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アオイホノオを見て感じた あーだこーだ

 
アオイホノオのドラマ、素晴らしかったですね。


その結果、
なんか知らんけど、色々考えた。

おかしな話だが、
自分のこととか、ネット上の創作界の有り様について、なんか色々考えた。


ワリと無駄に深刻な話。

クソ文章。 誰も読むべきではない。



 
アオイホノオを見て、感じたこと (直接のドラマの感想ではない)


アオイホノオのドラマが面白すぎた。


ドラマ版の、あの面白さはなんだろう。
島本先生には円グラフで分析してみてほしいよ。 (顔芸は何%?) 


基本的に自分には「日本のドラマなんて見てらんねーよ」「漫画原作のドラマとかどうせねーわ」という感覚はあった。

でもこれは凄く良かった。
何故かと言うと、自分が普段、邦画に感じている演技の糞さ、稚拙さを感じようがなかったからだ。

原作の熱血ギャグを「あえてそのままやる」。 
リアルであんなテンションで喋ってる人間なんか、島本先生以外には存在しないだろうが、そのままやる。

その馬鹿演技、顔芸が突き抜けていて、演技に「邦画独特のいやらしさ」が全くなかった。 

マイナス点がなかった。 そんでもって、原作漫画は糞面白いことが保証されている。 

だから、面白いに決まっているのだ。


・・・いやいや今回はそんな話をしに来たのではないのだ。
ドラマ版が面白すぎたのはまぁいいのだが、
本当は笑えない。 笑ってはいけない気がする。

何故なら、どこまで行っても結局、
炎尾燃は島本和彦になるのである。  成功するのが約束されているのである。


だからまぁ、分かっていることだが
作中でことさら炎尾燃がクズみたいに描かれていたり、
「何様だコイツwww」 「なんで上から目線なんだよwww」
「その自信はどこから来るんだよwww」 「その予想大ハズレだよwww」
的に描かれているのは、
要は、そういうことなのだ。

島本和彦は今の立場があるから、若いころの自分の投影である炎尾燃を、全力でピエロに出来るのだ。

未来予想を間違わせてみたりするのも全ー部、「余裕」から来ている道化なのだ。

そこんとこに気づいてしまうと、笑えない。
(この「笑えない」というのは悪い意味ではなく、「笑っている場合ではないぞ」という意味)


それにしても、ああいう、
学生の頃にありがちな万能感。 そして劣等感。 ルサンチマン。

世間で流行っているモノ、失敗しているモノを穿った目線で分析してみて、分かった気になってしまうあの感じ。
そして自分がやったらもっと良いものが作れるかのような気がしてしまうあの感じ。 オタク独特の上から目線。

・・・
ああいうの全部、今の自分もやってることが全く変わらんので
なんかいたたまれないですね。 非常に辛い。

みんな見てて「ギャアアア」ってなるんじゃなかろうか。

まぁ炎尾燃は、その分析を実際に作品に昇華できるから、全然違うのだが。


「学生時代はよかったなぁなんて過去ばかり振り返るつまらん大人にはなるなよ!」
はい。


でだ、
ああいうのを見ていると、結局「自分について」考えるようになるのだ。

自分とか、ネット上での創作について。


突然だけど、
10年前のネットの状況とか、アマチュア創作界について思いを馳せてみる。

本当に信じられないことだが、

10年前はYouTubeなんて存在しなかった。 (2005年だよマジで!!!!)
ニコニコ動画も存在しなかった。      (2006年だよマジで!!!)
pixivだって存在しなかった。        (2007年だよマジで!!)
twitterすら存在しなかったのだ。    (2006年だよマジで!)


それだけのことでネットの世界は別物だったのか?

うん、完全に別物だったような気がするのだ。


(設立10年も経ってないサービスで、ここまで自分のネット生活は変わってしまった)


2000年当時くらいだと、
「ネット上で、アマチュアで、なんか作る人」のヒエラルキーの最上位って
Flash職人とか、イラスト描く人あたりだったんじゃなかろうか。
AA職人とかですら結構な立ち位置だったような気がする・・・今は・・・)



今のネット創作の花型がMMD杯とかだとすると、10年前は、ちょうどその位置に紅白Flash合戦が当てはまったと思う。

そしてその評価軸は、ゆるっゆるだったように思う。

言ってしまえば、↓これくらいで天下取れる時代だったのだ。 (「何様だコイツ」ってこと言っとるな自分も)



どうですか。 引き続き感動できるだろうか? 出来るのならまぁ、幸いなことだ。


炎尾燃も言っている
「昔の人に生まれればよかった!!!!」

10年前のあれやこれやについて考えると、自分もそんなことを思ってしまうのだ。


アホな妄想だが、「今の自分が10年前にタイムスリップしたらどうなるだろうか?」なんてこと考えてしまう。
(10年前は自分もニートじゃなかったのだぞ タダの引きこもりだが)

10年前はFlashで3Dのゲームをフルスクラッチで作ろうとする奴なんていなかっただろう。
それだけで物凄いアドバンテージだ。 

(・・・まぁこんなのはダメな方のコロンブスの卵なのは分かってる)
(10年後の未来の知識を持ったままタイムスリップなんてズルは、できないのだから)
(当時、当時の知識だけで、リアルタイムで最初に何かやった人だけが偉いのだ)


現実に目を向ける。
今はどうだろう。

やはり本当に、10年間で世界は様変わりしてしまった。

Flash板の過疎っぷりよ。
「面白Flash」なんて今見るとこっ恥ずかしくなるだけである。
(今のMMDの動画とかも、10年後見るとこっ恥ずかしくなるだろうか?)


YouTubeが出た時、
あそこで合法的に金を稼げる人間が出てくると予想できただろうか?
最初期はタダの違法UPサイトだった。


ニコニコ動画が出た時、
あそこで「プロのゲーム実況者」とかが出てくると予想できただろうか?
最初期は、YouTubeの動画を盗んできて、そこにコメント流すだけの便所の落書きシステムだったのだ。
(いやこれ、マジにストリーミングを盗んでたんだよ)



それから10年も経たずにこうですよ。
(そして10年後はどうなるのだ? 想像できるだろうか?)


世界の成熟はどこまで行くのか。

それは「ムーアの法則」や「収穫加速の法則」のように、加速度的に強まっていくのだろうか。
それとも、もう黎明期は過ぎ、あとは黄昏の時代が来るのだろうか?

(実はどっちにせよ救いはないのだ。 この問題は)
(黎明期を過ぎてしまった世界は新参の参戦がとても難しいということだし)
(逆に、今以上の加速が続くということは、タダでさえ追いつけない時代に更に置いて行かれるということだからだ)
現状に追いつけない時点で、もう負けているのだ


まぁ多分これはかつての「ラジオがテレビに取って代わられた時」くらいの怒涛の転換期なのだろう。
(テレビというのが成立する前、「芸能人」なんて職業はどのような認識だったのか)
(それと同様に、かつては想像もできなかった職業も成立するのだろう)
(家でゲーム実況しててメシが食える人間とかが、マジに出てくるんだろうなぁ。 はぁぁ)


そんな感じの中で、
「ネット上のアマチュア創作層の有り様」というのも様変わりしてしまったように思える。


「昔はこれぐらいで良かった」ようなモノを作っていても
何の価値も見出されないような時代が来ているのだ。

「自分はこれ一生懸命作ったんです!!」だけでは評価のされようがない時代が来ている。

「誰」「どれくらい頑張って」作ったかなんてどうでもいい時代なのだ。



ただ、「作った対象」の質、鮮度、即時性、拡散性だけが重要な時代なのだ。

そしてその対象が、SNSでシェアされ、消費されるだけの時代なのだ。

更にその消費されるスピード、規模、質、量、全てがとんでもないことになっている。 


というか本当に人が増えた気がする。 完全に飽和している。

pixivにいる絵を描いている人、
twitterにいる絵を描いている人、
ニコニコにいる絵を描いている人
・・・

どこかしらで何かしらの絵を描いている人達が、蠢いている。

・・・昔はこんなふうには感じなかった気がする。
人口が増えたのか露出が増えたのか、まぁ両方だろう。
今はもう、どこにでも何かしら作っている人が偏在しているような感じがある。


「自分、〇〇作ってます」が当たり前になってしまった世界なのだ。
一億総モノ作り時代。


そんな時代はどうなるかというと、もう、「埋没」の時代だろう。

なんかを作ってたって、偉くもなんともないのだ。
無産層も有産層もクソもない。
そして、生きがいもクソもない。


映画「生きる」では
例え工場の製品であったとしても
オモチャを作っている職業の人は、生きがいを感じていた。

今はどうだろうか? その程度の「モノ作り()」で生きがいを感じられるか?
そうはならないだろう。 生きがいを感じるためのハードルさえ、常に上がり続けている。



自分が描かなくたって誰かがもう描いてる・・・
自分が作らなくったって誰かがどうせ作る・・・
ていうか自分より上手い人が他にいるではないか・・・


多分この感覚は、
今ネット上でなんか作っている人ならば、言葉にしなくてもヒシヒシと感じているだろう。

そんな虚しさが全開な時代なのだ。

それなのに何か作り続けるのは、何故だろうか。

いや本当だよ。 自分でも、何故続けているのだろう?

一体何を求めているんだ?


そういうことを考えるときに、
いつもいつも頭のなかに浮かぶのが、福満しげゆき氏の漫画の、この1ページだ。
福満しげゆき

多分、ネット上でアマチュア活動を続けている人は、
このページを見ると「ぐえーーーー!!!!」って、なると思う。 自分はなった。


この画像のとおりに明確に何らかのデビューを期待しているとかでは無いにせよ、
つまりまぁ、なんか自分が頑張ってやっていれば「いつかなんかいいことが起こるだろう」という
漠然とした、根拠のない、 願望? 成功報酬? を夢見ながら続けている、ような、気が、する、のだ。


いや、自分でも本当によく分からないのだ。

自分の場合、特に「ちやほやされたい」とかでやっているのでは無いと思う。
何故ならば、
自分の場合は真剣に「誰からも話しかけられたくない!」と思っているからだ。 (ここだから言うのだが)


それなのに続けているのは、
それ以外の「何か」を待っているのだろう。

その何かが、本当に何なのかよくわからないママ、続けている。


だがそんな姿勢で続けていても何もないことは、もう分かりきっている。
さっきも言ったとおり、今は アマチュアの創作が完全に「飽和」している時代なのだ。
待っていて何か良いことが起こる筈がない。

画像の通り、そんなのを続けていても何にもならないまま、タダ年を取っていくだけなのだ。


(いや、正確には小規模に良い事は、起こってはいるはずなのだが・・・)
(ネット上で小規模な創作での出会い?とかは、そら発生するが。 (「出会い厨的」な意味ではないぞ))
(それでもひたすらに虚しいのだ)


とにかく今は、完全に供給過多、買い手市場なのだ。
待っていて、プロの誰かが見つけてくれてスカウト、みたいなシンデレラ・ストーリーは発生しない。
そんなことは分かっている。


ではどうすればいいのか?


まぁ本当に、泥をすすってでも 自分を「売り」に行かなければいかんわけであるが。

だがやはり、そこんところが出来る人間と出来ない人間で完全に二分されるのだ。

で、炎尾燃なんかは、ワリとあっさりと持ち込み作品を書いて、ワリとあっさりと持ち込んじゃっている。
ここがもう、全然違う。



というか逆に言えば、
今のネット上のアマチュア創作界というのは、
「それが出来なかった人間たち」で溢れかえっているということなのかもしれない。


登竜門を登れなかった人間、
決して何者にもなれなかった人間、
バットを振れなかった人間、


それらの集まりである。


つまりここで、ネムルバカのあの画像である。
「駄サイクル」である。

駄サイクル

ネットというのは、「自分を売り出せなかった人間達」にとってとても都合の良い発表の場だったワケだ。
ニートにゃおあつらえ向きの場所だったのだ。


自分がクソブログを続けている理由を、初めてハッキリと言語化してみたような気がする・・・


で、どうするか?

何もないのは分かっている。
何かあったような気がしたとしても、それは駄サイクルが拡大した程度のことしかないのも分かっている。


だがここでまたまた、更に逆のことも考えるのだ

「デビューとはなんぞや?」とか「発表の本当の目的とはなんぞや?」ということ。

ここでまた唐沢なをき氏の漫画の1pを貼りたいのだが、
これはどうにも見つからなかった。
(多分「まんが極道」だろう)


例えば、pixivに漫画を公開している人間は漫画家では無いのだろうか?

紙の雑誌に連載があって、紙の単行本が出版されている漫画家だけが「本物の漫画家」なのだろうか?

そんなことについて考えさせられる1Pがあったのだ。


ここで「本当の目的」について考える。

例えば、漫画家になる目的とはなんだ?


本が売れることか? それで食っていくことだろうか?

それでは、「生きるための手段」だ。 
「手段」であるなら「代替可能」ということだ。
(つまり、タダ食っていくのなら他のことでも可能)


「目的」を語るのであれば、それは「代替不可能」なモノになってくるべきなのだ。

てことを考えだすと、漫画家であることの真の目的は「自分の漫画を大勢の人に読んでもらうこと」であると、分かるようになる。

「自分の考えたお話を人に伝えたい」という欲求だ。


・・・ならばそんな目的は、
漫画を描いて、それをWEB上にアップしておいても果たせるではないか。

わざわざ紙の媒体で出版される必要は無いんじゃないか?

目的と手段についてハッキリ考えれば見えてくることなんじゃないか?



つまりだ。

ネット上で作品を公開出来ている時点で、
ある意味、既に「目的は達成」されてるんじゃないか?ってこと。

そういう風に考えられないだろうか。

「ネットを得た人間に、もはやデビューなど必要ないのでは?」という考えが出来てくるワケだ。


こういう話はサウスパーク
s07e09 2003年 (youtube以前の話 ネット違法DLにおける音楽のあり方)
s12e04 2008年 (youtube以降の話 ネット上の創作と報酬のあり方)
とかでも数年前から語られた問題でもある。


「本当に大勢の人に聞いてもらいたいのなら、
 ミュージシャンはネット上に音楽を無料で公開してろよ」
という皮肉がある。


数年前、このエピソードがサウスパークで語られた時、
この喩え話は本当に「皮肉」として成立していた。
(違法DLに目くじら立てることにだけかまけて、作曲をボイコットするミュージシャンへの痛烈な皮肉)


だが、今ではこれは皮肉ではなく、本当に起こっていることである。

今は本当に、自分の楽曲の「フル版」をYoutubeとかに無料公開しているミュージシャンが、実際にいる。
(サンプル視聴ではない)
それが、次のスタンダードになってきている。




そもそも、サウスパーク自体が、全エピソードのフル動画を、いつでも無料で見れるようになっているアニメなのだ。
(なんと素晴らしい! 他のアニメも見習ってはどうか)


10年でこれだけ意識が変わるのだ。
そしてこのような転換は、他のメディアでも起きてくるだろう。

漫画のネット無料公開というのも
どんどん無制限になってくるかもしれない。
(アマチュア以外のプロでも、ってことね)
(「ブラックジャックによろしく」なんかは、まぁ経緯が特殊か)


・・・
・・・

長々とだらだらと
思考の行ったり来たりを垂れ流しているので、いつも通り何やら分からん文章である。

(でも自分は、いつも素で頭のなかで、こんなどうもならんことばっかり考えているんだ)
(ここに書いてある文章は、マジでアオイホノオのドラマを見終わった後に、布団の中で延々と考えていた内容)


ちょっとテキトーにまとめてみる。


ネットは「自分を売り出せなかった人間達」の掃き溜めとして打ってつけの発表場だった。

そこでのぬる~い「駄サイクル」に満足する人達も多い。

それならそれでも良かったのかもしれない。

自分を売り出す「痛み」の代わりに「無料公開」を選んだのだ。



だが今や、プロすらも同じ土俵でネットの無料公開に参戦してくるようになった。

ある意味でアマチュアリズムだ。

質、量、ハードルは常に上がり続けている。

ますます底辺のネット創作層は追いやられるようになるのではないか。



どんどん肥大化していくネットの創作界はどうなっていくのか。

ますます カースト化 一方通行 ピラミッド化 していきそうな予感がする。

そんな中でこのまま自分程度がダラダラ続けていても、「良い事」など起こりはしないだろう。

当然である。 こんなのは「逃げ場」だったのだから。

行き着く果ては「埋没」であり、ネットは「劣等感を感じるだけのフィールド」になるだろう。

それでは生きがいも目的も自己実現もクソもなくなる。

では、どうすんだコノヤロウ。




炎尾燃が1980年台に感じていた「漫画業界全体が甘くなってきている!!」
のような感覚とは真逆の方向に、世界が進んでいる気がする。

そんな世界で何が出来るんだコノヤロウ!という感じがするのだ。

アオイホノオ


・・・そういうことを感じましたとさ、という話なのです。


言ってしまえば、
「風立ちぬ」にせよ「アオイホノオ」にせよ、
ああいうのを見ると何かにアテられたようになりますね、という話なのです。 要は。


だから、まぁ、とにかく、いずれにせよ、何か結果を出さなければ、話にならない訳だが。 

それも、デカイことを。 

他の誰もやってないようなことを。

うん、何かしなければ。  自分の場合、いい加減にゲームを、ゲームを。。。



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[ 2014/09/29 19:18 ] 痛感想文系 | TB(0) | CM(8)
byneetさんは、創作の方法として、もう漫画は描かれないのでしょうか?
(昔、byneetさん作の宇宙人の男女の漫画を読んだと思うのですが)

ゲーム制作や動画制作と比較した時、漫画はかなり技術進歩の恩恵を受けにくい、設備投資の恩恵を受けにくい、経年劣化しにくい創作のような気がします。
本人の技術とアイデアで勝負できるメディアというか。
10年前に戻らなくても、10年前からクオリティはさほど進化してないというか。

なにより、byneetさんの独特な視点とかアイデアを表現に生かしやすいような気がします。
[ 2014/09/29 20:54 ] [ 編集 ]
自分を売りに行けないという話で、ふと気になったのですが、これって外国人もこういう人が多いんでしょうかね?
アメリカ人とか、性格が日本人とは全然違うじゃないですか。気になります
[ 2014/09/30 07:40 ] [ 編集 ]
コメント返信
> b さん


> ゲーム制作や動画制作と比較した時、漫画はかなり技術進歩の恩恵を受けにくい、設備投資の恩恵を受けにくい、経年劣化しにくい創作のような気がします。


確かに漫画はメディアとしては既に固まっている感じはありますね。

ゲーム開発環境とか
動画編集環境とかの
ここ数年の目覚ましい進歩とかと比べれば。

そういうの基準で考えているから自分の文章はおかしいことになっているのかもしれません。



でもやっぱり雑魚が頑張るには
黎明期のモノがいいと思うのですよね。


固まってしまったメディアにおいては「地力」みたいなモノが出やすいと思います。

それが
>本人のアイディアで勝負
ということなのでしょうけど。

でもやっぱり、だからこそ
その辺が、自分にはキツイと思っているのですね。


ところで昔のあれは、殆ど黒歴史みたいになっていますw
自分版の『未来への使者』みたいなもんでしょうか。


もっぺん漫画を、描いてみる・・・
描いてみてもいいのかもしれません。
ネタはあると思います。


あとは、「かつて変なことして折れてしまったプライド」みたいなものを
如何にして修復するかの問題のような気はします。

[ 2014/09/30 13:48 ] [ 編集 ]
コメント返信
> たこすけ さん


> 自分を売りに行けないという話で、ふと気になったのですが、これって外国人もこういう人が多いんでしょうかね?
> アメリカ人とか、性格が日本人とは全然違うじゃないですか。気になります


確かにどうなってるんでしょうね。


自分の観測範囲が日本に限られているので
まるで日本にばかりイラストを描いてる人が山ほどいるような感覚とかがあるわけですが。

(でも考えてみるとpixivにせよdevianartにせよ海外の人のがよっぽど絵上手いか・・・)
(日本は画一的でつまらん絵描く人が多いです)


一方
インディーズのゲーム開発とかは
海外の方がよっぽど盛んで、レベルも完全っに段違いなイメージがあります。
(日本のはRPGメーカーで作ったようなフリゲばっかな印象があります)
(質も量もセンスも絶対勝てない感じがあります)


こういうのが単に、人口比によってそういう風に見れるだけの問題なのか、
意識の差の問題なのかというのは結構気になりますね。



どうなんでしょうか。

例えば日本人には「クラスの中でちょっと絵が上手いくらいじゃどうにもならん感」ってあると思うのですよ。
なんか、日本人って猫も杓子もある程度は絵が描けるみたいな傾向があるような。
だから、ちょっとくらい絵心あっても別にそれが得意意識にならないから伸びない、みたいな。

一方海外だと上手い人は超絶伸びて、超絶上手いプロになる印象が、勝手にあります。


はい、勝手な印象の話でした。
[ 2014/09/30 14:04 ] [ 編集 ]
創作が好きな気持ちと作ったものを見せて人から評価されたい気持ちがあって 驚くことに作った段階で満足して世にださず自分だけの宝物にする人もいれば 売れる(評価される)方法だけを一生懸命に勉強するんだけど何も作ったことない気がする

ニートさんは評価されたい気持ちがあるんだから早く社会に接点を持ったほうが結果的に楽な気がするなぁ
なんにしろダラダラしすぎ、未完成なのが評価されるような高尚なもの作っているのですか
[ 2014/10/01 10:30 ] [ 編集 ]
庵野秀明
「表現というのは基本的には欠落したものを埋めていく作業だと思う。
それをヒトに伝えるための努力、自分をマトモにしようとする努力、
とにかくマトモな手段で他人と関われない人たちが、
ちょっとうがった事をして何とか自分と他人との間を保っている。
それが表現というものだと思います。
少なくとも僕はそうです。
アニメや映画をやることによって人と関わり続けることができる。
そう思います。」

(NHK 課外授業ようこそ先輩1999年10月24日放送より)
[ 2014/10/02 05:19 ] [ 編集 ]
コメント返信

> ま さん



> 驚くことに作った段階で満足して世にださず自分だけの宝物にする人もいれば

でもこういうのも憧れますよね。

「ヘンリー・ダーガー」とかまさにそんな感じでは無いですか。

あれは凄いことですよね。

承認欲求ゼロであれだけの創作が出来たということですから。



> 早く社会に接点を持ったほうが

これを持ちたくないという話なのですよね。


> なんにしろダラダラしすぎ、未完成なのが評価されるような高尚なもの作っているのですか

ダラダラしているのは事実ですが後半はよく分からんですね。





> e さん


> (NHK 課外授業ようこそ先輩1999年10月24日放送より)


自分は多分この番組みたことありますね。

子供にパラパラ漫画を描かせる作業を、なんか「恥ずかしくて見てられん」と思いながら
見ていた記憶があります。

でもこのコピペだけでは何が言いたいのかよく分からんですね。


> とにかくマトモな手段で他人と関われない人たちが、
> ちょっとうがった事をして何とか自分と他人との間を保っている。


重要そうなのはこの辺でしょうか。

自分への肯定のようにも否定のようにも取れる、ような気がしまする。


[ 2014/10/09 12:52 ] [ 編集 ]
こんにちわ。

個人的にというかネットでの創作はグレーゾーン的ですけど、お金にしたらヤバイ創作をするのに向いていますね。かくいう私もそういった創作をしている人間ですのでネットで創作をする時は「商業や一般ではできない事をやろう」という心情は崩さないようにしています。例えば二次創作なんて法的には訴えられたらアウトですけど、対価を得るやり方でなければ現状は見逃されてたりしますし、そういったモノを表現するには見向きもされない場所でないと無理だったりしますからね。
けどまぁ、そういうものって「作る意味あるの?」って返されやすいのも確かなんですよねぇ。二次創作なんて創作と言えるのかは常に問われますし、自分もやるからには原作をただ単になぞらないように見せようって感じで批判的精神を忘れないようにとは考えては居ますけど、それってルサンチマンじゃねーかなとは常々自問自答したりしてはいます。
(私は単に原作を模倣するなら二次創作をやる必要は無いと考えている人間です。原作を見れば済みますし写経じゃあるまいし、といった感じです)

で、長々と書いといて結論は見慣れた言葉なのですけど「やりたい事をやればいい」はずです。世間様に認められたければ世間様が好むものを作ればいい。そうじゃなくて作りたいものを作りたいなら自慰上等でやればいい。どちらとも自己鍛錬は必要ですし研究も大事なのは変わりませんから、お好きなようにでしょうね。
それと燃えペンの「駄作で金を貰ってこそプロ」は金言です。プライドに生きたければ東方の原作者の後追いをすればいいのです。今はプロに拘るのもプライドに拘るのにもその両方に道が開けているのですから、いい時代です。もちろん炎尾は「駄作を出す事に慣れてしまったら終わり」とも言っているのですけど、「それはそれ、これはこれ」です。

最後に私は島本漫画が凄く好きです。
[ 2014/10/22 17:21 ] [ 編集 ]
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