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悪に堕ちる。 「戦争肯定論」

 
あと5日でMGS5ですね。 信じられませんね。 恐ろしいですね。
待ってられないと同時に、一生待っていたいくらい、なんか怖いですね。


皆さん「悪に堕ちる」準備は出来てますか?
自分は出来てません。


ちょっと、「悪いこと」を考えてみようと思います。


まず色々なことを考えてみます。
人生とか、動物とか、幸福とか、そういうことについて突き詰めて考えてみた結果、

なんと
戦争孤児を、少年兵を、そしてありとあらゆる戦争を、肯定できてしまうことが分かりました。



そんな風に、
ビッグ・ボスのように「悪に堕ちるための思考法」というのを考えてみました。


今回の糞電波文章も真剣にクソ長いし、
思考が行ったり来たりしまくります。 もう滅茶苦茶です。
ついてこれるだろうか?



 
悪に堕ちる思考法その1 戦争肯定論


まず、「動物の人生」について考えてみます。 (なんじゃそりゃ)


一応自分は、
人間、というか全ての生きとし生けるものは「知性が全て」だと思っているところがあります。

だから、「馬鹿な動物の人生なんかはろくなモンじゃなかろ」と、ついつい考えてしまっているところがあります。
(ボケ老人や知的障害者も)


でもでも、
動物の生態について色々調べる機会があると、
「案外動物の人生も悪くないんじゃないかな?」なーんて思っちゃう時もあるのです。


例えば
「ハト」の人生について考える。

ハトは、「ピジョンミルク」というのを自分で作り出すことが出来て
オスもメスもヒナに餌をやることが出来るらしい。 ほへー

なんかそういうどうでもいいことを知る度に、こいつらの人生楽そうだな、とか面白そうだな、とか思ってしまう。


ハトの時間間隔というのは、
人間的に言えば全てがスローモーションレベルらしい。
車なんかに轢かれることないワケだ。

ハトほど都会に適応している動物はいないのではないか。
ハトはカラス以外天敵という天敵もいない。

かなり安心安全に、飯を食えていける動物なのではないか?

そして、
ハトは、味覚が物凄い勢いで「退化」しているらしい。
自分はこれはとても「良いこと」だと思う。

それは過去にこんなこと書いている時点でそうだ。 
「飯の美味いまずいについて考える必要がない人生」というのはとても素晴らしいと思う。

だからこそハトは地面に落ちているモノをなんでも啄めるワケだ。
更に人間に餌を貰っているハトなら完全に空腹知らずである。
「上野公園のハトのほうがオレよりメシ食ってる」

そんで、モフモフでフワフワである。
可愛い動物というのは、自分が可愛いということを分かっているのだろうか?
そういう意味じゃ、人間よりも自己肯定感高そうなんだが?

まぁそんなこんなで、
人間よりよっぽど衣食住が安定している生物といえるのではないだろうか。

そして、その上で、視覚が優れている。
知能も、結構高い筈。

その上で、その上で、その上で!!!
ハトたちは「空を飛べる」のである。 (まぁこれ最強だよね)


つまりまとめると、
ハトは飯の心配をすることなく、
交通事故や天敵の心配もすることなく、
空をとぶという快楽を全開の知覚で感じることが出来るのだ。
そんであとは、モフモフしながら、クルッポークルッポーしてるだけの人生なのだ。



そんな風に考えると、
ハトの人生って人間の人生よりもよっぽど豊かで、喜び・楽しみ・生理的快感・生の充足に溢れてるんじゃないか?
みたいな気がしてくるのだ。


こんなのはほんの一例である。

自分は、ヤドカリだろうが、タコだろうが、ナマズだろうが、アサギマダラだろうが、ワリとなんでもよかったりする。

・ヤドカリが新しい貝をくるくる回して中の石を落とそうとするのをみると、
 こいつら結構賢くないか?とか思ってしまうのだ。

・ナマズは全身が舌みたいな生物らしい。
 ナマズの味蕾の数は20万です。 
 (人間の味蕾は赤ん坊が一万で、あとは減る一方)
 (つまりどんなにグルメ家が偉そうなこと言っても、赤ん坊以下、ナマズ以下の舌しか持ってないのだ)
・全身でモノを舐めることが出来る感覚というのはどんなだろうとか考えてしまう。


ていうか
ここまで書いてることに全くご同意頂けない人でも、

少なくとも「ボノボの人生」について考えてみれば、
「人間の人生の幸福度がなんだというのか」と、考えこんでしまうのではないだろうか?


なんかこう、人間よりも感覚が乏しければそれはそれでいいだろうし、
人間によりも感覚が豊かならばそれもそれでいいだろうという気がしてくる。

そしてそれは
「知性」についても同様。

彼らは馬鹿であるが、と同時に、人間のように思い悩む機会は少ないはずだ。

(なにも考える必要もなく、たゆたいながら、養分を吸ってるだけの原生動物たちの人生は)
(人間の人生なんかよりもよっぽど「快楽機械」に近い生き方が出来ているのではないか?)
(天国はそこにあるのだ)


何かを失うと同時に、それによるメリットも在るはずで。 (自分が持っていない知覚感覚について想像したことはあるか)
「どっちが本当にいいか」というのは
「動物と人間の人生の両方を体験した者」にしかわからない筈だ。
(そして、そんな者はそもそも存在しない)

いや、そもそも動物の時の脳みそと人間の時の脳みそのフォーマットが違う以上、
その是非は「動物と人間の人生の両方を体験した者」にすら、断ずることが出来ない超難問なのではないか?
と考えてしまうのだ。
(てことは無理じゃないか??)


そんなこんなで
動物について考えてると、

案外、「こいつらの人生ってすごそうだ」とか
「なにを根拠にこいつらの人生が人間の人生以下だと言えるのだろうか?」って、
真剣に思うようになってしまうのです。


で、
そういう風に
動物の人生に興味を持ったり、
動物の中に精神ダイブしたらどんな感じだろうか?とか夢想したり、
もし精神ダイブするならどんな動物がいいだろうか?とか選びだしたり、
そういうことを考えだすと、
次は「安全性」という観点が真剣に気になってくる。


もっというと
「家畜」か「野生」か
みたいなのが気になってくるのだ。


同じ種類の動物にダイブしてその動物の人生を味わうとして、

「家畜」のように
安全で、飯や生存の心配をする必要がないが、だが単調で退屈で窮屈で、
そして最後は屠殺されてしまう人生。 

もしくは
「野生」のように
危険で、飯や生き残りのことばかり考えている、だがそれゆえに自由でスリル満点で、
でも最後は野垂れ死にするしかない人生。


家畜VS野生。

はたしてどっちがいいのか?

という難問について、本気で考えこんでしまうようになるのだ。


(どんだけみすぼらしい人生を送っていれば
 動物に生まれ変わるときのチョイスについてここまでマジに考えてしまうのかって話だが)

(一応言っておくけど、自分は「輪廻転生」とか「畜生道」とか、そういうのは完全に信じてないぞ?)

(ああいうのは馬鹿を脅すための「設定」だということくらい、子供の頃から分かっていた)

(だがその上でだ。 輪廻転生を信じない上で、「動物の人生の是非」について考えてしまうのだ)
(むしろ輪廻転生を信じてる奴こそ、動物の人生を無意識に見下すだけで思考停止しているのではないかと思うのだ)
(畜生道に堕ちることを「脅し」に使ってるんだからね)
(そして宗教というのは思考停止だから)

「ミミズだーって」って歌詞の「だーって」にはそもそも侮蔑が入っているじゃないか)


で、話を戻す。

家畜の人生がいいのか野生の人生がいいのかについて考えるための補助となる「思考実験」がいくつかある。

それが
「便器の蜘蛛」とか、
「交換論」という思考実験である。


「便所に巣を張る人生は酷かろう」と思って蜘蛛を便所から移動させてやると、蜘蛛は死んでしまった。
本当の良い人生とはなにか? 誰が决められる?



「家畜の人生は酷かろう」ということで
家畜を全て廃止したとする。
すると、
廃止しなかった場合の世界と比べると
「生まれて来なくなった家畜の命」というのが大量に発生する訳だが、
そいつらのゼロになった分の人生について考えると変な気分になるという奴。

最初から生まれてくることがなくなった生命が感じていた分の幸不幸について
なにを論じることが出来るというのだ?という気分。




まぁそんなこんなで、
考えれば考えるほど結局、「わからない」ということになってしまう。
(かといって、「不可知論者」になれというわけでもないのだが)


「動物の人生」か「人間の人生」か?

「家畜の人生」か「野生の人生」か?



考えるまでもなさそうな問題だった筈なのに、
考えれば考えるほど分からなくなっていくのである。

この程度のことにすら、自分は結論が出せないのか?という驚き。


人間と動物を比べることが出来ない。

更に、
安全な動物の人生と
危険な動物の人生すら、比べることも出来ない。



ここで、次にこのような跳躍が発生する。

では、
安全な人間の人生と
危険な人間の人生さえも、比べることが出来ないのではないか?????



例えば今の日本人の人生について考える。

日本は、「世界で一番安全な国」、ということになっている。 それを誇っている。

では日本人の人生は「幸せ」かというと、
世界的満足度ゲロ低状態で生きてたりする。

http://www.garbagenews.com/img15/gn-20150108-08.gif
http://www.garbagenews.com/img15/gn-20150108-09.gif

そして自殺率もクソ高い。

食の安全、生存の安全。
だがクソみたいに満足感のない人生。 そのくせ平均寿命は世界一。

「満員電車の中でしかめっ面で揺られている姿」はなんなんだろうなという気分にさせられる。
自分もそうだったので、分かる。
衝動的に電車に飛び込みたくなる気持ちも、分かる。


本当に、「家畜か野生か」で言えば「家畜」を思わせるばかりの人生である。

(ところで、もしも家畜の動物と野生の動物に「自殺をするだけの知能」を与えたとしたら、
 絶対に家畜の方が自殺する率が高くなると思う)

まぁそんな感じだ。

日本の生活、日本の人生を「家畜サイドか野生サイド」で例えるなら、
間違いなく「家畜サイド」だといえるだろう。 
ニーチェ風に言えば完全に「畜群」「末人」みたいな生き方しかできてないってことだ。


では次に
今の地球で
「野生サイド」に近い人間生活をできている国はどこか?とかについて考えるかというと、 実はそっちには行かない。

そっちに戻っても、動物と人間の人生の比較の話に逆戻りするだけだから、実は行かなくていいのだ。
原始人みたいな生活なら勝手にやってて下さいという話だ。


ここで、「戦場生活者」について考えだすのです。


結局のところ、
そんな安全圏の先進国に生まれながら、満足度の低い生活をしている人達が、
実際問題、日々「なにを楽しみにして生きているか」ということを考えてみよう。

先進国の人間達が享受する、文化的な「人生の楽しみ」と呼べるものの一般的なモノはなにか?

それはまぁ、映画とかゲームとかアニメとかマンガとか・・・
そういう「メディア」だったりするワケだ。


でだ、そういうモノの中でも
「戦争モノ」というのは何だかんだで「上位」に位置していると思うのだ。


最高の戦争映画。 傑作。
最高の戦争ゲーム。 傑作。
最高の戦記漫画。 傑作。


やはり、戦争を扱ったモノは、
刺激的であり、同時に人生について深くを考えさせる。 
こんなに示唆に富んだモノは他になかろ、という勢いである。 


前にもどっかで言ったが、もし
チャップリンの最高傑作が「独裁者」で、
手塚治虫の最高傑作が「アドルフに告ぐ」で、
水木しげるの最高傑作が「総員玉砕せよ」で、
宮﨑駿の最高傑作が「風立ちぬ」で、
高畑勲の最高傑作が「火垂るの墓」で、
こうの史代さんの最高傑作が「夕凪の街 桜の国」「この世界の片隅に」で、
スピルバーグの最高傑作が「プライベート・ライアン」「シンドラーのリスト」だとするなら、
どうする?

究極の表現者はもう、WW2を、ヒトラーを、戦争を
表現するしかないではないか?
という気分になってくるんじゃなかろうか。


そして、
やはり「体験」という点で、注目すべきは「戦争ゲーム」だ。

これほど技術の進歩が激しく、これほど技術革新が求められ続けているモノも無いだろう。

例えばまさに、メタルギア、最高。 
こんなに深いゲームはない。 自分はそう思っている。



まぁそんなだ。

戦争モノは素晴らしい。
そして、誰もが「戦争をよりリアルに体験したい」と思っている。
だから、よりリアルな、よりスリリングな、より没入感のある、そんな戦争ゲームを求め続けている。


安全圏にいる、家畜のような人生を送っている人間でも、
リアルな戦争を体験したいと思っているのだ。



だがゲームにはゲームの限界がある。

所詮、モニターの向こう側の出来事である。

所詮、モニターの向こう側の「別の人間」「自分とは違う主人公」の物語である。

所詮、痛みも、悲しみも、死の恐怖も、高揚感も、臨場感も、「全てまがい物」である。

結局、画面の向こうの主人公の戦争と、自分の人生は別物だと分かってしまっている。
(どこまで言っても信念が一致しない、記憶が一致しないという問題)


究極的にリアルな戦争ゲームをやりたいと思っていながら、それはまだまだ叶わぬ夢なのである。
安全圏にいる家畜側の人生を送りながらも、そんなことを考えているのだ。


だが、
どんな金持ちが味わいたくても味わうことが出来ない「その体験」を味わっている人達が、実際に存在しているのだ。


今まさに
どっかの紛争地に生まれて、強制的に戦闘に参加させられている少年兵達のことである。

彼らは、どんな気持ちで生きているのだろうか?


彼らは、先進国に産まれた人間が喉から手が出るほど欲しいと思っている
「超リアルな戦争体験」を味わうことが出来ている。

本当の死の恐怖を、本当のスリルを、本当の殺害体験を、
本当の渇望を、本当のサバイバル感を、「本当の自分の人生として」体験している。 

安全圏から「別モノ」として味わうような、ニセの戦争ゲームではない。 (これ重要)



自分に関わる戦争を、自分の信条で戦うことが出来るのだ。

彼らの中には「戦争やりたくない」「こんな所に生まれたく無かった」と思っている子供達もいるかもしれない。

だが、それこそが重要なのだ。

「その上で参加させられている」という体験すら、それ故の恐怖感すら、
先進国の誰にも味わうことが出来ない「リアル」だからだ。  (ひでえ話だ)


勿論、彼らはむごたらしく戦死することもあるだろう。
だがそこは、さっきの「人間か動物か」「安全か野生か」の話で簡単に結論が出せないのと同様である。


少年兵が寿命を全う出来ないからといって、
「先進国でスパゲッティシンドロームってるジジババよりダメな人生を送った」などと
一体誰が決めつけることが出来るというのだろうか。 

(むしろ逆じゃあないのか?)


そんなことを真剣に考えるようになるのだ。


彼らは、日本人のように不満の固まりだけで生きているのだろうか???
実はそうではないのではないかと思ってしまうのだ。


安全な先進国側に産まれた人間はいつもいつも、
「中東とかの、民族紛争ばっかしてる土人たちって、やーねー」

「ああいう、"報復の連鎖"みたいなことしてる人達って、進歩がないわねー」

「ああいう国に生まれて、宗教の原理主義とか信じてるテロリストって、頭わるそうねー」

「貴重な文化財とか爆破して、一体何考えてるのかしらねー」

「憎しみはなにも産まないのにねー やだやだ」

・・・
などと思って、彼らを軽蔑しているはずだ。 (要出典)


だが、本当にそうだろうか?

本当に彼らの人生は、我々の人生以下なのだろうか?

実は逆なんじゃあないのか?



おそらく
彼らは、「信念」を持っている。 (正しい意味での「確信犯」ってやつ)

自分たちのテロリズムが、自分たちの報復が、自分たちの宗教戦争が、自分たちの民族紛争が
完全に正しいと信じていて、本気で「ヒロイズム」感じていられている


(↑これって実は凄く重要なことだと思う)
(どっちが正しいとかではない)
(自分で自分がやってることが正しいと確信して、自分に酔えている人間が、この地球上で他のどこにいるだろうか?)


「ブラックホークダウン」って映画で、黒人がアメリカ人に言ってたことは真実だと思う。

アメリカ人は、彼らの民族紛争を「馬鹿げた報復合戦」だと思っているかもしれない。
だが、彼らにしてみれば、
「何の信念も無くぬくぬくと生活して、タバコで寿命を削ってるアメリカ人の人生」の方がよっぽど価値がない人生なのだ。


彼らからしてみれば、
先進国に産まれて、資本主義という一方的な暴力で後進国から搾取しつづける奴らのほうが
よっぽどの悪なんじゃないか?

そんな風に他人から労働時間を、「人生」を吸い取っている奴らが、自分たちが裕福に暮らすために
資源を、環境を破壊しまくっているのだから、
そんな悪行から比べれば、
なんの役にも立たない文化財を爆破するくらい何だというのだ!

くらいのことを彼らは考えているのかもしれない。


「貴族がなんだというんだ! 私たちは貴族の家畜じゃない!」
「私たちは人間だわ! 貴方たちと同じ人間よッ!」
「私たちと貴方たちの間にどんな差があるっていうの!? 生まれた家が違うだけじゃないの!」
「ひもじい思いをしたことがある? 数ヶ月間も豆だけのスープで暮らしたことがあるの?」
「なぜ私たちが飢えなければならない? それは貴方たち貴族が奪うからだ! 生きる権利のすべてを奪うからだッ!」

(↑FFTのミルウーダさんの名言)


「貴族」「先進国」「骸旅団」「どっかの国のテロリスト」だと置き換えたらどうだろうか?


ロボットアニメの主人公みたいじゃないか。

おそらく、この世で最も「ロボットアニメの主人公のような気分」で生きている人間がいるとしたら、
それはどっかの紛争で戦っている少年兵達だろう。


だから、彼らは、人生の勝利者なのだ。 (結論)



勿論彼らはむごたらしく死ぬ。
逃れたい程の死の恐怖は凄まじいだろう。
こんな人生は嫌だと思っているかもしれない。

だが、それでも、比較は出来ないのだ。


彼らは、
先進国に産まれた人間の行き着くはてが「娯楽としての戦争ゲーム」と「不満」と「退屈」と「自殺」であるということを知ったら、
どう思うだろう?

何て言うだろうか?


更に別の価値基準を持ってきてみよう。


人生の比較は簡単には出来ないということを延々と述べてきたが、
もしこの世に
最も確実に「人生の価値」を比較することが出来る尺度があるとしたら、
それは次のような概念になると思う。


それは「人生の視聴率」のような概念だ。 (これも自作の思考実験)


もしも、あらゆる知的生命体に接続しうる「上位存在意識」のようなモノがいたとして、
(これはあくまで仮定の話ね) (本気にしないように) (いや、でも本気で考えてみるように)
(こういうことを「想定する」のは重要だと思うのだ) 

「その上位存在が自分の人生チャンネルにどれだけ接続しているか」ということについて考えてみるのだ。

これ程、自分の人生の価値についてシャッキリ考えられるようになる考え方はないんじゃないか?


自分の人生は「是」なのか「否」なのか?


その尺度で考えてみて欲しい。


先進国に生まれ、
毎日、
不満足に目を覚まし、

不満足に満員電車に揺られ、

不満足に登校・出勤・出社し、

不満足に仕事・学校をこなし、

不満足に満員電車に揺られ、

不満足に眠る。

そして何やら分からんままに老いさらばえて死んでいく、
そんな自分たちの「安全」な人生()


それか、

爆音と銃声だらけの紛争地に生まれ、

気がついたら銃を握っていて、

信じるべき宗教の教義、信じるべきイデオロギー、信じるべき大義名分を教えこまれ、

それに従って「敵」を「本気で」憎み、殺すか殺されるかの危険な生活に明け暮れ、満足に眠ることも出来ない、そんな人生。



実際問題、「人生チャンネルの接続数」が多いとしたらどっちだろうか?

もし自分が上位存在だったら「本当にダイブすべき、追体験するべき価値がある人生」はどっちなのか?


ってことを真剣に考えてみてほしい。


「人生のランキング」みたいな発想がある。

(自分より幸福そうな奴が死んだら、「オレ世界ランク上がったわ~」とか言う奴である)


日本人は漠然と
「まぁ日本人に産まれた時点で、世界的に見れば
上位数%には食い込んでいるだろう」
なんていう風に思っているかもしれない。

だが、ここまで考えてきた人なら、そんな「人生ランキング」なんて
何の価値も意味もないことが見えてくるんじゃないか。


安全ならいいのか?
快適ならいいのか?

なら、「野生の豚」と「家畜の豚」のどちらかの人生を選ぶとき、
あなたは本当に迷わず家畜の豚の人生にダイブできるのか?



つまりはそういうことだ。

だから、「本当の人生の価値」について考えたいときは
「人生のチャンネル接続数ランキング」という観点で見たときに浮かんでくる重みの方が、正しい。


もしも「マルコヴィッチの穴」のようなシステムがあったら、
誰かが他の誰かよりも優先して「自分の人生」にダイブしてくれるほど
自分の人生には価値があると思えるか? 

そんな風に確信を持てるような人生を、あなたは送っていますか????


そういう価値観。

人生の視聴率に則って
「本当に自分の人生は少年兵に勝てるのか?」について真剣に考えてみよう。


本気で胸に手を当てて考えてみるのだ。

「私は誠実に生きている」とか、
「お天道様に顔向けできる生き方をしてきた」とか、
「俺ほど堅実に人生の勝ち組ルートを辿ってきた奴はいない」とか、
「オレほど賢く金儲けができている奴はいない」とか、
ワリとそんな価値観は簡単に滅び去る。


何をほざいたところで、
実はほとんどの日本人が
どっかの紛争地の少年兵にはとうてい勝てないような、
「客観的に見たら価値の無い、退屈な人生」しか送ってないのではないかと思う。



少なくとも、擬似的な戦争ゲームなんかやっている限りは、絶対に勝てない。 サーセン


「人生の視聴率?」
「俯瞰で見れるからアブナイ人生のほうが人気が出るだけだろ?」
という反論があるかもしれない。 (ホラー映画のように)

だが、そんな問題ではない。


もしも記憶ごと書き換えられて、本気で自分の人生として全ての「痛み・苦しみ・恐怖」も引き受けるとしても、

それでも上位存在は、少年兵の人生を選ぶだろう。

その理由は、やはり彼らが自分の人生に確信を持っているとか
彼らが戦場で生の充足を感じているから、ということに他ならない。

そしてそういうことが
「客観的な人生の面白さ・のめりこめ度」
「人生の主人公度」
に差を産んでいる根源であることを、どうしようもなく示している。


やはり、
戦場に生きる少年兵こそが、真の「人生の勝者」なのだ。


That agony is your triumph.



少年兵問題

ところで、戦場生活者なら誰でもよさそうなのに
なんでそこで更に「戦争孤児」「少年兵」に拘るかというと、
そこはちょっと考えてくれれば分かると思う。

あくまでビジネスで兵士やってる傭兵とかPMCとか、
「大人」はなんか割り切ってそうで、そうなってくると「人生の主人公っぽさ」が失せてくる。

なんか、人生で他の道もありそうだったのに
戦場中毒者みたいになってるのが、逆にカッコよくない。

やはり、強制的に戦場に駆り出されて、
他に人生の選択肢もなく、銃を握らされて、
気がついたら殺人鬼になってる、

そういう方向性のほうが、人生の主人公っぽさが強まるのは、なんかわかるはずです。


だから、「少年兵問題」ってのは重要なのですよ。


ロボットアニメで、「なんでわざわざ子供をパイロットにするのか?」っていう問題と同じです。

なんで、そんな人道的にひどいことをするのか? (子供をロボットに乗せて大人はモニタリング・・・大人はクズなのか?)
なんで、そんな児童福祉法的にヤバイことをするのか?
子供をパイロットにしないロボットアニメがあってもいいじゃないか? (まぁあるにはあるんだが)


っていう疑問に対する解答です。

そっちのほうが悲劇性があるから。
そっちのほうが絵になるから。
純真な子供が、過酷な戦場でもがき苦しむことにこそ、意味があるから。


わかってるじゃないか。


まぁそういうことですよ。
長い道のりでした。


・動物の人生について考える。

・「便所の蜘蛛問題」について考える。

・「交換論」について考える。

・家畜動物と野生動物の是非について考える。

・安全な人生と危険な人生は比較出来るのか?について考える。

・真の「生の充足」について考える。

・先進国の人生と後進国の人生について考える。

・先進国で戦争ゲームやってる人間の人生と、紛争地でマジの戦争をやってる人間の人生について
 本当に充実している人生はどちらなのか、考える。

・ダメ押しに、「人生のチャンネル接続数」について考える。

・最後のトドメに、「子供に悲劇を与える必然性」について考えて、完成。



・・・などなどのことについて延々と考えた結果、
なんと、少年兵は「人生の勝利者」だということになってしまいました。


彼らより価値のある人生を送っている人間はいない。

彼らよりも鑑賞すべき人生を送っている人間はいない。

もしも上位存在が接続している人生のランキングがあるなら、
そのランキングは彼らのモノである。

もしも哲学的ゾンビを人間にする要素が上次元の世界にあるのなら、
もしも上位存在の観測によってコギト・エルゴ・スムが確定するというのなら、
やはり人生は彼らのモノである。


戦場で苦しんでいる子供達は、さいわいである。
天国は彼らのものである。



更に結論がある。

自分には持論がある。


「人類の至上目的とはなにか?」ということについて考えよう。

そういうことについてずーっと考えていくと、

「全ての人間が感じている幸福感の平均値を高める」

みたいなところに行き着くのだ。

中途半端な効率論は、実は最終的に全てこの結論の前に滅び去るのだ。
(本当はこの結論に如何にして達するかについて、記事を23個は書かなければならないが)
(今回は結論だけ書きました)


だがこの結論も、人生チャンネル接続論の前に敗れ去る。


本当に生きる価値のある人生というのは
幸福度の平均度の上昇が高まりきった、ぬるま湯のような世界にあるだろうか?

それよりかは、やはり人生チャンネル接続が高まるような、混沌と生の充足に満ち足りた、
戦争映画の主人公のような人間だらけの世界の方が、生きる価値があると言えるのではないだろうか。


そもそも「幸福度の追求」というのが本当に人間の最終目的でいいのだろうか。


もしも人類の文明の発達の行き着く果てが「快楽機械」だったらどうする?
気持ちがよければ全ていいのか? 本当に?

ついに快楽機械を手に入れた、仮の人生の勝利者。
そいつの人生にダイブすることを想像してみよう。

一体どこのどいつが、何も考えずに快楽物質をむさぼるだけの人生をわざわざ味わおうなんて思うんだ?
そいつの快楽を自分のものに出来たとしてもだ。
即効で飽きるのが目に見えているじゃないか。

パラサイト・イヴ2  快楽機械 ベータジェネレーター 

まぁ、アヤさんの言うとおりってこった。

つまりだ。
「主観的な幸福」
「客観的な人生の価値」には「何の関係もない」ということだよ。


(考えてみれば当たり前のことだ)


まぁそんな風に考えてくるとだ、

「人間は幸せになるのが人生の目的」とか (瀬戸内寂聴とかが言ってそうな ニセの価値観)
「全ての人間の平均幸福度を最大化するのが人類の目的」みたいな、

通常なら中々反論をくらわなそうな結論も、

「人生チャンネル接続数至上主義者」の前には
簡単に敗れ去るんじゃないかということ。


「全ての人間の幸福度を高める」
なんかよりも
「全ての人間が、自分が宇宙の主人公であると信じられるような人生を送れるようにする」
にしたほうがよっぽど崇高な目的だということが見えてこないだろうか?


幸福度が大事とか、
安全性が大事とか、
年収が大事とか、
健康が大事とか、
寿命が大事とか、

そんな価値観は全て消し飛ぶ。

そんなことよりも、
自分が自分の人生に確信を持てること。

自分の人生には
「自分がただ気持ちいいだけ」以上の価値があると信じられること。

あらゆる上位存在が自分の人生に接続するべきであると自負できること。

自分の人生は、自分以外の人間、
いや、
人間以上の知性の持ち主からの鑑賞にも耐えうると自信を持てること。

そして、そんな人生を目指そうとすること。


自分を中心にして宇宙が結晶化していると思い上がれること。

そのような価値観・人生観の方が、よっぽど進歩した考えだということがわからないだろうか?


ではその上で、
最も効率的に世界に「人生の主人公達」を増やすにはどうすればいいか?


そこで
戦争である。


考えれば分かることだ。
これ以上の手段はない。

勿論
別に全ての人間が「兵士」として戦闘に参加する必要はない。 全ての人間が戦争の英雄になる必要はない。
そんなのは無理だ。

だが
ちょっとした戦争映画とか見てると、
「民間人」であっても、映画の主人公のような悲劇性を簡単に得られることが見えてくる。

ただの民間人視点でも、映画になる。


ところで
こないだ、「マイリトルガーデン」って映画をみた。

メタルギアみたいな映画だった。 (隠れんぼ的な意味で)
または、戦争版「ホーム・アローン」って感じの映画だった。 (子供が知恵で打破していく意味で)
ハッピーエンド版「アンネの日記」みたいな映画でもあった。



今の世の中、
一般人が「ホーム・アローン」みたいなことを経験できる機会なんてないだろう。
家に泥棒が入ったくらいで、あんな風には動けない。

つまり、一般人が
「自分はこの危機を、自分の地機のみにて乗り越えて見せねばならない」
みたいな「主人公的覚悟」を発揮できる機会なんて、全然訪れないはずだ。


だから、人生がつまんないんだよ!!!



だが、ひとたび戦争が起きればどうだろうか?


そもそも「マイリトルガーデン」の主人公みたいに、「知恵と勇気のある子ども」じゃなくてもいい。
別に何の変哲もない現代人みたいな子供でもいいのだ。

それでも、映画になる。

(「火垂るの墓」の主人公像は、「現代っ子がもし戦時中にダイブしたら?」みたいなシミュレーションも兼ねている)
(「うしろのしょうめんだーれ」の主人公だって別に何の変哲もない子供だ)
(全ての戦争映画の主人公が「はだしのゲン」みたいにエネルギッシュじゃなくていいのだ)


つまり
戦争に巻き込まれれば、全ての民間人、戦争に関わる全ての人間が、
映画の主人公のような感覚を味わえるはずだ。
全力で、自力で生きていかなければいけない、映画の主人公のような感覚を。

「即席で退屈な人生を送っていた人間を主人公にする」

何の価値もない、
何の変哲もない、
全くもって鑑賞に耐えないような人生を送っている人間に
「究極的な味わい」を付加してくれるのが、戦争なのだ。


このような効果がある現象、
他に何かあるか?
何も無いはずだ。


そうやって考えていくと、

世界中に戦争の火種を撒き散らそうとするのは、
世界を平和にしようとすることとかよりも、実はよっぽど深く考えられた、真に崇高な目的なのかもしれない。



(はい、ようやくビッグ・ボスが言いそうなことに近づけて来ましたね)
(いや全然違うんだけどさ)
(物凄い紆余曲折あったけど、これがこの記事の目的ですよ)


「サウスパーク」でもそんなエピソードがあった。 (サウスパーク s07e04

人類には戦争が必要なのだ。
それは人類自体に直接必要なのではなく、真に人生というものを客観視したときに、必要になってくるのだ。


地球という「エンタメ」には戦争が必要不可欠。
(それを失うと、番組打ち切りで死亡する)
(もしくは、誰も地球人の人生に接続しなくなって、全ての人間が哲学的ゾンビになって、事実上の絶滅を迎える)

(実はこれ以上の悲劇はないぞ?)
(地球が滅びるのよりも、太陽系が滅びるのよりも、どんな悲劇よりも恐ろしいことがこれなのだ)
(最初から何も存在しなかった場合と同じくらい価値がなくなるから)



だからこそ、人類史上、戦争の火種が途絶えたことはないのだ。


この「命の炎」を、絶対に絶やしてはならない。


こんな感じよ。

自分は戦争を肯定するとき、
・イデオロギーどうのとか、
・民族がどうのとか、レイシズムがどうのとか、
・平和がどうのとか、安全保証がどうのとか、
・歴史認識がどうのとか、
・ヘイトスピーチがどうのこうのとか、
・どっちの国が正しいとか悪いとか、

「そういう観点」は 完っっっっ全に排除した上で肯定する必要があると思っています。


何故かと言うと、そういうのを理由に戦争を肯定するのは「糞ダサい」と思っているからです。


前に自分が戦争を肯定したときもそうでした。

前の時は、
人類の文明を加速するためのブーストとして
過去の戦争は超重要だったから感謝しよう」
 みたいな文脈でしたね。


でも、今回は更にそれを進めてみて、

文明が発展するとかしないとか、  
(戦争は文明を育て、平和は文化を育てると言われているが)
経済が回るとか回らないとか、
(「戦争経済は嘘」みたいな話もあるが、それはそれでポジショントーク的なモノを感じるが)

ついにそういう
「戦争のメリット要素」すらも排除した上で、戦争を全肯定することに成功しました。


人類にとって戦争が何の役に立たなかったとしても、
戦争が人生にとって必要なモノである可能性があるということ。

(むしろその可能性を信じないということは)
「パスカルの賭け」のニート版を信じないということであり)
(「自分の人生には自分の人生分以上の価値がない」と認めることになる)
(そんな人生には結局、何の価値もないと思わないか?)
(死ねば無になるのが分かっているし、全ての人間も死ぬし、宇宙も死ぬから)
(だからこそ、賭けるしかないのだ)


人生の価値について本気で考えた結果、そういう結論に達する場合もある、
ということを示すことが出来ました。


ここまでイッちゃってる主張は、
どんなラスボス達も言ってこなかったのではないだろうか?


「メタルギア」内で見られる戦争肯定論というのはどういうのかというと、

MG2 ビッグ・ボス アウターヘブン MGS1 リキッド アウターヘブン

ビッグ・ボスやリキッドが提唱した「アウターヘブン」の理念としては

「傭兵が常に必要とされる世界を作り上げる」
「そのための混沌のバランスが重要」
みたいなことだったわけですが、
そんな「バランス論」すら必要なく、戦争を肯定するのです。


MGR アームストロング上院議員

アームストロング上院議員のように
「戦争経済のためにPMCがはびこる代理戦争ではなく、個人間の闘争を!」
「気に入らないやつをぶん殴れる世界の成立を!」
みたいな
そんな大義名分すら必要ないのです。



そこに悲劇があるなら、
どのような戦争でも良いのです。



これこそ、「完全なる戦争の肯定」です。


もしもこれを主張するラスボスがいたら、ちょっと強力すぎると思う。


ていうかこの主張は「メタ」入ってるのがヤバイのだ。

物語の登場人物が人生チャンネル接続数とかを意識しだしたり、
「この世界をエンタメとして成立させるために戦争が必要」とか言い出すと
それは反論のしようが無い程に、あまりに正しい。

だってその通りなんだから。


結局、戦争映画を見るときに観客は「人死に」を求めているのだ。
いくら「教養」だとか「歴史認識」だとか「平和のため」だとか「反戦・反核」だとか言おうが。
(殺戮を楽しんでいるんだよ貴様は!!)


「プロパガンダ映画」という言葉がある。
「エクスプロイテーション映画」という言葉もある。

低俗な戦争映画を揶揄するための言葉なのだが、
実は高尚な戦争映画と低俗な戦争映画の「違い」など無いのかも知れない。

サルまん テーマなんて飾りです

所詮は、これなのだ。
サルまんで言ってたとおり。


だからこそ、この主張は正しい。
ラスボスに言われると手がつけられない。

「この世界は戦争映画なのだから戦争が必要なのだ」
「この世界は戦争ゲームなのだから戦争が必要なのだ」

って言ってるのと同じくらい、どうしようもなく正しいのだから。



完。


ちなみに反論は可能。

(今回はあまりにぶっ飛んだことを書きすぎたので)
(自分でフォローしておくたくなるレベル)


例えば
こういうのはまさに「元」戦争孤児・少年兵でありながら、
なお且つ「人を殺す快楽」「生の充足」を感じていたことを認めた上で、
その上で、戦争孤児を否定することが出来る人間
が現れればいいわけです。
(ただ単に「自分は戦争経験あるけど今PTSDで苦しんでいるぞ!戦争は駄目だ!」みたいな意見ではここに書いたことへの反論にはならない)
(シェルショック、ガルフ・ウォー・シンドローム、とかとかとか)


つまりまぁ、「雷電」ですね。

MGR 雷電

雷電くらいの人生送ってる人なら、自分がここに書いたことは一蹴していいです。


何故なら、雷電は自分みたいな奴を蹴り飛ばしても、「人生の主人公」やっていけるだろうから。


ごめん嘘。
やっぱ目の前に雷電が現れても、自分は負けた気にならない気がする。


ここに書いたことに反論するためには、やはり待たなければならない。
「シンギュラリティ」を。



もしも未来において、
記憶をリアルタイムに書き換えることができる上で、
完全にリアルな戦争をVRで体験できるようになったとしよう。
そのときに初めて、この問題が解決するのです。


つまり、実際に人間を殺さなくても
究極的にリアルで恐ろしくて、自分の人生に関わる闘争だと完全に信じられて (記憶を書き換えるってのはそういうこと)
その上でそのような戦争体験が出来るのなら、
もう現実で戦争を起こす必要はないからです。


これは、「VR技術の完成」「交換論」「食肉論者」を完全に論破してしまうのと同じ構図です。


いくら「動物の幸不幸なんか分からん」
「産まれて来なくなった分の家畜の幸福量はどうなる」

みたいなことを言ったところで、
VRが肉を食う体験を、現実に動物を殺して食べる肉と全く区別が付かないレベルで再現できるようになるのなら、
わざわざもう、現実でもう家畜を育てて殺す必要性はなくなるからです。



そこに食い下がる理由が全く無くなる。


なぜVRが全てを解決してしまうのか?
その理由は、上位存在が人間の人生にダイブしている行動と
この将来のVR技術が酷似しているからです。


人間が上位存在と区別がつかなくなる。

そのとき、個人がついに、人生という文脈から完全に開放されるのです。


というワケで自分で自分を論破。
後始末おわり。


逆に言えば、VR技術がまだ未成熟な間は
人間は肉を食べていいし、戦争ゲームをやってもいいということです。


MGSVTPP、備えよう。

関連記事
[ 2015/08/28 19:21 ] 駄文 | TB(0) | CM(9)
ジョージ・オーウェルの1984年を読みましょう
[ 2015/08/30 02:34 ] [ 編集 ]
読んだことはないですが
村上龍の「共生中」という小説を思い出しました
[ 2015/09/06 22:13 ] [ 編集 ]
>先進国に産まれた人間の行き着くはてが「娯楽としての戦争ゲーム」と「不満」と「退屈」と「自殺」であるということを知ったら、

9割以上の人間が当てはまらないだろ!いい加減にしろ!
[ 2015/09/20 14:45 ] [ 編集 ]
>>龍さん。

そうやって戦士の美しさに関心出来るのは、日本が弱者でも余裕を持って生きていられて平和な社会を築けてているからじゃないでしょうか?

生物学的強者である容姿、逞しさ、知性の三つが揃った人だけが生き、他の人間が淘汰される世界はあまりに残酷です。
全ての人は老います。その過程で必ず弱者になります。その中で自分自身が淘汰されることを覚悟できるのか。また、親や友人が弱者となった時、それを見捨てられるのか。
普通の人間はそれを拒否したいはずです。

逆に「弱者が淘汰される世界こそが真の世界である。」と言って一切の弱者を救わないことの方が変です。
人類は別に真の世界を実現するために生きているわけではありません。
弱者であろうと人がただ死ぬのを黙ってみているだけなのは辛い。そういう感情の方が強いからこそ、このような社会が作られたのではないでしょうか。
弱者をいたぶる快感よりも、弱者を救う快感に酔う方があらゆる点で合理的でしょう。

だからこそ知性のある者が知性の無い者を導くことが社会的強者の務めです。

闘争に芸術を感じるなら、アフリカの紛争地帯で終わりなき闘争を繰り広げる人たちをじっと見ていればいい。

[ 2015/09/24 01:12 ] [ 編集 ]
間違ったことは全く書いていないものの、その肯定の動機が「悲劇性」という意味を求める非常に受身で消費的な感情に基づいている時点で、「何も現状に対し一石を投じる効果がない」と言えるでしょう。

平和な世界では程度の差はあれ、人は切実な動機というものを持てなくなる。しかし、誰もが程度の差はあれ、「自分は意味のある存在なんだ」と信じたがる。
その欲求に対し誠実に反省し真っ当な形で表現する術を知らない人間が、上の「龍」とかいう人物のように「何となくカッコイイから」というだけの理由で逆説的になってみたり、あるいは国会前のデモに出て「死ね」とか「病院行け」とかの文にならない羅列を叫んでみたり、ヘイトスピーチをしてみたりあるいはそれに反対したり、あるいはステマ☆マギカのファンになって「エヴァを超えた」と言い回って憚らなかったりあるいはその稚拙な脚本の執筆完了後に自己陶酔に塗れた文章を発表してみたり、あるいは褒められることを最大の目的にして駄サイクルを形成したりするのです。

彼らには何の経験、体験に裏打ちされた切実さも率直さもない。故に、極限的な状況に実際に直面すればすぐに態度と発言内容を変えるでしょう。
そして、所詮ポーズであるこういう人種の「質の低い逆説又は言説」はヒューマニスティックな「常識」より強度が低いので、どんどん常識と常識による抑圧の枠組が強化され率直にものを言うことができなくなっていく。
一切奇を衒ってもふざけてもいない率直な感覚から提示される(ニーチェ的とも言える)言説と、格好つけてそれっぽいポーズをとっているのみの(反ニーチェ的な)言説とを敏感に嗅ぎ分け、あるいは調べ上げた上で区別する能力こそが現代に必要なリテラシーでしょう。しかしニートさんは外山恒一を単なる「ネタ」と誤解していましたね。

で、この記事はそのような反ニーチェ的な観念、認識というのがどのように生成されるのかを反省しメタ的に語って解説しているに過ぎず、その反ニーチェ的観念を超克できていない。その限りにおいてヒューマニズムにも反ニーチェにすらも対抗できない訳です。

以前「人間は選挙に行かなくていい論」へのコメントにおいて千坂恭二氏の言葉を引用して述べたものの汲み取って頂けなかったようですが、選挙が恐れるのは選挙の外の政治である。あなたがあのような文を発表すること自体真っ当に政治的な行為であり、そして政治とはルールの枠内でやるものではない。
だからあなたは「ニートとしてあるしかないような現状のきつさ、しんどさ」を主たる問題とした上でニートのままで率直に政治的行動に身を投じればいいのです。戦争の肯定について俯瞰的に語ろうとする前に。そうして初めて、ニーチェ的言説と紛らわしい反ニーチェ的言説を超えられるでしょう。

その上で切実に、状況打破のために戦争を起こそう、と思うのであれば私はそう思うあなたを全面的に肯定しますし、協力しようとも思います。
しかし現在のようにオタク的な消費者根性で発言されている限りは支持できません。
[ 2015/09/25 20:26 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 前想 さん



> 間違ったことは全く書いていないものの、その肯定の動機が「悲劇性」という意味を求める非常に受身で消費的な感情に基づいている時点で、「何も現状に対し一石を投じる効果がない」と言えるでしょう。


えっ間違ったこと書いてないのですか!
それはなんか嬉しいですね。 大丈夫でしょうか。

ていうかこんな文章で現状を変えられるなんて思ってないですよ!



> その上で切実に、状況打破のために戦争を起こそう、と思うのであれば私はそう思うあなたを全面的に肯定しますし、協力しようとも思います。
> しかし現在のようにオタク的な消費者根性で発言されている限りは支持できません。



なんか自分のことを戦争をマジニ起こそうと思っている革命家かなにかかと期待しておられるのか知れませんが、


この文章は
「あらゆる戦争を肯定することが出来るような価値観だって、思いつくことができる」
くらいの意味しかないですよ。


別に自分は現状を変えられるとは思ってないし、ビッグ・ボスとか
その他MGSのラスボス達のように戦争を起こせる世界を作ろうとか思ってるわけじゃないです。


メタルギアを前にラスボス的思考をやってみようみたいなモンです。



だからまぁ
「オタク的な消費者根性」なのでしょうね。
ていうかそのへんは記事にも書いてあるのか。



>協力しようとも思います。


これがどんな協力になるのかだけは凄く気になりますね。
本当に自分に何かしてくれる人が現れるなんてことがあるのでしょうか?

[ 2015/10/01 15:28 ] [ 編集 ]
いえいえ。貴方が革命家でも何でもないのも、この文が「メタルギアを前にラスボス的思考をやってみよう」という趣旨の思考実験文なのも勿論承知しています。
が、この文その他が結果的に上でコメントしている龍崎なんたらのような「勘違い系の愚鈍」を増長させるのに一役買っているのを見て、
これは一言言っておかねばなるまいなと感じた次第です。

あと、もう少し中間部分に書いた内容も読んで汲み取って欲しいです。

一応私の素性を部分的に明かせば、私はこういう「紛らわしい偽者」を始めとする様々なクズを気兼ねなく死刑に処せるような社会にすべく数年後を目途に別名で公然と活動を始める予定の者です。

貴方のことはエヴァの3DCGで知ってから度々拝見させて頂いていまして、「選挙に行かなくていい論」などは
「ノンポリ且つちゃんとした学識を持っていないにしてはいい線行っているな……」などと感じたものです。
まあ自殺論なんかは一般論だしこれじゃヒューマニズムと生存圧力に対抗することはできまいな、と感じましたが。自殺を肯定させようと思うなら人が人で在り続け社会の営みを維持しようとすること自体を否定し批判的に説得しないと。まあ私は自殺肯定派じゃないですが。

で、協力するとしたらまず、実際にどこかでお会いできるようにスケジュールを調整した上で互いの意見を擦り合わせることから始めることになるでしょうね。私はニートじゃないので抱える問題は結構異なるでしょうが。

最近暇なのと久し振りに癇に障ったのとで、この龍崎なんとかいうのを調べ上げてどこがどのように劣っているのか事細かに指摘した文も長ったらしく書いてみましたが、ここでコメントするには長すぎるかと思うので削っておきます。
ご所望とあらば、今度返信を確認できた時に何らかの形でお見せすることもできますが、また忙しくなりますのでのちのち。

また「シン・エヴァ」、「シン・ゴジラ」の公開前後頃に来させて頂きます。

ていうか本当に、ニートとしての政治活動すればいいのに。
[ 2015/10/01 22:27 ] [ 編集 ]
追伸 私が協力するかどうかに関係なく。
[ 2015/10/01 22:37 ] [ 編集 ]
コメ返信
> 前想 さん



> 「勘違い系の愚鈍」を増長させるのに一役買っているのを見て、
> これは一言言っておかねばなるまいなと感じた次第です。


ああ、こういうのは分かります。


サウスパークとかでもなんか勘違いする人でますからね。

サウスパークは、最近は「ポリティカル・コレクトネス」を皮肉ってたりするのですが、
じゃあ逆にヘイトスピーチや人種差別をしていいかというと、そんな訳はないのですよね。

いくらカートマンに敵対する奴がうざくて皮肉られていたとしても、そうはならない。

サウスパークはなんというか
胡散臭い偽善者、キレイゴトだけ言ってる良識派、逆差別してる人権派、
そういう奴らに「一発食らわせてやる!」みたいなのであって、
別にカートマンみたいな「最初から悪」の奴を肯定してるって訳ではない。



確かに自分の記事にも、思いっきり人種差別とかしてる人に賛同されちゃっています。
自分はそういうこと書いてないのに。




> 一応私の素性を部分的に明かせば、私はこういう「紛らわしい偽者」を始めとする様々なクズを気兼ねなく死刑に処せるような社会にすべく数年後を目途に別名で公然と活動を始める予定の者です。


なんか凄まじいですねw

どういう活動なのでしょうか 政治活動?
物凄い反発されそうです。
でも分からんですよね。トランプ氏みたいになったら面白いですね。

ちなみに自分は
自殺は肯定派なんですけど、死刑に関してはそんな肯定的ではないですよ。
これに関しても記事一個書けるような気がしますが



あとはまぁコメント欄であんま喧嘩とかはしてほしくないですね。

それと自分がリアルでブログで知り合った人と会うなんてことは無いでしょう。

そして政治活動することは絶対にないと思いますw
[ 2015/10/12 09:40 ] [ 編集 ]
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