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レビューとはなんぞや

ちょっと、「レビューとはなんぞや」
ということについて、悶々と考えている事柄を並べ立ててみます。


言いたいことがあっちゃこっちゃ散らばって纏まらないけど、
自分のブレ方そのものを表していると言えます。


2ミリ程でも共感してくれたら嬉しいかもしれない。




最近、昔好きだった映画を改めて見てみる、ということをすることが多い。
やはり反芻である。


そういうとき、大抵初見時の数倍面白く感じることが多かったりする。
(つまり、自分が好きなモノにはスルメ要素があるということだろうか)



「ポニョ」を改めて見てみたら、クッソ面白くてビックリした。

「ジェイコブス・ラダー」を見なおしてみたら、やっぱり傑作だと感じた。



さて、そんな風に、自分の中の傑作に触れ直した後は何をするか。
レビューを漁ったりするのである。 (今は一億総レビュアー時代



だが当然だが、
自分が傑作だと思っている映画に低得点をつけている人だっているわけだ。


そこで大量のレビューを眺めていて、ふと気づく。

大体において、
高得点をつけている人は、レビューの文章が長く、(というか説得力がある)
低得点をつけている人は、文章が短い・・・気がする。(というか説得力がない)



まぁそれ自体は当たり前の事かもしれない。 


高得点の人は、
その映画がなぜ素晴らしいのか
万の言葉をもってして語り尽くそうとしているが、

低得点の人は、
単に「自分はコレつまらなかった~」くらいのことしか語れない。
実際大したことを何も読み取れなかったのだから。



映画に高得点をつけている人は、
その映画から受け止められるだけの情報を受け止め、
あらゆるバックグラウンドを把握し、
完璧に味わい尽くした上で高評価をしているのだろう。
それは、そのようなレビューを読めば分かる。


一方で、
映画に低得点をつけている人は、
単に読解力不足や集中力がないせいで
大したメッセージを受け取る事が出来ず、
または感性が合わなかったくらいのことで
映画を十分に味わうこともなく低評価をしているのではないか。



(勿論これは超単純化して二元化して言っているのだが・・・)
(更に、自分の中で逆意見のレビューに対する反感もあるだろう)
(そんなのは、碌でも無い感情なのは承知の上)


だがそれだけでいいのか? レビューとは。



実際、ジェイコブス・ラダーのレビューを見てて、自分はこう感じた。

↑ここの、9点付けている人のみたいなレビューが好きだ。
自分も映画を観たら、このようなレベルのことが言えるような人間になりたい。
実際自分だって、ジェイコブス・ラダーに点数つけるなら、9点以上は確実だ。
(それは自分が静岡大好き人間だからなのもあるだろう)


一方ここで、テキトーな短文で3点とか4点つけている人達は、なんなのか。
「夢オチ」「妄想オチ」「よく分からなかった」
そんなアホみたいな感想で、よくまぁ恥ずかしげもなくレビューが書けるな、と思う。

何がどうしたら、ジェイコブス・ラダーを観た末の感想が、
「妄想オチ乙」的な所に落ち着くのだ?
シックスセンスじゃないんだぞ!?
(いや、自分は別にシャマラン嫌いじゃないが)




やはり、「低能丸出しの低得点をつけている人」には
共感しがたい。 
そこには、単に「逆意見に対する反感」以上の、何かがある。


勿論、世の中には誰が見ても糞な作品があるのも確かだろうが、
逆に、単なる自分自身の読解力不足、感性不足、教養不足を理由に
低得点を撒き散らせばいいもんじゃない作品があるのも、確かだろう。
「絶対的糞性」、「絶対的神性」を、自分は信じているのだ。




そして妙な「不公平感」を感じる。



物事の把握力が高い人の、把握力が高い故の高評価と、

物事の把握力が低い人の、把握力が低い故の低評価が、
同じ重さで並ばされて平均点を出すというのが、自分には許せなく感じる。



もっと言ってしまえば、
自分は自分にとって傑作にしか思えない作品に対して、
短い文章で糞のレッテルを張っているレビューに対して怒りすら覚えるのかもしれない。

(まぁ、レビューにGOOD!とかつければいいだけなのかもしれないが)



さらにこんな事ばかり考えていると、
もっとよく分からない領域に突入したりする。



そもそもレビューとはなんぞや。

映画に点数つけるとはなんぞや。



例えば、
まさに「2回目に観たら初見時の2倍面白かった映画」があったとする。

そんな映画に、なんて点数をつけたらいい?

1回目の点数なのか? 2回目の点数なのか? それとももう一回見てみるか?


これだけのことで、自分はわからなくなる。



そしてさっきの話の延長だが、

ものっすごい単純な話、仮に、
「馬鹿にはつまらなくて
賢い人には面白い映画」
があったとする。



それには何点つけたらいい? 
(自分が馬鹿だったとして、賢かったとして、
 面白かったとして、つまらなかったとして、そのどちらでも)

本当に馬鹿みたいな話だが、難題だ。




年齢やターゲット層の違いだってあるではないか。


「味覚」でもそうだが、
子供の頃は単純な味を好み、
年をとると苦味や酸味の混合を好みだしたりする。

「そのどちらが優れた味覚か」、人間に決められるのか?

一説によれば、
人間が年をとると苦味を好み出すのは、
単に味覚が摩耗した結果、苦味に対して鈍感になっているからに過ぎないと言うではないか。
(子供の頃のほうが苦味を敏感に感じてるのだから、より繊細な感覚だとも言える)


そういうことまで引っ張りだして考えだすと、
ますます、「この世に味覚やセンスの向上なんてものがあるのか?」
という気分になってくる。
(子供の頃の素直なセンスのほうが優れている可能性が、微粒子レベルで存在する)


つまり、
子供向け映画、大人向け映画、どう評価すればいい?
原監督のクレヨンしんちゃんの映画は間違いなく大体神だが)


たまに、子供向けの映画をドヤ顔で批判している人がいる。
大人のくせに、ジャンプ漫画を読んで批判している人もいる。
(どこのどいつだよ、まったく)


そんな態度が、許されるのか!?



要は、
「人を選ぶ作品」に出会ったとする。


そこでどうするか?ということだ。



自分の感性のままに点数をつければいいのか?


だが、そもそもレビューとは、
他人に読んで納得してもらうためのモノでもある。
他人に訴求しなければならない。

その時点で、
自分のために書いているのか、他人のために書いているのか、
ワケの分からない存在ではないか。 レビューとは。



そして最近思うのだが、

やはり作品の評価というのは「プラス評価」だと思うのだ。

どんな作品だって、人間、なにがしか得ることはあるだろう。

何か作品に触れたなら、
その体験価値は絶対にプラスだ。 (絶対値が必ず正なように)



それなのに、
「この作品は〇〇が残念だったから一点マイナスね~」
みたいな、「マイナス評価」をする人がいる。

(分からない)
(いや、一体自分は何を考えているのだろう)


そもそも作品というものを
10点満点とか100点満点みたいな規定の点数制で評価する所に
もはや無理があるのではないか。

(まぁ、こんな採点システムのことを混ぜ返しても仕方がないのかもしれない)
(いやしかし)
(ブレブレ)


でもやっぱり、
「あれが駄目だった」「これが駄目だった」みたいに
マイナス評価ばかりで作品を語っている人をみると、
「お前はマイナス要素以外何も感じ取らなかったのか?」「そんな感性の貧困さを自慢しているのか?」という気分になる。


やっぱり本来、
作品というものはプラス評価であるべきだと思う。(断定)


そしてそれは、
どれだけのモノを感じ取れるか、という受け手の把握力にかかってくるから・・・
(無限ループ)



まぁ、それでも点数制に意味があるとしたら、
せいぜい料金との対費用効果だ。


このメディア飽食の時代に、
ある作品を見るために、
同じお金と、同じ時間というコストを支払ったのだ。(他の候補を捨てて)

それに、どれだけ応えられたか、のコスパだろう。


この作品を見るくらいだったら、
この作品を見たほうがもっと人生をn倍有効に活用できたはずだ、

という理由でのみ、点数の多寡が意味を持つのではないか。
むしろ、それくらいの意味でしか無い。


・・・いや、こんなことはみんな分かった上で点数をつけているのだろうか。

だったら自分の堂々巡りはなんだったのか。

はぁ。



そしてだ、こんな風に点数付けの基準が人それぞれだったら
その平均点に何か意味があるのか?
という気分にもなる。

誰も、点数の付け方について歩み寄ろうとしていないだろう。
人によってはマイナス評価、人によってはプラス評価。



自分の中で一つの説がある。
「点数の付け方」って、その人が小中高時代に
「学校でどれくらいのテストの点を獲っていたか」に左右されないか?問題



80点以上が当たり前だった人もいれば、

30点とか平気で取ってきた人もいるかもしれない。

頑張れば90点以上が当たり前の人にとっては、
点数の付け方はそのようになるだろう。



実際自分は、
「ある程度及第点だったな」という作品には、
70点以上の点数しか付けられない。
そういう癖がある。


(つまり自分にとって「ボーダーラインは70点」なのだ)
(「60点台以下」というのは、随分悪い点数に思えてしまう)
(だから自分は、何事も点数付けが甘めになるのかもしれない)


一方で、
ちょっとでも不満点があれば
30点40点とかを平気で付けられる人
もいるだろう。
(そういう人達は、学校のテストでもそういう点数を取ってきたのではないか?)


そんな風に、
人によって点数の付け方にはどうしようもない癖があるはずだ。

そのような採点基準が統一されていない
レビューの平均点から、一体何が分かるというのだ?


一部の人間の高評価や低評価に引っ張られるだけではないか。


実際アマゾンのレビューってそんな感じだ。


世界には星3つ★★★が多すぎる。



そもそも、自分は「人それぞれ」「作品それぞれ」みたいな物言いが嫌いなのだ。
(オンリーワン? 糞食らえ)



本当は、物の価値には絶対性があるとすら思っている。
賛否両論のものは、大抵、「分からん側に問題がある」とさえ)




例えばまさに、自分が好きな映画にテキトーな低得点つける奴、
自分が好きなアニメに「つまらん」しか言わない奴・・・


そんな奴らを自由に召還できるなら、
上で書いてきたような「評価のあり方」をクドクド説教した上に、
「モノの価値が分からん奴は口をつぐんで生きて行け」的な結論をぶつけて、
最終的に彼らのレビューを言論封殺すると思う。


結局、自分はそういうことがしたいし、
実際彼らを、説得できるとすら思っている。
ああいう奴らが恥じ入ることを望んでいる。



(それが、絶対性ってことだ)
(つまり、人それぞれのつまらなさは打ち破ることができる、と)



実際、自分自身が過去に価値がわからなかった作品であっても
誰かの解説やレビューに触れる事によって、
味わい方が分かるようになる場合がある。


まさにポニョだってそうだったかもしれない。



そのような場合、
自分自身で通過してきた感覚だからこそ言えるのだが、

「過去の自分の低評価は、『糞』だったのだ」

多分この感覚が一番大事。


モノの味わい方を学んだ末に、
自分自身で過去のレビューを反省できたのなら、
そこには完全な向上性があるではないか。


これも、価値・評価の絶対性ということに繋がる。



と、そこまで言った上で、また自分自身の考えを否定したくなる。


それは先に言った
「味覚の成長は本当に成長なのか?」という話で同様に否定できないか?という疑問。
(ピュアな物事の味方が失われていった結果だけかもしれないぞ)



そして最近つくづく思うのだが、
メイキングとか作者インタビューとかに触れると、
作品の評価って否応なしに上がってしまうのだ。




最近の自分が
ジブリおもしれーおもしれー言いながら見ているのは、
自分の中でのジブリ把握力が高まっているだけなのではないか?という疑問。



例えば、
メイキング見た後で、映画が2倍面白くなったとする。
考察を読んだ後で、映画が3倍面白くなったとする。
監督の人物像に触れることで、映画が4倍面白くなったとする。



その、「2倍」「3倍」「4倍」というのを、本当はどう評価するべきなのだ?


分からない。


映画に一々、
「この映画はメイキングを見た後で見ると2倍面白くなりますよ~」みたいな注釈を
付けるわけにはいかないだろ?


それは、レビューにしても同じなはずだ。




・・・結局これは何の話だったのだろう。

・・・結局分からないことづくしである。

・・・結論は出ない。

・・・分からん・・・

おわり。


関連記事
[ 2012/06/26 21:25 ] 痛感想文系 | TB(0) | CM(6)
No title
自分がもらってきた点数に左右されるってのは言われて気付きましたが、確かにそうですな。
中学、高校の成績表の評価が10段階で、6はちとマズくて7なら普通って感じでした。テストでは30~40点とったけれども。
で、ここ数年記録している映画ノートで10段階評価を付けているのですが、見返してみるとあまり楽しめなかった映画でもほとんど7以上でした。最低でも5で、10段階評価として機能していません。自分はそれでいいと思いますが。

みんなのシネマレビューで、自分の好きな映画に短文で低評価をつけている人のレビュー一覧を見て、こいつあの映画に10点つけてら!こいつとは一生友達になれないな、とその人間を一瞬で低評価している自分に悲しくなります。
[ 2012/06/26 22:34 ] [ 編集 ]
No title
難しい問題ですね
読解を要するような作品ほど評価されにくくなり、
分かりやすく刺激が強いエンタメほど評価が高くなる
(もちろん、エンタメを貶すわけじゃありませんが)

自分は、「物の意味や価値は観察によりはじめて現出する」という立場です
そう読み解く人がいるから、そこに価値があるし、ある意味で、はじめてそこに価値が生まれる

まあ何が言いたいのかというと、「匿名レビュー」は判断を損なうので、ほぼ見ません
「誰がレビューしているのか」を抜きにしては、つけられた点数を見ても意味がない
大抵、「誰がレビューしているのか」を知っても意味がない
せいぜい、過去のレビューを見て、傾向とかが分かる程度

自分が見いだした「価値」を語ることで、他の人にもその「価値」が観察できるようになる
観察眼はそうやって育むしかないのかもしれませんね
(「ジェイコブズ・ラダー」(未見)に関しては、キリスト教についての知識も左右しそうですが)

しばらく考えましたが、
ニートさんが見出した「価値」を、ブログやレビューやツイートの形で伝えていく・・・・・・
という、あたりさわりのないやり方しか思いつきませんでした
というか、まさにすでにそれをやっておられるじゃん、と
[ 2012/06/27 01:17 ] [ 編集 ]
コメ返信
> イル さん


> で、ここ数年記録している映画ノートで10段階評価を付けているのですが、見返してみるとあまり楽しめなかった映画でもほとんど7以上でした。最低でも5で、10段階評価として機能していません。自分はそれでいいと思いますが。


自分もそんな感じになるでしょうねー。

「モノとして完成している時点で5点以上は当然」みたいな感覚が
自分にはあるのかもしれません。

そもそも自分自身、モノを完成させることができませんからね。
ゲーム会社が作ったちゃんとしたゲームとか、
つくづく「ちゃんとしている」ということを痛感します。


一方で、
「10段階評価は10段階評価なんだから、
 平均が5点になるようにする人」もいるでしょう。

基準が違うんですよね。難しい。



> みんなのシネマレビューで、自分の好きな映画に短文で低評価をつけている人のレビュー一覧を見て、こいつあの映画に10点つけてら!こいつとは一生友達になれないな、とその人間を一瞬で低評価している自分に悲しくなります。


これはめっちゃありますねw


でもきっとその人も、
数年たてば味覚が変わってると思うのですよ。
きっと良い感じに嗜好が歪んで、面白いことになっているでしょう。


自分だって、
もしも自分がもっとガキの頃からインターネッツが存在して、
レビューサイトで感想ばらまく面白さに味をしめていたら、
何をしてたか分かりませんからね。

(というか自分が今やってるブログというものが痛い感想文を
 現在進行形で産業廃棄物的に遺していますからね)




[ 2012/06/29 22:53 ] [ 編集 ]
コメ返信
> BOX さん


> まあ何が言いたいのかというと、「匿名レビュー」は判断を損なうので、ほぼ見ません
> 「誰がレビューしているのか」を抜きにしては、つけられた点数を見ても意味がない
> 大抵、「誰がレビューしているのか」を知っても意味がない
> せいぜい、過去のレビューを見て、傾向とかが分かる程度


なるほど。 見ざる、聞かざる、レビューせざる。


それでもやっぱり自分は他人の匿名レビューを気にしてしまうのですよね。
匿名文化にどっぷりだからでしょうか。

>「判断を損なう」

自分は多分、
他人のレビューに触れて
自分の中で何かが曲がるということはそんなに無いと思うのですよ。


それでも他人のレビューが気になってしかたがないのは、
きっと、他人の価値観に干渉したいからだと思います。


自分の好きなモノの味わい方が分かってない奴らを見つけては
ブチ切れている。 何故か。
なぜ見つけたがるのか。
なぜブチ切れたいのか。


良い言い方をすると、
彼らの目を洗ってやりたい。

悪い言い方をすると、
奴らの口をねじ曲げてやりたい。


そういうことでしょう。

そういう支配欲がどうしようもなく強いのだと思います。


はぁそれにしてもアマゾンの★が気になって仕方がない人生です。



> しばらく考えましたが、
> ニートさんが見出した「価値」を、ブログやレビューやツイートの形で伝えていく・・・・・・
> という、あたりさわりのないやり方しか思いつきませんでした
> というか、まさにすでにそれをやっておられるじゃん、と


まぁそうなりますかね。

ブログやツイッターは、まぁ半匿名ということで、
ある程度は人格と紐付けられている中で
言いたいことをブチまけて行く、と。


まぁ今回は「平均点の話」が出来たから満足だったりします。
何故自分のゲームレビューの点数は妙に甘いのか。

[ 2012/06/29 23:10 ] [ 編集 ]
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[ 2012/07/23 23:12 ] [ 編集 ]
コメ返信
> 名無し さん


> 作品そのものよりも、他の感想自体への感想を言い出すと凄く不毛というか、過剰防衛なんじゃないかとか、思っちゃうんだけど。


そうですね。 これは防衛でしょう。


自分は何かを褒めるときに
「中途半端の理解力で褒めていやがるな」と思われたくないので

「中途半端の理解力でdisっている意見」を全て叩ききってから、褒めはじめたいと思っています。



完全に武装した状態で、褒めたいと思っています。

だから、何かを褒めるときには凄く攻撃的になります。


「この作品を、これこれこういう理由でダメだと評している意見もあるようですが、
 そんなのは理解が足りないからそう感じるだけです」

そういうことを全て言い切ってから、何かを褒めないと、
「馬鹿」に馬鹿にされると思っているのです。




なんでこういうふうになっちゃったのか

それは多分自分が「うみねこ信者」になった時からだと思います。


あれは、アンチが馬鹿に見えるように構造的に仕組まれている恐ろしい作品です。



「愛が無ければ見えない」のか、

「愛があるから見えない」のか。

この大問題です。



>レビューで承認欲求満たすのも無理だろうし。むしろ悪循環じゃないの?

さぁよく分からんですが。


とにかく自分は、他人が自分の好きな作品をdisっていて

それが自分よりも理解の足りないレベルで行われているdisなら、全力でそのdisを潰しに行きます。

そういう奴なのです。



[ 2012/07/26 08:45 ] [ 編集 ]
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