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幸せについて本気出して考えてみた

今月は厨二文章を書く予定だったのに
なかなかテンションとの都合がつかないので書きづらい。

でも書く。


「ピンドラ」→「銀河鉄道の夜」の謎コンボで

最近「幸せ」について考えることが多い。

よって、ソレについて思うことを書きます。



幸せてw

「幸せ」について語るなんて、
宗教臭いかも知れないけど
そういう胡散臭い方向には行かないようにする。

(少なくとも、銀河鉄道みたいに
 愛がどうのとか自己犠牲がどうの、みたいな方向には行かない)

(でも最後らへんは結局、自作宗教入ってます)



 

◆幸せとはなんぞや

― というところから入ると、ちょっと難しすぎる気がする。

絶対概念か相対概念か。

自分で思い込めばいい問題なのか、他者から認められなければいけない問題なのか。

そもそもどういう状態が「幸せ」なのか。


難しすぎるのでシンプルなところから考えよう。


◆「食欲」辺りから考える

例えば、
「美味しいモノを好きなだけ食べられることが保証されている状態」

これは幸せと言えるか否か考えてみる。


(人によっては、「そんな、食欲なんかが満たされる程度の状態なんか
まことのさいわいとは程遠いよ!」
とか言いたい人もいるだろうけど)

逆に、
「満足に食べることを保証されてない状態」
「酷くマズイものしか食べられない状態」

とかを考えてみる。

それらを「不幸せ」と断じることには、みんなあまり抵抗は無いだろう。

(それでも、「食べ物がまずくてもまことのさいわいに至る人生観はある!」とか言いたい人はいるだろうけど)



◆全ては欲求不満からくる

「そもそも食欲と幸せなんて関係ねーよ」
と言いたい人も居るだろう。

だが、そうだろうか。


結局、
金銭的に恵まれたいとか、
健康で居たいとか、
性格の良い配偶者に恵まれたいとか、
家族が長生きでいて欲しいとか・・・


求められうるどんな幸せの形だって、
そういうのは全て、欲求の一種で表現できると思う。

金銭欲、
健康欲、
安定欲、
保存欲、
秩序欲、
・・・・



そして、それが満たされないから、
不幸だ、不幸な状態だ、と感じるんだと思う。


つまり、
「不幸」とかいうのは人間の欲望が適切に達成されてないから起きるんじゃないのか?
という、割と普通なところにまずは落ち着いていく。


まぁそうだろう。


そもそも現代人だって、
生きる保証、食べる保証すら与えられてない気がする。

もしも全ての人間が
生きているだけで「不自由なく食事できる権利」を保証されていたとしたら、
もうちょっとは地球は平和になっていると思うのだ。


(もちろんありえないが、仮にそんなことが実現したら、
 それだけで自殺や犯罪や戦争は減ると思う)

(つまり、自殺がどうのとか殺人がどうのとか、
 そういう悲劇的な人生をいかにヒロイックに語ろうが、
 結局は人間が飯を十分に与えられてなかったりするのが根本だったりするのだ )

結局、
全ては欲求不満からくるわけだ。


(全てが満たされてる状態で殺人が出来る人間がいたら、
 そういうのが「ホンモノ」なんだろうなぁ)
(困窮からくる犯罪は、大したことがない気がするし、
 なにか許される気がする)



◆究極の最高と究極の最悪について

こうやって幸せについて
あーでもないこーでもないと考えていると、
いつもたどり着くのが
「考えられうる最大の幸せな状態」とはなんぞや?
「考えられうる最悪の不幸な状態」とはなんぞや?
という疑問です。


中途ハンパに「美味しいモノを好きなだけ食べられることが保証されている状態」とかを仮定するんじゃなくて、
完っ全に、ありとあらゆる制限を取っ払って、
考えられる最大の状態を考えてみる。

「そんな事考えてどうなるんだよ」と思われるかも知れないけど、
 これが結構面白いのでやってみよう)

自分が神になったつもりで、
最高のヘブン状態
最悪のヘル状態を設計してみようということです。


これが、本当に面白い。


例えば「究極の地獄のような状態」ってなんだろうか。

ウシジマくんの末路なんか目じゃないような、
ありとあらゆる不幸な要素を人生に付与していく事を
シミュレートしていく。

こういうことに考えだすと、
どんどん効率化されていって、
最終的には「脳直」で人生をいじめ倒すようになるのです。


例えば、
脳みそだけになって、
すべての感覚の受理を一億倍に鋭敏化したうえで、
あらゆる苦痛を永遠に与え続ける。
さらにその苦痛に対して、「麻痺したり失神する機能」すら取っ払う?とか。


この時点で、
「幽白」で戸愚呂が受けた地獄とか、
筒井康隆「生きている脳」とか、
世にも奇妙な物語「懲役30日」辺りは超えてる。


うーむ。
でも、まだまだ究極には足りないと思うが、
このあたりで思いつかなくなってくるのだ。



◆最高のヘブン状態とは

まぁ地獄について考えだすと、
こんな感じで底が見えなくなる。

更にこれが、「究極の幸せ」について考える側になると、
また様相が変わっておもしろいのです。


あらゆる制限を取っ払って考える「究極の幸せ」というのは、
地獄以上に難しい。


地獄同様にこれも、
どんどん効率化が進んで、
脳直要素になっていく。


また、食欲あたりから攻めるのだが、

そもそも「美味しいモノを好きなだけ食べられることが保証されている状態」
というのがどれだけヌルいか、ってことに気付かされるのだ。


それだったら、もう
「空気を吸うだけでめちゃくちゃ美味しいと感じられ、さらに栄養も吸収できて、幸せに感じられるような状態」
になってしまえばいいじゃないか、となる。

ていうかもう、わざわざ食べ物を用意する必要すらないのだ。

というか「空腹になる」なんて状態を排除してしまえばいいんじゃないか?

そうだ。

欲が不幸につながるのなら、
あらゆる欲をなくしてしまえ。



もう、最終的に
「何も奪われず、ただ脳みそが幸福度を感じ続けるだけの状態」
「さらにその幸福に対して、麻痺したり飽きたりする機能すら取っ払う」

とかになってしまえばいいんじゃないか?
ぐらいのところにたどり着く。



おや、地獄と同じようになってきたぞ?


◆「無欲」は幸せには繋がらん

ここらで、「違うんじゃないか?」という気分になってくる。


欲を排除して
去勢された牛のような状態になっても、
それはただ、「不幸じゃない」だけのニュートラルであって、
絶対に「幸せ」ではない。



静岡3ダグラスさんが言いたかったのは、きっとこういうことだ。


それを踏まえた上で、
改めて、「究極の幸福」について考える。



人間から「欲」を排除せずに、
さらに「飽き」「麻痺」も排除せずに
「幸福」を追い求める・・・。

これがまぁ、めちゃくちゃ難しいのだ。

ただ苦痛を与え続ければいい地獄とは違いすぎる。


そして、そのことについて考えていると、
「ソレって今の地球なんじゃないの?」って気分になってくるのだ。


◆無限の地獄や天国を考えたあとで現実を見なおしてみる

で、このあたりで
無限の地獄とか無限の天国について考えるのをやめる。


こういう事を考えていて得られる感覚は、
「この世は割と必然なバランスでできているんじゃないか?」
ってことだ。



もしも自分が人間を創造するなら、まず、人間に「欲」をセットする。
(おや、宗教臭くなってきたぞ?)

これが無いと、
多分人間は何もしない。

当たり前だが、食欲を用意しないと、
餌を得るために努力をする、ということすらしないと思う。

そして、そのような生理的な欲の延長で、
ありとあらゆる社会的「獲得欲」をセットするのだ。

「名誉欲」
「承認欲求」
「自己顕示欲」・・・


これらがなければ、人間は何かを
「自分が積極的に成し遂げてやろう」という気にはならないはずだ。

だから、用意する。



そして、「欲」以上に重要なのが、
「飽きる機能」だ。

これをセットで持たせることが大切だ。


人間は、一度自分が獲得したモノは、
それがかつて、どんなに喉から手が出るほど欲しかったモノであっても、
どうでもよくなる。



だから渇望は収まらない。
常に、欲望のハードルは上がっていく。

ハードルが上がるからこそ、
同じような努力では達成できない。
だから、常に進歩しなければいけないのだ。


(さっき無限の地獄や無限の天国を考えるときに誰もが考えたことだろう)
(同じ欲求を満たし続けるだけで幸福を感じ続けられるようにはしないのだ)
(それでは、人間は簡単に満足してしまう)
(それでは面白くないのだ)



◆この世はそんなに地獄ではない気がする


「人間に「欲」と「飽きる事」が同時に付与されていることが
人生の地獄の根源だ」
と、今まで自分は思っていたけど、
これらは全て当然、組み込まれるべくして組み込まれている気がするのだ。


もしも人間の人生を鑑賞して面白がっている存在が居るなら、
今の地球のバランスは絶妙だ。

「もしも自分が神だったなら世界をこのようには設計しない」みたいな事をいう人が良くいるが、
自分はそうは思わない。 自分は、このバランスが最適だと思うのだ。


「欲望」と、「飽き」、
「貧富の差」、「能力の格差」があるのは必然だ。
「争い」や「苦しみ」があるのも当然だ。
21世紀になったというのに
エネルギー問題や食糧問題が解決しないのも、当然だ。



そうでなければ、個々の人生が面白くなるはずがない。



(まぁ結局こういう話の方向になってしまうのだが、)
(やはり自分は、「人間の人生は被鑑賞物である」という考えから脱却できないのだ)

(少なくとも、自分は自分の人生を常にメタ的な視点で見ているし)
(常に頭の中で、何者かに解説実況をしながら生きている)

(だから、自分の人生をメディア化した時点で、物凄くメタ的な物語になるのだ)
(主人公がイキナリ自分が漫画のキャラだと自覚してナレーションを始めるような漫画だ)

(つまり、言ってみれば自分の人生にとって少なくとも自分自身は神なのだ)
(このように想定した神を誰にも否定は出来ぬ)


そして、この「飽きる能力」は、苦痛にも働く。
多分、この世の最底辺に居るような人達を麻痺させるためにこれらは働いている。
さっき考えた無限の地獄から考えれば、
「麻痺」が働くだけ、なんともマシな地獄ではないか。



◆つまりどういうことだってばよ?

こういうことを考えていて、
「無欲になれよ」とか
「執着を捨てろよ」とか、
「足るを知れよ」とか、
老荘のようなことを言う人がいる。


でも自分はそれは違うと思うのだ。


人間がここまで発展してこれたのは
まさに「欲」と「飽き」があったからだと思う。

この2つがなければ、人間は動物のままだったと思うのだ。

「欲」という言い方がアレなら、「願望」とか「夢」と言ってもいい
「飽き」という言い方がアレなら、「学習能力」と言ってもいい。



夢(欲)と、学習能力(飽き)
この2つこそが、人間の最大の弱点であり、人間の最強の能力なんじゃないか。

ここまで考えてきて、そんな気分になってきたのだ。



だから、自分はこの2つを否定しない。
世の中には他人の自己顕示欲をあざ笑う人がいるけど、
それは絶対に違うと思う。



自分の中の欲を否定する老荘のような考えは、
つまりは「自分が不幸になりたくない」という逃げの姿勢だ。
欲と飽きのコンボは不幸につながるから。


だが、そういうことじゃないだろ。


表層の自分の人生が不幸になるからといって
ハードルを上げ続けることから逃げた人間の人生なんか、
他者視点から見てたって面白いワケがないんだ。



ハッキリ言ってしまえば、
自分の表層の人生が不幸になってでもいいから、
人間は強欲でなければならない。

そして、
飽きっぽくなければならないのだ。




自分の中には、どうしようもなく
「自己顕示欲」「承認欲求」がある。


これが弱まってくると
「別にソレ、自分がやらなくてもええやん・・・」という気分になってきて、
凄く危険なのだ。


そして、
「自分が獲得した何か」には常に「飽き」続けている。


だから、
「自分はこの程度でいいか・・・」と、満足することは出来ない。


「欲」と「飽き」
この2つのコンボのせいで
情けなくなって死にたくなることも多いけど、
これを否定して諦めてしまったら、
自分の思う「被鑑賞されるに足る人生」なんか、送れるワケがないのだ。



だから、頑張らなければいけないのだ。(結論)



最初は幸せについて考えていたはずなのだが、
いつの間にやら頑張らなければいけないらしいことになっていた。


結局なんやら分からんことを書きまくってきましたが、
まぁそういうことです。

年開けてから何のやる気も出なかった自分への喝を入れるための駄文ですね。


(つまりニートは、自己啓発的な文章も自分で調達するしかないのだ)
(それが宗教がかっていてはどうしようもない気がするんだけど)

(当然だけど自分は通常の意味での神とかは信じてないです)
(でも仮定の話では妙に持ち出す)

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[ 2012/01/24 02:14 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(0)
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