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積みゲー解消マンション法 

最近厨二文章を書いてない気がする。
いや、いっつも書いているアレが現在進行形で厨二文章なのかもしれない。


とにかく、日々考えている糞下らない妄想をたまには吐き出さないと
頭がおかしくなりそうだという話は前にしたので、結局定期的に厨二文章を書いてしまうわけだ。

(こんな風に「定期的に書いてみる」などと言っておくということが
 すでに「モチベ作り」であり、同時に「言い訳」にすぎないのかもしれないけれど)



という訳で今回は
「積みゲーを解消するシステム」を思いついたので、その話をします。



 
「積みゲー」と「給食」の話


最近、どうしようもなく感じているのが
「楽しいことは本当は山ほどある筈なのに、つまらない」ということ。
何故だか分からないが全てがつまらない。

楽しいことが無いからつまらないのではない。
探そうと思えば、楽しい物は山ほど世にあふれているのにだ。

いや、探そうとするどころか、目の前に転がっているではないか。

むしろ、「積みゲー」のように、自分でワザワザ手に入れたくせに楽しんでいないモノすらある。
(録画したくせに見ないアニメだの)



「積みゲー」とは何なのか、ということを考えてみる。

突き詰めると、「根拠のない所有欲による残骸」といった感じだ。

「所有欲」だけがあり、「消費欲」がない。

だから、買うだけで満足、ということになる。


そして、「所有」とは何か。
前に書いた時みたいに、改めて「所有」について考えてみてもいいが、
とにかく「所有」ほど根拠のないモノはないんだ。

例えば「積みゲー」なんて、一生やらないのであれば、
「自分は買った」「自分は持っている」という記憶を捏造すれば同じことなのだ。
自分を自己暗示にかけることが出来れば、全ての積みゲーは買わなくても良かったんだ。

「積みゲーは満足感のために買っているんだ!だから無駄ではない」というのであれば、
自己暗示だけで誤魔化すこともできるはずだ。



ここで、ある架空のシステムのことを考える。

ある架空のマンションの架空のサービスを思いついたのだ。


・ゲーマーのためのマンションです

・このマンションに住む住人同士は、無料で所有するゲームをお互いに自由に貸し借り出来るような誓約を結びます。

・このマンションの住民が購入したゲームは、このマンションのライブラリに登録されます。

・そのようなゲームを購入する場合は、報告すれば購入するゲームの代金の一部をマンションが負担します。

・ゲーマーの人は是非とぞ、このマンションに住みましょう!



こんなサービスだ。

(勿論、個人的に楽しむだけのゲームを勝手に買うのは自由だ)
(その場合は負担が効かないだけ)
(そしてこのマンション内ライブラリのゲームを、勝手に売ったり借りパクした場合は、村八分である)


要は、「友達同士ならゲームの貸し借りがタダだった、子供の頃の盟約」を、
マンションの住民全体に適応するようなシステムなのです。



もしもこのような
マンション、アパート、住宅街、長屋、ビルヂング、コロニー、ニュータウン、同胞団、共同体・・・
があったなら、どんなにいいだろう!!




そこではもう「積みゲー」なんて発想は、存在しないのだ。


自分がゲームを買えば、例えそれを一生遊ぶことがなかったとしても、買ったことは無駄にならない。
自分が積んでる間は、他人が遊んでくれる。
同様に、他人が積んでいるゲームも、タダで借りる事ができる。

自分のお気に入りのゲームライブラリを、他人に役立てることができるし、
他人が持っている秘蔵のゲーム集も、いつでも遊ぶことが出来る。

ちょっと買ってみたいけどなんか躊躇してるゲームも、このシステム内ならすんなり買えるからヤキモキしないし、
例え合わないゲームを掴まされたとしても、やはり無駄にならないし、しかも代金も建て替えてくれる。

ゲームに対する出費はかさむどころか減ることになる。
マンションの住人の内の一人さえソフトを購入すればいいのだから、
住民が増えれば増えるほど負担が減ることになる。
(最悪、住民が二人以上いれば、このシステムは成り立つ)
(ゲーマー友達が一人いれば良かったのと同様)


むしろ「今以上のゲーマー」になり得ながら、「ゲームに対する出費」が減るのだ!
・・・




こんなマンションがあったなら、ゲーマーはこぞって住むようになるはずだ。


という訳で、マンション側からしてみても、住民の確保には困らないだろうから損はない。
だからこそ、その分として、ゲームの購入代金を一部負担できるのだ。



「積みゲー」という、「根拠のない所有欲」によって各人が無駄に溜め込んでいる
「埋没ゲーム財産」をどのように活用すればいいか。

このことについて考えていた時に、思いついたシステムです。


そしてこのシステムは、ゲームだけにとどまりません。

映画、漫画、CD、本・・・ありとあらゆる娯楽品、
そしてソフトにかぎらずハードさえ、
「その共同体のなかで共有する」ことをお互いに認めた上で一緒に住む、ということが可能な筈なのです。



どれだけ出費を押さえられ、
どれだけ自由自在にライブラリをあされるようになるだろう・・・。
どれだけ人間は物を不必要に買わずに済むようになるだろう・・・。
どれだけ「物」が「使われずに放置されている時間」無く活用されることだろう・・・。


このようなシステムで客寄せをする発想って、ないのでしょうか?



で、ここまで考えたあたりで気付く。

それはある意味、すでにサービス化されているのだ。

例えば
レンタルビデオ、図書館などは
要はこのような「互助的な取り決め」「レンタルサービス業」というシステムにしたモノなのだと。



だが、日本には「ゲームのレンタル」という文化は根付いていないし、
やはり何だかんだでレンタルビデオや図書館が今日びそこまで流行らないのは、
「いちいちそこまで行かなければならない」という点だ。



「友達同士ならタダでゲームの貸し借りが出来た」という「最強の喜び」を復活させるためには、
やはり「マンション内であれば貸し借り自由」という誓約が一番それに近いと思う。

(マンション内にビデオ屋を取り入れるとかも考えられるが、それは逆に経営が回らんだろう)
(あくまで住民内の取り決めであり、その取り決めを「ウリ」にすることに意味があるのだ)

(そして、中古屋や、レンタルビデオ屋みたいに、そいつらが経営するための)
(無駄な人件費分を搾取されることも無いのです)



で、現実的には、シェアハウスの「ソーシャルアパートメント」のライブラリを強化したモノが近いのかもしれない。

(住民たち自身でライブラリを充実させていくというのが独特で面白いところだと思うのだが)



とにかく、「友達同士のゲームの貸し借りって最強だったなぁ」というのが発想の原点です。

あれが、「友達が一人もいなくなった人間」でも成立するようにして、
さらに規模を拡大していくことが出来れば、
そして、この発想を「ゲーム以外の全ての所有物」にも適応できれば、
人類は次のステージに立つことが出来るというのに!!



こういうことを漠然と考えていると本当に、

「所有って何だろう」
「皆でモノを共有できるようにすれば、
 今以上に皆がトクをするって分かっているのに、何故このようなシステムが成立していないのだろう」
「何故自分がそれを持っている、ということになっていないと我慢ならないんだろう」
「何故みんな、インディアンみたいな共有財産的発想で生きていけないのだろう」

・・・
みたいなことを考えるようになってきます。



「互助」という考えは、「良い」はずだ。とてつもなく。
何故そういう考えが無くなって、核家族化が進んだのだろう。



「保険」とか「年金」とか「銀行」とかも、
元来は「互助」をシステム化したようなモノだった筈だとは思うけど、
本当にそれでいいのだろうかと思うようになる。



ところで、「互助」というと、何故か連想されるのが
「醤油シェアリング」だ。

昔は、醤油が足りないときは近所同士で醤油を貸し借りしていたそうではないか。(ひぐらしより抜粋)

だが、自分に言わせれば、「消費物」である食料をシェアするのは違うと思うんだ。
上で言ってきたような「シェア」は、「非消費物」であるソフトだからこそ、真価が発揮されるのだ。


では、消費物であり、皆に行き渡らなければならない「食べ物」はどうあるべきか。


そのことについて考えていく。



話は変わるけど、
何故みんな「給食」を食わないのだろう。


自分は、小学生の頃から思っていた。

皆が給食を食べるようになれば、食糧危機なんて起こらないだろうと。

太陽から地球に降り注いでいるエネルギーを正しく活用できれば
食えない人間なんて出てくる筈ないだろうと。

「大量生産・大量消費」は、本来、「素晴らしく効率が良いモノ」であるのに、
何故悪いことのように教えられているのだろう。

大量生産された、規格的な給食を皆で食べるようにすれば、どれだけのコストが押さえられるだろう。

そのようになれば、「生存権」を保証されている筈なのに
未だに人間が「口に糊するために働いている時代」が続いてるなんておかしな事、起こらないだろうに。

それなのに何故、皆、「個食」で「孤食」なのだろう。


・・・そんな事を思っていたよ。


まぁその結果がニートですけどね。


(給食の残飯とかを横流ししてくれるルートとか、無いのかなぁ)




まぁつまりそんな感じだ。


ソフトのような「非消費物」は、できる限り、シェアする。

食べ物のような「消費物」は、できる限り、大量生産・大量消費する。



このように、生産と消費のあり方を、そのモノの性質に合わせて分けることが出来れば、
人類はもっと無駄なく生きていけると思うのに、なぜそのようになっていないのだろう。


何故、ソフトを皆が個別に買わなくては行けないような世界が成立してるのだ。

何故、食料を配給制にしないのだ。

何故、大量生産大量消費が悪いことのように教えられてきたのだ。

核家族化の方がよっぽどの罪だというのに。




関連記事
[ 2013/09/25 12:21 ] ニートメソッド | TB(0) | CM(4)
そんなシステムのマンション、いいね。買ったままやってないゲーム、興味ないゲーム、興味はあるゲーム…とかでも人の感想とか聞いてたらやりたくなることもあるし、何よりわくわくする気持ちや衝撃とかを共有できるのがいいね。一緒にゲームやったりも出来るだろうし。記事を読んでいて、ああいいなぁとほのぼのしました。私は一緒にゲームやる人いなくなったので、余計にそう思うんだろうね。微妙ゲーでも誰かとしたら盛り上がれるし会話も弾むなぁとか思ったりしました。まとめてない感想だけど、あなたの記事が何か興味深かったので勢いで書き込みました。最近はセイクリッド2をしてて、合間にスカイリムかディアブロ3ROSをやってるよ。エンドオブエタニティは買うか迷い中
[ 2015/03/21 01:29 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 麦 さん


どうもです。
かなり昔書いた記事に同意して貰えると凄い嬉しいですね。



>私は一緒にゲームやる人いなくなったので

これですよね。


「子供の頃のゲームの貸し借りをしてるときの喜び」

これは、ただ「ゲームを無料で遊べる」ってだけの喜びじゃないのですよね。
一緒に価値を共有できる友人がいるってことが最高だったのですよね。

大人になって、なんか安いゲーム、なんかセールスのゲーム、なんか無料のゲーム、
色々周囲にあふれています。
面白いゲームなんて山ほどあります。

でも、人と価値観を共有できてる感じが全くなくなっちまいましたね。 フレンド機能とかあるはずなのに。

そんなことを考えててこんな記事が出来ましたとさ。



ディアブロ3やりたいですね。 これも、あえてPS4を買うまで我慢しようかなぁとか思っています。

[ 2015/03/27 17:10 ] [ 編集 ]
初めまして。
好きなものが割りと共通しているのもあり、(ジョジョ、サイレントヒル、ICO、ワンダ、大神などなど)
一年ほど前からこちらのブログを拝見していますが、初めてコメントします。

非消費物のシェアというのは、鑑賞して楽しむ側としては面白く、経済的な考え方だと思います。
ただ、生きるためにお金が必要な世の中である以上、
非消費物もやはり、大量生産・大量購入されるという現状のまま、変わらない気がします。

「非消費物は可能な限りシェアする」ということを
今の世の中の仕組みのままで広げていくと、
売り上げ本数が落ちることで制作側が儲からなくなり、
制作会社の人が生活していけなくなるのではないでしょうか。
大手ゲーム会社が作るような大作は、大人数からなる組織が長時間かけないと作れないので、
会社を存続させて次からもいいゲームを作ってもらうために、各プレイヤー一人一人が
お金を払うというのも、現状では必要なことなのかなと思います。

生きるために最低限必要なものが公的な仕組みで支給されるという制度でもあれば、
その辺も解決するのでしょうか。
ニートさんのこちらの記事の中であるように、規格化した食べ物を低価格で大量生産して配給する等して、
現状ほどお金に追われなくても、好きな創作活動をできるようにするとか。
そういった意味では、食料よりむしろ住宅関係のほうが問題かもしれないですね。
ニートさんがこの記事の中で書いている、「核家族化の方がよっぽどの罪」というところにも繋がる気がします。

お金は便利で融通が利くものですし、そのおかげで経済や技術が発達したというのもありますが、
逆にお金のために不自由になったこと、非効率的になったこともあると思います。
(儲からないとやっていけない、非効率だが金が手に入る仕組みが既に出来上がっているため存続している労働・技術がある、など)
一人につき一ライセンス分のお金を払うのも一見非効率ですが、お金が必要な社会では必要なことなのかもしれません。
[ 2015/03/28 18:09 ] [ 編集 ]
コメント返信
> FX無職 さん


> 「非消費物は可能な限りシェアする」ということを
> 今の世の中の仕組みのままで広げていくと、
> 売り上げ本数が落ちることで制作側が儲からなくなり、
> 制作会社の人が生活していけなくなるのではないでしょうか。


まぁこの辺はありますね。


でもここに関しては最終的に
「ニートはサイレントテロリストであるから!」という理屈で、
実はこのようなことを主張しても問題はないのです。



まぁそれは置いておいて

ここで書いたような「積みゲー解消マンション」みたいなサービスが実際に成立しているとしたら
その世界はどのようなものになるかは、気になりますね。


これは、言ってみれば
レンタル屋、中古屋、図書館、そういうのの究極版みたいなことですからね。


むしろ中古ショップすら潰す勢いで、
人々は「ソフト」に金を落とさなくなるかもしれません。


そしてこのような考え方が浸透すると
場合によっては「ハード」も売れなくなるかもしれません。

皆が同時に
「そうだ モノは個人個人で揃えなくていい 仲間でシェアすればいいんだ」
と気づく世界です。


そのような世界は
モノが売れなくなって、発展しなくなるか?


どうもそうではない気がします。


モノが売れないのが当たり前になるということは
逆に、人々がモノに金を使わなくても幸福に生きていける世界ということであって、
それは全ての人の給料に余裕が出てくるということであって、

なんというかそれは、物凄い広い意味での「デノミ」ですね。

金の価値自体が変化すると思います。

ということは、
縮小した機会で売られ、買われ、消費するサイクルの中でも、
サービスは成立していくように思えるのです。

(いやむしろ縮小した方がいい)
(それは労働時間の短縮につながるから)


まぁなんというか
何か画期的なモノが表れて
既存のサービスが既存の売り方では成立しなさそうになってきたとしても

なんだかんだで「どこかのポイントで上手く均衡するようになるのではないか」という感じでしょうか。



で、やはり根本的には
モノは個人で揃える必要はないと思います。

資源的な意味でも。


「モノを今までのように大量生産大量消費しなくても良い世界が成立する」ということは
作る側の肩の荷も降りるということで、
それは結局「人々はそこまであくせく働かなくても便利になるし皆幸せになれる」ということだと思います。





でまぁ
世界がそのように上手く均衡する前の段階で考えるなら

この「積みゲー解消マンション」は
「ズルい」システムであって、
「ズルい」からこそ、ウケると思うのですね。

[ 2015/04/04 10:12 ] [ 編集 ]
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