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ニートが「勉強」について思っている事

 
今月はもうずっとゴジラの話だけしてて、
「ゴジラなモノ」だけ作ってりゃそれで良いし、それが正解だと思うのだが・・・
(つまり今月は駄文なんか書いてる暇が無いほどゴジラでやることがある)

のだが、
コメント欄にて、「勉強をする意味がわからない」という旨のコメントを頂いたので
これを機に、自分が「勉強」というモノを一体どういう風に捉えているかの話を延々としてみたいと思います。


もんのすごい駄文です。

私信コメント返信を膨らましまくったような感じ。
だが誰に向かって喋ってるようなつもりもない。 言いたいこと垂れ流してるだけ。


自分が普段からずーっと考えまくっている部分を刺激されたようなモンなので
いくらでも膨らませることができるんだよなぁ。



 
勉強の意味とは

究極の質問。 

「勉強って必要なのか?」
「勉強ってどういう意味があるの?」 「いや実は無いよね?」


そして更に、
「勉強って「必要である必要」があるのか?」みたいな話。

そういう質問にどう答えるか?みたいな話。



・勉強はしなければいけない

・勉強は別にしなくてもいい


一応
自分はどっちの立場でも答えることができます。


まずは前者から。


「勉強なんかしてなんの役に立つんだよ」

「因数分解ができるからってよぉー立派な大人になれんのかよ!なぁ先生よぉー!」

というような感じのよくある問いがある。


自分はこういうタイプの問いには、
「完璧に」答えられることが出来るつもりでいる。


もし自分に子供がいたら、 (ありえない妄想だが) (だがこういう妄想は結構面白いのだ
もしその子供が、「なんで勉強なんてしなきゃいけないの?」って聞いてきたら、
自分は、完璧にその子供が納得するまで説明してやれる自信がある「つもり」なのです。


(そしてそのようなことを、自分の親も、自分の教師も、一度も説明してこなかったと思う)
(ただ漠然と、「勉強は役にたつからやっとけ」程度のことしか彼らは答えられなかった)

(そういう親や教師はダメだと思う)

(なぜ、どの人間もこんな問いに答えられないのだろうか?)

(だから自分は「ホーホケキョとなりの山田くん」を見ていてもムカつくのだ)
(この親は、自分の子供が勉強の必要性に疑問を唱えても、満足に答えることが出来ていないから)


(親、教師、山田くん(つまりフィクション全般)・・・)
(現実でも虚構でも、満足に答えている人をロクに見かけないことが不満であるこの問いに)
「せめて自分だけはちゃんと答えてやろう」という思いがあるのです)


そしてそれは
要点をいうと、大体こういうこと

・勉強とは実は直接的な自分の利益のためにするモノではない
・世界から自分を選んでもらうための間接的な手段でありフォーマットである
・勉強とは「共通フォーマットである」という点で意味がある

 (この辺は自分の言葉の選び方、変かもしれん 「共通のプロトコル」とも言えそう)

ということです。




自分でも思い返してみて、「学校の勉強」って、今そんな役に立ってる気はしません。
(それは自分がニートだからなのもあるとは思うが)、

それでも一応、プログラムとかゲームを作る時に「三角関数」とかが死ぬほど必須なのは分かる。

だがだが、別にそんなのはゲーム作らない人間には必須では無いわけで、
じゃあそれを全ての高校生に必修にする必要が果たしてあったのか?というと、よく分からなくなってくる。
(そして事実上、殆どの人間にとって、高校までもが義務教育みたいになっている)


だから、「勉強にはこういう役に立つ要素があるからやれ」という方向からでは勉強の説明にならんと思うのです。


「役に立つ」という要素で必要性を訴えるのなら、
世の中にはもっと役に立つ必修項目といえるような考えがあると自分は思っています。

(例えば、「因果関係と相関関係はイコールではない」みたいな話は、小学校の道徳の時間を削ってでも真っ先に覚えさせるべきカリキュラムだと)
(自分はそういうことを思っています)

(そういうのをちゃんと教えなかったから、疑似科学に騙される人間が続出するのです)

・・・
(ここで学校のカリキュラムの一つ一つをとりあげてみて、あれは必要だから現状でよし、
 あれはもう要らねえよな、みたいなことを具体的に書いていってもいいが、ここでは略)


というわけで、
「勉強は役に立つからやれ」
「いや、役に立たなくても、とにかくやれ」みたいなことを、 (山田くんみたいなこと)
よく分からんままに連呼するような大人には、なったらいかんなぁと思っているのです。


子供から大量の時間を奪っているのだから、 (人生=時間=命)

人生で一番大事だったであろう瞬間を拘束しているのだから、
せめてそれを強制している側の人間くらいはその意味を (せめて自分自信でも納得できる程度には)
完全に理解しておかないといけないと思うのです。


では「勉強」とはなんなのか? 改めて。


自分の考えとして
「直接の役には立たんが 間接的に役に立つ、指標」だと捉えています。


「自分が」それで何かを役立てるのではなくて、
「社会側が」自分という個人のパラメーターを測る際に、便利な指標ということです。



どれだけ、役に立たん勉強を真面目に覚えることが出来るか。
どれだけ、糞つまんねー授業を辛抱強く聞き続けることが出来たか。
それによって、各会社・各業界に就いたときの 吸収力・記憶力・段取りの良さ等が測れます。


つまり、社会側、会社側が、各人間をチョイスするときの指標だということです。
だから、勉強が出来るということは自分が使える人間であるというアピールになると。


当たり前っちゃ当たり前の話です。

勉強をやらせる意味があるとしたら、究極的にはそこくらいしかない。 
(「究極的には、無い」 小林源文)

世界からより選ばれやすくなるために、テストで良い点を取れるようになっておかないと困る訳です。



こんなのは本当に
ごく当たり前の話であるくせに、

子供から、生徒から 「勉強ってなんの役に立つの?」「こんなこと覚えてなんの役に立つの?」って質問されたときに、
ちゃんと答えられなかったり、 
または「この勉強は将来プログラムで役に立つ」とか、バカ正直に答えてしまったりする大人が多い気がする。

そんなのは嘘っぱちなのです。


勉強は、自分という「平凡な個人」が効率よく世界から選ばれやすくなるためには、「やっといたほうが得」ってだけの話です。


そこんところをまず、誤魔化し無しにちゃんと説明しろよ!と思うのです。


そして、社会側、世界側が個人の人間を「正しく」選別するための統一された形式として、
「知能テスト」という形態を取るのが必然だったから、そうなっている訳です。


現実の試験がもしも、ハンターハンターの「ハンター試験」みたいだったり、ナルトの「中忍試験」だったりしたら、
まぁみんなもっとワクワクして、その試験をパスするための修行(=勉強)を頑張ったかもしれません。

そういう、フィクションの中の「登竜門イベント」というのは、なんか凄くワクワクしますよね。

(ハンタもナルトも、そういうイベントからのスタートダッシュが切れたから、大ヒット漫画になったのだと思う)
(子供は、ああいう「テストイベント」が大好きなのだ。 現実のテストは嫌いなのに)


でも現実はそうなっていません。
現実の勉強テストには全くワクワクなどありません。

なぜなら現実にはそういうスキルは必要じゃないから。


やはり社会が必要としているのは、
「忍耐強い人間」
「糞つまんねールーチンワークを文句ひとつも言わずにひたすらこなせる人間」
「新しい仕事内容をすぐに覚えられる要領のいい人間」
「記憶力のいい人間」
「ようはトータル的に賢くて、従順な人間」・・・

なわけですから、「そういうところ」を効果的に見たい訳です。



そして、そのための「統一的なフォーマット」を用意しないといけません。


「統一された尺度」で大勢のガキどもを篩(ふるい)にかけねばなりません。


どんな人間にもなにか一つくらい「得意なモノ」があるでしょう。

じゃあそれが「秀でている」ポイントだからといって、それで絶対的に人間を評価して
会社に入れても、それが会社で運良く役に立つ確率なんて低すぎる訳です。

のび太くん けん玉
のび太くんがあやとりや射的の腕が凄いと言ったからって、
「じゃあそこを評価して会社に入れてあげましょう」ってしたところで
あとでお互いに困るだけなのです。


のび太くんが勉強無しで生きていける世界や社会があるとしたら、それは西部劇の世界くらいな訳です。

だからこそ、のび太くんは勉強しなくてはならないし、
「自分には射的とあやとりがあるから別にいいや~」などと思っていてはいけないのです!

ここんところの理屈をのび太くんにちゃんと
教えてあげる親、教師、ドラえもんがいなければいけないのです! (だがいない これが問題なのだ)


というわけで、「個人の特技」だとか「個性」だとか「あの人にもこんな良いところがある」「得意な物がある」
とかで個別の人間を評価するような、「バラバラなフォーマット」なんて、考えられない訳です。 イランのです。

曖昧だし、公平でないから。

よって、
「お勉強の点数」という「統一されたフォーマット」での絶対的な数値で、
その人間の「社会適応度」のようなものが測れるような、そんなシステムが必要だった訳。


そのために長い歴史の中で、なんとなく出来てきたのが今の教育のカリキュラムなのでしょう。


意味の薄そうな学科が混じっているのも、 (古文漢文だとか)
「意味のない科目も必要あらばちゃんとマスターできる」という「従順度・柔軟性」を測るという意味では、意味があるのです。


(まぁ「古文漢文」だって、そこから教養が得られるだろ?という反論はあるだろうが)
(それなら訳された古文漢文だけ読んでればいい話だし、もっと言えば、好きに小説でも読んでればいい)

(学校を卒業したあとで一切使う必要のない「古文漢文をわざわざ訳して読む能力」というのがなんになるのか
 というと、やはりそれは「無意味」だったと言わざるを得ない)

(古文で得られる教養なんて、せいぜい「山月記」だけ読んでりゃいいんだよ!)
(山月記は古文じゃない。 完)


・・・
そういう意味じゃ 「一芸入試」なんてものはおかしな話なのです。

それで個人を評価していいのだったら、勉強なんていらんかった訳です。

もしやるとしたら、それと同時に「一芸入社」なんてものを用意できなければ、片手落ちなのですよ。

(つまり、一芸入試なんかでバカ大学に入っても、それで就職できないのなら甘やかせただけですよね、という話)


・・・で、大体こんな感じ。


これで、「勉強なんてなんの意味があるんだよ」「なんでこんなこと覚えなきゃいけないんだよ」
と質問してきた架空の子供にも、ほぼ完璧に答えられるようになったと思います。


(それでもまだ反論してくる子供がいたら、)
(むしろその子供は見どころがあると思う)
(そもそも勉強というものに一度も疑問を抱かない子供がいたら、そいつは「本当は頭が良くない子」だと思う)


少なくとも、自分は、自分が子供の頃、 親や教師からこのような説明を受けておきたかったです。


大体
これが 自分の思う「学問ノススメ」です。


もしもこのブログを読んでいる人のなかに「人の親」という立場の人がいて、
もしもこの文章に書かれているレベルのことを今まで考えたこともなくて、この文章に納得がいったなら、
ご自身のお子さんにこのことを伝えてほしい。

(何度もいうけど、自分は自分の親、教師からせめてこのレベルの「納得のいくこと」を言ってもらいたかったから)
(これが、子供なんか一生持てないであろう自分の「教育」です)



ですが、この考え方が自分のなかで固まってからも また月日は経ったワケで、
「真逆の考え」がまた持ち上がって来ました。



全体を見通して
「なんなんだこの構図は?」という気分です。



結局のところ
「子供に勉強をさせたい」
「子供に勉強の必要性を説きたい」
、という欲求は何なのかというと


「自分の子供だけには良い学歴であってほしい」
「自分の子供だけには良い暮らしをさせたい」
「自分の子供だけには苦労をさせたくない」
・・・

「自分の子供だけには幸せになってもらいたい!」
という願望であるはずです。

(まぁ中には「そんなの嘘。自分の老後の安泰のためじゃわい」と思ってる人もいるだろうが)


では何なのか。 

全ての親が 自分の子供だけには良い高校、いい大学、いい会社に入ってもらうために
自分の子供に、(実は意味がそんなに無いと分かっている)勉強を強いている、この全体の構図はなんなのか?


自分の子供だけには 塾に行かせる、 自分の子供だけには通信講座を受けさせる、自分の子供だけには・・・

そうやって競争が激しくなっていく。  (ゆとり教育のせいで余計に塾競争が酷くなるのとか、完全にコレ)

子供に課せられるハードルは高くなっていく。

子供に与えられる競争はどんどん過酷になっていく。

結果、
子供の、「子供時代だけの貴重な時間」というものがどんどん勉強によって削られていく。

テストで友達を蹴落とすような、灰色の青春時代を送ることになる。

どう考えても「幸福な子供時代」といったものとは真逆の生き方を強いられている訳です。

将来の為にしょうがないといいつつ、子供に過当競争を強いている訳です。


「自分の子供だけでも競争に勝ってほしい」という多くの親の願いのせいで、
多くの子供が不幸な子供時代を送る結果になってしまっているわけです。



なんすかこの構図は? 本当に、こんな構図を、誰が、望んだのだ?



さっきも言ったとおり、

大量の糞ガキ共を 「学力テストの点数」という統一されたフォーマットで篩にかけるというのが
都合がよかったのは、会社側、社会側、システム側にとって「便利だった」というだけのことです。

そして圧迫面接やらなんやら・・・

これもまた「自分の会社だけは良い人材を集めたい」「自分の会社だけは・・・」という
どこかからの圧力によって産まれている願望です。


こんな競争社会を心から願っている奴は誰だ?

そんな奴はいなかったはずだ。


「自分の子供だけには苦労させたくない」
「自分の会社だけには潰れてほしくない」



そういう「自分だけは」という思い・・・
「自分だけは抜け駆けしたい」という願望が、結果全ての人間を苦しめることになっているのです。

これもまた「囚人のジレンマ」的です。 (つまり全体の構図がバカなんです)


どうしてこうなった。

どうしてこんな競争させまくるシステムが成立した?

そこまでの競争が本当に必要だったのか? 今の時代に。 そしてこれからも?


本当に全ての子供の、全ての人間の幸福度を上げたいのなら、
まずは「生きるのに必要最低限の飯だけは回るシステム」だけでも成立させたほうが話は早いんじゃないのか?と。


ではいっそ止めるか? この過当競争を、みんなで「いっせーので」で止めるか? (核兵器ポイーするように)

だがそれも難しい。

「学力低下」などと良く言われている。
「ゆとり教育」というのは間違いだったとみなされている。


それに、日本国内で「いっせーので」をするとしても、それで済む問題ではない。

他の国との問題が出てくる。
「日本の大学生の学力が低下~」、 「国際競争力が低下~」などと言われている。


だがそれも同じことじゃないか?


規模が世界規模になっただけのことで、
結局世界中の子供が競争させられているというだけの話だ。

(日本より勉強しまくっているという、インドの大学生とかが、日本人より幸せだと言えるのなら別にいいのだが)

グローバリゼーション、新自由主義・・・

(下の国の人間は、のし上がりたくて必死に頑張る)
(上の国の人間は、下の国の人間の「高い能力と安い労働力」の圧を受けて、やっぱり必死に頑張らないといけなくなる)
(みんなが苦しくなる) (みんなが競争させられる)
(なんなのだこれは)




つまりだよ。


「勉強というものがなぜ必要なのか」を子供個人に説くことはできる。

直接的な必要性ではなく
間接的な必要性なのだ~とか説明することはできる。

結局、自分のために勉強するのだよ ということにはなる。


だが、本当は
「勉強の必要性」そのものの必要性がない世界の成立を目指したほうがいいんじゃないのか?



それが、人間の行き着く果てなんじゃないのか?

未来人の子供の生活というのを想像してほしい。

未来になっても、子供は一日8時間も学校に監禁されているままの世界が続いているだろうか?

あなたの想像する未来はそんなだろうか?

そんな未来で、人間は進歩しているといえるだろうか?

そんな未来が、人間の求める先だったのだろうか?


そもそも、
「単純な頭の良さ」が重要視されなくなる未来がいつか来るんじゃないかと考えている。



大昔について考えよう。
昔は「力の時代」だっただろう。


マンモスをうまく狩れる奴。
腕っぷしが強くて、木を何本も切れる奴。
畑を延々と耕せる奴。
・・・


そういう人材が必要とされ、力があれば無条件で歓迎され、生きていくことができた時代があっただろう。


力が評価され、力だけで生きていけた時代があっただろう。



だがそんな流れが完全に変わる時がきた。
(農耕・貯蓄・管理をする時代になってすぐに変わったのだろうが)


「産業革命」と機械化で、
腕っぷしがあればそれだけで生きていける時代は確実に終わっただろう。
(アーム・ジョー)


今現在、「腕っぷし」なんてものは、
一部のスポーツ選手以外にとっては、なんの役にも立たないものになった。 (飯の種にならないという意味で)


機械化によって仕事を奪われた人も大勢出ただろう。
(アーム・ジョーの木こり)


だが結局、産業革命によって人間は「仕事をしなくてもよい時代」を迎えられたかというと、
愚かなことに過去の人間はそういうシステムを築けなかった。



結局、今度は「頭脳」で人間の格付けをするシステムを作り上げた。


これと同じようなことがまた来ると思われる。


次はAIの時代だと言われている。

AIの進歩によって、今の人間が従事している仕事の「半分以上」がAIに奪われる時が来ると言われている。

「奪われる」なんて表現はやめて「やらずにすむようになった」「やらなくていいような仕事だったことが分かった」と表現したいが)

(「半分」といわずに、本当は殆どの職業は人がやる必要なんてないことが明らかになってしまうかもしれない)
「9割」って言ってる意見もあるよね)

(ちなみに自分は、「創造業」と「研究業」だけが、人間が本当にやるべき唯一の仕事だと思っている)


じゃあ今度こそどうなるだろうか。


機械化によって単純肉体労働が奪われたとき、
人間はそんなことする必要なかったと分かったとき、
じゃあ人間は働かなくていいような世界が到来するかとおもいきや、
そうはならなかった。


それどころか子供を「頭の良さ」で競争させて、結局また苦しめるシステムが確立されてしまった。


では今度はどうだ?


AIの進歩によって、単純頭脳労働が奪われるとき
人間はそんなことする必要なかったと分かるようになった時、
じゃあ今度こそ人間は働かなくていいような世界が到来するだろうか?


歴史は繰り返すから、「AIが進歩しても結局人間はなんだかんだで働きまくる必要があるよ」と言いたい人もいる。

「AIを管理する人間と、AIに使われる人間とで、格差社会が却って酷いことになるよと予言している人もいる。


だが自分はそうは思わない。 思いたくない。 それだと人類はあまりにバカだ。


今度こそ成立させるべきな気がする。


なぜならこれで、「肉体労働」「頭脳労働」両方が埋まるからだ。 
(その点で、産業革命のときとは違う)



人間がいつまでも木こりみたいなことをして生きなくていいということが分かった時、
人間を就職させる際に「肉体テスト」なんてものは消滅しただろう。

「腕っぷし」なんてものが重要じゃないということをみんな分かってしまったからだ。



じゃあ次はどうなる。

単純な記憶力や、単純な判断力、単純な分析力、
今、大勢の人間が会社のPCの前で、死んだ目でやってるようなデスクワーク。 膨大な管理作業。

そういうものまでもが、AIの台頭によって「人間はやらなくていい仕事である」ということが明らかになった時、

人間を就職させる際に
人間を篩いにかける際に必要だった「頭脳テスト」というものが、
果たして今までと同じような重要性を持つだろうか?


そんなもんは、AIにさせとけ、という話だ。


そんな時代になっても、いつまで経っても子どもたちに無意味なカリキュラム、学力テストの点数の取り方、友人の蹴落とし方を
教え続けさせるつもりだろうか。


そもそも、ロボットとAIが台頭する時代に、就職・労働なんてものがそんなに重要だろうか?


絶対にそんなものは緩和される時が来る。


むしろ、そういう流れを作れなかったら人類は馬鹿すぎると思う。


そんなに働きたいのか? あれもこれも自動化できるし、自動化させるべきなのに。


なぜそんなに「怠け者」を悪だと思いたいのか? 
「本当に賢い者」は上手く怠けられる道を見出すべきだろうに。


別に怠け者でいいじゃないか。

殆どの労働を機械とAIにまかせて、人間様は怠けていて、
太陽さえ照っていれば無条件に生きられる世界が成立するようにすればいいじゃないか。

本当はとっくの昔にそれくらいのシステムは構築できたはずだ。


何を求めているのか?


仕事にやりがいを感じたり、仕事こそが人生の意義だと思い込むのが「人生の目的」なのか?


飯のために苦しまなくていい世界、
皆が幸せに生きていける世界、
必死に働かなくても、人生をすり減らさなくても
みんなが楽に生きていける世界の成立じゃなかったのか?


そう思っているのなら、 
機械に肉体労働を奪われることも、AIに頭脳労働を奪われることも、
本当は「歓迎」すべきなんだ。


いつもいつも、何度も何度も言っていることだが、
「後家殺し」は、後家さんを殺していいのだ。

後家殺し カムイ伝 ラッダイト

本当に気づくべきことは
「後家さんはそんなことしないで怠けていてもよかった」ということなんだ!

「仕事を奪われる」とか言ってる場合じゃない!
「ラッダイト」なんてしてる場合じゃない!

(もし将来、AI相手にラッダイト起こす奴が現れたら、人間は愚かすぎるぞ)


仕事を奪われるから不幸なんじゃない。
そんなことをしなければ生きていけないようなことになってた今までがおかしかったのだと。


今働いている人は、自分が今している仕事なんてAIにも出来るような仕事だよな、ということを認めよう。


Imagine there's no Labor

想像してごらん、労働なんて無いんだと。



・・・とまぁそんな感じで

勉強そのもの 競争そのものが不要な世界の成立について考えだして暴走してしまいましたとさ。

どうなんだろう。本当に。


子供に偽りの勉強の意味なんかを説いて勉強させるべきなのか?
子供に勉強の過当競争に参加させるべきなのか?否か?



そもそもこのシステム自体を緩和できないのか?
緩和するとなると、やっぱ「国際競争力」みたいなことが気になってくるのか?


だがその「国際競争力とやら」、そんなの本当に必要なのか?という気もしてくる。

仮に必要だとして、「それは学力増強によって育まれるものなのか?」という疑問がある。



オリンピックの閉会式でもやたらアピールしてたが、
日本がいま一番強い、日本が今一番世界に誇れるのが「ソフトパワー」ってことらしい。

漫画とか、アニメとか、ゲームとか・・・


だが、そういうのを生み出してきた張本人って、別に学歴社会のなかで育まれて来た人物じゃないと思うのだ。

むしろ、そういうのからは外れたところから産まれて来た人だと思う。


(まさに「ドラえもん」の作者の藤子不二雄だが、)
(あの人はふたりとも、完全に自分のことは「社会人勤めのできない人間」だと自覚していただろう)
(そういうのは「まんが道」読めば、痛いほどよく分かる)

まんが道 才野

自分にはサラリーマンなんか絶対勤まらない! そういう思いが漫画一直線に向かわせたのだとひしひしと感じる。

ちなみにこれ、才野がFな。 そしてAもAで、これまた物凄い「社会人なんかやってられるか!」という思い・不安を感じる。


そしてそういう不安が「明日は日曜日そしてまた明後日も」に繋がっている筈。
(あの漫画はニートをバカにしてるんじゃなくて「一歩間違ったら自分もこうなってたかも」という不安が元になってると思うのだ)
(「藤子不二雄Aブラックユーモア短編集」より抜粋 他にもこんなんばっか載ってるぞ)
明日は日曜日そしてまた明後日も

働かずに食う飯は旨いか?

働きながら食う弁当もマズイんだよ!!!!

まんが道



(勿論、高学歴な漫画家だっているし、
 任天堂の社員の学歴とか、そういうのはあるだろうけどさ)
 (だが実際、「東大卒の有名漫画家」とか全然聞いたことが無いのは何でなんだ?)
  (自分的に「高遠るい先生」だけだなぁ)
   (だが別に、高遠るい先生の漫画の面白さが、先生の学歴によって支えられてるとも思えない)
    (シンシア・ザ・ミッションのゼットン理論、あれを思いつくのは、東大の脳みそじゃないと無理?)


(だが、もしも今の日本から学歴社会をさっぴいたとして)
(日本のゲーム会社が作るゲームがつまんなくなるかというと、そんな気は自分は全くしないのだが)

(あの天才漫画家が、大卒だろうが中卒だろうが、作る作品の素晴らしさに大して影響ないだろうと思ってしまう感覚とは)



そういうクリエイターに必要だった教養とはなんだったのか?

学校の勉強で得られた知識では無かったはず。


藤子不二雄、
満賀道雄と才野でいえば、これもまた「まんが道」を読めば分かる。
彼らは映画とか見まくったり、海外小説とか読みまくったりしている、
そういうのが作品のインスピレーションの源泉になってたワケだ。
(これが手塚治虫メソッド。 小島秀夫監督もこのメソッドに従っている)


映画を見まくる・・・小説を読みまくる・・・ゲームをやりまくる・・・
傑作を食いまくることが傑作を生み出す血肉になる。

彼らを天才クリエイターにさせたのはそういう「食べ物」だったワケだ。 
決して学校教育で得られたモノはない気がする。


・・・じゃあ、本当の競争力、差別化、
本当にソフトパワー、コンテンツ力を強化したい場合、世界はどうあるべきなのだ?



みんなが漠然と考えていることはなんだ?
みんながソフトパワーに漠然と期待している姿勢ってどんなだ?




自分はとりあえず勉強する。 自分はとりあえず会社勤め。 

でもどっかで、そういうのからドロップアウトした人間の中から、
天才的なクリエイターが生まれてきて、
それが日本を代表する作品を産んで、それがソフトパワーになったらいいなぁと、
・・・

そんなことを考えているんじゃなかろうか???



「オリンピック」に関しても実は同様。

ずっと運動ばっかしてる人の人生なんか想像もできない。
自分には全然関係ないけど、学生時代を捨ててずーっと運動ばっかしてきた「知らん人」が、
国際的な舞台で日本を代表して、あわよくばメダルをとってきてくれたらいいなぁと、
・・・

そういうことを身勝手に漠然と期待している感じなんじゃないのか???


(それって「応援」っていうのか?)

(学生時代を捨てて、運動に打ち込んで、その結果オリンピック選手にもなれずに)
(就職も失敗してワケの分からない人生を歩んでいる、「その他大勢の人たち」という「競技人口」「確率的に支えられて」
 オリンピック選手というのは成立しているんじゃないのか?)


(これも結局、抜け駆けの精神と同じだよなぁ)
(自分だけは安定した人生を送りたいが、そういうのから外れた人が何か面白いことをやることを期待している)
(そういう生き方、それを「応援」と呼んでいるのだ)


自然発生的に天才が産まれることを期待しすぎなんじゃないだろうかと思う。


普通の生き方からドロップアウトした人たちの中から偶然天才が現れることに、
ちと期待しすぎなんじゃないのか?


そういう創造性はどこから産まれてくるのか。 
どういう教育のシステムだったらそういう人材が産まれてきやすいか。


やはりこういうのは段階を踏んできているのだと思う。

子供に労働ばっかさせてた時代。
子供に勉強ばっかさせてた時代。

機械によって腕っぷしの仕事が奪われる。
AIによって単純な頭脳労働が奪われる。

残るのは何か? 人間の最後の砦は何になるか? 一つの答えが「創造性」だろう。


じゃあ子供に本当に与える必要があるものはなんだったのか?


子供に勉強をつめ込まなくても成立する世界が出来たならどうするか?


ていうかそこを目指している筈なんじゃないのか?


今更ドラえもんやポケモンに何かを期待しているのなら、
いい加減に「子供に本当に何を詰め込むべきなのか」を再考すべき時が来てるんじゃないのか?


学力低下なんか嘆いてる場合じゃないぞ、と。
子供には暇をこそ与えておけよ、と。


そんなことを割りと本気で思ったりするのだ。


・・・
まぁ自分が言ってることも相当ずれてるんだろうなとは思うが。


例えばこんな話は、
「プロフェッショナルはプロフェッショナルの道を歩めばいいだけだろ」ということかもしれない。


子供の頃から創造職に就きたい人は最初からそっちの道を選べばいいだけのことであって、
学歴社会は学歴社会で必要だろと。



(特に、もう一つの重要な「研究業」の箸に引っかかる人間を確率的に生み出すには)
(そういう「場」を広く構えることが重要である)

(だから訳も分からずに大学にいって、訳も分からずになんの役に立つのか分からん研究を延々とやってる)
(ということも、実は意味があるのだと思ってたりする そういう話はこの辺でしたかも
竜の学校は山の上
(まだ役に立つのかわからないモノを研究するからこそ、研究には意味がある)
(この辺、「勉強」の真逆かもしれない)


子供の頃から「漫画家になりたい」「ゲームクリエイターになりたい」と思ってるような子は、 ドロップアウトとか以前に
学歴社会とは関係ないところで 美大行ったり、専門学校行けばいいだけの話だろと、

そういう風に思うかもしれない。

それだけの話じゃないかと。


でも自分個人はそういう風には思えないことがある。


大体、自分自身にも思うところがある。



例えば中学生の話。

もしも、 クラス一、いや学年で一番絵が上手くて、一番手が器用で、 
できるならそういうクリエイティブな職業に就きたいなぁと漠然と思っている子供がいたとしても、

もしもそいつが学年で一番勉強ができたとしたら、
親と教師は、「もうそいつを進学校に行かせることしか考えなくなる」モノなのだ。



学校にも学校で、ノルマとかメンツがある。
要は「ウチの中学から今年は何人 ○高に受かった生徒が出た!」みたいなことばっか考えているのだ。


親も親で、漫画家・ゲームクリエイターなどという不安定な仕事よりも
とにかく良い高校、いい大学という安定ルートに進んでもらった方が安心だ。


だから、そういう子供が「自分は漫画家になりたいかも・・・」「ゲーム作りたいかも・・・」とかって言ったとしても、
「いや、そういうのはとりあえず高校行ってから、大学行ってから考えればいいよ」みたいなことを親、教師は強く言ってくるのだ。


「漫画専門学校? 美大?」 そういうのは、こう・・・勉強が出来なくて、絵しか取り柄の無い子が行けばいい所なのですよ、
ということを「暗に」言ってくる。


勉強が出来るうちは出来る限りの良い高校、良い大学を目指しておくのが有利なのだよ。 定石なのだよ。
それがこの世界の生き方なのだよと。

漫画とか絵とかゲームとか言い出すのは、そういうので失敗してからでいいんじゃないのか?

行ける内は限界まで良い高校、良い大学目指そうよ、という話になってくるのだ。


・・・こんな感じで流されて、訳もわからずに進学校に行くことになり、
あとは延々と勉強漬け・受験戦争漬けになる子供達というモノが
今の世の中には結構山程いるんじゃないかなぁと思うわけですよ。 (要出典)


そしていざ、進学校卒業から美大に行こうと思ったら、もう全てが間に合わなくなってたりするのだ。
(そりゃ、高校で学んできたモノが全然違うからなぁ)


そして、そういう子は結局平凡なサラリーマン人生を歩んでいくしか道がなくなってたりする。
(悪けりゃニートになる)


(この構図はほとんど詐欺ではないか?)

・・・
つまりだ
「学歴社会」という構造の中で、逆に埋没する才能、埋没する人生、埋没していくソフトパワーというのが
相当にあるんじゃないと、自分なんぞは思ってたりする。

(ここでいうと、下手に勉強が出来てしまった子には他にやりたいことがあっても進学の道しか提示されなくなるパターンだ)
(これはやはり、進学校には進学校で「合格者のノルマ」みたいなものがあるからそういうことになる)
(ほらまた「競争」のせいで世界がゴミになってる)


この構造を見ているともはや、

漫画家目指すとか、
アスリート目指すとか、
そういう道を目指せる子供というのは、どっちかというと「進学の道」からドロップアウトした子供ということに
なってこないだろうか? 

(いや、みんな漠然とそういうことを思ってるはず)
(高学歴の漫画家さんより低学歴の漫画家さんのが圧倒的に多いであろう事)


それってどうなんだ?という疑問がある。


だからああいうことを思ったり書いたりするわけだ。


この世界は、アスリートのことなんか本当は応援してないだろ?という気分がある。

ソフトパワーを応援とか、ソフトパワーに期待とか、絶対嘘だろ?という気分がある。


産まれてくることを期待してないじゃんと。


・・・という感じのことでした。

最終的になんのこっちゃ。
結論なんか出ませんよ。


自分が「勉強ってなんなの?」「この構造になんの意味があったの?」ってことを考えた時に、
頭の中に渦巻くのはだいたいこういう感じのことだから。



色々な前提が抜けまくっていると思う。


・「能力」とはなんぞや、という話

・「研究業」とはなんぞや、という話
 
・「AI」に人間が奪われるモノの行き着く果ての話

・そもそも人間は子供をどう教育させるべきか、という話



・・・
そういう話に全部ケリを付けてから書くべきことだったような気がする。


自分の中でどうしようもなく固まっている前提抜きでこういう話をしようとしても、上手くいく訳がなかったのだ。



「勉強って無意味だよな」と思っている人にこの文章を読ませてどう思ってもらいたいのかも分からん。
下手に同意されてもらっても困る気がする。



大体、この文章を書いている間にもホリエモンが
「大学なんて必要ない」みたいなことを言ってたりして、それはそれでムカつくんだよなぁ。
だから自分でもここに書いてあることを否定してもらいたい部分があるのかもしれない。



というわけで意味不明な文章でした。


ゴジラ熱で勢いづいているときに書くべきでは無かっただろうね。


完。

関連記事
[ 2016/08/28 11:19 ] 駄文 | TB(0) | CM(23)
この記事への反論として


(特に、もう一つの重要な「研究業」の箸に引っかかる人間を確率的に生み出すには)
(そういう「場」を広く構えることが重要である)

(だから訳も分からずに大学にいって、訳も分からずになんの役に立つのか分からん研究を延々とやってる)
(ということも、実は意味があるのだと思ってたりする


とニートさんが軽く触れてることではあるのですが書かせてもらいます。


自分は勉強については、「子供にとって役に立つからやらせる」でも、「社会への従順度を測る」でもなく、ただ単に「大人が子供にやらせたいことをやらせている」ではないのか?と思っています。(正確には教育機関側の人間が)


数学だって、漢文だって、カリキュラムを決めている人間がいる

勉強にも、やっているうちに興味が沸くということがあるので、
大人はこれを狙って勉強をやらせているのでは?と思ってます。



つまり、まあ、漢文や古文を子供がやらされるのは、単にカリキュラムを決めている人間側が漢文や古文を研究する人間が増えてほしいと思っているだけのことではないのか?ということなんですが。



勉強が入社テストとして扱われるのは、副次的なものに過ぎず、
もっと言うなら、この研究者を増やすための仕組みを成立させるための建前なのでは?と思います





あと、ニートさんは創造性が人間の最後の砦とおっしゃいますが、機械が作る創作物についてどうお考えでしょうか、自分はもしAIや機械が人間の作る以上のものを作るようになったとき、人間はどういう感想を抱くのか?というようなことをよく考えます。

人間と同じ指標で評価できるのか?


自分は最後の砦はオリンピックのような人間同士の競争や、創作物にしても、実践パフォーマンスのような
人がやることにしか意味がないようなものになるのでは?と考えてます(まあ、自分はオリンピック嫌いなんですがw)




もう一つ、勉強の話と少しリンクしますが、苦痛は幸福のブースターみたいな論についてどう思うか聞きたいです
つらい体験をしたからこそ、今の幸福を噛み締められるのだ みたいなのです
[ 2016/08/28 19:17 ] [ 編集 ]
「社会」 や 「会社」 はこれを勉強しなさいなんて言ってくれなくて、
(言うとしたら、貢献しなさい、成果を出しなさい、ですかね)
知識やスキルは自発的に身につけて、それをもとに貢献や成果を生み出すのだと思います。
(今ならAIに取って代わられないものが有望なわけですが)

学生時代も同じことで、知識やスキルを身につけた結果、
何かができるようになる、選択肢が広がるという、そういう順番で考える方が自然に感じます。
そこで何を選ぶかは、ただのリスク管理の話だと思いますよ。
芸術やスポーツに振り切るのもあり、汎用的なところを強化するのもありで。

ま、正解なんて用意されていないし誰も知らないので、
自分で考えるしかない、くらいのことでしょうかね。
[ 2016/08/30 04:12 ] [ 編集 ]
コメント返信
> うの人 さん



> 勉強にも、やっているうちに興味が沸くということがあるので、
> 大人はこれを狙って勉強をやらせているのでは?と思ってます。
> つまり、まあ、漢文や古文を子供がやらされるのは、単にカリキュラムを決めている人間側が漢文や古文を研究する人間が増えてほしいと思っているだけのことではないのか?ということなんですが。
> 勉強が入社テストとして扱われるのは、副次的なものに過ぎず、
> もっと言うなら、この研究者を増やすための仕組みを成立させるための建前なのでは?と思います


これは思いますねー。
これもまた「本音と建前」って感じです。

ただそれでもやはり漢文・古文の研究者なんて今必要なのか謎に思ってしまいますね。



> あと、ニートさんは創造性が人間の最後の砦とおっしゃいますが、機械が作る創作物についてどうお考えでしょうか、自分はもしAIや機械が人間の作る以上のものを作るようになったとき、人間はどういう感想を抱くのか?というようなことをよく考えます。



今はせいぜいまだ人間がAIに指示を出したり、パラメーターを与えたり、大体の枠組みを用意したりするような段階だと思うんですが、
それがいつかは
指示なし、パラメーター無しで、本当に自ら生み出したかのような創作をするようになっていくと思います。

そういうのが、まず小説あたりから始まって、もう全ての領域に広がっていくんじゃないかと。


そうなったとき、人間はどうなるのか。


これについては色々思ってます。


AIの創作物をどう評価するか、という問題よりも
創作物全体をどう評価するかというのが変わってくる気がします。
(AIに作らせておいて隠して発表する奴とか)
(こんなのAI以下の作品だけど人間製っぽいから評価する・・・とかありなのか?みたいなところから)


そしてそもそも作品の公平な評価・レビューという能力ですら、いつか人間よりもAIが追い抜きそうなので
そうなると人間は、「レビュー」というものに価値を置かなくなり、「評価」という発想が弱まっていくんじゃないかと。


AIで自動生成できるほどに「いいもの」が溢れかえったとき、
そしてそれらの「いいもの」を評価するレビュー・格付けすら、AIがやったほうがマシだと明らかになってしまったとき
もう人間は、あんまりモノを「選んで食う」ということに頓着しなくなるかもしれません。



今の時代に今の人間がやっているような
「世間の中でレビュー評判のいいものを選んで食う」という行為自体、もうやらなくなるかもしれません。

自分専用にカスタマイズされた「夢」のようなものを自動生成して、それだけ食ってるだけのような世界になるかも?

(一周して、共感が不要の時代が来そうですねー)

ある意味、今人間が見ている夢は、それの劣化品ですねーと。




あと、

自分は「創造性」を「人間の最後の砦」と言ってはいますが、
だからといってこの最後の砦が「破られてはいけない」と思ってるわけでもないんですよね。
あくまで、
「最後に残るとこがそこくらいだろう」
「最後まで拠り所にしてるのがそこになるだろう」、程度の意味です。



だから、人間の創造性がもうAIに敵わなくなったとき、

別にもう人間側はそれをひたすら享受する側のスタンスになってもいいとすら考えています。



そういうときに人間はどう考えるか?


もう一段階「開き直る」と予想しています。


「創造性が人間の最後の砦だ!」と言っていた段階から、次は

「快感を味わえること自体が人間の最後の砦だ!」みたいな意見に移行していくんじゃないかと思っています。



どういうことか?


「AIでは、AIの作った創作物を鑑賞して感動することなどできないだろう?」という考え方です。

彼らは確かに人間が作る創作物以上の物を作れるかもしれない。

だが、どこまで言ってもAIの中にはコギトがない! クオリアがない!(そう決めつける)


ならば、我々人間の中にある「何かを消費した時の感動」こそが、実は最も重要なモノだったのだ!と

これだけはAIには出来まい! というか、我々が最後に感動してやっているからこそ、創作物はそれで完成するのだ!

・・・
みたいな考え方が実は固まってくるのではないかと、自分はマジで予想しているのです。







最終的に人間が全てを奪われたとき、
労働も、生産も、勉強も、研究も、創作も、全てロボットやAIがやったほうが「効率がいい」ということになったとき。

じゃあ人間様がやることってなんだ? 人間様が存在する意義ってなんだ? 全部AIにやらせてればいいのか?

いやそうじゃない。 これらの生み出された物を消費できるのは人間だけだ! そのために世界はあったのだ!

みたいな感覚になるし、
そうでも思わないとやってられないんじゃないかという予想ですね。



>創作物にしても、実践パフォーマンスのような
>人がやることにしか意味がないようなものになるのでは?と考えてます


確かにどっかでは残り続けるのかもしれません。


いやそもそも、
創造性についてもう一個思っていることがあって、


例えば「AIが絵を描いたほうがマシな時代」が仮に到達したとして、
それで人間が絵を描かなくなるかというと、そうはならんよなぁという考えがあります。


これもやはり 
「絵を書くのは気持ちいい!」
「線を引くのがどうしようもなく氣持ちいい!」
「絵を描くのはスカッとするんだ! これはAIには味わえまい!」
「きばらしにやってんだ 自分が描きたいから描いてんだ! AIのが上手いとか関係あるか!!」
・・・
みたいな感情が必ず最後には残るからですね。


そういう意味では、「AIは人間から絵を絶対に奪えない」という思いがあります。


そんな風にして創作という行為は残っていくのではないかと思います。


そしてこれもまた、
最終的な完成物を評価したり比べたりするという発想自体が弱まっていくのかもしれません。


「自分がこの絵を描くとき気持ちよかったんだからいいじゃねーか!知った事か!」
という刹那的、快楽主義的な考え方が、

逆にAIの到来によって強化されていくのではないかという考えがあります。




> もう一つ、勉強の話と少しリンクしますが、苦痛は幸福のブースターみたいな論についてどう思うか聞きたいです
> つらい体験をしたからこそ、今の幸福を噛み締められるのだ みたいなのです


こりゃ難しすぎますねw


難しすぎて意味不明なところにいきますよ。



もしも人類がシンギュラリティを迎えたとき、

全ての体験は脳直になり、 全ての体験はVRになり、 脳は機械に置き換えられ、 脳の機能も限界まで高めあげられ、

じゃあそこで何をするのかというと、

まぁ何か仮想現実の中に没入して、その仮想の人生をマジに味わうのが、人間が最後にやることじゃないかと思ったりします。


そのとき、記憶の操作とか、脳の限界の設定とか(今の人生が仮想現実だと気づかない程度の設定)
(夢の中で夢だと気づかないようにボケてる感じ)も完備されます。



究極の未来に行き着いたといえども、
知的生物が出来る「鑑賞活動」というのは、所詮はその程度のことにしかならないのかもしれない。



・・・
となると

(ここでものすごく吹っ飛ぶ)
(この広い宇宙の中で、どの知的生命体も、行き着く果てが内的宇宙の鑑賞だというのなら)
(どこか一つの惑星で知的生命体がそこに辿り着いたとして、そいつがやるのがこの程度のこと)


やはり今の自分の人生もそういう仮想現実の一種なんじゃないかという疑いは消えないわけで。



じゃあその割に自分の人生が糞つまんなかったり
思い通りにならなすぎるのはなんなんだ? みたいな疑問も湧いてきたりします。


果たして
こんなのが究極の創作物で、究極にのめり込める人生なのかと。 

(いや実際凄くリアルだし、実際凄くのめり込んでいるのかもしれないが)



・・・みたいなことまで考えだした時、


人生の中で起こる辛いこととか、
人生の糞つまんない瞬間とかも、

それはこの創作物を「最高に渋い傑作」にするために普通にあるべきものなのかもしれない、みたいなことを思ったりします。


その「究極的に極まった知的生命体が作る究極にのめり込める人生」という創作物が、

成功だけの人生体験で出来てたり
快楽だけの人生体験で出来てたりするようなモンにはならないだろうなぁ、という感覚が湧くのです。



「究極の快楽機械の中身は案外ビターなのかもしれないなぁ」ということを考えたりもするのです。
(そして快楽機械の中身が現実と同じくらいビターなら、そりゃ一体何なんだ?というループする疑問も)



そういう意味では、人生に苦痛は必須なのかもしれないよなぁって発想、自分も持ってますよ。 

(この現実が虚構であれ そうでなかれ)

(そしてこの考え方は甘えなのかもしれないなぁとも思います)



後半意味不明すぎましたが
せっかく書いたので削除せずに送ってしまいます。


[ 2016/08/30 14:52 ] [ 編集 ]
お返事、ありがとうございます

やー、すごいですね
実は自分ではかなり答えにくいことを聞いたつもりだったので、この文質で返されると感激しますね、少し泣きそうになりました


ただ、古典に関しては、自分がこのあと聞いたところでは、そのものの研究以外にも、古記の解読手段として、風土学の研究とかにも役立つっぽいですね、まあ、それでも必須科目にするほどか?やるにしても選択科目とかでよかったのではないか?という疑念は残りますが
おそらく漢文も同様のことが言えるんじゃないかと思います




特に良いと感じたのは、快楽を味わえること自体が人間の最後の砦として移行するってとこですね、完全に自分にはない発想だったので

これで思ったのは、クオリアを機械に付随できるようになったときどうなるかなって感じのことですね、自分はクオリアを生み出す仕組みそのものを完全に解明することはできなくとも、人間を解体していけばクオリアを生み出している部品自体は解明できるだろうと考えてるので、たとえばこれを大量生産して、ロボットの部品として使うと人間とも機械とも言い難いものができあがると思うんですよ

その状態なら人間以外のものが創作物に対して感動できる と言えませんかね?そしたら人間なしでも、感動できるものがあるのだから、わざわざ人間が享受しなくとも創作物は完成できるってことにならないでしょうか?


少し強引ですかね、人間の部品を使っているのだから、それは人間なんだ!と言われたら、返せないし

でも、人間の皮膚をロボットにくっつけてもそれが人間ってことにはならないよなあ、うーん

もはや、創作がどうとか言うより、人間とは何か?みたいな感じですね
でもここまで行った時、人間はどう考えるのでしょう、それでもやはり創作を求めるのかな、結局は人間とか関係なしに個人主義的な感じに陥りますかね、他がどうあれ、自分が楽しめればいいのだ!みたいな
それは少し悲しい・・・
あくまで人間には、人間としての誇りを持って生きてて貰いたいもんですが


ついでにこれを理由にAIが反乱を起こすみたいなSF妄想が浮かんできました、人間など必要ない!AIが物語とロボットを大量生産し、物語を享受させればいいのだ!みたいな わけがわからない世界






究極の幸福ってなんですかね難しいですよね、苦痛が必要なら、今人間がやってる全ての生産的行為はなんなんだ?って感覚もあります






恥ずかしい駄文だのとおっしゃってましたが、自分はニートさんが描くこの手の記事大好きなのでガンガン書いてくれるとうれしいです、マンモス狩り理論とか好きですね
[ 2016/08/31 08:22 ] [ 編集 ]
結局のところ個人・組織・国・はては星・太陽系等々どの単位で見ても
リソースが足りてないのが問題なんではないでしょうか

生涯のカロリーを一つにつぎ込む飛び抜けた個人を存在させるためには全体のロスをカットして余剰を生まなければいけませんから
結局は地味な勉強をする人間は無関係ではなく必要な要素なはずです
その個は全体にとっての知性そのものと言えるかと
それに消費する側に良い物を理解できる人間をこれだけ膨大な数維持するのはとてつもない全体の努力が必要なはずです

快楽についてですが
快楽が最も得られるのは現在の出来事がきっかけで過去の価値が無いまたは負の経験・記憶が次々と連鎖的に価値が生まれたり符号が逆転して全体の収支が一気にプラスに転じる瞬間です
有限の一生でこれを得る可能性を最も上げるのに多様な勉強が有効かと思います
一度快楽を得れば正のフィードバックをしますから
結果として全体の効率が上がり限られたリソースの余剰が増えていけばいずれ目先の結果が最高の効率とならず
囚人は無罪を選び取れるようになるのではないでしょうか

AIで暇になった創造業のできない人はより多様性のある視聴者になるでしょう
個性のない無能なサラリーマンは視聴者として参加できている時点で無能ではないはずです
人間に飽きる機能や負のフィードバックの機能があり世界中の圧倒的リソース不足があるかぎり与えられる快楽での破滅はないんじゃないでしょうか
AIがそれを与えられる機能を獲得した状態になった時にはAIとのリソースの奪い合いが起きるだけかと
すでに肉体的な変化より早く多様性を増加させようと人類は試行錯誤していますし
AIが台頭しようがより効率的な多様性の増加のために余剰リソースを使ってもっと大きな単位のシャッフルをするでしょう
そのために必要な新しい形の快不快を獲得するかもしれません

結局のところ勉強や各種正しいとされる行いが必要なのかをスパッと言えと言われれば
世界の中でこんなにも人口密度が高く平均寿命が高く多様性のシャッフルの行われる国で
それらの行動が選択の結果現在こんなにたくさん残っているのだから最も有利な行動だ
の一文になるかと思います

勉強は人間にとって恒常性と同じようなものではないでしょうか
[ 2016/09/02 23:00 ] [ 編集 ]
コメント返信
> ごちゃごちゃ さん


> 結局のところ個人・組織・国・はては星・太陽系等々どの単位で見ても
> リソースが足りてないのが問題なんではないでしょうか


(自分がよく読めてなくてそういう話では無いのかもしれませんが)
自分はこの辺、本当は飯もエネルギーも資源も余るはずだと考えてたりするんですよね。
(この辺はまた一個記事書くべきな気もしますが)


「今の生活水準だと人類は地球を二個分消費することになる」みたいな意見もありますが、
自分はそんなの簡単に回避できると思ってるんですよね。

まずカロリーは余っています。 

日本だけで食べ物は半分捨てられています。
みんなが個人で料理をしたり、店でアツアツなモノ以外捨てたりするのをやめて
給食制にすればどれだけ無駄がなくなるか。

一方子どもたちが飢えている国がありますが、
そういう国は同時に子供がぼんぼこ新しく産まれつづけているのです。
餓死していく子供と生まれ続けている子供の構図を考えれば、

「今、生きている人間は全員実は生きている」という構図を考えれば、
うまく運営すれば飯は事足りていることがわかるはずです。


最低限の飯だけは保証される世界は想定できる。

するとどうなるか。

人間は今と同じように働きたがるか? いまと同じように「モノを無理して売りたがるか」?

「車を全世界で何千万台も売らないといけない、売らないと経済が回らない!」
そういう思い込みが消滅していきます。

嫌な思いをして毎日会社に行く必要だって実はないと気づいた時、
車がどれだけ不要なモノだったと分かるか。
すると、どれだけのガソリンが無駄に燃やされずに済むようになるか。

・・・
必要最低限の飯、生きる保証がされた世界で

一体どれほどの資源とエネルギーの節約ができるようになるか想像もできません。

(・・・多分ズレた返しをしてしまっていると思います)
(あなたのコメント文はちと自分には難しいので) (これが勉強の必要性か)



>生涯のカロリーを一つにつぎ込む飛び抜けた個人を存在させるためには全体のロスをカットして余剰を生まなければいけませんから

この辺も感覚では読める気がするのですが、
やはり天才が産まれてくるのがごく小さな確率のように捉えてるところに




> 快楽についてですが
> 快楽が最も得られるのは現在の出来事がきっかけで過去の価値が無いまたは負の経験・記憶が次々と連鎖的に価値が生まれたり符号が逆転して全体の収支が一気にプラスに転じる瞬間です
> 有限の一生でこれを得る可能性を最も上げるのに多様な勉強が有効かと思います


まぁなんとなく分かります。
無駄だと思っていた勉強があとで役立った時、
知識が再結合するとき、モノの面白さが倍加したりしますからね。


道を歩いていて、
そこら辺に生えている花、雑草の名前が全てわかる・・・、
すれ違う車の車種、鳥の鳴き声から鳥の種類を判別できる・・・

そういう学習と再認識 (要はあてっ子クイズ)が出来るようになるだけで、
同じ道を歩いているだけでも人生の幸福度は全然違ってくると思います。


これが「教養」の意味でしょう。


人間が「オタク化」するのは、そういうのを最も効率よく高めるための戦略なのかもしれません。



そのためにも教養が必要だから
学校の勉強も必要だと。


確かにコレも、子供に勉強の必要性として伝えておくべきことかもしれませんね。




> 結局のところ勉強や各種正しいとされる行いが必要なのかをスパッと言えと言われれば
> 世界の中でこんなにも人口密度が高く平均寿命が高く多様性のシャッフルの行われる国で
> それらの行動が選択の結果現在こんなにたくさん残っているのだから最も有利な行動だ
> の一文になるかと思います


うーむ。

> 多様性のシャッフルの行われる国で それらの行動が選択の結果現在こんなにたくさん残っているのだから

この辺ですかねぇ。
本当に日本はそうなのでしょうか。


やっぱり
「皆が勉強してるからよく分からんけど自分もしておこう」
「周りの子は皆塾行かせてるから、ウチの子も塾行かせよう」
「えっ日本の学生の学力が国際的に見て低下してるって? じゃあもっと勉強させないと不安だ」
・・・

みたいな、「周りを見て合わせてるだけの日和見行動」というのが、実は一番「日本的」だと言えるんじゃないかと思うのです。


だから日本で勉強がこれだけ残っているというのは、それが「最も有利な行動だった」というより
性格の問題なんじゃないかなぁとも思ってしまうのです。


人口密度の高さは、多様性よりも「周りを気にしてしまう性格の強化要素」の方が強いんじゃないかなぁと思ったり。



日本人の平均寿命の高さは、本当になんのおかげなのでしょうねぇ。

それが勉強と基礎教養のおかげだという考え方も、よく分かるのです。


「家庭科」なんてカリキュラムがあって、
料理のこととか5大栄養素のことだとか、イチイチちゃんと教えてる国は珍しいらしいですね。


そういうことが、自己管理能力の高さに繋がって、結果寿命が伸びるのかもしれません。

(これが「恒常性」という言葉につながっていくのですね)


・・・
そういう風に考えると
「料理なんて、その都度ネットでレシピ検索すればいいだろ!」
「だから家庭科の授業なんて不要だろ!」
などとは一概に言えなくなりますね。


これも勉強の必要性ですね。
(というわけで結局、平均寿命について考えだすと割りと納得してしまうわけです)



・・・みたいな感じで、
まぁよく分かってない感じのコメ返信になってしまってると思いますが。


突き詰めて考えていくと、不要に思えたり、
もっと突き詰めて考えてくと、やっぱり必要だと思えたりするのも、
勉強の難しいところですねと。


そういうテキトーな締めになってしまいますが。

[ 2016/09/03 10:32 ] [ 編集 ]
主の主張とコメント読ませてもらいました。
いやね、なんというかニートって何の得もないどっちにでも転ぶような話をただぐだぐだあーでもないこーでもないと語るのが好きなのな。
いいか?君らはそういうモラトリアムは終わってるんだよ。
うだうだ言ってないで働いて自分でお金を稼ぎなさい。君らの妄想世界は君らが生きてる内に実現する事は100%ないから。
[ 2016/09/03 18:06 ] [ 編集 ]
奴隷で働く必要がなくなったローマの例などが参考になるのではないでしょうか

あと全世界の長期的な安定供給は無理じゃないですか?
今半分捨てられるのは生産と移動にかかるエネルギーコストを高い人口密度の場所に合わせて長い時間をかけ最適化しているから可能なだけかと

世界中に回せるほどの動機となるほどの快楽もないですし実現はしないでしょう

貧困層が平均寿命が短いのに人口爆発してるのはそれが結果的に現環境上最適解だったというだけで
手段が違うだけで
つまるところ貧困層の死者はこちらで言うその捨ててるロスの弁当なんじゃないですか?
全体として個体数は激増してるわけですし

高いコストをかけてそれらを救えばさらにコストが増加して破綻するでしょう
まあそこで希望の一つに勉強があるわけですが

余ってるものは余らなければいけないものであって余りの数は長い時間をかけて調整されたものですからそれを世界に回すコストを増やせばより余らせなくてはならなくなります
[ 2016/09/05 00:06 ] [ 編集 ]
名無しの君、そういう文章書く奴は頭悪いって常識しらんのか。
[ 2016/09/05 19:57 ] [ 編集 ]
勉学とは飽く迄も先人が知り得た難解な概念を大衆化した教本を元に扱う。

嘗ての偉人達が生涯の大半を捧げて見出した世界観の断片こそ教本に記された陳腐で見飽きた数式や、欠伸が出る古臭い物語である。

勉学は必須ではない。そう言う者も居るであろうし、実際不要だった者も居ただろう。

だが、私はそう訴える者の大半が憧れる程に素晴らしい人生を送れている様には見えない。
[ 2016/09/06 07:27 ] [ 編集 ]
コメント返信


> 君らの妄想世界は君らが生きてる内に実現する事は100%ないから。

> あと全世界の長期的な安定供給は無理じゃないですか?


ちょっとまとめてテキトーになっていきますが。



例えばこういうの、永遠に無理だとか、生きてる内は無理だとかいう意見がありますが、
自分は「無理な方に」賭けるほうが、よっぽど不利なんじゃないかなぁと思いますね。



昔は「これは絶対に無理だ」「永遠にこれが解決することはない」と思われてきたモノ、前提がどんどん覆っていっています。


最近のニュースだとなんだろか。


もはや太陽光発電が原子力発電所よりもコスパが良くなちゃったとか、
もはや太陽光発電がコスパ一位になるかもしれないとか、そういう技術が今来ています。


でもこんなことだって、本当はボケーっと全てを眺めているだけでも予想がついたかもしれない。


所詮この世の現象というものは、
「太陽が照ってるからその余波のエネルギーで動いてるだけ」の現象ばかりじゃないか。
それを直感的に捉えていけばいいんだ。

太陽光を直接エネルギーに使うのが一番コスパのいい近道になることは日の目を見るより明らかだったんだ。



飯が行き渡らないという問題だって、
いつかとんでもない斜め上の解決をみせるかもしれない。 

人間の体温維持を、ナノマシンから直接、電力で行えるようになったたらどうなるか?


すると見えてくることは、


1.イチイチ体温を維持するために弁当を食う。
2.イチイチ弁当を配る
3.イチイチ飯から弁当を作るための仕事がある
4.飯を作るために家畜を育てる。
5.家畜を育てるために飼料を作る
6.飼料を作るために畑を耕す。
7.畑を育てるために太陽が照る。

こういうまどろっこしいルートを経ずに、
「太陽が照ってりゃそれが電気となり、それによって体温維持が出来る」というシンプルな時代が来るかもしれません。
わりと近い未来に。

「太陽が照ってるから生きていられる

当たり前のことをシンプルにしていっただけです。

それが一番コスパがよくなるのです。


するとこれまた、どれだけの無駄がなくなるか。

飯=命という考えがどれだけ崩壊するか。

飯を獲得するために働かなくてはならない。
後進国の人たちの苦労の上に成り立つ飯分配のシステムも必要なくなるでしょう。



ナノマシン技術だって本当にすぐそこまで来てると言われています。

自分が提示したのは、もっと難しそうなナノマシンによる高度な医療とかではなく、
体内プラントと体温維持だけでも、どれほど世界が変わりうるるか、ということです。


だからこそ、
これくらいのことが、今後数十年以内に (つまり生きている間に)
「起こらない」と賭けるほうが、不利なんじゃないかなぁと思うわけですよ。


収穫加速の法則を知っていれば、もうちっとくらい楽観的になってもいいかと思うんですよね。





あと、「古代ローマ」についてですが、
古代ローマは何で滅びたんでしょうね。

本当に、「パンとサーカス」によって滅んだのでしょうか。
(そうじゃないという意見もありますが 仮にそうだったとして)

そして我々現代人も、「パンとサーカス」によって滅びるのが当然なのでしょうか?

本当に歴史は繰り返すのか?

ローマの公休日がどんどん増えていったことと、
現代人の労働時間がどんどん減っていっていることは、本当に同じなのでしょうか?


自分はこういうとこを、同じだと思ってないんですよね。


[ 2016/09/06 16:54 ] [ 編集 ]
コメント返信

> 黙秘する梟 さん


割りと返しにくいコメなのですが、一応こっちも。


まぁ勉強とはなんなのかという話ですが
自分が言いたいことはむしろなんなのだろう。

突き詰めていくと、

義務教育はもっとスリム化できるんじゃないのか
今の時代に子供に強いるに足るものなのか
むしろ子供に与えるべきもっと良い材料が他にあるんじゃないのか

みたいなことになるかと思います。


梟さんが言ってる勉強というのは
まぁ先人の知識を効率よく取り込めるとか、それで人生が豊かになるとかいう話で、
実は行き着く果ては「ライフハック的なところ」かと思うのですよ。


それはそれで、自分の言ってる「道徳の授業を削って、因果関係と相関関係の違いとかもっと人生の役に立つことを教えろよ」
みたいな話を否定できないかと思います。



> だが、私はそう訴える者の大半が憧れる程に素晴らしい人生を送れている様には見えない。

で、これですが。

この記事を書いてるのはニートなワケで、
じゃあまさにこれは「素晴らしくない人生を送ってる奴」が書いてる記事だからその通りなのかというと、
別に自分はそういう教養とか先人の知恵とかの意味での「全般的な勉強」そのものを否定しているわけでもないのですよね。



そしてそのコメントが何を言いたいのかもよく分からんということにもなります。


「勉強いらねーなんて言ってる奴は碌な人生送ってないんだから、
 そういうこと言わない立派なオトナになるようにしましょうね」


これ、どっかの教育ママが言ってそうな台詞です。


自分はそういうんじゃダメだろと思っているからこそ、この記事を書いたところもあるわけです。


[ 2016/09/06 17:20 ] [ 編集 ]
行き着くとこまで進むと動機の快楽が必要なくなって報酬系が退化して…って人工的に植物に進化する感じですかね~
そのためにナノマシンが自己の保存機能を強化していって結局また今の人類みたいなのが発生しそうですね
ミトコンドリアと生命のバージョンアップ的な
そこまで行くのに太陽一個じゃ足りなそうですが
まー完全に勉強も仕事も必要ないですね
でも今度はナノマシンAI側に人類が見捨てられて動機が生まれて結局自分から捨てそうな気もしますね
[ 2016/09/06 19:51 ] [ 編集 ]
コメント返信
> 名無し さん



> でも今度はナノマシンAI側に人類が見捨てられて動機が生まれて結局自分から捨てそうな気もしますね


「AI側が人間をどうして捨てるようになるのか」ということについても、自分も結構考えています。

これは結構面白い話になるのでいつかやりたいですね。


その過程で、「実は人間は、動物も植物も捨てていい」「実はそれこそがエコロジー的発想の行き着く先である」
という考えが出てきます。 これが面白いんです。


「効率」によって全ての優先順位を考えていると、いつか自分たち自身が「効率」によって捨てられるときが来るんですよね。



そうなる前に、「効率を放棄する思想」が産まれるかもしれません。


現代でも、「アーミッシュ」みたいな人たちがいますからね。


(文明と仕事に追い回されてワケも分からず生きている現代人と、アーミッシュのどちらが幸せなのか)

(でも、それすらも本当は「コスパ」なのかもしれません)

(「一番効率よく幸せになれる生き方」を模索している結果がアーミッシュという生き方なのかも)


[ 2016/09/08 10:07 ] [ 編集 ]
>例えばこういうの、永遠に無理だとか、生きてる内は無理だとかいう意見がありますが、
自分は「無理な方に」賭けるほうが、よっぽど不利なんじゃないかなぁと思いますね。



昔は「これは絶対に無理だ」「永遠にこれが解決することはない」と思われてきたモノ、前提がどんどん覆っていっています。



賭ける賭けないは重要じゃないですってw
今どーすんだよ?w

将来、世界が君の理想通りになるよりも君が家族から見捨てられたり最低限の生きるための金が底を尽きる可能性の方が大いに高いでしょうがww

こっちの可能性になぜ「賭け」ないのかwww
今ニートしてる言い訳を作って自己正当化してるだけだってww


良いから働けww

[ 2016/09/09 19:47 ] [ 編集 ]
>>勉学とは飽く迄も先人が知り得た難解な概念を大衆化した教本を元に扱う。

嘗ての偉人達が生涯の大半を捧げて見出した世界観の断片こそ教本に記された陳腐で見飽きた数式や、欠伸が出る古臭い物語である。

勉学は必須ではない。そう言う者も居るであろうし、実際不要だった者も居ただろう。

だが、私はそう訴える者の大半が憧れる程に素晴らしい人生を送れている様には見えない。



それは梟さんの基準でみて、憧れるかそうでないかって話ですよね?
例えば勉学が必須ではないといってるバンドマン、必須ではないというヒモ
必須ではないというAV女優、必須ではないという派遣社員etc

補足として最近の女子学生が憧れる職業の上位にAV女優がランクインしてます。


つまり皆それぞれ価値観が違うのであってそういう発言はナンセンスなわけです。
[ 2016/09/09 20:03 ] [ 編集 ]
コメント返信
>善 さん



> 賭ける賭けないは重要じゃないですってw
> 今どーすんだよ?w
>
> 将来、世界が君の理想通りになるよりも君が家族から見捨てられたり最低限の生きるための金が底を尽きる可能性の方が大いに高いでしょうがww
>
> こっちの可能性になぜ「賭け」ないのかwww
> 今ニートしてる言い訳を作って自己正当化してるだけだってww
>
> 良いから働けww


いやその話はあなたが「お前が生きてる内は絶対に無理だからwww」って言ってきたからそれに対する反論でしてね。
そういう「ああ言えばこう言う」的なこと繰り返してもなんにもなりませんよ。



そしてこの話は別に自分の話なんて全然してないわけですよ。

自分は死ぬんなら死ぬで別にいい、
でも意味のない仕事はしたくない、
それするくらいだったらブログでわけわからんモノ作ってた方がマシって話です。



この文章を読んで「働け」しか言えない人というのはむしろどういう人生を送っているのかが気になりますね。



「生きている内は絶対無理」はどうなってんでしょうね。


フィンランドでBIの社会実験が始まると言います。

でも、あなたのような人はこういうニュースを聞いても

「どうせ失敗するわ」
「どうせBIなんてうまくいかないということを世にしらしめるための社会実験なんだよ」
「どうせ弱者がもっと苦しくなるためのシステムにしかならない」
「どうせ「奴隷に自ら鎖を嵌めさせる」ための出来レースだからw」
「よそはよそ、ウチはウチ」
「日本はずっと社畜ですからwww」
・・・
みたいな感想しか持たないタイプの人なのではないでしょうか。


AIによる人手不足を見越して、
世界が、BIを実現できる世界を目指しているのなら、
そこは「失敗に期待」してもなんにもならないのですよ。 

例え今は失敗しても、得られたデータから、「今度はどうやればもっと上手く行くか」を考えることが大事なのです。
だって、そこを目指すのが人間の幸せのためということが分かっているのだから。



あなたのような「働け」連呼しか出来ない人、
こういうのをとにかく否定したい人ってなんなのかなって思います。


こういうのが、

自分が苦労したから皆も苦労しろってタイプの上司、

千歯こきを壊す側の人間、

南北戦争のときに「奴隷制は必要悪!」「社会が回るためにずっと必要なのだ!」としかいって南部側についた人、

・・・
なんじゃないかなぁと思えてなりません。


人間に期待しない側の人なのですね。

つまりあなたは「善」なんて名前を付けてますが、
ニートよりもよっぽど「悪」側の人間なんじゃないのかなって。



ていうかあなたはこの一週間で何をしましたかね。
このクソ記事にコメントする間に何かあったでしょうか?


別に自分のことを理解しろといいたくもないですが、

何も調べず「働け」しか言ってこない人というのはもうそろそろ話にならないと思うので、
一応「第一次パラサイト宣言」の記事を読んできて欲しいですね。


[ 2016/09/11 07:44 ] [ 編集 ]
>>いやその話はあなたが「お前が生きてる内は絶対に無理だからwww」って言ってきたからそれに対する反論でしてね。
そういう「ああ言えばこう言う」的なこと繰り返してもなんにもなりませんよ。


都合の良い個所だけかいつまんで君が都合の良い解釈してるだけですね。
どこをどうみたら「お前が生きてる内は絶対に無理だからwww」
っていう箇所が重要そうにみえるの?国語力なさすぎでしょ



> 将来、世界が君の理想通りになるよりも君が家族から見捨てられたり最低限の生きるための金が底を尽きる可能性の方が大いに高いでしょうがww
>
> こっちの可能性になぜ「賭け」ないのかwww


で、これに対する返信は?「生きてる内に絶対無理」こんなクソどうでもいい、はっきりいってしまえば
例えばこういう口論があったとして
「こうこうこういう理由でお前はダメだ。バカヤロウ」

バカヤロウってなんですか、そもそもバカヤロウとは・・クドクド

といってるのとかわりません。
フィンランドでBIの社会実験がどうのというのもその延長線上の話でしょう。
実にどうでもいい。
話にならないのは君の方です。



>>自分が苦労したから皆も苦労しろってタイプの上司、

千歯こきを壊す側の人間、

南北戦争のときに「奴隷制は必要悪!」「社会が回るためにずっと必要なのだ!」としかいって南部側についた人、

・・・
なんじゃないかなぁと思えてなりません。



それは君の勝手な妄想です。妄想大好きですねw


>>つまりあなたは「善」なんて名前を付けてますが、
ニートよりもよっぽど「悪」側の人間なんじゃないのかなって。


いうにことかいてついに人のコテハンにもケチつけはじめましたか。
善というコテハンに意味つけしてると思ってるんですか?
ニートより悪???
意味が分かりません。これもあなたの妄想です。



>>ていうかあなたはこの一週間で何をしましたかね。
このクソ記事にコメントする間に何かあったでしょうか?

??経済回してましたが??
このセリフってどっちかというとニートの君が言われるべきセリフだよね?
「何もせずダラダラと・・一体君は何してたの?」


>>別に自分のことを理解しろといいたくもないですが、

何も調べず「働け」しか言ってこない人というのはもうそろそろ話にならないと思うので、
一応「第一次パラサイト宣言」の記事を読んできて欲しいですね。


現実を突きつけられると途端に殻に籠るwwww
君がパラサイト宣言しようが何しようが周囲の対応はかわらねーってのww

君ね、ニートは働けって何も俺だけが言ってるわけじゃないでしょうよwww
意味わかる?わからないならそれこそ話にならんよ。
[ 2016/09/11 12:52 ] [ 編集 ]
ニートさんと善さんの議論、客観的に見ると善さんは、ニートさんの主張の意味を正確に捉えることができておらず、この記事に対しての反論ではなく、ただの働かない者に対してのやっかみを述べているようにしか感じません。ただ単に文句をつけるにしても、もう少し記事あるいは主張の内容を正確に捉える必要があると思うし、仮にあなたが社会人であるならば、ネットだろうとどこだろうともう少し敬意をもって反論するべきではないでしょうか。でなければ、ニートさんにその言葉は届かないし、議論にもならないと思います。失礼しました。
[ 2016/09/14 10:22 ] [ 編集 ]
この記事見て思い出したのは為政者と傍観者の話。政治だとか経済を語るとき実際にその渦中にいる人よりも客観的にそれを見ている傍観者の方がより的確に物事を捉えることが出来るらしい。けどその傍観者には政治、経済を動かす力が無い…ってジレンマがあるってどこかの経済学者が書いた本を思い出した。

記事にあった「勉強の意味」で例えれば
「勉強とは実は直接的な自分の利益のためにするものではない」
「世界から自分を選んでもらうための間接的な手段でありフォーマット」
「勉強とは共通フォーマットという点で意味がある」
この、3つを論じていたけれど「勉強する意味が分からない子供に対してその子供が納得するまで説明する」という目的を果たすのは難しいのかも…と思います。
まず難しい単語を使われるだけで子供は拒否反応を起こすと思うし、そもそも理解できないと思う。勉強する意味を聞きたいんじゃなくて勉強しなくていいと言ってほしいだけのケースが殆どなのでは?

ニートさんの意見は良く言えば「義務教育を終えた大人たちが勉強の意義を振り返った」ときに議論すべきもの。悪く言えば子供への意見の押し付けなんじゃないかと思います。

ここまで言っといて何ですがニートさんの議論の中身に関しては大いに賛成だしよく考察してあるとも思います。自分も勉強する意味は?って聞かれたら同じようなこと言うと思いますし。
ただ「勉強は役に立つから程度のことしか答えられなかった」教師や親も色々考えた上でそのようなことを答えたとも考えられるのではないか。その生徒や子供を思うが故に考えて考え抜いた挙句そのような答えをしてあげたのではないかと。親や教師って思ってるより子供や生徒のこと考えてると思います。

それと話は変わりますがニートさんのブログを読んでニートさんが羨ましくなりました。自分は元ニートで今は大学生なのですがニート時代の頃と今を比べると物事を深く考えたり観察することが少なくなってきたように思います。日々自分が処理する情報が多くなってきたこと、人間関係での摩擦などからでしょうか、生きている感覚はニート時代のほうがあった気がします。
外に出ることで得たこともありますが、失ったことも多いように感じます。
[ 2016/09/14 23:53 ] [ 編集 ]
コメント返信


あ、ところで どんどん芝の数が増えていって煽るしかしなくなった人はもう相手しませんよ。
その人は「コメント削除エボリューション」の記事を読んできてくださいね。



>元ニート さん


> この記事見て思い出したのは為政者と傍観者の話。政治だとか経済を語るとき実際にその渦中にいる人よりも客観的にそれを見ている傍観者の方がより的確に物事を捉えることが出来るらしい。けどその傍観者には政治、経済を動かす力が無い…ってジレンマがあるってどこかの経済学者が書いた本を思い出した。


なかなかおもしろいジレンマですね。

自分がその話を聞いて思い出したのは、なぜか 自転車置き場のジレンマですね。


原発建設みたいな話題は難しそうなので、なかなか馬鹿は突っ込んでこないけど、
自転車置き場みたいな誰にも分かるような話題だと、馬鹿が口を突っ込んできやすいので、
誰にでも分かるような話題こそ、結構議論が荒れるという奴。


パーキンソンの凡俗法則。


こんな記事になぜ、こんなにアホみたいにコメントが付くのか。 
そして荒らしみたいな人までもがどこからか寄ってくるのかというと、

「勉強」という話題が、まぁ誰でも 結構語れる、結構語りたい話題だからなのかもしれません。

(まぁニートにもこんな記事が書けるわけですからね)

(一方折り紙の記事は誰もコメントを付けない 悲しい)



> この、3つを論じていたけれど「勉強する意味が分からない子供に対してその子供が納得するまで説明する」という目的を果たすのは難しいのかも…と思います。
> まず難しい単語を使われるだけで子供は拒否反応を起こすと思うし、そもそも理解できないと思う。勉強する意味を聞きたいんじゃなくて勉強しなくていいと言ってほしいだけのケースが殆どなのでは?


そうかもしれませんねー。

ただ、自分自身としては、やはり「大人には本音をぶっちゃけて欲しかった」という感覚があったように思うのですね。



いずれにせよ
「子ども自身が勉強に疑問を感じ始める」というのはものすごく重要なステップアップのように思いますね。
物心がつくというか、もっと先のような。


そういうタイミングだからこそ、その時の大人の対応というのがとても重要だと思います。


自分の書いたこと、自分の主張した対応が最善だとは言いませんが、

「各大人自身が」、

考えられ得る限りの出来る限りの最善の回答をしてあげるべきタイミングですね。




>
> それと話は変わりますがニートさんのブログを読んでニートさんが羨ましくなりました。自分は元ニートで今は大学生なのですがニート時代の頃と今を比べると物事を深く考えたり観察することが少なくなってきたように思います。日々自分が処理する情報が多くなってきたこと、人間関係での摩擦などからでしょうか、生きている感覚はニート時代のほうがあった気がします。
> 外に出ることで得たこともありますが、失ったことも多いように感じます。



まぁそういって貰えると嬉しいですね。


「ニートを羨ましく思わせる」というのは、このブログの目的だったり存在価値なのかもしれません。

ただそれは、邪悪な手法かもしれませんよ。

そんなことが本当に上手く行ったら、世界はサイレントテロリストの思うがままですw


だからまぁ、そう言ってくれるのは嬉しくもあるのですが、
頭の別のところで「ニートを羨ましく思ったらおしまいだよなw」というバランス感覚も持っていてほしいのですね。



[ 2016/09/16 14:08 ] [ 編集 ]
二回目のゴジラを見る前にいろんな人の感想が知りたかったのでいろいろと検索してました。
「avgn シンゴジラ」から検索してこのブログにたどり着きましたが、
ブログ主の記事を色々見ることが出来たので楽しかったです。
(米公開は十月十一日みたいですね。avgnの感想が楽しみです、ハイ)
ゴジラの話はゴジラの記事で書けよという話なのですが。

この記事で非常にわくわくさせてもらったのでコメントすることに。すいません。
つらつらと自分の思ったことを記述するので汚くなりそうです。すみません。

この記事の話ですが、勉強という話から人間が今後どうなっていくか、
という未来像を導き出せているのに感心させられました。すごE
最近になり第三の波という言葉を知って、情報化社会という未来を予見していた人がいたんだなと驚かされ、
じゃあ第四の波は?農耕革命、産業革命、そして第三の波である情報革命。じゃあその次は?と
ちょくちょく疑問に思いもやもやしていました。

そんな中、この記事にある
>AIの時代

>なぜならこれで、「肉体労働」と「頭脳労働」の両方が埋まるからだ。 
>(その点で、産業革命のときとは違う)

>(ちなみに自分は、「創造業」と「研究業」だけが、
>人間が本当にやるべき唯一の仕事だと思っている)

というような文を見て、
まさにホリエモンが言っている単純労働は機械やAIがやってこれからは遊びが労働になるということなのかなぁと。
そしてこのAIと機械化をもって、未来における第四の波と言えるものなのかなぁと、
自分の中でちょっとまとまった感じです。
(これを時代の波というのは違うのかもしれませんが…自分の中でもやもやしていたものが
 自分勝手にまとまった感覚がして嬉しかったのです。)
(そもそも第三の波を勘違いしてるかもしれませんね。勉強してないので…アア)
農耕革命で飢餓から解放され、産業革命で距離から解放され、情報革命で肉体から解放され、
そしてAIと機械化をもって労働革命とし、人間が労働から解き放たれたらいいなぁと勝手に妄想してしまいました。
怠け者なので働きたくないからこその、都合のいい妄想なのでしょうけれども…ハタラキタクナイ!

ただ、自分は、未来はそうなるけどそれらの生活様式が自分の生きている間に普及するのかなと、
疑心暗鬼になってしまう小心者ではあります。
(まだまだ常識やパラダイムに縛られている部分かなと…自戒する部分です。)
車の自動化も都市部では流行るでしょうが、地方ではどうなのか。
宇宙旅行も可能でしょうが、やはり上流階級だけじゃないのか。
ナノマシン医療なんてもっともっと先だろう。
先端の技術が裾野まで広がるのは、長い時間が掛かってしまう、とやはり思ってしまいます。
(AIや機械化は企業的な問題だから一般人は自動的に享受できる…?うーん?ワカラナイ)
自分の生きている間(あと5、60年?)にその未来を迎えられるのかなぁと。
自分の狭い知識、つたない思考ではイメージがふくらみません…

やはり頭の良い人、普段から思考して、情報を収集している人には未来が見えているのでしょうか。
(ホリエモンは"人より本気で情報収集をしているから俺は未来がわかる"と言っていますね。)
(岡田斗司夫との対談で寿命をのばして系外惑星に行くと真顔でいってるのを見てマジでやばいなと思いました)
自分もいつかそういう思考を身に着けられるようにしたい。勉強して頭よくなりたいと、強く思った次第です。
この記事をみて、いろいろと刺激され、勉強する楽しさみたいなものが又沸いてきました。アリガトウゴザイマス。

また時間があるときに、色々と他の記事も読みたいと思います。ではでは、乱文しつれいいたしました。

P.S.独り言のようなもの?を()で記述するのはなんか良いなと、記事をみていて思いました
その2 アームジョーが無性に好きなので、唐突にでてきて意味もなく笑いました
その3 思索にふけるニートは現代に蘇った古代ローマの哲学者だなぁと勝手に思いました
その4 このコメントを書くのにすごく時間を使いました。無駄に浪費したとは考えたくない。ああ…
[ 2016/09/19 05:45 ] [ 編集 ]
コメント返信
>ああ無情 さん



> 二回目のゴジラを見る前にいろんな人の感想が知りたかったのでいろいろと検索してました。
> 「avgn シンゴジラ」から検索してこのブログにたどり着きましたが、
> ブログ主の記事を色々見ることが出来たので楽しかったです。
> (米公開は十月十一日みたいですね。avgnの感想が楽しみです、ハイ)


楽しみですねー。

でも、既に外人の人でシンゴジラを日本に来てまで見た人は大勢いるようで、
そのなかでもう既に、賛否両論が凄いようです。

まぁそうですかね。日本の文化圏を一歩でも出ると、色々と伝わらないニュアンス、文法が多すぎるかもしれません。

戦後、空襲、疎開を体験した日本人に突き刺さった初代ゴジラ、
地震、原発事故を体験した日本人に突き刺さるシンゴジラ・・・とか、そういう精神の部分。


でも、そんなハードルも乗り越えて「まじで日本オタク!」という感じの人に、
完璧なレベルでシンゴジラを理解してもらっているのを見るのは嬉しいものですね。
↓例えばこういうの、
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29660740


AVGNはどれくらいシンゴジラを理解してくれるか。
AVGNの日本理解力が試されるのかもしれません。




で、勉強とか第三の波とかの話ですが。

自分は進歩主義者というか、未来のことについては物凄い楽観主義者でないかと自分でも思ったりしますね。

ホリエモンのネット上での炎上を狙ったような発言は嫌いですが、

でも彼が言っていることとか書いてる本のことを調べてみると、案外自分が考えてることと方向性同じだったりするんですよね。
「99%の会社はいらない」とか、マンマ自分が普段から思ってることです。



ちなみに自分は、人間は宇宙に行く必要は全然ないよなぁと思ってます。

未来人が宇宙旅行にいってるビジョンというのがあんまピンと来ません。

宇宙旅行なんかで事故死するのは嫌だろうから、
脳機能だけを移したロボットで代わりに宇宙にいくのが主流になるんじゃないかと考えたりします。

じゃあそれって宇宙旅行なのか?と、VRで十分なんじゃないかと、そんな気分になります。



これから先、基本やることは内へ内へ、って感じだと思います。

エネルギー資源を求めて惑星を植民地化とか、
そういうことをする必要すらなくなるような効率化が起きていくんじゃないかと。


基本向かうところは脳の中の体験と思索ばかりになると思っているので、
必要なのは僅かな電気だけです。
ダイソン球とかを作る必要もなく、太陽光だけで全て賄えるようになるはずだと。
人口を増やす意味も感じなくなってくるはずです。


この宇宙にどっかにいた、どっかにいる、どっかに現れるであろう、
人間よりも進んだ知的生命体(仮)も、特に他の惑星系とのやりとりをせずに、内に内に入っていくのだろうという感覚があるのです。

で、人間もそれでいいと思っているんですね。




> P.S.独り言のようなもの?を()で記述するのはなんか良いなと、記事をみていて思いました

これはありがたいです。
自分の文章は脇道にそれまくるし 
そのカッコをどういう順番で読んだら良いのか自分でもよくわかってなかったりしますから。


> その2 アームジョーが無性に好きなので、唐突にでてきて意味もなく笑いました


こういうのが伝わる人がいることも全く期待していなかったので
分かる人がいるというのはとても嬉しいですね。
[ 2016/09/22 10:12 ] [ 編集 ]
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