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ミーム欲の奴隷達

で、前回に言ったような
最近の自分が感じている虚しさの感覚の話をします。


いろいろゴチャゴチャと喋りながら
最終的に「ミームに踊らされている人達」の話になります。


「何かを伝えることに飽きてくる」という感覚は絶対に訪れる。
でも、その感覚の話すら、結局こうして記事にして「伝えている」のだから
結局人はミームに踊らされるしか無いのかもしれない。



・・・というような調子で進むどうでもいい話なので、
やはり誰も読むべきではない。



 
「性欲の奴隷たち」ならぬ、「ミーム欲の奴隷たち」
 
そもそも「ブログ」とはなんなのかってことを考える。

何かゲーム、映画、アニメ、漫画を消費しては感想を書いたり・・・
日常のどうでもいい些事を記録したり・・・
日々考えたどうでもいいことをこのように撒き散らしたり・・・

そういう活動は何なのか、それは何の欲求からくるのか、ってことを考えてみる。



まぁ、行き着く果ては「ミーム」である。

人間には、遺伝子(ジーン)以外にも
文化的遺伝子(ミーム)を伝える能力がある。

事ある毎にそれを後世に残そうとする。


(ちなみに自分は、「ミーム」って言葉を広く使いすぎてる所があるかも知れない)
(遺伝子以外の、人の心から心に伝えられる情報は全てミームだ、位の感覚)
(本当はどれくらい狭い定義の言葉なのだろうか)
(「インターネットミーム」とか、そこで継承され模倣される文化くらいの狭さだったりする)


じゃあ、なんでそんなのを残したがるのか、その果てになにがあるのか、ってことを考えてしまう。



思うに、
おそらく人間はミームを残したときに「快感」を感じられるようにできているのであろう。


だから、ブログを書く、twitterで糞を垂れ流す、
誰でも彼でも糞みたいなレビューや感想を残そうとする。


そのような行為をして、
人と心が繋がったような感覚を得られた時、
人に何かを伝えられたような気になれた時、
生理的快感が伴うようにできているのだ。(要出典)



でも最近思うのだが、
「その感覚」が自分の中でも薄れていくのを感じる。
それらが、とてつもなく馬鹿馬鹿しいように思えて仕方がない。


例えば、ネット上で何か好きなものを表明して、
それに同調を得られた時、最初は凄く嬉しかった。

それまでリアルでは、絶対にお目にかかれなかったような
「マイナーなゲームをプレイしたことがある仲間」を見つけたりする、
そういうことが、ネット上では物凄く簡単に出来る。

ネット上で新しく知り合えた人が、
結構自分と近い趣味をしていて、
かなりマイナーなアニメのファンであることが新しく判明する。


・・・そういうパターンが起こった時、
最初の内は物凄く嬉しかったのだ。 

「ああ、この人もこれが好きなのか!」と、凄く素直に喜べた。



でも、そんなのは最初の内だけだったのだ。


今となっては、
誰かが何かニッチなモノを好むのは当たり前、みたいな感覚がある。


人に何かを布教したり、人から何かをサジェストされたり、
そういうことを新鮮に有り難いと思えた時期は、とうに去ってしまったのだ。



そもそも
他人に自分の趣味趣向を伝えられたら、何がどうなるというのだろう。

それが究極的に上手く行った先を想像してみる。、
それは、自分と同じような趣味をした人間がもう一人生まれるだけだ。

それには、どんな意味があるというのだ?
何も面白く無い。



上手く言えないけど、つまりはそんな感覚だ。


ある程度成熟した社会では、
人間は「ジーン」を残すことがバカバカしくなるのだと思う。


(子供を育てるくらいなら、自分の精神的満足を優先するようになる)
(肉体的な遺伝子を伝えること自体に価値や意義を感じなくなる)
(そんな、親から生物的に伝えられた情報の組み合わせを残したところで、何の満足感があるというのだ?)


それと同様に、
ある程度情報化社会が進んだその先には
「ミーム」を残すことすらバカバカしくなる感覚が待ってるんじゃないかと思う。


他人に何かを伝えて、一体それが何になるんだ?
そんな風にして自分の「文化的な子供」を作ることに成功したとして、それで満足感が得られるのか?
(遺伝子的な子供が自分の両親のDNAの受け売りにすぎないのと同様に、 
 文化的な子供だって自分が食ってきたミームの受け売りに過ぎないからだ)

それにすら飽きる時代が、かならず来る。



ちょっと話はズレるけど、
最近、ネット上で「ミームに踊らされている人たち」の存在を感じる。
(そういう視点で他人を人間観察してみよう、本当にそんなんばっかりだから)


例えば、


アニメの実況で、
まるでリズムゲームみたいにしてタイミングよく短い定形を放つことだけしか考えていない人たち
を見ると
彼らは速攻でボケ老人になるだろうな、という感覚がある。

キマシ
みえ
〇〇ちゃんかわいい!

(馬鹿みてえ)



◆同様に、ニコニコ動画とかで
淫夢ネタ、忍殺語、ブロント語だとか、
「とにかく定形を適切なタイミングでコメント出来ればそれでいい」
という烏合の衆たちのコメントであふれ返っている動画を見ると、
一体彼らには「個」があるのだろうか、と疑問に思ってしまう。

(動画のうp主自身が淫夢厨なら仕方がないのかもしれないが、
 全然関係ない動画にまで淫夢ネタが湧いたりすると、本当にうんざりする)
(どんな動画だろうと、驚くようなシーンでは「ファッ!?」ばっかりである)
(下らない帰属意識だけで生きてると、そういうことになるんだよ)



◆某所でよくあることだが、
同じ画像で何度もスレを立てては、
「これって〇〇なんだっけ~?」
「この〇〇って☓☓らしいな」
などと、
自分の知っていることをあえて質問するように訊いてみて、
「そうそう、それって〇〇なんだよね~」と、話題をループさせる。

何度も何度も同じ流れを繰り返して、同じ「話題」や「豆知識」を共有しつづけるコミュニティがある。

彼らは、もはや既に「互いの思い出話に相槌を打ち合うだけのボケ老人達の集まり」
同レベルのコミュニティに成り下がっていると感じる。
(そういうコミュニティでは、やはり定形がはびこっている)



◆まとめブログによって、
あらゆる人達の「最新ニュースに対する反応」が無駄に「統一化されている」のを感じる。

今、誰もが、最新ニュースのまとめブログをみて、
そこでの他人の反応を読んで、 ( しかもいわゆる「ウマイ反応」は大文字太字赤字で表示されているので
まるでそれを自分の意見であるかのように、そのニュースに対する反応として取り入れてしまう。

そして誰もが、ニュースに対して同じようにウマイことを言おうとする。 
(それが「受け売り」に過ぎないにもかかわらず)
結果、皆同じような意見に流れるのだ。
そして、個性や多様性が失われる。

(この話は、「まとめブログ」以前に「テレビ番組」でも同じようなことが言えるかもしれない)
(だからマスコミというモノは根本的に「マインド・ウイルス」なんだ)
(そして最近、まとめによって更にこのウイルスの蔓延が加速している気がする)



◆自分に言わせれば、twitterの診断メーカーなんかは糞ミームの最たる例だ。
自分自身に話すネタが何もない人間が、最終的に乱数にすら頼るというわけだ。

「私サイコロ降ったらこんな出目がでました!」
これ以上どうでもいい情報があるだろうか。
これ以上ネットに蓄積すべきでない情報があるだろうか。

そしてその「乱数に頼る」という糞ミームすら、伝搬されていく。
「あの人がこの診断メーカーの結果をTLに貼ったから、私も貼らないと無視してる感じになっちゃう」ってな感じで
何の配慮も無く、その糞ミームに追従してしまう。 糞が糞の連鎖を引き起こしていく。
いい加減にそういう人間達は目を覚まさないといけない。


(同様に、「モバゲーのガチャの結果を報告している人」も、自分に言わせればゴミだ)



これらの例に共通して言えるのは、
ミームの氾濫によって
「ミームを伝えること自体が目的化してしまった人達」が物凄く増えているということ。

「人が人に何かを伝える」ということがあまりにも高速化し、
そして何から何までも伝えるようになってしまったことにより、
「個」が失われてしまったということ

だと思う。


まぁとにかく、
そういう「ミームに踊らされている人達」を見ると、自分は末恐ろしいような感覚になるのだ。

彼らが、ゾンビのようにしか見えない。


「人間は利己的な遺伝子(ジーン)に踊らされいるだけの乗り物だ」と言われても
簡単には納得出来ないかもしれないが、


このような状況をみれば、
「人間は利己的なミームに踊らされているだけの乗り物だ」と言われる方が
むしろ納得しやすいのではないか。

(なぜならミームは「心の問題」なので、「踊らされている感」にはよりフィットしやすかろう)



もちろん、今までの話は、「タダのバカ探し」にすぎないのかもしれない。

ニコニコ、twitter、2ch、まとめブログ・・・
そういう所にはびこっている「一部の馬鹿な連中の馬鹿な習慣」だけを見て、
勝手に危機感を感じているだけかもしれない。


「そんなコミュニティに住んでいるレベルの低い人達なんか相手にするな」の一言で済む問題かもしれない。



でもだ、
そういう「無自覚にゴミ情報を複製しつづける人達」が増えると、
ネット全体がどんどん使いづらいモノになっていくと思うんだ。



例えば最近、
何かをググっても、最適な情報がヒットしないことが増えていないだろうか?


◆最新ゲームのタイトルでググると、
 糞ゲハブログのネガキャン記事が一番上に表示されてうんざりする、というパターン


◆気になる画像でイメググると、
 個人が勝手にまとめた無断転載Tumblrばかりが引っかかって、全く詳細が分からない、というパターン


◆同様のことで、「〇〇系画像~」とかで画像を無断転載してるだけのまとめブログの記事が引っかかって、
 詳細に全くたどり着けない、というパータン


◆気になる楽曲をYoutubeとかニコ動で探そうとすると、
 知ったこっちゃない素人の「歌ってみた」ばかりが引っかかって、聴きたい公式の曲が出てこない、というパターン


◆フェイスブックとかで、「いいね!」かせぎをするのが目的になった人が捏造した
 嘘の美談や嘘のニュースが話題になってしまう、というパターン


◆気になる語句でググると、
 全く知ったこっちゃない個人のブログのどうでもいい糞記事が引っかかった、というパターンはないだろうか?

(もしも、↑このパターンでこのブログを読むようになった人がいたなら、実にスマン)


・・・などなど
このようなパターンで、
正しい情報がネットからどんどん得られづらくなっていなく感覚があるんだ。

(こういうのがまさに、「MGS2」で発狂大佐が警鐘を鳴らしていた問題なのだ)
(でもちょっと例が少ないな 増やさねば)



これらのパターンの共通点を分析すると、

・自身には何も伝えるべき情報を持っていないような連中が、

・自分のミーム伝達欲によって、
 ( 「自分はこれを知っているぞ」というミームをネット上に放り出したい、というだけの下らない欲求 )

・無自覚にゴミ情報をネット上に複製し、

・そのゴミの蓄積によってネットの機能が失われていく


ということに尽きるだろう。



・・・この現象は何かに似ていると思う筈だ。

「癌」や「ウイルス」だ。


「ウイルス」は、自分自身に伝えるべきDNAかRNAを持っていない。
自分自身では増えることができない欠けている奴なんだ。
他の生物の細胞を利用して、自分を増やすことしか考えていない。
その結果、感染した生物は病気になってしまう。
自らを育ててくれた宿主を機能不全に陥らせてしまう馬鹿な奴である。


「ガン細胞」は、エラーの暴走だ。
コピーミスのクセに、そういう奴にかぎって繁殖力だけは無駄に強い。
正しい情報を駆逐する勢いで増殖していく。
そして、肉体は死んでしまう。


まさにデマを拡散させていくバカッターや糞ゲハブログそのものだ。


つまり、自分に言わせれば、
バカッター、診断メーカー、
ゲハブログ、まとめブログ、
定形民、実況民・・・
そんなのは全部、ネットに蔓延るガンやウイルスのように見えて仕方がないワケだ。




・・・もちろん、ここで真逆の事を言ってもいい。

ウイルスやガンを肯定的に捉えることも、やろうと思えば出来るからだ。

・ウイルス進化論だとか
・ガンによる不死化の話。


例えるならなんだろう。


仮に「自分自身の言葉がネット上で定形となったことがある人間」がいたとする。
彼らにとっては、定形というものを
「まるで自分のミームが不死身になって永遠に生きていく」ように感じられるだろう。

(だから何だという話だが)



(話が逸れた)

まぁここらで、
「そんなことを思っているお前は一体何様だ」
「お前自身も、糞ブログで糞情報をネットに無駄に垂れ流して蓄積しているガン細胞だろうが」
ということになってくるだろう。


それはその通りなんだ。
それが分かっているから、最近やる気がないんだ。



だが、この「迷い」や「躊躇」こそが重要なのだと思う。


ふとした弾みに、すぐに伝えたくなってしまう自分の中のミーム伝搬欲を
「それは本当に残す価値がある情報だろうか?」
「それはタダの受け売りではないか?」
「これは安いミーム欲に囚われてるだけの惰性の伝搬ではないか?」

という風に、一歩立ち止まって、残すべきかどうか自分で考える必要があるんだ。


それを考えない奴はウイルスだ。
これからはそう決めつけることにした。



まぁとにかく。
人から人へ何かを伝えようとする欲求、それはミームからくる。

だがその感覚を、「ネット上の万能感」に乗せて暴走させると、
ホントに「ミームの乗り物」みたいな頭空っぽな人間が増えてしまう。


だから、
「本当に何を伝えるべきか」ってのは自分で考え続けなければいけないのだよ。



ものすげえ説教臭いかもしれないけど、
自分は素で、一日中こんなことばっかり考えてるんだよ。 マジで。



でもやっぱり
今回の話は全てMGS2のラストでスネークが伝えたかった事の受け売りにすぎないよなと気づいて、
結局人間はコピーから逃れられないのだと痛感した。


結局これは、「ミームの是非」の話なのだよ。


「発狂大佐」「スネーク」はその対比になっている。


本当にMGS2のテーマは早すぎた。


完。


関連記事
[ 2013/06/27 18:26 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(2)
>>何度も何度も同じ流れを繰り返して、同じ「話題」や「豆知識」を共有しつづけるコミュニティがある。

>>彼らは、もはや既に「互いの思い出話に相槌を打ち合うだけのボケ老人達の集まり」と
同レベルのコミュニティに成り下がっていると感じる。

自分はこの意見は少し違うと考えています。
ネットのコミュニティに集う人は絶えず入れ替わってるので、全く同じ人物が集まって同じ話題に同じ相槌を打っているわけではないと思います。

例えば、『エヴァQみたけど意味が分からない』というスレはもう何百回と立ったことでしょう。
私もエヴァファンなので、映画を見てた当初は積極的に意見を書いたりしていました。しかし途中で飽きて結局そんなスレは自然と見なくなっていくのです。(エヴァに飽きたという意味ではなく、書き込むことに飽きたということです)

今日もまたエヴァQを初めて見る人が何人もいるでしょう。そしてまた同じようなスレを立てている。そしてエヴァQについて持論を語ることに飽きていない人がまた書き込みをする。この繰り返しです。

匿名掲示板は主観で見てしまうと、いつでも同じ人が書き込みをしているように見えますが、その都度全く違う人が書き込んでいるはずです。
ただ、そのスレに常駐してる人達は一斉に入れ替わるのではなく、一人また一人と入れ替わるので、それまでの書き込みの中にあった一番上手く情報を伝えられる文章が何度もコピペとして用いられる事となり、その結果全く同じ文章を何度も何度も書いているように見えてるだけです。

私は今ネット上で使われているスラングのようなものは、多くの人が認めた最も短く最も的確に自分の感情や情報を伝えることが出来る進化した最先端の言葉だと思っています。

話は少し違うかも知れませんが
淫夢語録とか書く人はそれが面白いと思う段階にあるだけで、いずれ書かない人になっていくはずです。
これはただの流行なので今レイザーラモンHGやダンディ坂野を見ても何が面白いのかさっぱり分からないのと同様、時間と共に消えるでしょう。

キマシとかかわいいとか書く人も大体同じ理屈で、十年後も同じ人がキマシとコメントしてるとは思えません。
自分のコメントが現れることでコミュニティに参加してるつもりになれるということに飽きればそんなことは書かなくなるでしょう。


話がごちゃごちゃしてしまいましたが、要するに
下らないことで一生盛り上がれる人が永遠と同じことを書いてるのではなく、淫夢なりエヴァQなりの文化を知りたての新人が次々出てきて面白がってるだけなのです。

ただ、その本人にとっては面白がっているだけの情報発信も半永久的にネットには残ってしまうので、どんどん有力な情報が検索されにくくなってくることは同意します。


あと自分は『エヴァ 本田雄』で検索してこのブログにたどり着いたので

>>全く知ったこっちゃない個人のブログのどうでもいい糞記事が引っかかった、というパターンはないだろうか?

に当てはまっています。(笑)こういう縁があるところもネットの醍醐味だと思って受け入れるしかないでしょう。
ある人にとってはごみ同然のブログもたった一人にとっては面白いと思うブログの可能性もあるのです。
まあそれすらも、淫夢語録のように飽きたら忘れてしまうのでしょうけど。
[ 2013/06/30 21:21 ] [ 編集 ]
コメ返信
> ta さん

どうもです。


> ネットのコミュニティに集う人は絶えず入れ替わってるので、全く同じ人物が集まって同じ話題に同じ相槌を打っているわけではないと思います。

そうならいいんですけど、
やっぱり「某所」の話題のループっぷりは異常なんですよね。
本当に老人同士の相槌打ちにしか思えないのですよ。

そこに書き込んでる人自体が
「ここの〇〇スレって同じ話題ループしすぎだろwww」って言うほど、ある程度自覚してたりしますからね。



> 私は今ネット上で使われているスラングのようなものは、多くの人が認めた最も短く最も的確に自分の感情や情報を伝えることが出来る進化した最先端の言葉だと思っています。

> 話は少し違うかも知れませんが
> 淫夢語録とか書く人はそれが面白いと思う段階にあるだけで、いずれ書かない人になっていくはずです。
> これはただの流行なので今レイザーラモンHGやダンディ坂野を見ても何が面白いのかさっぱり分からないのと同様、時間と共に消えるでしょう。
> キマシとかかわいいとか書く人も大体同じ理屈で、十年後も同じ人がキマシとコメントしてるとは思えません。
> 自分のコメントが現れることでコミュニティに参加してるつもりになれるということに飽きればそんなことは書かなくなるでしょう。


「最先端のインフルエンザ」のようなものでもありますよね。
一度はかかっておいて、「ちゃんと飽きておくこと」が大切なのかもしれません。


流行遅れの頃に、ふとしたことで古いネットスラングにハマると、結構痛いですからね。
(自分もブロント語を一時期すごい覚えようとしていたことがあったりしますがw)


本当に定形ってウイルスみたいです。



> あと自分は『エヴァ 本田雄』で検索してこのブログにたどり着いたので
>
> >>全く知ったこっちゃない個人のブログのどうでもいい糞記事が引っかかった、というパターンはないだろうか?
>
> に当てはまっています。(笑)こういう縁があるところもネットの醍醐味だと思って受け入れるしかないでしょう。



やはりそういうことは起きているのですねw
恐れ多いですね。

引っかかった記事が、少しでもお眼鏡に適う内容だったなら良いのですが・・・
全然かすりもしない内容なのに検索で引っかかってしまうことが、今の問題ですからね。



> ある人にとってはごみ同然のブログもたった一人にとっては面白いと思うブログの可能性もあるのです。
> まあそれすらも、淫夢語録のように飽きたら忘れてしまうのでしょうけど。


自分的には、忘れられてしまう時点で、そのミームは大したことがないと思っています。
やはり他人の中でずっと残り続けるような情報を残していきたいものです。


そういうことを考えるとき、「未来視点」になってしまいます。

「この流行って、絶対半年後には誰も使ってないから、今ブームに乗るのは痛いよな・・・」とか、
「こんな一過性みたいなアニメは、次のクールには誰も話題にしてないよな・・・」とか、そういう視点です。


そういう風に見るようになると、「何が下らなくて何が下るか」が分かってくる気がします。


その結果、「カタイ方向」に流れていってしまいます。
軟派なモノ、ゆる~いモノは未来視点では生き残れない感じがするからです。
そういうモノは未来視点で見ると、大抵「恥ずかしいモノ」なのです。


最近の自分のブログがこんな感じで説教臭いのは、多分そういう所から来ているのでしょう。

[ 2013/07/05 16:28 ] [ 編集 ]
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