「なぜだ?
 リアルのサイコロを振るのも
 デジタル上のサイコロを振るのも
 結局カオスな人間が行うタイミングの話だから
 そんなに違いは無いだろう?」


と思われるかもしれないけど、
それではイカンのだよ。


またここで具体例に戻る。

サイコロを投げ、観察し、自殺する、というサイクル。

ここで乱数の質が重要になってくる。

大切なのは、
自分が生きている平行世界上で
そのサイコロがなるべく「一様」で「独立して」ばら蒔かれていること。

もしそうでなかったらどうなるか。

例えばサイコロの出目という結果が、
自分自身のサイコロを振るという行動のタイミングに
あまりにも密接にリンクしていた場合、

「サイコロを振ると決意してから分岐したほとんどの並行世界」で、
同じような結果が出てしまうということも考えられる。

そうした場合、すべての並行世界で自殺をしてしまって
自分の認識を本当に根絶やしにしてしまう場合も出てくるのだ。



現実でサイコロを振る場合と、
デジタルの乱数を回す場合では何が違うか。


「結局デジタルの乱数だって、
その乱数を得るために、クリックしたり、キーボードを押すのは
カオスな人間の手自身によるモノなのだから、
例えそれが擬似乱数だったとしても
良い感じにカオスなタイミングによる乱数の種と乱数を得られて、
サイコロフラッシュで全滅なんてことは起きないんじゃないか?」

という風に考える人もいるかもしれない。
だがそれは思考の落とし穴だ。


なぜ駄目かというと、
さっきも言ったとおり「機械を通すから」です。


「人間がクリックをするタイミング」が
如何に「カオスなばらつき」を持っていたとしても、
仮に、この宇宙のフレームレート無限だったとしても、
それを受理する機械側がそうはイカンのです。


結局、機械側は限りなく正確に60fpsであったりするわけです。
そして、入力を受理するプログラム自体にもフレームレートはあります。

機械は、入力のタイミングのばらつきを、そのフレームの中に落としこむ力があるのです。
(これは前に言った、「混沌と秩序の話」で言えば「秩序側の能力」とも言える)

(いくらこの世がカオスだカオスだといってみせた所で
 時計や太陽やパソコンなど、
 ほぼ決まった動きを規則的にしている「大きな流れ」というものはあるわけです)

(そういった「仕組み」を通過する間に、カオスが
 小さく収束する場合はあるわけです)



で、話を戻すと
人間の指先がどれだけ細かく揺れ動いて、
コンマ0.00001秒以下の差を巻き起こしながら(「宇宙のfps」がいくらだか知らないが)
マウスをクリックしたとしても、
その差は、そのアプリのfpsの中に収束します。

(それをさせるのが機械です)


そして
そのアプリの中の擬似乱数のテーブルに
画一化された「クリックしたタイミング」を、「乱数の種」として放り込み、
結果、乱数が出力されるわけです。


これでは結局、どれだけその擬似乱数の周期がデカかろうとも
「すべての並行世界を見渡す」という視点で見た場合、
真の意味でランダムだとは言えんのですよ。



またサイコロの話に戻ると

人間がサイコロフラッシュをクリックする場合、
「サイコロを振るわけだからな~」
「タイミングによって乱数の結果が変わるわけだからな~」
「どんなタイミングでクリックしてやろうかな~」

などと迷いながら?クリックするわけですが、

「その迷いによって生じるバラつきが一体何フレームあるか」

というだけの問題になってしまうのですよ。


「サイコロをどんなタイミングで振るか」

あなたが「サイコロフラッシュを今からクリックする」と決意してから
実際にクリックするまでに分岐した全ての並行世界の中で考えます。

迷っている時間のバラつきが、仮に1秒だったとします。

その場合、サイコロの結果は
乱数テーブル上の20種類だけ
なのですよ。

なぜならサイコロフラッシュは20fpsのアプリだからです。


もしこの20種類の乱数テーブルの中に
ある数字が無かったとしたらどうなるか?

「あらゆる平行世界上で、サイコロの1が出ないパターン」ということが
起こりうるのです。


得たい事象が起きた世界が無いのであれば、いくら自殺をしたって
確率はひり出せません。



これがもしも、
「サイコロの1が出なければ自殺する」
と決意してから
自殺確率操作をしようとしてサイコロフラッシュをクリックした場合だったなら、

その人は全ての並行世界上で自殺をしてしまい、
確率操作は失敗、ということです。


(この場合 その人は、
 「最初からサイコロを振ろうと考えもしなかった世界」へ飛ばされます)



当然ですが、

現実のサイコロを振る場合はこんなことは起こりません。

それこそが真の乱数から生み出されるカオスです。


人間がサイコロを振るタイミングに多少の影響は受けるでしょうが
(つまり完全に独立ではない)

振られた後も、
地面にあたった微妙な状況の差などから
自分自身でカオスを生み出しながら転がっていくでしょう。


最終的に、サイコロの出目は
(ほぼ)6種類に絞られるでしょうが、
そのパターンは無限大ということです。

20に限られる、なんてことはないのです。



例えるなら、

TAS等で、「このフレーム数で、この乱数を引かなければいけない」という状況に追い込まれても、
いくらステートロードしても希望の乱数が得られない場合があります。

そんな「詰んだ」状況にも似ています。


擬似乱数を利用して
自殺確率操作を行う行為は、文字通り自殺行為でしょう。

自分から「詰み状態」に飛び込むようなものだ。


まぁそんなこんなで、
「自然乱数を参考にサイコロを振って自殺をするのと
擬似乱数を参考にサイコロフラッシュを振って自殺をするのとでは
危険度や確かさが全く違う」という感覚が分かったでしょうか。



しつっこく


結局、擬似乱数にかませる時間(タイミング)が乱数の種になるわけだけど

その基準となるのが、
アプリを起動したタイミングであったり、
UTC(協定世界時)であったりするわけです。


「確率的に、どの事象から独立しているのか?」

「どのタイミングから派生すれば
擬似乱数使用の確率操作で絶滅せずにすむか?」

という疑問がでてきます。


例えば、

「サイコロフラッシュで1が出てから自殺するぞ」
と決意してからいちいちパソコンのスイッチを入れてから、
サイコロアプリをクリックして、自殺する。

そうした場合は?

そういう小細工で、
上記の問題が回避できるかどうか?という話。


下手したら、
協定世界時が設定される瞬間以前からの決意でない限り、
どんなタイミングで自殺しても
擬似乱数を利用する限り、ダメかも知れない。



更にこういう話を突き詰めると

現実世界でも乱数調整みたいなことが出来るかできないかという話になってきたりする。


が、もういいや。

疲れた。



とにかく今までの話の1万分の1でも伝わったなら、
「おみくじのがしょがしょのランダムネスなんてウンコみたいなもんじゃないですかね。」
なんてこと、死んでも吐けなくなるでしょう。



反論は分かる。

「現実のサイコロでも
 多様性が得られずに詰むことがあるだろ?」

とかね。

ないわ。(そのレベルの反論は要らん)




反論というより、自分が欲しいのは面白いガジェットなのかもしれん。
(というよりロマンか)


「デジタルのサイコロ使いを
 アナログのサイコロ使いが破る」



この展開を打ち破れる面白い展開を考えられるというなら聞こう。


それを理解せずに普通の価値観から来ることをいくら言われたところで
「当たり前のことを言ってくるあなたが果てしなく詰まらない」
ということにしかならんのだよ。



関連記事
[ 2011/12/08 16:02 ] 駄文 | TB(0) | CM(12)
なるほど

本筋から外れた些末な一点だけ。
fpsは単に動画描写のフレームレートだと思っていたのですが、
20fpsのフラッシュだから結果が一秒間に20通りだけ、なんてなるものでしょうか?
[ 2011/12/09 03:08 ] [ 編集 ]
コメ返信
> Box さん

> fpsは単に動画描写のフレームレートだと思っていたのですが、

描画と動作は一緒ですねー。
少なくとも自分が作ってるアプリはそうこうことです。

内部は60fpsだけど描画は30fpsだとか、
可変fpsのゲームとかはあるでしょうが
そんな高尚なモンは作っていません。

処理落ちが起きようが何が起きようが
機会側が受理するタイミングが20通りに絞られているということです。


そしてこの返信コメが完全に見当違いのことを書いていたとしても
やはり本筋からは外れているので問題ありませんね。

[ 2011/12/09 13:42 ] [ 編集 ]
No title
 ランダムネスに関するものとしては、とりあえず

1)予測不可能性に類するもの
2)自由意志に類するもの
3)量子力学における不確定性に類するもの

の三つがあります。

 ランダムネスの基本は、(1)の「予測不可能性に類するもの」ではあるのですが、デジタルな乱数というのは、そういう意味では(1)に特化した“乾きもの”(天文学におけるブラックホールに関するトミマツ・サトウ解の佐藤 文隆先生の表現です)であるという意味で、スカスカなランダムネスしか持ち合わせていません。

 デジタルな乱数というのは、多数のパラレルワールドがあったとして、全部が1だとしてもぜんぜん構わないというランダムネスです。こういう場合、「得たい事象が起きた世界が無いのであれば、いくら自殺をしたって確率はひり出せません。」ということになります。

 「自由意志に類するもの」という意味では、『主人公が「1が出ない限り自殺する」と覚悟をしてからサイコロを振る。』という時点で、(1)のランダムネスよりも“生もの”っぽくなっています。すなわち、サイコロを振った結果がつねに1だとしても、主人公が「6が出ない限り自殺する」「5が出ない限り自殺する」「3が出ない限り自殺する」という決断をする可能性を排除できないからです。

 佐藤 文隆先生は、量子力学における波動関数が観測によって縮退(あるいは縮小)するというのがそもそも怪しい、みたいなことをおっしゃっています。このあたりが「量子力学における不確定性に類するもの」という、(現実を支配しているという意味での)物理的なランダムネスです。

 サイコロを振って1が出るという現実を目の前にして、2あるいは3あるいは4あるいは5あるいは6が出る現実というのが“消滅”する(これが波動関数の観測による縮退です)のではないとしたら、そこで世界が分岐する(2あるいは3あるいは4あるいは5あるいは6が出た現実が存在するようになる)という意味でパラレルワールドが生まれると考えることができます。

 とはいえ、物理的世界はプランク定数によって制約を受け、波動関数によって束縛されるという縛りがあるので、パラレルワールドといえども無数に分岐されるわけではなく、いまわれわれが存在する世界とのバランスを取りながら(すなわち、「パラレルワールド」が意味するところの、いわゆる並行世界として)、存在すると考えられそうに思います。

 観測が波動関数の縮退を引き起こすならば、“真の乱数”というものが自由意志に類するランダムネスと量子力学における不確定性に類するランダムネスが相互に関係することを認めざるを得ないのですが、佐藤 文隆先生はそこいらの現実性については「ぶっちゃけ今んところ何も解っとらんのでお手上げ状態」と述べていらっしゃいます。

 とはいえ、“この世界”における“正しい決断”が、“異なった世界”における“間違った決断”を引き起こすと考えるのも(それが現実世界に適用されるとするならば)傲慢っちゃあ傲慢なんで、そこんトコのちゃんとしたカラクリについてはちゃんと考察しておく必要があるように思います。

 基本的にゲーム屋の意見ではありますが。
[ 2011/12/09 22:26 ] [ 編集 ]
コメ返信
> Maria さん

まずはお詫びします。スイマセンでした。

今日の記事にも書いたのですが、
コメントの確認もせずに
この記事を非公開にしていました。

そして今日の今日まで、「ブログの管理画面」を開きすらしませんでした。
マジでスイマセンでした。
こんなだからニートなのです。

「なんかコメントが付いたから記事を削除した」とか、
そういうことでは断じてないです。
(どっちにせよ許されないですが)


--------------------------------

というわけでここからコメ返信です。


自分のパラレルワールド観というのもテキトーすぎるものでして
専門用語もまるで分からないのですが
「生物」「乾き物」というのは何か感覚的に伝わる感じがしますね。


>佐藤 文隆先生は、量子力学における波動関数が観測によって縮退(あるいは縮小)するというのがそもそも怪しい、みたいなことをおっしゃっています。

自分もそんな感じだと思います。

「観測によって収束する」というより
「あるだけ分岐は存在してる」という感じです。
(観測自体が分岐して増えている)

だから、分岐した自分の観測自体を
「自分自身の手で剪定することで収束させる」のが自殺確率操作になるわけです。



>とはいえ、物理的世界はプランク定数によって制約を受け、波動関数によって束縛されるという縛りがあるので、パラレルワールドといえども無数に分岐されるわけではなく


「パラレルワールドが無限に存在していないというのは結構使えるな」などと考えてしまいますw

もし無限にあるとしたら、
「すべてのパラレルワールドで自分を殺しきってしまう」
なんてことは起きないでしょうから
ゲーム性がなくなってしまいます。

そしてパラレルワールドが無限だったなら
「真の乱数」を使う側がいくらなんでも有利すぎるのもありますね。


>そこんトコのちゃんとしたカラクリについてはちゃんと考察しておく必要があるように思います。

ですよね。
そもそも「プランク定数」の意味もよく分かってないレベルなのに
こんな設定固めてても仕方ないですよね。

自分には読書が必要です。


>基本的にゲーム屋の意見ではありますが。


こんな発狂ちらした糞文に
こんな丁寧なコメントを頂いて本当に恐縮です。


たまに、一体この糞ブログは
どなた様に読まれているのだろうかと怖くなることがあります。


ともあれ、勉強になるコメントをありがとうございました。

あと記事を非公開にして放置しててスイマセンでした。

[ 2011/12/12 19:15 ] [ 編集 ]
No title
 トミマツ‐サトウ解のサトウさんは、同じ林 忠四郎先生の門下で佐藤 文隆先生の後輩にあたる佐藤 勝彦先生でした。
 ごめんなさい。

 だって、分野がかぶってるんだもん! 間違えたの、あたしだけじゃないんだもん! マスコミの科学解説記事だって、しょっちゅう間違ってるんだもん!

 重ねてごめんなさい。
[ 2011/12/25 19:56 ] [ 編集 ]
Re: No title
> Maria さん

>  トミマツ‐サトウ解のサトウさんは、同じ林 忠四郎先生の門下で佐藤 文隆先生の後輩にあたる佐藤 勝彦先生でした。
>  ごめんなさい。


そ、そうですかw

言われなければわかりませんよw

その後輩さんは間違えられて、悔しいのか栄誉なのか。

[ 2011/12/28 20:25 ] [ 編集 ]
重要です
 ブラックホールの解については、カー解(回転していないブラックホール)と、“サトウ‐トミマツ解”(「トミマツ・サトウ解というのは、たぶん謙遜されていらっしゃるのでしょう。アルファベット順でしたら、「サトウ」「トミマツ」の順ですから)があります。
 カー解は、中(ブラックホールにおける、シュバルツシルト界面の内側、いわゆる不安定領域)が見えません。ですが、トミマツ・サトウ解では、中が見えるんです! かつて、「見えない」というのが常識だった内側が、見えちゃうんです! 「裸の特異点」が“見える”ことがあるというを証明したのが、佐藤 勝彦先生なんです!
 講談社ブルーバックスで、この点を説明するイラストを描かれたのが、かの松本 零士先生です。(帽子は描いてなかったけど)「着衣のメーテル」と「裸のメーテル」のツーショットというイメージが、あたしにとってのカー解とサトウ‐トミマツ解のイメージなんです!
 そこんとこ重要。そう思うでしょう?
[ 2012/01/03 14:07 ] [ 編集 ]
Re: 重要です
> Maria

>そこんとこ重要。そう思うでしょう?

す、スイマセン><
なんかもう段々とついていけませんw

いえ、最初からMAXでついていけないだけだったのかもしれませんが。

なぜメーテルが脱いでいるのかww
[ 2012/01/06 17:25 ] [ 編集 ]
おもしろく読みました。
つまり、リアルのサイコロがず~~と一の目を出さないで自殺せずに一生を送れる可能性は一抹でも必ずあるが、PCサイコロを使うとその可能性は0になる。つまりPCサイコロを使えばパラレルワールドですら生きられない。

量子の不確定さを利用した量子コンピュータサイコロなら可能でしょうが、
まあ、デジタルにはシュレディンガーの猫のようななミクロの不確定さをマクロに転化することはできない、
もしかしたら人の脳はミクロの不確定さをマクロに転化する装置かもしれませんね、
可能性の数だけ世界が広がる、脳が選択し悩むことが時間として意識される。。。。

いろいろ思考できました、ありがとうございます。
[ 2012/12/12 10:50 ] [ 編集 ]
コメ返信
> hige さん

> おもしろく読みました。


どうもです。昔の自分は変なことを書きやがっているものです。



> もしかしたら人の脳はミクロの不確定さをマクロに転化する装置かもしれませんね、
> 可能性の数だけ世界が広がる、脳が選択し悩むことが時間として意識される。。。。


これは考えますよね。

人間の脳みそが「迷い」を「決断」するとき、波動関数が収束しているのだ!!!
~的なことを考えます。


いや本当に、人間が迷っている時、選択肢を選ぶ時、
脳みその中でなにが起こっているのかというのはとても気になります。


それは既に迷う前から決まっているのか。
それとも、迷っている間に脳内のなんらかのゆらぎによってサイコロが振られているのか。

(頭の中で「どちらにしようかな天の神様の言うとおり~」とか言ってたら
 それは既に決まってるようなものですがw)



・・・そういうことを考えだすと、
「人間を『量子サイコロ』として利用する、外道な敵ライバル能力者」
みたいな存在のことも妄想してしまうのです。


結局中二病的な所に行ってしまう自分なのです。
[ 2012/12/15 12:41 ] [ 編集 ]
 
僕は「そもそもこの世に真のデジタルなんてない」と思ってる立場なので少々頭をひねってしまいました。
パソコンなんて言っても、素材は全部アナログ的なものでできていますしね。

パソコンの箱の中にサイコロが入ってて、それを転がしてカメラが上の面を映していて、画像判別してその目を読み取り、モニタ上にその数字を表示する・・これがパソコンが主張しているところのデジタルの正体だと思っています。
もちろんデータの取得が楽なのでFLASHサイコロのようにズルをすることもできます。
しかしこれは「イカサマサイ」を使ってしまったというだけに過ぎません。
「月曜なら1、火曜なら2、水曜なら3」が出るだけのランダムでもないでもないサイコロを使っているのと意味的には同義です。水曜火なのにこんなのに賭ける主人公がバカなだけです。

デジタルのサイコロが全ての世界の自分を根絶やしにするという現象は、アナログでも振ると必ず5が出るイカサマサイコロだと気づかずに1に賭けてしまっても起こります。
従ってこれはデジタルvsアナログからくる差異ではないと思われます。

とはいえ物語としてデジタル使いvsアナログ使いほど面白くなるかといわれると困るのですが。
[ 2017/02/08 20:28 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無しさん



6年前に書いた文章ってなんかもう完全に記憶になくてびっくりしますね。 何を言ってたんでしょうね。

6年前の自分というのは他人に等しいような気もします。


> デジタルのサイコロが全ての世界の自分を根絶やしにするという現象は、アナログでも振ると必ず5が出るイカサマサイコロだと気づかずに1に賭けてしまっても起こります。
> 従ってこれはデジタルvsアナログからくる差異ではないと思われます。


この辺こそ、まだ自分がアナログになにかを見出している部分かもしれません。


「現実のイカサマサイコロ」というのは、

それが仮に「全ての面が5でできているサイコロ」とかでないかぎり、
かならず5を出すなんて保証はないと思います。

(もしも全ての面が5で出来てるサイコロなんてあったら、見た時点でバレますからありえんのですがねw)



つまり現実にありうるアナログのイカサマサイコロというのは、
多少おもりのような細工をしていて、多分確実に5が出るということになっているけど、
別に数百回試したわけでもない、そのようなモノだと思うのですよ。

(5の側に物凄い重しをしていても、たまたま回転しながら落下した際に)
(ちょうど2が上の面のままペタンと落下し、それでも重力的には釣り合っていて、)
(そのまま停止してしまえば、それで偶然目が2になることだってありうるっちゃありえるのです)



よってイカサマサイコロによって根絶やしになるかというと、
かならずどっかに生き残る可能性が出て来ると思うのですよね。

重りのイカサマをしているけど、5以外が出ちゃったパターンが。


この辺、デジタルのイカサマサイコロでは、
なんか最初からプログラムにバグでも記述されてない限り、どういう確率でも起きないと思うのですね。


(で、もしありうるとすれば、パソコン側のアナログな故障でしょうね)
(でもその故障は、5以外が出るというような形では絶対に現れないと思うのですよ)


>パソコンなんて言っても、素材は全部アナログ的なものでできていますしね。


だからこれは分かります。

分かるんですが、やはりそこでも差があると思っているのです。

[ 2017/02/11 18:04 ] [ 編集 ]
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