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どうせ何も出来ないから、
しばらくは文章だけの更新を何連続かでやってみようかと思う。

というか、本来ブログというものは
通常、「文章だけで持たせるモノ」だと思うのでそれが当たり前ではあるんだが。



今日は「そういう日」なのでなにか書こうと思った。

ニートのくせに、「震災」について何か書きたくなる。
でもその前に、あえて「自分の話」をしようと思った。

チラシの裏で書くべき話(自分語り)
と、
チラシの裏なんかには書けない話(震災の話)を、あえて同時にしようと思う。


クッソ長い文章を、今日は二回に分けて書いてしまおうと思う。
(何回「思う」って言うんだ)


で、こっちの記事は、まずは「自分の話」になる。


誰も読むべきではない。



 

たまにだけど、
自分がどんな思いで毎日を生きているのか、ぶちまけたくなる。
要は、それは「泣き言」なのだが。

泣き言だと分かっているから、中々そういうことは書けない。

ましてや「こういう日」に泣き言なんか書けないはずなのだ。

でも何故か震災を語る前に、そういう話がしたくなった。
そういう順序があるような気がしたから。

クソみたいな自分のあらゆる不満を、あえて事前にブチ撒いておこうと思ったのだ。



「リアル」で自分がどんな感じで生きているのか。
むしろなんで生きていけるのか。

そういう細かい話は、多分このブログでもずーっと避けてるし
多分これからもするつもりはない。


でも、自分が毎日どんなことを思っているか、
その想念を並べると、ひでえことになる。



自分は、ビニール袋にブチ込まれて、その中で息を潜めながら生きている。

自分は、「メタルギア」で段ボール箱の中に隠れているスネークの気持ち
本当に心で理解できていると思っている。

「アイアムアヒーロー」というマンガで主人公がよく言う
「まだ一分も経ってない」というネタの気持ちが、死ぬほどよく分かる。

つまり、自分はそういう風に時間を過ごして生きている。

常に人目を避けて
自分は石ころ帽子をかぶっている人間だと思い込んで生きている。

自分は、何をする時も、他人に認識されたくないと思っている。

特に食事をするときは、絶対に他人に見られたくない。

見られるだけではなくて、
咀嚼音も絶対に聞かれたくないと思っている。
(灰空にそういう人が出てきてたけど、あれはマジだといえる)


つまり、そんな感じで
何をするのも嫌だし見られたくない。

何をやっても自信が無いというか
むしろ何をやっても自己嫌悪が押し寄せてくる。

本当に何をしてても罪深い気分になってくる。
自尊心が常にボロクソになっていく。

そんな感じなんだ。


そういえば
こないだのおばあちゃんの「葬式」だとか「お通夜」だとか「初七日」だとか「49日」だとか、
そういうのは、自分は全て、バックれている。

バックレるというか、それは部屋に引きこもっているだけなのだが、
それで何とかなってしまっている。


親戚なんかには一生会いたくないと思う。
会いたくないというか、会えるわけがないと思っている。


よく、「ニートだけど、正月で親戚がどうのこうの~」みたいなネタが2chにあると思うけど、
自分の場合は、そんなのは起こりもしない。
どっちにせよ、親戚とは一生無縁で生きていければいいと思う。


でも、親が死んだら流石に逃げられないと思う。

家族の葬式とかそういうのからずっと逃げ続けている自分が、
いざ自分の親の葬式というのを突きつけられたらどうなるのか、想像もできないし、想像したくもない。


「リアル」での自分はそんな感じ。
誰とも会わない。誰とも会話しない。誰とも接点はない。
むしろ無くていいと思う。

自分以外、全員ゾンビでいいと思っている。


そんなでも自分の脳味噌が孤独感を感じずにいられたのは
おそらくはネット環境があったからだろう。


なのだが、
最近は「ネット上」でも、どこにも居場所が無いような気がしている。



まず自分のブログ、
昔はここを、「自分の城」のように感じられていた時期もあったのだが
今では全然そんな風に思えない。

自分は自分で自分のブログを読まない。見ない。 (気持ち悪いって分かってるから)

コメントが付いた時に、
過去の自分がどんな糞なことを垂れ流していたか確認するために
ブログの管理ページから参照するくらいだ。

そして、記事を書く時にも管理ページをクリックしなければならないのだが
これがもう滅茶苦茶億劫になっている。
なんかしらんけど殆どウンザリしている。

何故自分のブログが自分の居場所のように感じられなくなったのだろう。


長文を書くのが、苦痛なのかそうでないのか、自分でもよく分からない。

一度書きだすと、今まさにやっているように
どうでもいいことをダラダラ書きだすくせに、
スイッチが入ってないときはブログのことを考えるだけで憂鬱になる。

そのくせに、頭のなかで書くべき文章の内容はずーっと考え続けているのだ。
その堂々巡りのような考えを定期的に出力しておかないと
同じ事ばかりグルグル考えてしまう。

だから、やっぱり記事を書かなければ頭がおかしくなりそうだし、
一度書き始めるとその内容はクッソ長くなるし、
やはりそれは面倒くさいし、
自分の文章は糞だしで、嫌になるのだ。


どうすればいいのだ。


ブログ以外で自分のネットでの他人との交流場所があるとすればtwitterになるのだが
あそこでの自分はもう、完全に人間不信といっていい。


自分でも毒づいたことをツイートすることはセーブしているつもりなのだが、
まぁそれでも他人の心が離れていくのがよく分かる。
毎朝、ホームを確認するとフォロワー数が減っているのだ。やってられるか。


自分のフォロワーさんは全員、自分のことをミュートにしてるんだろうな、と思っている。

だから、相互フォローの人のツイートを読んでるだけでイラつくと言っていい。
(自分が個人的に一方フォローしてる人の方がよっぽどマシだ)

(相互フォローなのに一度も話しかけてこない人はなんなのか、とか思ったりする)(別にいいけど)
(そういう人が他人とぺちゃくちゃしゃべっているのを見ると、時間を奪われている気分になる


つまるところ、
自分は他人に不満を感じて仕方がない。 


他人に不満を感じるのは、自分自信が許せないからだろう。 まさにそのとおりだ。


twitter上での他人の一挙手一投足がムカツイて仕方がないんだ。


そんな不満を、twitter上でブチ撒けることも出来ない。 だから改善なんて見られない。
出来るのは、無言でリムるしか出来ない。
そしたらリムり返される。 なんなのだと思う。


そういうのは不誠実だと思うから、
やっぱり不満をぶちまけた上でリムったほうが相手のためになると考える。

だがそういうことをしたら、今度は関係ない人からもリムられる。
どうすればいいのだ。


仕方がないので、
誰も読んでいないと願いながら、ここに不満をブチ撒ける。 
毎度毎度同じ内容になるだろうが、こういうことは定期的にやりたい。



・診断メーカー糞うざい
あれを面白いと思う脳みそが信じられない。
そんなものを貼るな、広めるな、持ってくるな、合ってるかどうかとか、語るな。
そういう、自分自身とは何の関連付けもないような診断は貼るくせに、
いざIQテストだとか、そういう自分の程度が知れるような実際の診断は全然やらなかったりする。 
まぁこれはどうでもいい。


・ハッシュタグ大喜利もウザイ 


・アニメの実況がウザイ
「〇〇ちゃんかわいい!」だけの実況は実況じゃねーと思う。
あと最近はアニメに限らず、マンガの感想も滅茶苦茶テキトーな人がいる。


・動画のタイトルを削ってリンクだけを貼る人がウザイ
そのくせ「見てみて~」「オススメ曲~」的などうでもいいコメントは添えてくる。
本当に動画をクリックして欲しいのなら、事前にタイトルは言っておけ!!!と言いたい。

動画リンクをクリックする時に最初に判断材料になるべきはタイトルから発される情報だ。
それをカットされた上で糞動画をクリックされたら、どんだけ人生の浪費かと思う。 

こんな当たり前のことを何度も言い続けているのに、やっぱり動画のタイトルを削る人は減らない。


・定期ポストがうざい
「定期ポストしてる人はフォローしません」ってことを定期的に訴えたくなるくらいウザイ。


・あまりにもどうでもいいことを大量につぶやている人がうざい
この辺から自分自身でも病的になってくるのが分かるが
いくらなんでも短文すぎることをブチブチと垂れ流している人にはウンザリする。
twitterとはそういうことを垂れ流す場所だとは思うのだが。
勿論そんな人はリムればいいだけの話なのだが。

しかもその内容がただのネガティブなボヤキだけだったりすると、一番腹が立つ。

誰だってネガティブなツイートが出来るならやってるよ。
「死にたいツイート」していいなら、自分だって一日中やってるよ。
だがやっぱり、そういうのはなるべく抑えこむもんだと思う。


・非公式RTをする人がウザイ
自分の中で、非公式RTをする行為が許されているのは芸能人・有名人だけだ。
それは、「謁見」とか、「公式回答」とか、そういうのに近いと思うからだ。
下々の者への対応を、全員に見せるための行為だからだ。

そんな非公式RTを、「どうでもいい身内とのやり取りを見せつけるため」に使っている人を見ると
「お前は有名人気取りなのか!?」と思う。


「〇〇さんが~」的な喋り方をする人がウザイ
これは凄く説明しづらい。
要は、知ったこっちゃない他人の名前・話題を出して
その人の作品とか発言とかに言及する行為なのだが、
そういう「提灯持ち」っぽい姿勢がすっごくムカツクのだ。

あえて自分で例えて言うなら、
「ByNEETさんの〇〇がどうのこうの~」みたいな語り口を
自分の全然知らない人の前でされても困るし、
その周りの人はキモいと思ってるだろうし、
自分もどう反応したらいいかワカランからだ。


(でもこれに似た行為は自分もしているかもしれない)
自分も実況者さんや漫画家さんに関しては、こういう語り口で喋ってしまうからだ。

つまり、「格を考えろ」ということだ。
グループの中で誰もが了解出来るような存在であれば、個人の名前を挙げて言及するのもいいだろう、
でもそれが狭ければ狭いほど、その発言は「駄サイクル」臭くなるんだ。

「〇〇さんの新作の☓☓すげぇ~」 ←こういうの、イラッと来ることない? 自分の頭がおかしいのか?



・無意味なリンクを貼る人がウザイ
この世で一番無意味なブログがあるとすれば、
それは「ツイッターまとめ」をしているだけのブログだ。

本当に無価値だと思う。

ツイッター自体が「ミニブログ」であるのだから、そこで完結していればいいのだ。
それでも毎日のツイートを管理したいのであえば、twilogなどのツールに投げておけばいい。

(死んでもtwilogを使いたくないというのなら、まぁいいとする)
でも理解できないのは、「ツイッターの側にも自分のツイッターまとめブログのリンクを貼る行為」だ。
これ以上に意味不明な行動はない。

よくまぁそこまで無意味で無価値で無内容なブログのリンクを、得意げに貼れるものだなと思う。




あと同じようなのだと、
pixivに貼った絵を、ニコ静に貼って、TINAMIに貼って、ブログに貼って、twitpicに貼って・・・・
みたいなことをリアルにしている人もいる。


なんで同じ絵をリサイクルして、PV(ようは人の目)を稼いでいるのかと思う。


(いや、自分だってある意味、pixivとブログで同じ絵のプルサーマル計画はしていると言えるのだが)
(それだって自分の場合は、ブログにはその絵に関する文とかを載せるようにして差別化しているつもりなのだ)

(そうでなければ、同じ絵を自分の周囲の人に何度も何度も見せつけるなんて、申し訳ないと思わないのだろうか)
(というか、そんな無価値なブログを見せつけていて、「自分が飽きられる」という事を恐れないのだろうか)

#pixivツイートだって、自分はたまにしかしないし、やるとしても一枚の絵につき一回だけだ)


とにかく、コンテンツづくりに気合を入れてない人のブログは軽視してしまう。
(いや当たり前すぎることだが)
(それは、自分がそうだから、他人に跳ね返っていくんだろうか)


・・・・・・・で、こんなふうに自分は
他人の全ての行動に対して批判的な眼差しを向けながら生きているワケだ。


そして自分自身の行動も、それを批判するに見合っているかどうか、常に意識している。 

(自分自身を律するからこそ他人に跳ね返ってくるのか)
(or)
(他人を律しようとするからこそ自分に跳ね返ってくるのか)
(どっちが先かは知らんけど、とにかく自分は「他人に厳しく自分にも厳しく」という感じらしい)
「お前のどこが"自分に厳しい"んだよ!!死ね!!!」と思われるかもしれんが)
(これでも相当抑圧しているつもりなのだ)

(だから自分でもどんどん思い通りに動けなくなってくる)
(もう好き勝手に呟いたりなんか、絶対できない)
(本当は自分だって「キエエエエエエ」とか)
「くけけけけけけ」とか呟きたいんだ。 呟けるのであれば)
(だがそんなこと出来るものか)


そんな風にピリピリしている雰囲気は無意識に伝わるのかどうかしらんけど
実際こんな風にして生きていると他人が離れていくのは分かる。
分かるが、それでいいような気もする。

いや、それでいいのだろうか。
本当にそれで満足ならこんな文章書いてない気がする。

なんなのだ、全く。


まぁそんな感じで
自分はリアルでもネットでも、常に居心地悪く、居場所もなく
不満足の塊のようにして、何故か生きている。


本当に、自分は不機嫌なのだ。いつも
そうは見えないかも知れないけど。


で、こんなに不満足なのは
結局自分自身への不満から来ていると思う。


自分でも何がそんなに不満なのか。
自分の苦しみがどこからくるのか。
ちょっとリストアップ、カテゴライズでもしてみようかと思う。


苦しみのカテゴライズ。
そんなことは大昔からされていることなのだ。
「四苦八苦」という言葉がある。
これに自分を当てはめて考えてみようと思う。



まず、「生・老・病・死」から。


・生
まぁ生については、糞親でも憎んでいればいいのだろうか。
結局自分は、「人間の人生は環境が全て」だと思ってしまっているので
どうしようもないとも思っている。


・老
これはどっちかというと次の「病」とかぶってると思う。
あまり意識したことは無い。 むしろ「ニートは老けにくい、はず」という持論を持っている。

だが体の不調はどんどん出てきている気はする。

昔みたいに徹夜をする気力・体力は共に無い。
すぐに疲れる・眠くなる。嫌になる。


・病
病については、それ自体でリスト記事を書いたから、ここではもういいか。

死を意識するのは
寒い時に寝ている時、心臓が痛み出す。
このまま心臓が止まって死ぬんじゃないかと怖くなる。


・死
未だに死ぬのが怖いのか?
自分でも馬鹿馬鹿しいと思う。
さんざ自殺がどうのこうのと言い続けて来たくせに。

死ぬのが怖くなったなら、それはそれでいいことだとも思う。
そういうことも書いてきた。


難しいのは「八苦」のほうだ。


・愛別離苦
強がりでなく、自分に関してこれはねーなと思う。
自分は本気で他人を好きになったことが無い。これからもない。
自分はそういうことが出来ないと分かっている。自分が好きになれない奴が他人を好きになれるワケがない。

だいたいリアルでこれは無理だ。

ネット上でこれがあるとすれば
やはり誰かにリムらえたときくらいだろうが、
自分は未だに「この人にリムられた残念だった」と感じられるような人にリムられたことが無い。

自分をリムってくるのは
「自分如きがフォロー返しすらしてない人」からのリムーブしか、ほぼ無いからだ。

自分が一方フォローしている人。
つまり「このニート如きを相手している隙がないほど価値のある人」は、自分をリムーブ出来るわけがないのだ。
自分をフォローしてないんだから、そら当たり前だ。


この感覚、この構図、リアルでも同じ事が言える。

「このニートが本気で愛することが出来るような人間」がいたとしたら、
そんな素晴らしい人はこんな自分なんかを相手にするワケがないからだ。

だから、安心なのだ。
愛別離苦は無い。


・怨憎会苦
リアルでムカツク人間は家族以外には居ない。
居たとしても、それは思い出の中だけだ。


だから、自分の場合ムカツク人というのは大抵twitter上にいると言える。
それも、相互フォローの中にしか居ない構図になる。

(無茶苦茶に聞こえるかもしれないが、考えてみるとこれは当たり前の話なのだ)

(ムカツク人を一方フォローしたりしない)
(一方フォローされてるだけの人にムカツイたりもしない)
(だから残るのは、相互フォローの人だけだ)
(相互フォローだからこそ、人は人にムカツクのだ)


まさにムカツク人間に「出会わなければならない」、怨憎会苦だ。


・求不得苦
一番の問題がこれだろう。
自分の承認欲求だとか欲求不満、自分自身を許せない気分は全部ここから来ている。

これをどうにかしろというのか。

得られないのが苦しみなら、得ちゃえばいいのだが、そう簡単にはいかん。

そう簡単に得られるものでは無いからこそ、価値があり、求めてしまうのだから。

そして無欲になる気もない。 諦める気もない。 足るを知るなんてもってのほか。
そういうことについても、いつかなにか書いた気がする。


・五蘊盛苦
一番良くわからんのがこれだ。
「五蘊」というのは難しすぎる。

自分の肉体や認識や思考や行動や記憶から生まれる苦しみだというのなら、
四苦八苦なんか、全てこれ一つで説明つくではないか、と思うからだ。
まぁどうでもいいか。



一体何の話だったのだ。



まぁ大体こんな感じ。

自分はこんな感じの、どうしようもなくhelplessなクズであるということ。

こんな感じで生きているということ。

その再認識。

そういうことをあえて言っておきたくなったのだ。


その上で、これから何故か震災の話をするわけだが・・・


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[ 2013/03/11 18:36 ] ニート生活 | TB(0) | CM(12)
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[ 2013/03/16 21:22 ] [ 編集 ]
コメ返信
> やっころ さん

> 高い能力を生かせなくて可哀想に、自我意識が強くて自我に負けている貴方にお奨めは、僧侶の修行か、神との交流がお奨めです。



「四苦八苦」とかの仏教用語を使ってしまったからでしょうか。
自分は仏教の哲学的な部分は好きですが、
「神との交流」みたいなスピリチュアルな部分は糞食らえです。
そういうのに関心はないのです。

実際の仏道の修行とかする気もありません。
時間の無駄だとさえ思っています。



> でも、誰のおかげでここまで成長した?生活ができるのは誰のおかげ?
> 父母を泣かすなよ。  よーくよーく考えてみよう ニートさん。


こういうことが言えるのは、
やはり他人の人生について想像する力が欠如しているからだと思うのです。


自分の家族がどんなか知っていれば、そんなことは言えませんよ。
つまり、何も知らずにテキトー抜かしているようにしか聞こえないのです。



「誰のおかげ」なんて言葉を、一体誰が、どんな立場から言えるのでしょう。

自分の親が言えるはずも無し、

赤の他人のあなたが言えるはずも無し、

・・・この世の誰も言えないのです。



ブタがブタを不幸に産んでおいて、親ブタが子ブタに向かって
「お前が生まれたのはワタシのおかげだ、感謝しろ」などと言えるでしょうか?


そこにブタ以外のブタが割り込んできて、
「あなたが糞豚に育ったのはその親ブタのおかげだ、感謝しろ」などと言えるでしょうか?


全ての不幸な障害児に向かって、
あなたは「親に感謝しろ」なんて、言うのですか?

「親を泣かすな」なんて、言えますか?

それはどんな立場から言っているのですか?
あなたは神ですか? 神だってそんなこと言いませんよ。



こういう問題について、あなたこそ、よーくよーく考えたことがあるのでしょうか。
無いからこそ、そんなありふれた言葉が吐けるのです。



糞親がこの世に存在する責任とは、そういうことです。




「おかげ」なんて言葉はありません。

この世で人間が感謝するべき対象があるとしたら、
それは唯一、「太陽」くらいなもんです。 

あれは無償でエネルギーを提供しています。


太陽の無償の活動から比べれば、
植物が育つこと、お百姓さんが畑を耕すこと、
野菜が出荷されること、料理を食べられること・・・

それら全ての地球上の生物の活動は、その「延長」にしか過ぎません。

「無償」から発生した延長のくせに、
それらは「見返り」を求めているのです。

なんと浅ましいことか。


だから太陽にだけ感謝して、それ以外の活動は感謝する必要はないのです。

(むしろ、太陽に本気で感謝してないくせに)
(自分の目の前の現象にしか目を向けず 「いただきますがどうのこうの」言っているほうが)
(よっぽど感謝の心が足りないということです)


という風に考えるにせよ、
糞親が自分を産んだだとか、育てただとか、そういうのは感謝の対象にはなりえません。
ただの現象です。



子供というのは、糞親の「エゴの結晶」です。

それが出来損ないだったというのに、その子供に向かって「糞親に感謝しろ」などと言えるでしょうか?
どんな人生を送ってきたら、そんなことが言えると思えるのでしょうか?
想像も出来ません。




「おかげ」なんて言葉はこの世に存在しません。


あるとしたら、それは「自分が自分で自発的に思う時だけ」です。


それを他人に強要したり、他人から強要されたりした時点で、ウソです。


あなたは「感謝」を他人に強要した、その時点でウソです。



「感謝」について、あなたは今まで
これくらい考えたことはあるのでしょうか?


[ 2013/03/18 16:03 ] [ 編集 ]
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[ 2013/03/31 21:29 ] [ 編集 ]
Re: 感謝
> やっころ さん


> 67歳の私の思いに反応していただき、ありがとう。感謝。


67歳のご年配のお方に自分のブログが読まれているとは、
インターネッツ社会は想像もできないことが起きているものですね。


> 「思う」とは、頭脳の物理的思考回路から発生するものではなく、魂が感じることから発生すると考えます。


でもやっぱり、こういうことは信じられないわけですね。
突然非論理に吹っ飛んでいる感じがします。


こういう風にモノを考えている人達が
「魂というモノをどのように捉えているのか」ということには結構興味があったりはします。


(例えば、人間の脳ミソにだけ魂が宿るとでも考えているのか)
(動物の魂や植物の魂とどう差別化しているのか)

(ならば原始人はどうなのか)
(過去にさかのぼり、「人間と動物の中間点」を割っていったときどう考えるのか)

(未来人はどうなのか)
(宇宙人の魂はどうなのか)

(人工知能に魂は宿るのか)


やはりこういう風に思考実験していくだけで、
魂が思考する、という考えは馬鹿げていると分かるような気がするのですがね。


「自分は特別だと思いたい感情」が、
「自分には魂がある」なんてことを信じさせるのです。


> そして軽はずみかもしれませんが、その良い思いを持続する方法の早道が私自身の不思議経験から仏道であり


自分はそういう「不可思議体験」をしたことがありませんからね。

仮にそういう体験をしたとしても、
やはり脳のエラーか何かかと考えますね。 まずは。


それでも自分の理解の及ばないようなことが起きれば
なにか怪しむかもしれませんが、
やはりそのようなことは自分には「まだ」起こっていないのです。 

だから信じる理由はありません。


自分は何かにすがるように、「自分の信じたいことを信じる」ようなことはしたくありませんから。



> 何故世界中に神社・お寺が数多くあり、人々がお参りするのでしょうか。
> そこには見えない何かがあると思いませんか?


何故宗教が成立したのか、については色々考えたりします。

「宗教の教義」というものは支配者にとって都合が良いものだった、
むしろ支配者にとって都合の良いようなものへと形を変えていった結果でしょう。


そして宗教から発生した文化とか、哲学については否定しません。


でも、宗教活動が存在することが
オカルトパワーの証明にはならんと考えます。


> 余談で怒りを買うかもしれませんが、近くに信頼できる霊能者が住んでいますので、
> その気になればいつでも紹介しますので、相談してみたら如何でしょうか?


「その霊能者のインチキ振りをあばく、という方向性なら会ってみたいですが」

・・・なんてことすら、思いませんね。


霊能者なんて名乗っている人に、本気で興味が沸かないのです。
スイマセン。

[ 2013/04/01 20:55 ] [ 編集 ]
なんでか全部読んじゃった
自分がヒモニートでシンパシー感じてるのか
コメント欄の「太陽以外感謝しなくてもいい。」って考えとても好きです。
[ 2013/04/06 13:41 ] [ 編集 ]
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[ 2013/04/07 17:35 ] [ 編集 ]
少々割り込み失礼します
どうもお久です。
独特の思想に際して脳髄が刺激を受けているので、つい書き込んじゃいます。

やっころさん vs(?) ニートさん 議論について。

ニートさんが本記事で書かれている
>・生
>(中略)結局自分は、「人間の人生は環境が全て」だと思ってしまっているので
>どうしようもないとも思っている。
これ、私も同じ考えを持っています("賛同"なる次元ではなく)

ゆえに
【「人間の人生は環境が全て」ならば「人間の価値観も環境が全て」】
ではないかと思います。
これは人生が、家族・他人からの影響、時代背景etcのある種の環境因子による影響により占められる割合が高いこと、
また、価値観がそのような人生経験の中で拾得・淘汰されるものである、と感じているからです。
(蛇足だが、このような考えを得るに至るのは、考えを抱けるだけのスペックやファミリーヒストリーの環境因子の結果であろう)
(またやっころさんの言う「不思議体験」もこの内ではないだろうか)

つまり、誰が何にどれだけ何を思うか、というのは、相対的なものであって絶対ではないと思います。
したがって、どちらの肩を持つだの持たないだのという次元ではなく、どちらも【間違ってはいない】のではないでしょうか?
(正しいとか間違っているとか、そういった絶対表現を絡めてあえて言うなれば)
(長文書いて引張った割に煮え切らない私の結論ですが、数学で言うところの虚数に近い、、、かな?)

ですから、やっころさん。
(ニートさんの"畑"でそういうことになっているから、そういう方向に聞こえてしまうが)
(再度、誰の肩も持っておりません、と申し上げます。念のため)
ニートさんにはニートさんなりの思想があるので、それは1つの思想として、軽く受け止めてみてはいかがでしょう?
(受け入れろ、と言っているわけではないのでご注意。受け止める≠受け入れる)
確かに私も「これだけの才能を持っているのにもったいないなぁ」と思うことがあります。
しかしこのちょっとした憧憬もまた、相対であり、それをどのように感じられるかは私の意図するところの尺度ではございません。
(どういう答えがニートさんから返ってくるか、興味の湧く所ではございますが)
そんなわけで、違和感を覚えようが覚えまいが、ニートさんの(相対的意味での)ヘテロジーニアス的思想は毎回楽しんでおります。

以上までに述べたことは、ちょっと横から失礼するにあたって、ちょっとおさわりした程度ですが、おそらくこのことは
本気で書けば、ニートさんの記事数本分は埋められる自信がございます。
なので、これ以上深く突っ込んだ話を他所様のコメント欄で展開するつもりはございませんが、
「もう少し気楽にお考えになってみてはいかがでしょうか」とちょっと諭してみるつもりで書き込ませていただきました。

ニートさんの返信記事に書かれている内容を基に書いたので、意図されない点もあると思います。
その点、非礼をお詫びいたします。

あ、そしてニートさん。
「ちょっと諭してみるつもりで」と書きましたが、その目的の他にも、私の持論をニートさんがどう受け取られるか、というのも
ちょっと見てみたくも(笑)ありますので、何かありましたらどんどん突っ込んでください。

長文失礼しました。
[ 2013/04/07 20:56 ] [ 編集 ]
アレレ 私などの考えに投稿して下さる方、ごんべえ様に感謝します。
つい先日事情がありまして、投稿は当分お休みさせていただく旨管理者に伝えたところです。
ただ、ありがたいご意見をいただきましたのでついお礼をと思いました。
そん訳で申し訳ありませんが、また今度にさせてください。


[ 2013/04/11 19:13 ] [ 編集 ]
コメ返信
> まくばく さん


> 自分がヒモニートでシンパシー感じてるのか
> コメント欄の「太陽以外感謝しなくてもいい。」って考えとても好きです。

分かってくれますか。
「太陽だけ」って感覚になってきますよね。

それにしてもヒモニートというのは随分と羨ましい響きですねw
ニートヒエラルキーの中でもかなり最上位に位置するのではないでしょうか。


あとマクバクというとレベルEを思い出しますね。
[ 2013/04/12 03:40 ] [ 編集 ]
コメ返信
> やっころ さん


> 私の意見に対して、否定の文章ばかり並べているのは反骨精神なのか、傲慢なのかあるいはレベルの違いかわかりません。謙虚に一度受け入れる心が窺えません。


なんか、最後の一文が気になるのですよね。


「自分が謙虚じゃない」と言いたいようですが、

自分から見れば、あなたはこう、いきなり現れて
「親に感謝しろ」とか「神と交流しろ」とか「光明真言を毎日言え」とか「この霊能者に会え」だとか・・・
自分には全く納得できないことを大上段から言ってきている人、にしかすぎないのですよ。


最初の「感謝の話」が自分に全く通用しなかったのと同様に
あなたの言っていることは全然自分にはピンとこないのですよ。
自分を説得するに「足りない」のです。


反オカルトな人間をオカルトに引きこむ説得力が、全くないのですね。
どうせならそういうところを少しくらい見せて欲しいものです。



そして、説得が通じないと知るや、
「年齢」のことや「病気」のことを「後出しで」持ち出してきますね。

そういうトークのやり方が通用する人もいるでしょうが、
自分には、すごくあざといやり方にしか見えないのです。

別次元のところから、「精神的優位性を引き出そうとしている」のが見え見えなのです。

だから同情なんかはしませんよ。悪いですが。



とにかく
神仏の話など、「信じない人間に信じさせる力量」をあなたが持ちあわせていないのに
「謙虚に一度受け入れる心がないようだ」などと言って去っていくのは
まるで「捨て台詞・負け犬の遠吠え」のようではありませんか?


そこには謙虚も糞もありませんよ。

ただ単に、あなたが聞く耳持たれなかっただけではないでしょうか。
「北風と太陽」でいうと、あなたは北風でしょうか。

まぁ自分が「宗教に引きこもうとしてくる人間が大っ嫌い」なのもあるでしょうが。



>ところで精神的に疲れましたので、申し訳ありませんが当分の間休ませてください。


だから、わざわざ自分なんかを相手しなくてもいいのですよ。

だれもあなたに「疲れることをしてくれ」なんて、頼んでいません。


「救われないヤツは救われないな」とだけ思っていてくれれば十分です。

[ 2013/04/12 04:03 ] [ 編集 ]
Re: 少々割り込み失礼します
> ごんべえ さん


> やっころさん vs(?) ニートさん 議論

これは自分でも、碌でもない議論だと思うのですね。
議論というか、「謎の喧嘩腰の会話」のようなものですね。


自分としては「親に感謝しろ」といわれて「ハイそうですか」とは、絶対にいかないのです。
そこはもう、自分の一番譲れない所ですから。

議論以前に、自分が単に受け付けないだけかもしれません。



というかやっころさんのコメントは多分「非公開コメント」なので
自分にしか見えてないと思うのです。

だからフェアでないというか、
ごんべえさんは、やっころさんのコメントを拡大解釈してるところがあるのではないでしょうか。


自分から見ると、本当に
オカルトな話が展開されているだけにしか思えないのですよ。
だからこんなに酷い対応になってしまっているのです。


「不思議体験」という話も、
具体的なモノは何も書かれていません。

仮に書かれていたとしても、
自分は自分が体験したことでないと信じません、
いや、仮に自分が不思議体験をしたって、簡単には信じないでしょう。


それだけの話なので、
価値観とか思想とか、そういう領域には全く入っていない会話だと思うのです。




>「もう少し気楽にお考えになってみてはいかがでしょうか」とちょっと諭してみるつもりで書き込ませていただきました。


今回のことで自分が気楽に考えるべきことは何になってくるのでしょうか。

神とか、心霊体験とか、死後の世界とか、そういうことに対するスタンスを変える感じでしょうか。

でもやっぱりそういうのは無理だと思うのですよね。



別に自分は神を完全に信じてないとかそういうことではないのですが、
通常の宗教とかが言っているようなモノは全く想定していないのです。


普通の宗教が言うような、
ここでやっころさんが言っているような、
「今の自分の苦境を、魂の修行のように捉える」とか
そういうような「人間の都合でデザインされたような宗教の教義」は糞だと思っています。
(そういうのは支配者層が人間の不満を逸らすために作った「設定」だとすぐに分かります)



自分が想定している「神」というのは、
マンガの登場人物に対する「読者」のような存在です。
もし存在したとしても、読者はマンガの登場人物に絶対に影響を与えられないのです。
(だから信仰の対象にする必要はないし、むしろ意識してはならない)
(そして読者以上に、作者は意識してはならない)

自分が思っている「魂」というのは、
「マンガの登場人物の吹き出しを読者が読む」という行為そのものです。
神の感情移入行為=魂だと思っているのです。

だからその有無は、本来人間に何の影響も与えないのです。
(読もうが読むまいが、マンガは物質的に存在している)
(神が吹き出しを読まないからってゾンビになるわけではない)


つまり、神や魂が存在しようは存在しまいが、
全くの物質主義者で生きていて、何の問題もないのです。


そしてこのような解釈以外の神や魂の捉え方は、「設定宗教」であるので
全て「謝りである可能性がある」欠陥品だと考えています。

一方「この世界が虚構かも知れない」という考えは、
そう考えておくことに何の間違いも発生しないのです。 (説明は省く)



そういうことを自分はずーっと前から考えています。


そして、自分はこの考えに関して、「相対」とかは無いと考えています。

(もしもマンガの中に「登場人物としての神」が用意されていたとしても
 それを信仰することは「誤り」であると、自分は思っている)

(そんな、目の前の登場人物にしか気付けない「低次元の信仰」よりも、
 マンガの読者がいることを想定するような信仰のほうが「常に一歩正しい」のです)

(同様に、マンガの中で起きた超常現象をいちいち信じるのも、大したことがないのです)

(この世はフィクションであると信じる宗教は、この世のどんな宗教よりも優先して正しくなってしまうのです)



で、もう全然関係ない話になっていますし
何が何やら分かりません。

自分でも何をどうコメント返ししたらいいのかワカラナイのです。

[ 2013/04/12 09:40 ] [ 編集 ]
Re: Re: 少々割り込み失礼します
ご返信ありがとうございます。
(以下、片々に断定的な表現が出ますが、あくまで個人の解釈・見方です)

私のご返信できる内容としましては、
>今回のことで自分が気楽に考えるべきことは何になってくるのでしょうか。
ですね。

このご質問にあえてお答えさせて頂くとするならば、私が横槍返信で述べたような「受け止める(≠受け入れる)」ことですね。
物事に対するスタンスを変えろ(受け入れろ)、と言うつもりは毛頭ありません。
(なぜなら、自発を根源とする価値観に、何人たりとも主観を強要する権利はないから[そこに意義はない])
(そしてそれは、無理矢理改心させるということ。これは矛盾である)

では、受け止める、とは何ぞや。
この感覚を修辞するのは難しいですが「知覚する・認知する」の類で捉えて頂くと良いかもしれません。
(私にとっては「知見を得る」ということですね)

しかしこれはニートさんにとって、五蘊のうち、受と行のジレンマを強いることになります。
苦を強いります。

ですから、「あえて」という言葉を付随してお答えさせていただいたのは、
今回のこと(主に言わせれば【碌でもない議論】)で、たかがゲストの私から主に(個人解釈に基づく)指南申し上げるのは
いささか不届きであり、また、私がお答えしたところでアクシデントが起きるかといえばそうなる可能性は限りなく低く、
ゆえに水泡に過ぎないからです。
(とは言え、私にとっては対話は価値あるものなので、無意義とは思いません)


*以下おまけ*
>価値観とか思想とか、そういう領域には全く入っていない会話だと思うのです。

互いに互いなりの考えることがあるからこそ、会話と言う「応酬」があったのだと思っております。
物が360°から見えるように、投影図ですら複数の図があるように、そして会話ひとつに対する見方がこんなに違う。
これってとても面白いことだと思います。

>そして、自分はこの考えに関して、「相対」とかは無いと考えています。

人っていうのは、どこか主観から対比する面って持っていると思うんですね。
その関係性が、種々のベクトルの中での、「相対」だと考えています。
(他者との価値観のすり合わせ、となるとこの支配は大きいと考えます)

ただ、それら相互関係すらない世界を考えるならば、比ぶべくもない「絶対」が、そこにはあると思います。
(独自性・オンリーワン、の中ではこの支配が大きいと考えます)

>で、もう全然関係ない話になっていますし
>何が何やら分かりません。

>自分でも何をどうコメント返ししたらいいのかワカラナイのです。

書きたいことが色々あるとついそうなってしまいますよね。でも、それはそれでいいと思います。
無理して溜め込むよりは、思いの丈を吐き出すことは、いいガス抜きになると思います。
そういう意味では、ブログの電波記事も。
[ 2013/04/15 01:35 ] [ 編集 ]
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