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ニートが頑張るブログ TOP  >  駄文 >  リンゴの喩え、アイスの喩え

リンゴの喩え、アイスの喩え

 
嫌われるための文章。 脳みそから直接ひり出しただけみたいな文章。


前回の記事では「無双シリーズ」を妙に馬鹿にしてしまったわけですが、
まぁそういう行為にもちょっと関連してくること。


自分は、自分の好きなゲームが叩かれてたら 割りと食って掛かるし、反論する。
そのくせ、軽視してるゲームに対しては 割りと容赦なくボロクソ言ったりする。

この2つの行為は
「人によって好き嫌いがあるだけでしょ?」みたいな観点からすると「矛盾」「我儘」しているように思えるだろうけど、
そこんとこどうなっておるのか? みたいな話です。


その結論に至るためのきっかけのような話もする。

ずーっと前から考えてたけど ずっと放置してた案件。


有名な二つの風刺画みたいなのがあります。 (漫画なんだが)
これについて思ったこと。

リンゴの喩え   アイスの喩え

この二つの漫画、 これから何度も引用することになると思うので
略して
「リンゴの喩え」
「アイスの喩え」 と 呼ぶようにします。



まぁ一言でいえば この漫画は
ある作品に対するアンチさん に対して

「自分が嫌いだからって その作品が好きな人もいるんだから 作品自体なくなることまで求める必要ないじゃん」
「わざわざ好きな人のところに言って嫌いだっていう必要ないじゃん」
「嫌いなら見なけりゃいいじゃん」


みたいなことが言いたいワケですね。多分。 (見りゃあわかる)
つまり、 アンチ活動なんかしてねーで 黙ってお前が消えろ そんなことが言いたいのでしょう。

でも、 なにかが モヤモヤしませんか? 自分はずーっとしてました。

別に、この漫画見ても モヤモヤしない人は それでいいんだ。  今回するのは、その話。



 

まずは 「リンゴの喩え」 から崩していく。


リンゴの喩えが言いたいことは、
「好きな人もいるんだから 自分が嫌いだからって その嗜好品の消滅を望む理由はない」
「その嗜好品が好きな人が消滅することを望む理由もない」

そういうことだろう。


これはまぁ、いろんなところでも言われている正論だろう。

「ゲームの中の一要素」 についてでも、同じようなことが言われる場合がある。
ゲームについて思うこと


「あの作品の中のこの新要素、別にいらねーよな」
そう思ったとしても、 自分は一旦踏みとどまるようにしている。
それには、こういう考え方があるからだ。


「好きな人もいるんだから 自分が嫌いだからって その嗜好品の消滅を望む理由はない」・・・

だがそれだけではないはずだ。
この考え方が通用しないケースがある。

例えばそれは
タバコを 排斥したり 喫煙者全体を叩くときの論調である。


「喫煙者は煙草をポイ捨てする」

「そういうマナーの悪いDQN野郎が喫煙者なんだよな」

「受動喫煙でがんになる」 「受動喫煙でこれだけの人が毎年死んでいる!」



だからもう喫煙者なんて消滅しちゃえばいいし、 煙草の値段なんて天井知らずに上げればいい!!
もうタバコなんて売るのヤメればいい!




こういうことを言われた時の喫煙者の反論は、こうであろう

「いや別に俺はポイ捨てなんかしないし・・・」

「そりゃ、まだまだ煙草のポイ捨てする奴はいるかもしれんけど・・・一緒くたにしないでほしいし・・・」

「俺は人のいるところでは吸わないようにしてるし・・・」

「こんだけ値上がりしてる煙草を吸ってる俺は、税金いっぱい納めてるってことだし・・・」



だがだが、 こんな反論は 嫌煙者には全く通じなかったりする。

返す刀で、
「仮に ポイ捨てする奴が喫煙者の中の一部だったとしても、
 現にポイ捨てする奴が喫煙者なのは事実である」

「実際にウチの周りが吸い殻で汚された! それが全てである」

「実際に受動喫煙でウチの人は亡くなった! それが全てである」

「一部のマナーの悪い喫煙者のせいで喫煙者全体のイメージが悪くなるというのであれば、
 お前ら自身の自浄作用でなんとかしやがれ」

「それができないのであれば、『喫煙者には煙草のポイ捨てをするクズがいる』 その印象が全てだ!

「それが正せないのであれば お前らはその『喫煙者=クズ』のレッテルを甘んじて受けやがれ! この排ガス野郎!!」



・・・といった具合である。 ここまでくると、もう喫煙者は 泣き寝入るしかないだろう。 それくらいの強い言葉だ。

カウンターのカウンター。

こういう理屈は最近 結構いろんなところで見られる。


例えば
「鉄道ファン」の中には行き過ぎた人がいて、 桜の木を切っただとか 子供を泣かせただとか
そういうことでよくニュースになったりする。


そういうとき。
鉄道ファン「全体」を 叩くときも、こういう理屈が言われるようになった。


つまり、その行き過ぎた一部のファンを野放しにして 鉄道ファン全体の印象が悪くなるのであれば
その悪評自体を鉄道ファンは 甘んじて受けるべきである。と。

それが嫌なら、お前ら自身の自浄作用でなんとかしやがれ! という論調である。


これを言われてしまったら、 鉄道ファンは ぐぬぬ・・・であろう。

現に自分は何度も、こんな調子でやりこめられてしまったスレの流れを見たことがある。


(ちなみに自分自身は鉄道に興味はないし タバコも吸ったことがない)
(傍観者としてスレの流れを見ているだけである)
(ただ、鉄道オタク側や喫煙者側が勝っているところを、一度も見たことがない)


まぁそんな感じの理屈をあてはめれば 一部のファンが悪質であれば
そのファンが好きな作品を叩くことには正当性があるような気がしてくる。


少なくとも、実際そのように考えて作品叩きをしている人はいるはずだ。


そしてそのような人にむかって この「リンゴの喩え」を持ち出しても、何の効力もないだろう。
(別に自分はそうやって 作品叩きをする人の肩を持ちたい ワケではないが・・・)


でもとにかく 自分がこの絵をみてひたすら思うことは
「こんなリンゴの喩えじゃ、アンチの行動原理を止められんよなぁ~」 ってことなのだ。 

アンチは そこまで馬鹿じゃないよなと、 そんなことを思ってしまうのだ。
(分かるかねこの気分)


リンゴ崩し。
他にもパターンがある。

業界全体の利益だとか 企業イメージだとか そういうことを考えたうえで、一部の作品を排斥する流れ。
そういうのだって あるはずだ。

(ていうか
 そういうことについて考えたとき、 これに関しては自分の中にも思いっきりそのような感情があることに気づく


例えば 今だと「コナミ」がこれだ。


コナミは スポーツジム ソシャゲ パチンコ カードゲーム そんなことばっかりに手を出して、
全然コンシューマーのゲームを作らなくなってしまった。


あれだけ素晴らしいゲームであったはずの
「サイレントヒル」なんか、まったく続編作らなくなって、
そして小島監督のPTだって潰しておいて、小島監督を飼い殺しておいて、追い出しておいて、
そのくせ今度は、 「サイレントヒルのパチンコ」だとかを売ろうとしている。


こんなのは、ファンは怒って当然だろう。


で、仮定する。
そんなサイレントヒルのパチンコだが、 もしリリースされたら、 パチンコ版の「ファン」も一応生まれてしまうだろう。


そのファンを目の前にして、 自分は 「パチンコ滅びろ!」「パチンコやる奴も消滅しろ!」なんてこと、言えるだろうか?
心情としては言いたい。

パチンコなんて全く売れないということがわかれば、
コナミの上層部も考えを変えてくれるかもしれないからだ。


で、
そのような考えから発せられるこの「パチンコ滅びろ!」
「リンゴの喩え」なんかじゃまったく斬れないということも分かっている。


(パチンコ・パチンコマネー・パチンコによって産まれたファン層 ということについて考えだすと面倒だなぁ)
(特に自分の場合は「エヴァ」があるからなぁ
 「パチンコマネーのおかげで新劇ができたんだ!パチンコ叩くな!むしろ感謝しろ!」と言われたら、アンニュイな気分になる)


まぁこういうことである。

「会社の方針」だとか「業界全体の流れのあり方」だとか、そういう理念・理想論から出てくる感情を使えば
割と「ある作品傾向そのものの絶滅」「ファンそのものの絶滅」 を望むということは、起きてくるのである。



言ってしまえば、自分は「モンハン」が嫌いである。 しょーもないと思っている。


それも、自分のモンハンの嫌い方というのは

単に 「プロデューサーがなんでハンターが動物をいじめてるのか、未だにその理由すら考えてないことが明らかになる」とかの
プレイスタイル・世界観・やってることのガキっぽさ・信念のない動物虐待 だけが理由ではない。


モンハンやるくらいならソウルシリーズやったほうが何億倍も面白いだとか、
モンハンやるくらいならドグマやる、
モンハンやるくらいなら「ホライゾン」に期待したほうがマシだとか、
・・・

単にそういう「比較」からの理由でもない。


「カプコン全体の衰退」が モンハンのせいだと思っているところがあるのだ。

こういうのはいろいろ調べればわかるので詳しくはイチイチ言わないが、

モンハンを当てて成りあがった人たちが、調子に乗って開発部門を縮小させたりした結果、
ロックマンは死に、
ブレスオブファイアは死に、
ドグマは死に、
あれは死に、これは死に・・・
多くのデザイナーが退職し・・・

結局カプコンは モンハンと バイオ(のリマスター・リメイク) ばっか売るゲーム会社() になってしまったワケだ。
あとワイン。

(まぁ正確には辻本一族が悪いとかそういうことなんだが)



「モンハンが下手に当たりすぎたせいで、 カプコンの中の多様性・創造性がどれだけ失われたか・・・」

「モンハンをありがたがってる奴はそのこと分ってるのか???」

「モンハンさえ最初からなければ・・・」

「モンハン廃れろ!!」


バックグラウンドを理解すれば、
モンハン自体を憎んだり、 モンハンをありがたがっているファンを逆恨みする感情が芽生えるのも
ごく当然の流れなんじゃないかと、自分なんかは思ってたりはする。

(もちろん、そういうことをファンの目の前で大げさに言ったりはしないが)


同じようなことが、いろんなジャンル いろんなメディアでも 言えるだろう。


ある作品が大ヒットしたあと、「似たような後追いの作品」がアホみたいに生まれて、
結果そのジャンル全体の創造性・新規性がボロクソになるパターン。


おんなじようなラノベアニメばっか増えたなぁ しょうもな・・・

おんなじようなVRMMOモノばっか増えたなぁ しょうもな・・・

おんなじような異世界転生モノばっか増えたなぁ しょうもな・・・

おんなじようなお色気アニメばっか増えたなぁ しょうもな・・・

おんなじようなリアクション系メシテロ漫画ばっか増えたなぁ しょうもな・・・ (今これほんとひどい)


こんなのをのさばらせてたら業界滅びるぞ? という感じである。


これらのしょうもなさ具合というのは
よくある「嫌なら見るな」論
個別の作品を無視すれば済むだけの問題ではないように思えてくる。


だから、 強力なアンチが発生する。


ファンそのもの、ジャンルそのものの「絶滅」を希望する、恐ろしいアンチが生まれる。


そうやって発生したアンチは こんな「リンゴの喩え」 なんかじゃ絶対に倒せないと思うのだが。
どうするつもりなのだろうか?


まさに
リンゴ農家も、リンゴをありがたがってる奴も「本当にクズ」なのだと
本気でそう思えるほどの大義名分があるのだから、止められるハズがない!!



ということです。 自分が「リンゴの喩え」を読んで 感じたモヤモヤ は、 だいたいこんな感じ。 (メンドクせ~~~)


で、次は 「アイスの喩え」である。


「アイスの喩え」「リンゴの喩え」と違うのは
「別作品」を提示している点ですね。 ここが興味深いと思うのですよ。


例えばどんな状況だろうかこれ。

これ、代案Bをオデンで例えてるところも嫌なんだよなぁ。 実際はそうじゃないだろ。
ガリガリ君を食べてるところに現れて、 ハーゲンダッツのほうがうまいぞって言ってくる感じだろうか?)



まぁいずれにせよ 代案、 より優れた(と本人が思っているモノ)を提示できている時点で、
かなりマシな人だと思うのだがどうなのだろうか?


でもここで自分として一番気になるのは
このアイスを食べている二人組が、 「提示されたBのオデンを知っているのか?」という点だったりします。


もしも 知らずに 「ま、まぁ、おいしいねー」 をしているとしたら、 自分はむしろその二人の方が「大丈夫か?」と思ってしまいます。


提示されたモノBを知ってて
それでもなお「こっちのほうがいい」と思って「おいしいねー」 してるのなら何の問題もないのですが。

つまり、「ハーゲンダッツよりもガリガリ君は安い」
「だから味による幸福度を値段で割ればハーゲンダッツよりガリガリ君のほうがコスパで優れてるのだ!」

・・・みたいなことをちゃんと言い返せるのならば、それでいいのだ。
(それはそれでオリバみたいで嫌だが )


そもそも食べ物でこれやるのに限界があるような気がするが、そういう例がないわけでもない。


で、そこで思い当たったのがこれだ。


初期「美味しんぼ」のこれだ
アンキモのうまさを知らずに フォアグラを喜んでいる美食通を 、山岡史郎がやり込める話。

(初期の「美味しんぼ」はそういう漫画だったわけだよ)
(バブルで調子こいてる にわか美食通、成金グルメ野郎、そういう奴らを 庶民視点から叩き潰す )
(そういう気概のある漫画だったワケだ)


自分はこういうのが結構好きだったりすることを思い出した。

ていうか自分自身、 美味しんぼの
「ウインドウズ95」なんて大騒ぎしたけど、5年前のマッキントッシュにも追いついてないよ!」
「おまけに、ほら、その画面のダサくてみっともないこと、まともな美的感覚があったら使えたもんじゃない!」

ってセリフが結構好きで、 よくコピペ改変で使うことさえあるくらいなのだ。



つまりこれは、
Aより優れた Bがあるのに、 Bを知らずにAを誉めている人がいたら、
その人にBを教えずにはいられない、 人間にはそんな感情があるということ。



そうやって考えれば、 あの アイスの喩えは
「ファンが楽しんでいるところにのさばってくるウザい奴」ってだけでは済まない気がするのだが、どうだろうか。


つまり 彼は、本当は、親切心で言いに来ている可能性がある。

それを、変人扱いしてスルーして、 終わりにして、本当にそれでいいのだろうか?

本当に 彼の提示する「アイスよりも おいしい食べ物オデン」を知らないのであれば、
いっぺんくらい味わってみてもいいのではないか?  自分はそんな風に思ってしまう。


例えばなんだろうなぁ。

食べ物で例えるのはやめて、 実際にありえそうな作品の例を考えていこう。
そうやってオデンBを具体化させていくと、 考えれば考えるほど ありえることだと思うのだ。



もしも「ラーゼフォン」だけ見て「エヴァ」知らない人がいたら、 その人にはエヴァを教えたくなってしまうだろう?

もしも「ゼノギアス」だけやってて「エヴァ」知らない人がいたら、 その人にはエヴァを教えたくなってしまうだろう?



で、せっかく教えたその人が
「エヴァなんて知らねーよ! うぜーな老害が!」って言って来たらどうだろうか?

なんか、
その人には「向上心のなさ」を感じないだろうか?


自分が好きな作品の ルーツになったようなモノ 上位互換のようなモノ、
それが好きなら、もっと燃えられそうなモノ
そういう物を提示されているのに、 ただつっぱねられて、 仲間内で「おいしいねー」「ねー」 しているわけだ。
そういうことになる。


まぁそれ以前に「私これ嫌い!」をやったのが悪いのだろうが、でもそういう人っていそうじゃん。 仕方ない。

「私ラーゼフォン嫌い! あんなのただのエヴァのパクリじゃん!」
こういう人は絶対にいたと思うし、 今現在も、何らかの作品を比較してこういうこと言う人は現れ続けるだろう。

でもその人は一応、エヴァもラーゼフォンも両方は知った上でそれを言ってきてるわけじゃん。

そこんところを、エヴァを知らない人が エヴァをオデンB扱いして、結局無視して、オデンを食べすらしないとしたら、

その人は本当に「アイスの相対的美味しさ」をわかってると言えるのだろうか???


本当に好きなら、 エヴァも見たうえで「私その上でラーゼフォン好き!」って言えばいいんじゃないのかと、自分はそう思う。


つまりまぁ、そういうことが言いたい。
自分が この「アイスの喩え」 を見て感じるのは、いっつもそんなことなのです。


提示された側が、 オデンBについて一瞥だにしない感じ。 そっちが気になってしまう。



もちろん この漫画を描いた側の人の心境としては、
「好きなモノいきなりディスられて困惑した」
「この人はなんで人の好きな作品をこんなに憎んでるの?」

という困惑がただただあって、 それを絵にしたのが この「アイスの喩え」なのだろう。 多分。

(数コマに落とし込んだ漫画を捕まえて、ギャーギャー数千字の文字で反論?してるのはどうなのよと、
 自分でもそこは疑問に思うが)
(今更、もう、止められないのだ・・・)





でもやっぱり、
自分だったら、 好きな作品を ディスられたら 割と「受けて立つ」し、
(前に「キングダムハーツの何が面白いのか全くわからん」みたいなことをコメントで言われた時に)
(その人が納得するまで説明しきったことがある、気がする)


そして、 好きな作品よりも 上位だという 作品まで提示されたら、 割と本気にします。

その作品を 知らなかったら、 勉強すると思うし、
勉強したうえで、 それでも 元の好きな作品のほうが 好きだと思ったなら、
そのときはじめて攻撃者のことをぼろくそにカウンターで倒すだろうし、

もしも 本当に、 その提示してきた作品が、 自分の好きな作品よりも あらゆる点で優れていると納得したなら、
(まぁその人は距離感を間違えてる人だとは思うが)

割とその人の 提示に 感謝すると思うのです。

・・・
つまり これは「啓蒙」に対する反応ですよね。


啓蒙を無視するか 否か という話になってくる。


もっと言い出すとなんだろうか。


自分はこういう 画像を 見ると、なぜか 「やり込められてる側」に感情移入してしまうらしい。


それはなんでかはよくわからん。

別に自分はどっかのファンのスレでネガキャン活動をしたことがあるワケじゃなし、
どっちかというと、 本来、 そういう人をうっとおしいと思う側の人間なワケだが・・・。

「何か主義主張や嗜好の違いがあっても、人のホームグラウンドで暴れるなよ」という大前提がある)
(それは前に、 フジマロさんの ダクソ2や ブラボの動画で ゲームの悪口言ってる連中にブチ切れてたりするところからしても)
(あと、ブログやってりゃそういうコメもつくわけで・・・)


でも多分、こういう漫画の「藁人形論法」っぽいところが気に食わないのだろう。

「アンチはリンゴ農家滅びろ」って言ってるのと同じだぞ! みたいな感じ。
「アンチはアイス食ってるところにオデン持ってくるようなバカと同じだぞ!」 みたいな感じ。

アンチは馬鹿だと決めてかかっている感じ。

そういうのを見ちゃうと、自分は「不公平さ」を感じてしまうらしい。 フェアじゃない。

そして、アンチの弁護に立とうとしてしまうらしい。

「いや、アンチさんはそんな単純な行動原理では動いてないはずだ!」「きっともっと深い理由があるに違いない!」
そんなことを考えたくなってしまうらしい。


まぁとにかく自分の場合の話だ。

自分なら、こういう 「私これ嫌い!」 を言ってくる人に遭遇したら、多分 全力で相手するということである。


こんな風に「よくわからんけど、お、おいしいねー」で済ませたりしない。


そこがこの画像をみたときの モヤモヤかもしれないし、
こうやって 啓蒙してくる人を 単なるバカ扱いして終わらせてるところも なんか嫌なのかもしれない。



だから、 全力で 「私これ嫌い!」をしてくる 側の人の行動意義について考えてしまう。
すると、いろいろ見えてくるし、どう立ち向かうべきかがわかってくる。

とにかく、スルーじゃ絶対止まらないと思う。

その提示された作品を見たうえで、 カウンター入れるかor認めるか、 それしかないと考えてしまうのだ。

(まぁこれは 「荒らしはスルーしろ」 「荒らしをスルーできないのも荒らし」という風潮からすれば 間違っているのだろうが)


大体そんな感じかなぁ。 長いなぁ。 でも言いたいことの7割くらいしか伝えられてない気がするなぁ。


あともっというと、
これらの 「リンゴの喩え」 「アイスの喩え」に感じるのは
「喩え話の限界」ですね。


これらの風刺画では 嗜好品を食べ物に「たとえている」わけですが
それがうまく繋がる場合もあるだろうけど、
かならずしも うまく関連してない場合もあるはずです。


そこんところを
「食べ物で例えてるんだから 食べ物の場合でこうなるのと同様に、 趣味の領域でこう立ちまわるのはおかしい」
と導出しだすと、そこでもうおかしなことになる場合があるわけですよ。


アイスを食べてる人にオデンを差し出して
「こっちのほうがうまいよ」
「こっちの味を知らないのは馬鹿だよ」

みたいなこと言ってくる奴がいたら変だろうけど、


一方、
「ファイナルファンタジータクティクス」を面白がってる人の前に 「タクティクスオウガ」を差し出して
「こっちをやっとけよ」
「むしろこっちのほうが今やっても面白いだろが!」
「こっちのほうが松野節が効いてるだろが、このにわか共が!」

って言ってくる人が出てくることは、 納得できます。


ていうか昔の自分がまさに タクティクスオウガを知らずにFFTを面白いと思ってる畑の人間だったワケで・・・。

進め!! 聖学電脳研究部
そこんところに、↑こういうヒラコーみたいな人が現れていたら、
自分は普通にそのヒラコーの指示にしたがって、タクティクスオウガをすぐにやったはずだと思うのです。


(もちろん、 今考えるなら、 更に一周して)
(FFTのスタッフはクエストからスクエアが引き抜きまくったスタッフな訳だから)
「FFTはTOのパクリ!劣化品!」みたいな言い草はちょっとおかしい、というのもわかる)

(でも更に その上で)

(ずーっと オウガバトルサーガの続編を期待している人からすれば)
(FFTのあと一切進展がなくなってしまったわけだから)
(ずーっとオウガバトルのファンをやってた人がFFTという存在自体を憎むようになる気持ちもまた理解できる)
 (Ogre Battle Saga Episode 7 ? 続きは?)


まぁとにかく、
食べ物の世界とは違って
作品の趣味趣向の場合は、
ある作品よりも より優れた作品、 より濃厚な作品、 むしろ原点といえる作品・・・ というのが普通にありえる訳です。



・・・
というわけで なんだろう。

何がいいたかったんだろう。

まとめるか? まとめる必要もない気がするが。



・ある作品とある作品を「比較」してきたり、
 他作品を提示してくる人の意見は、 割りと聞きたい (オデン野郎扱いしない)


・自分の好きな作品を 「比較」を根拠に貶してくる奴が現れたら、スルーとかせずに、全力でお相手する。

 (全力で、なぜ「相手の好むオデンが 自分の好むアイスよりも劣っているか」を説明し、カウンターを決める)
 (それでもなお、アイスよりもオデンが優れているということがわかった場合は、オデンの価値を認めるしかない)


・つまり「スルー」ではなく、「叩きのめすか」 「認めるか」 の二択


・あるジャンルを根こそぎ滅ぼすような作品傾向に関しては、引き続き、厳しく当たっていく
 (そんな奴を「リンゴ農家さん」だとは自分は思わん!)
 (その作品のファンに対しても「内心軽蔑する」という姿勢は変わらない)




・・・自分はこんな感じのスタンスだなぁということを再確認したという
それだけの話しでしたとさ。


いつか 喩え話じゃなしに、「食べ物の好み」の話をしたいと思ったりもする。 (思ってるだけ)

「なぜ人間はキュウリの絶滅を望んでもいいのか?」みたいな話。


関連記事
[ 2016/06/19 13:36 ] 駄文 | TB(0) | CM(13)
なんか色々書こうとしてたんだけど、途中で面倒になってしまった……。

変に高圧的に出ずに、
「それが好きなら、~だからこっちもやってみるといいよー」
くらいのニュアンスで言えれば良いんですけどね。

感情が混じると中々そうもいかないのがなんとも。
大体こういう衝突は、議論にすらなってない事が多いです。
[ 2016/06/19 17:06 ] [ 編集 ]
思うに「リンゴの喩え」がズレているところがあるとしたら
表現者やクリエイターはリンゴ農家ではないし、作品はリンゴではないし、
そこで賭けられているものは単なる好き嫌いではない、ってことでしょうね
(リンゴやリンゴ農家を見下すわけではありませんが)

力のあるクリエイターの生み出す作品は本当に人を感動させたり、勇気付けたり、
その人の人生を変えてしまうような影響を与えることができるわけで、
反面本当に人を不快にしたり、落ち込ませたり、その人の価値観を傷つけたりもできる
一枚の写真が人々を動かして政治を変えたりもするし、
一枚の絵が宗教的信条に深刻なダメージを与えて、それがテロに繋がったりもしうる

なので、力のある作品については、本当に「好き嫌い」のレベルでは済まないんだと思います
もっと抜き差しならないもので、もっと人々は夢中になるし、批評するし、考察するし、言葉で殴りあうこともある
そして、それは別に頭おかしい人とか空気読めない人という言葉で片付けるべきものではないと思います
(もっとも、料理が全部好き嫌いのレベルに収まるかというと、そうではないかもしれませんが…)
(たとえばフォアグラ食とか、単に好き嫌いでおさまらず「○○好きなやつも生産者もクズ」って言う人がいてもおかしくない)

「リンゴの喩え」の作者さんには、「あなたは自分が作っているものが好き嫌いだけで済まされて満足ですか?」と聞いてみたい気もします
(もっとも「リンゴの喩え」は、「違いがある」と言ってるだけで、「だから作品批判するヤツはおかしい」とまでは言ってないので、的外れかもしれませんが・・)

[ 2016/06/20 01:24 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無し さん

> 「それが好きなら、~だからこっちもやってみるといいよー」
> くらいのニュアンスで言えれば良いんですけどね。

まぁそうですよね。
人は高圧的に出られると、高圧的に返したくなっちゃいますからね。

で、実際自分は案外アイスよりもオデンのほうが美味しかったりしうるものだと思っています。

だからこそこういうバッドコミュニケーションが惜しいのですよね。 誰も得しないから。
[ 2016/06/25 09:34 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無しさん

> 思うに「リンゴの喩え」がズレているところがあるとしたら
> 表現者やクリエイターはリンゴ農家ではないし、作品はリンゴではないし、


そうですね。

なーんか、作品をリンゴで喩えてる漫画が他にもあったきがしてモヤモヤします。
そういうブームというか、共通認識がどこかで出来てしまったんですかね。

クリエイターさんと農家さんのどっちが上とか言いたいわけではないですが、
リンゴと作品、
完成品の方向性は割りと相当違うと思います。


> なので、力のある作品については、本当に「好き嫌い」のレベルでは済まないんだと思います
> もっと抜き差しならないもので、もっと人々は夢中になるし、批評するし、考察するし、言葉で殴りあうこともある
> そして、それは別に頭おかしい人とか空気読めない人という言葉で片付けるべきものではないと思います


そうですね。

この辺、自分はちょっと書けてなかったんですが、

「この問題は本当は『食べ物』で例えるよりも『宗教戦争』で例えるほうが近いかも」って思ってました。

もう本当に食べ物の趣味レベルのことじゃ済まされないのですよね。
絶対に相容れなかったりしてきます。 
信仰することが絶対に許されない邪教ですからね。




> (たとえばフォアグラ食とか、単に好き嫌いでおさまらず「○○好きなやつも生産者もクズ」って言う人がいてもおかしくない)



「フォアグラは動物虐待!」って言われたらわりとどうしようもないですよね。

前に、コンビニでフォアグラが売られそうになったけどなんかクレームがついて中止した、みたいなニュースがあったような。


まぁ自分は
もしも「味覚を再現したVR」が将来来ることになったら、(まぁいつか来るだろうけど)

そのとき、フォアグラみたいな作り方の肉を食べていたことに関して
我々現代人は、そのVR世代の未来人の前で ちゃんと胸を晴れるのか??? みたいなことを考えてしまいます。

(味と触感「程度」の楽しみのために動物を苦しませてきた「過去の世代」と笑われないかと)


自分はコンビニにクレームつける側の人間ではないのですが、
食肉に関してはそういうふうに考えているので、
フォアグラみたいな製法の食べ物は廃れてしまっていいと思っているスタンスですね。



> 「リンゴの喩え」の作者さんには、「あなたは自分が作っているものが好き嫌いだけで済まされて満足ですか?」と聞いてみたい気もします


一応、知ってるかどうかしりませんが、
この「リンゴの喩え」の作者さんは 「教えてギャル子ちゃん!」って漫画の作者さんだと思いますよ多分。
(まぁだからどうするということもないですが)


あとコレも一応言っておきますが
自分はギャル子ちゃんの作者さんに何か負の感情があってこんな文章かいたわけじゃないです。

ただ、この4コマみて引っかかったってだけですね。


[ 2016/06/25 09:56 ] [ 編集 ]
カプコンが流行ったシリーズにぶら下がるのは伝統だから多少はね
http://www.capcom.co.jp/ir/news/html/140331.html
[ 2016/07/03 21:03 ] [ 編集 ]
今更過去記事にコメントするのはアレですが…。

アイスの例えで主張してる事はニートさんが仰った

>>「何か主義主張や嗜好の違いがあっても、人のホームグラウンドで暴れるなよ

これが全てだと思います。

例えば、Twitter上で仲良く知り合いと話しているのに、いきなりフォローもしてない赤の他人が「それつまんなくない?」と話に割り込んできたら腹が立ちません?
向こうが何を主張しようが、こちらとしては
「いやお前誰だよ」
「いきなり現れて失礼な奴だな」
としか思わないわけです。
恐らくこの作者も同じ経験をしたんじゃないですかね?

もしこれが2ch等の距離感が計れない環境ならまた別だと思いますが…。
[ 2017/01/02 10:27 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無し さん


> 恐らくこの作者も同じ経験をしたんじゃないですかね?
> もしこれが2ch等の距離感が計れない環境ならまた別だと思いますが…。


多分作者さんの心情としてはそうだったのでしょうね。



だからこの漫画にたいして、
(この漫画がどこで投稿されたものか分かりませんが)
(例えばそれがツイッター上で投稿された4コマ漫画だったとしたら、)

この主張は甘いですとか
この主張の考えは浅いですとか、

そういうことを突っ込んでいったら、まさにクソリプでしょうね。



だからまぁ、この話も、クソブログ上で自分が勝手にブツブツいってるだけなのですね。



その上で言うと、

アイスの例えの場合は「たたた」の度合いですね。 どのくらいの距離感から「たたた」してきて、啓蒙してるのか。
これが問題です。


リンゴの例えの場合は、「〇〇は糞 作者も糞」と言ってる人を勝手に想定して、それに対してあーだこーだ言ってるので、
難しいですね。
むしろ自分から考えにいっているので、どうせならもっともっと突っ込んでほしい思ってしまったりもします。


[ 2017/01/07 11:35 ] [ 編集 ]
過去の記事でのコメントですので、返信不要です。

リンゴ農家=クズまでは行かないのですが、実家がみかん農家なので、スーパーでみかんを見る度に似たようなこと思うことがありますね。

具体的に言うと、酸味も甘味も無いみかんを新品種で売り出して、売り手も買い手も満足する状況はクズまでは行かないですが、軽くイラっときます。

みかんの加工物は西部の甘味の強いみかんだけでなく、東部の酸味の強いみかんとのブレンドで作られる場合があり、酸味のみかんは必要です。(ただ、甘いだけでは風味が出ないため。)
甘味の強いみかんは、愛媛みかんはブランド化してるくらいおいしいですから、必要です。
じゃあ、酸味も甘味も弱いみかんはいるのか?と思うのですが、そもそも新しいもの目当てでとりあえず買っているのが目に見えているのです。(夏みかんから酸味を取ったら何が残るんだ?ということ。誰も買わないと思うのです。)

まとめると、市場原理が働いて見向きのしなくなるであろうものは、りんごの例えのように考える人が多いのでは、と思います。
[ 2017/02/04 13:30 ] [ 編集 ]
そりゃ
自分が好きで見てる作品をイキナリ「嫌い」の否定から入って来られたら不愉快極まりないですよ
そうなると、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでその人が吐き出す言葉や情報まで嫌になってくるわけで
その人自身が本当におでんが好きなのだとして、オススメだとしても、こちとら素直に「ああそうですかい」なんて聞き入れられませんわな

Aより優れた Bがあるのに、 Bを知らずにAを誉めている人がいたら、
その人にBを教えずにはいられない、 人間にはそんな感情があるということ。

って言うのはわかりますが
だからといってBを勧めるにあたってAをこき下ろすのは如何なものかと
思ったけどなんかグッチャグチャになっちゃったテヘ
[ 2017/07/22 00:40 ] [ 編集 ]
僕は何かしら作品を見ても、けものフレンズのサーバルよろしく「わーい、たーのしー」とか「なんかつまらん」ぐらいで終わってしまうのですが
どうやったらそのように1つの物事に関してつらつらと深く考え広く展開することができるのでしょうか?
[ 2017/07/22 00:50 ] [ 編集 ]
コメント返信

> 名無しさん


> 自分が好きで見てる作品をイキナリ「嫌い」の否定から入って来られたら不愉快極まりないですよ
> そうなると、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いでその人が吐き出す言葉や情報まで嫌になってくるわけで
> その人自身が本当におでんが好きなのだとして、オススメだとしても、こちとら素直に「ああそうですかい」なんて聞き入れられませんわな


そうですねー。

だからやっぱこれは「場所の問題」と「感情の問題」ってことになるんですかね。





> 名無しさん


>どうやったらそのように1つの物事に関してつらつらと深く考え広く展開することができるのでしょうか?


もしも自分がやってることが「深く広い考え」ってので合ってれば、になりますが。


多分こういうのは、「癖」とか「習慣」の問題だと思いますよ。



自分は
子供の頃からずーーーーっと、歩いてる時、ベッドに横になってるとき、何をしているときでも、
頭の中で延々とモノを考えるようにしていたと思います。


頭の中でずーっとラジオのトーク番組やってるような感じで、
誰かに向かって説明するような調子で、喋り続け、考えつづけるんです。



じゃあ
「なんでそんなことしてるのか?」と言われても、
「そういうことをするのがクセだったから」、という風にしか答えられないと思います。



とにかく頭の中でずーっと喋り続ける、考え続ける。
それを続けてたら、自分みたいな性格のやつになってしまうと思いますよ。 それでよければですけど。



[ 2017/07/22 14:00 ] [ 編集 ]
リンゴの喩え話とアイスの喩え話について
こちらはかなり前のブログのエントリーになるようなのですが、
ふとしたきっかけで目に止まり、こちらのブログに立ち寄らさせて貰い、記事のエントリーを拝読させて頂きましたので、ちょっとした足跡としてコメントを残させて頂きます。

比喩や例え話には正しくないものや筋が通ってないことも多くありますが、とはいえ、自分はこのように考えています。

自分は、アンチは馬鹿だと決めつけたり、決めてかかってはいませんし、そういったアンチ的な価値観や批判的な考え方や、表現としては幾分良くない表現になりますが、
「バッシングや叩くのが好きな人達」が一部や一定数の割合などで居られても良いとは思っています。

但し、「アンチは面倒な人達」だという感覚や認識は持っています、一部には、「きちんと言葉を選べる人」、「ちゃんと分別のつく人」、「幾らかは空気の読める人」、
「ある程度の距離感を掴める人」なども居られるでしょうから、勿論その限りではありません。

こちらに記されたブログのエントリーの内容からで申し上げるならば、
筆者は、立場は逆に置き換えた上で「自分ならこうする。」ということで述べられていますが、
【「私これ嫌い!」 を言ってくる人に遭遇したら、多分 全力で相手するということである。】
【こんな風に「よくわからんけど、お、おいしいねー」で済ませたりしない。】
こういった部分がそのような応対や対処を受けた受け手側にとって「面倒な人達」という印象を与えてしまうのだと感じます。

仮に自分で置き換えたとすると、
「世の中色んな考えや価値観の人が居るから、仕方ないね、お、おいしいねー。」
「こういう人達は話し合っても折り合えないから、仕方ないね、お、おいしいねー。」
という感じに落ち着くのですが。

URLの入力欄に掲載させて頂いた画像のように、批評や評論、そして是々非々はあってしかるべき事柄ですし、世間的な一般の感覚においても、誰しもが批判する自由を許されていると思います。

ただ、「好きなものや好きなことを話してる人達や楽しんでる人達」の場所にわざわざ足を運んで(通りすがりにしても、Twitterや5ちゃんねる旧2ちゃんねるやブログにおいても)「茶々を入れにきたり、
大好きなものや大好きなことを否定しにきたり、それらを出汁に使って自分の価値観を押し付けたり、別のモノを評価させようとする。」ことに対して、拒否感や忌避感が生まれているのだと思います。
一種のアレルギー的なモノや、お互いに大きく隔たる価値観と感受性の相違と表現したほうが妥当でしょうか。

そして、磁石のS極とN極が反発し合うように、別々の価値観を持った人同士で分かり合うのは、少し難しい場合も有ったりしますし、また、「別の部分や趣味や好きなことで認め合えるか惹かれ合うか」、
「単純に性格として合う」、もしくは「幾らかの時間を経た上で分かり合えた関係」でないと、好きなことが違う人同士や嫌いなことが違う人同士そして価値観の違う人同士が、お互いに理解し合えたり、
親しくなったり仲良くなるのは若干難しいのだろうとも思います。

また、世の中はとても広くて、多種多様であり、色んな人が居られるのは、当然のことで勿論の話ですが、
「ちゃんとした姿勢で話しても理解されない」
「きちんとした論理で諭しても納得されない」
ような方達が居ることも、現実として存在しているというのが、自分の認識です。
(そういった一方的な批判や主張を続けてしまう方々に対しては、「◯◯アンチを拗らせた云々」や、「◯◯に親の命を奪われた云々」などというふうに言われているのをよく目にしています。)

【カウンター入れるかor認めるか】
こういった考え方に近い人や似た考え方の人も一定数の割合で居られると思いますし、だからこそ毎日のように、いたる所で、Twitterの世界ではリプライ上やタイムライン上での軋轢や応酬があったり、
5ちゃんねる旧2ちゃんねるの世界ではレスバトルというものが生まれていて、ブログの筆者の姿勢としては認めるスタンスや分別はお持ちのようでありますが、「絶対に相手を論破しないと気が済まない人」
「絶対に自分の考えを改めようとしない人」「訂正するか謝罪する、もしくは誤りを認めることは自分の敗けだと思っている人」「自分から見ず知らずの人に絡みに行って、マウントを取るのが好きだったり、
マウントポジションを取って優越感を感じたい人」「自分から一方的に批判はするが、自分の批判に対しての批判は決して許さない人」など色んな方々が居られます。

そういった(一部の)良くない印象を持たれる方々が各所に居られて、毎日のように色々なところで軋轢や争いや応酬が繰り返されている結果、多くの人が疲労感を感じたり虚無感を感じたりして、
自然と嫌悪感や忌避感を強く覚えて、こちらのブログエントリーの主題の漫画や、TwitterなどのSNS、その他5ちゃんねる旧2ちゃんねるやブログでの投稿や反応に繋がっているのではないでしょうか。

自分の考えはある程度書かせて頂きましたが、自分のコメントやTwitterでの呟きや、他の方々のTwitterや掲示板サイトやブログでの投稿で、そういった前述した一部の方々の価値観と考え方や
性格を変えることなどは、到底、無理な話で不可能な事柄ですので、今後もこういったやり取りや軋轢や争いや応酬が起きていくのだろうと推察しています。

【 PS 追伸 】
「批判、非難、異論、反論」は今後も毎日のように起こっていくでしょうし、自分もそれらが有って良いと考えていますし、むしろ有って然るべきだという意見ですが、
自分が何を願っても叶わないとしても、「貶したり、蔑んだり、穢したり、嘲笑したり、冷笑したり、謗る人達」は今より少しでも僅かでも減って欲しいと願っています。

スポーツの世界でもこういう軋轢や争いや応酬や問答が延々と繰り返されていたりしますが、
「◯◯君がAチームのことが好きなのは分かるよ? けれど どうして、Bチームのブログや掲示板にまで来て、Aチームを上げて、Bチームを下げるの?」
Aチームのファンではなくて、Bチームのファンであるならば、一部の例外のケースを除いてごく自然にこういった感情が生まれてくるのではないでしょうか。

長文と乱文にて失礼致しました。
[ 2018/03/24 13:44 ] [ 編集 ]
Re: リンゴの喩え話とアイスの喩え話について
> ぼんふぁいあ さん


まぁ自分の文章が一番の乱文長文ですので。



> 大好きなものや大好きなことを否定しにきたり、それらを出汁に使って自分の価値観を押し付けたり、別のモノを評価させようとする。」ことに対して、拒否感や忌避感が生まれているのだと思います。
> 一種のアレルギー的なモノや、お互いに大きく隔たる価値観と感受性の相違と表現したほうが妥当でしょうか。

分かります。

「評価させようとする」
ここですね。
ここの強制、強要が、嫌われるのでしょう。
そんな押しつけをしてくる人がすすめる作品なんか、触れたくもなくなるのでしょう。

(だから自分が言ったように オデンをきちんと勉強する、という姿勢のほうが異常なのかも)



> 5ちゃんねる旧2ちゃんねるの世界ではレスバトルというものが生まれていて、ブログの筆者の姿勢としては認めるスタンスや分別はお持ちのようでありますが、「絶対に相手を論破しないと気が済まない人」
> 「絶対に自分の考えを改めようとしない人」「訂正するか謝罪する、もしくは誤りを認めることは自分の敗けだと思っている人」「自分から見ず知らずの人に絡みに行って、マウントを取るのが好きだったり、
> マウントポジションを取って優越感を感じたい人」「自分から一方的に批判はするが、自分の批判に対しての批判は決して許さない人」など色んな方々が居られます。


そうですね。

自分はここで「受けて立つ」とか「カウンターで倒す」とか書いてますが、
議論にならない人、絶対話聞かない人は、絶対間違いを認めない人は、実際いますからね。

ダクソ2の賛否を巡っての議論とか、そんなだったと思います。



> そういった(一部の)良くない印象を持たれる方々が各所に居られて、毎日のように色々なところで軋轢や争いや応酬が繰り返されている結果、多くの人が疲労感を感じたり虚無感を感じたりして、
> 自然と嫌悪感や忌避感を強く覚えて、こちらのブログエントリーの主題の漫画や、TwitterなどのSNS、その他5ちゃんねる旧2ちゃんねるやブログでの投稿や反応に繋がっているのではないでしょうか。


まぁそうですね。
そもそも「争い」をやりたくない 巻き込まれたくないんでしょうね。

自分も、コメントでの応酬に疲れたら、もう議論なんか最初から受けたくなくなるわけです。

皆疲れているから、アイスのような対応になる。
疲れていて、新しい作品を吸収する気力もないのかもしれません。

(でもその点でも、やっぱりンゴのようなのは嫌ですね)



>「貶したり、蔑んだり、穢したり、嘲笑したり、冷笑したり、謗る人達」は今より少しでも僅かでも減って欲しいと願っています。


それは思います。


それにしても
やはり「マウント」という言葉は良いですね。

この記事を書いた時点では、マウントって言葉はそんな確立されてなかったように思います。
今なら、「マウントとってくる奴はスルーされて当然」の一言で済んだだけのことなのかもしれません。


「マウント」という言葉が普及したおかげか
いきなり他人のホームグラウンドでマウントを取ってくる人、というのは減ったように思うのです。
気のせいですかね。
[ 2018/03/30 16:23 ] [ 編集 ]
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